第38話 ヒロインは兄に甘える
「泣いてるから」
男の子の言っている意味が分からなくて首を傾げるとほろりと温かいものが頬を伝っていく。慌てて手を当ててみれば、たしかに目元は涙で濡れていた。
こんな時でさえ強くなりきれない自分が嫌になる。泣いている顔を見せたくなくて両手で自分の顔を覆った。
「お、おねぇちゃん。やっぱりどこか痛いですか?早くお医者さんに診てもらわないと。僕、いいお医者知ってるんです!少し怖いけれど、僕が風邪を引くといつもあっという間に治してくれる先生なんです。だから、きっとお姉ちゃんのお怪我も治してくれます。大丈夫。泣かないで」
俯いてしまった私の頭を、その小さく優しい手で、幼児を諭すようにゆっくりと撫でてくれる。こんな光景を見ても恐れることなく私を心配してくれるこの子の強さに憧れた。
私も強くならなくちゃ。
目をぎゅっと閉じて涙を止める。そして、
顔を上げれば私はもう、泣いていない。
「ありがとう、元気が出たよ。優しいね。いつまでも、強くて優しいそのままの君でいてね」
今度は私が、栗色のサラサラな髪をそっと撫でた。頭を撫でられるのが好きなのか、男の子はくすぐったそうに笑う。その仕草がとても可愛らしくてずっと撫でていたかったけれど、そろそろ下が本格的に騒がしくなって来た。そろそろ、帰してあげなければ。
「おい。なに坊ちゃんに慰められてんだよ」
笑い混じりの呆れた声にっは、として隣を向くと、そこには花の上であぐらをかいて頬杖をついたぐぅちゃんがいた。
「なんだ、ぐぅちゃんいたの?」
「なんだいたの?じゃねぇよ」
「い、いはい!いはい!ははひへー!」
「ら、乱暴はよくないです」
ほっぺを摘むいい大人と、摘まれる大人もどきと、仲裁にはいる大人な子供。なんだコレ。
やっと手を離してくれたほっぺは魔法で攻撃をされた時よりもよっぽど痛くて、せっかく涙を止めたのにまた泣いてしまいそうだ。ほっぺを摩りながら恨みがましくぐぅちゃんを睨んでいると、呆れたようにため息をつかれた。
「お前が森にするって言ったんだろ?」
「え?」
その一言があまりに衝撃的で私は今、鳩が豆鉄砲を食ったような顔になっているに違いない。
「ミュー、鳩が豆鉄砲を食ったような顔してるぞ」
「奇遇だね。私もそんな顔してるんじゃないかと思ってた。ねぇ、ぐぅちゃんそれほんとに言ってるの?」
「本当に決まってるだろ?まぁ、俺も国王のやり方は気に食わなかったしな。仕方ねぇから付き合ってやるよ」
ぐぅちゃんはそう言って悪戯っ子のように笑う。
ぐぅちゃんはいつもそうだ。何やかんや言ってもいつも私の無茶に付き合ってくれる。優しい私のお兄ちゃん。
もう十分だ。私はもう十分優しさをもらった。大丈夫。私は一人で歩いていける。だから、また込み上げるものをぐっと呑み込んで私は笑うのだ。そろそろ、兄離れをしなくては...
「はい!ぐぅちゃん」
腕に力を入れて男の子を抱き上げると、そのままぐぅちゃんへと渡す。そうすれば、ぐぅちゃんはしっかりと男の子を抱き留めてくれた。
「お、おい!ミュー」
「ありがとうぐぅちゃん。でもここは私一人で目立ちたいから」
そう言って私は戯けてみせる
私の大好きなお兄ちゃん。だから、あなたを巻き込むわけにはいかない。
二人を乗せた花が徐々に遠ざかっていく。
「ぐぅちゃんには守るべき者がたくさんいるでしょ?だから、ここでお別れ!その子のことよろしくねー!」
私は笑って手を振った
ゆっくりと遠ざかっていくぐぅちゃんの顔が、離れていても怒りを含んだものに変わっていくのが分かる。
やっぱりぐぅちゃんは優しいなぁ...
