第17話 挿話とある執務室で
執務室の扉をノックすれば、どうぞと落ち着いた声が返ってくる。
「失礼致します」
「ああ、もうそんな時間か」
執務室の中央に位置する応接用のソファには三人の青年が向かい合って座っていた。
「本日はお時間をいただきありがとうございました。皇帝陛下、どうかご検討よろしくお願い致します」
「ケント殿下。他国からは、我が国は宗主国と言われておりますが、事実上はどの国とも対等であり、中立の立場。他国の内乱に口を出すことは難しい」
「はい。重々承知しております、宰相殿。ただ、私も味方が少ない故、縋れるものには縋りたいのです。我が国を今のままにしてはいけない。この先にあるものは破滅しかないでしょう。国王はそれに気がついておられない。いや、気が付いていたとしても己の欲には抗えぬのです。私が止めなければなりません」
金髪碧眼のケントの真剣で真っ直ぐな瞳に当てられた宰相はふぅと息を吐きながら目頭を揉み始めた。その拍子に肩の上で結んだ赤茶色の長い髪がさらりと流れ片眼鏡のチェーン がカシャリと音を立てた。
「話は分かった。そちらの状況は把握しておこう。何かあればすぐ動けるようにしておいて損はないだろからね。ただ、宰相が言ったとおり、我が国が他国の内乱へ介入することはない。我が国に手を出されない限りはね」
ケント殿下と呼ばれた青年は皇帝の返事に満足し、その場を後にした。
主人の支度をする為に部屋に訪れていたリカルは、ケント殿下を見送りに一度部屋を後にし、再び執務室へと戻ってきた。
「百合の間でカストロ家御令嬢シャスナ様がお待ちでございます。陛下御支度を」
難しい顔をして書類と向き合っていた皇帝と宰相は従僕の言葉に顔を上げた。
皇帝は眉間にシワを寄せ宰相は顔を綻ばせる。
「今回のお相手はシャスナ嬢ですか。彼女は確か、治癒魔法に長けているのだとか。陛下のお眼鏡に叶うといいとですが...とはいえ、気が進んではいないようですね」
「陛下には心に決めた方がおられるのですものね!ふふ」
「リカル」
皇帝は咎めるような視線を従僕へと送るが、本人は全く気にした様子もなくニコニコと笑っている。そんな従僕の態度を咎めることもなくはぁっと大きな溜息をついた。
「なんと!そうなのですか!それは大変喜ばしいことです。我らが敬愛する皇帝陛下が選ばれるお方はどのような方なのでしょうか?勿論お力はある方なのですよね?」
「さあね」
「......陛下、我が国は力を重んじる国。力がある者であれば、身分など些細なこと。しかし力が無ければ貴方様の隣に立つ資格など有りはしないのです」
「分かっているよ」
陛下は臣下の言葉にただ微笑みを返すだけだった。そこには何の感情も感じられない。
返事を聞いた宰相はほっと息を吐き、目の前の書類をサッと纏めると一礼し執務室を後にした。
その後すぐに着替えを済ませ百合の間へと向かう。主人が歩くすぐ後ろを従僕は涼しい顔でついて行く。廊下ですれ違う者達はすぐに端へと避け、二人が己の前を通り過ぎるまで深々と頭を下げていた。そんな者達に聞こえないほどの小声で従僕は主人へと話しかける。
「なぜまだ婚約者候補と会う必要があるのです?」
「それが私の義務だからだよ」
抑揚もなく静かにそう答えた主人に従僕は顔を僅かに顰めた。
結婚を疎かにするということは皇族存続の危機になる。
リストピアは完全な実力主義であり、家柄だけでなく、己の力でその者の価値が決まる。だが、皇族は違う。皇族の血縁者達は皆強い魔力を保有して生まれてくるのだ。そんな皇族に人々は心酔している。
だからこそ実力主義のリストピア帝国の臣下達は崇拝している皇族の血が途絶える事を決して許すことはしない。ましてや、先祖返りが産まれてくることは百数年ぶりである。誰もが皇帝を崇め誰もが先祖返りである皇帝の子を望んでいるのだ。その期待に応えるのが皇帝であり、そこに私情を挟むことなど出来はしない。期待と言えば聞こえはいいがこれはただの枷だ。主人はどこまでも完璧な君主である。それは皆がそう願ったからだ。完璧をこのお方に押し付けた。彼を皇帝という名の型に閉じ込め縛り付けているのだ。
従僕は返ってきた答えにそれ以上何も返すことはなく、真っ直ぐ前を見据えて歩く主人の背中をただただ見つめていた。
どうか彼女と隣で笑い合うその日が早く訪れますように。
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