「何言ってんだ!お前にだって守るものがあるだろ!おじさんやおばさんはどうすんだよ!ルナールは!森は!ニコだってお前のことずっと心配してたんだぞ!お前は俺の妹だろ!?もっと頼れよ!!」
ぐぅちゃんが花の主導権を奪おうとしてくるけれど、私はそれを押さえ込んで力を流し込んだ。
すると、花は一気に成長し、ふわふわの、綿毛へと姿を変える。
「お父さんとお母さんには出来の悪い娘でごめんねって謝るしかないねぇ。ルナールや森はおじさまがきっとなんとかしてくださるから大丈夫かな!アリーにはこっ酷くしかられてしまいそうだけど...。ニコちゃんにも謝るしかないなぁ。ごめんねって伝えておいてー!」
泣くな、泣くな、泣くな
「.....俺には!?」
「兄貴なら察してー!」
舌をべーっとだして私はもう一度笑った。
そして、風を呼んで二人を乗せた綿毛を遠くへと運んでもらう。広いお城の反対側までいけば、巻き込まれずに済むだろうか。あとは、あの子のご両親に会えるまできっとぐぅちゃんがなんとかしてくれるだろう。
結局、お兄ちゃんに甘えてしまっていることに気がついて私は私に苦笑した。
さぁ、これで思い残すことは何もない。ぐぅちゃんやニコルは無事離れたし、アリーもきっとおじさまとおばさまが側にいてくださる。エヴァンさんは自身でなんとでも出来る人だ。それ以外は......どうでもいい。
「あっちに戻ろっか」
クルーゼにもう一度話しかけ、残してきた二人の元へと戻るようにお願いする。
私のお願いにクルーゼは嬉しそうに花びらを弾ませ茎を伸ばした。やっぱり植物はいい。素直で優しいんだもん。
「子供にまで手を出すとは貴様は人間のクズだな。お前みたいな奴にまで優しく接していたサブリナが不憫でならない」
戻ってみたものの、相変わらずうるさいこの人に嫌気がさしてくる。溜息を吐いてその隣の人を見てみれば、蔓を食いちぎろうとしたのか、口元から血がでていた。
可哀想だなと思い蔓を解いて傷を治してあげようと手を伸ばしたけれど、
「俺に触れるな、この悪魔が」
と、言われる始末で...
なんだか楽しくなってくる。
「そうだね。私、悪い女だから、癒草を毒草にすり替えたの。私悪い女だから、窓から鉢を落として怪我をさせたんだよ」
「やはり貴様だったか!お前のせいで、どれほどサブリナがーーーッッ!!」
何がやはりだ。何も知らないくせに。けれど、なるほど。確かに恋は盲目らしい。嘘か真実かを見極めようともせず、ただ恋に溺れてひたすら自信を疑わない。本当に困った人達だ。
だから今度は二人ともの騒がしい口を蔓に塞いでもらった。
だって私の言葉を聞かずに遮ってしまうんだから。このままでは、私が嘘をついたことになってしまうではないか。していない事をしたと言っているんだから。
「これで満足だった?していないのに、したと言えばいいんでしょ?もう、どっちでもいいんだよ」
あなた達はいつも私の真実を嘘に変えてしまう。それでも、私は嘘はつかない。
誇り高きエルフだから。
「そうだ、一つ教えてあげる。
私はね、化け物でも悪魔でもないんだよ?
だって私は...
神様なんだから」
さらに力を増して解き放てば花や木々はより一層瑞々しく咲き乱れる。
さて、これからどうしようか。
っふと下を見下ろせば、一際騎士たちが集まっている箇所を見つけた。
「あ、あそこにいた」
そこへと意識を集中させれば、木々が一人、また一人とその壁を取り払っていく。
隣で二人がなにやらフガフガと叫んでいるが、何を言っているのか全く分からないためチラリとみて、また視線を戻した。
人の壁が無くなれば、この国で一番高貴お方が顔を出す。遠くから見てもあからさまに怯えている表情に心底呆れてしまう。先程までの自信と威厳は何処へ行ってしまったのか。
必死に逃げ惑う貴族達。
植物達と応戦する騎士や魔法士達。
いつも偉そうにふんぞり返っている人達は、いざ実力となれば平民の私一人に、敵わない。この世界って何なんだろう。別に人の上に立ちたいなんて思わない。偉くなりたいなんてこれっぽっちも思わない。私はただ穏やかに過ごしていたいだけなのに。この人たちは平気で私の意思を踏み躙ってくる。
私が平民だからかな?あなた達より身分が低いから何してもいいの?じゃあ、神としての、私だったらあなた達に何をしてもいいよね?だって、あなた達は人間なんだから。
「安心して?私、血を見るのはそんなに得意ではないし、あなた達の死に興味も無いの。ねぇ、どうしたら私の悲しみをあなた達も分かってくれるかな?」
最後の壁の一人を取り払い、目的の人物を蔓で捕まえる。あまりに簡単に捕まえてしまえるものだから、なんだかお人形遊びをしている気分だ。
取り巻きの2人の横に王様も並べその恐怖で怯えたお顔をまじまじと見つめた。
「さて、王様。少しお話をしましょう」
「な、なんだ」
先程までの人を見下したような表情は成りを潜め今ではすっかり怯えきったその顔がなんだか可愛らしい。まるで水に濡れた小鼠のよう。
「私、殿下に毒など盛っていませんよ?何かの間違いでは?」
しゃがんで頬杖をつきながらそう笑いかければ、王様は取れてしまうんでは無いかと思うほど、上下にブンブンと首を振る。
「そ、そうだな、何かの間違いに違いない」
「そうですよね?あぁ。よかった。だっておかしいんですもん。私ダンスが終わった後ずっと庭園にいたのに」
「そ、そうだったのか。それはすまなかった」
滴るほどの汗をかきながら、王様は何度も何度も間違いだった、すまない。と私に訴えてくる。
なんか...面白くないなぁ。
そもそも、こんな状況になる事くらい少しは予想出来たのでは?冤罪をかけられたら誰だって怒るに決まってるのに。権力に甘え過ぎてるよ。
ーーーーその時
視界の端から何やら赤いモノが飛んでくる。
指を弾いて大きな葉を盾にするけれど、それを赤がゆっくりと包み込む。
「え?」
メラメラと燃えるその光景に驚きを隠せない。魔法に燃やされるだなんて.....。
必死に盾になってくれた葉は灰となって夜空へと消えていく。
残された炎は再び私の方へと向かってスピードを速めていく。それを真正面から見つめていると炎の揺らめきの隙間から彼女の顔がわずかに見えた。
「あぁ。なるほど。いいね、面白くなってきたよ」
どおりで燃えてしまうはずだね。だって、魔法じゃないんだもん。
こちらへと凄まじい火力で飛んでくる炎の玉を素手で受け止める。
たしかに、凄い力。魔法士達が撃ってきたモノとは完全に格が違う。
あまりの暑さに額から汗が流れ落ちた。
けれど、この程度なら片手で十分。
炎を受け止めた左手の指を順番に握りしめていけば、段々とその強さは成りを潜めていき、最後の一本を握りしめる頃には炎は煙へと姿を変え空高く登っていく。
煙が登っていく姿を何処までも追いかけて上を向いた。煙は夜空へと溶け込み今は瞬く星々が私を見つめている。まるで、いつまでも目を背けている私のことを笑っているみたいだ。
「ほんと、どれだけ力があっても私は弱いままだなぁ」
また泣いてしまいそうで溢れてしまった言葉を溜め息で吹き消した。
さぁ、もうおしまいにしよう。
「いこっか」
そうクルーゼに話しかければ一度っぽんと花びらを弾いて茎を伸ばしていく。
「ふふ、そうだね。せっかくだもん楽しまないとね」
まるで勇気づけてくれるようなその仕草に思わず笑みが溢れる。そうだね、笑わないと。
そうして私は彼女の方へと向き直り微笑むのだ。
それを合図にクルーゼはどんどんとスピードを上げて茎を伸ばしていく。
そうすればさらに威力を増した炎の玉がこちらへと撃たれる。
けれど、そんなの些細な事だ。ピンッと指で弾けば炎はッパンと弾け火花は薔薇の花びらへと姿を変えていく。
薔薇が作ってくれた花のアーチを潜ればあっという間に彼女がいるバルコニーへと辿り着いた。
そこには、各国の王様や臣下達、そして彼女とその隣にーーーーーネムがいる。
「王様方、お騒がせしてしまい申し訳ありません。ですが、もうしばらくお待ちいただけますか?彼女と話したらすぐ、去りますので」
アリーに叩き込まれすっかり板に付いた淑女の礼をして、彼女へと向き直る。
サブリナ様はフルフルと震えてすっかり怯え切った顔でこちらを見つめていた。
その顔もう見飽きたな
何度も何度も見てきたその表情。きっと男の人はこれが演技の顔だなんて思ってもみないんだろうな。
私は分かるよ。分かるから、またその顔かと可笑しくなって、笑ってしまう。さぁ、今日は今までとは違う。あなたはどんな顔を魅せてくれるのかな?
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