第9話 贈り物

ようやくリリから顔を上げたネムは口を尖らせて子供みたいだった。

その姿を見てまたクスクスと笑ってしまえば、ネムはそっぽを向いてクッキーを次々と口に放り込んでいった。見る見るうちに食べられていくクッキー。張り切り過ぎて沢山作ってしまったけれど、あっという間に無くなってしまった。その細い体のどこにあんな沢山入るのか不思議である。

 最後にナコジュースを飲み干してご馳走さまと呟くネムは本当にお行儀がいい。パチンと指を鳴らせばあっという間に籠や瓶やサンドイッチの乗っていた皿が綺麗になった。律儀な人である。


「そろそろ戻らないと」

「そっか。今日は来てくれてありがとう。とても楽しかった」


そっか。もう行っちゃうのか。楽しい時間はあっという間だ。悲しくて苦しい時間はなかなか過ぎてはくれないのに、楽しくて嬉しい時間はすぐに終わりを告げる。もし、この世に時の神様の先祖返りなんて人がいたら、文句の一つでも言ってやりたいくらいだ。いや、実際に居ても文句なんて言えないだろうしそもそも、そんなものは自分自身の捉え方の問題だと叱られてしまいそう。


「あ、そうだ。リリこれを君に」


名残り惜しく見つめていると、ネムはトラウザーズのポケットから何かを取り出してリリの首に腕をまわした。

少しして体を離すと籠をリリに咥えさせて頭を撫でるとこちら側に行くように促した。



 壁をするりと抜けたリリは私の横でお行儀良くお座りをした。 

ネムは何をしたのかと、リリの首元を見れば中央に小さな紫色の石が埋められた菫色のチョーカーが付けられた。


「これどうしたの?」


リリにプレゼント?嬉しいけれど、素直に貰うには突然で少し戸惑ってしまう。


「その子魔物だから」


「・・・え?」


ネムは何と言ったのか。魔物?リリが?

あまりの突拍子もない言葉で、うまく言葉が理解できない。リリは犬だ。どこからどう見ても白いフワフワの毛を纏った大型犬である。


「リリはナイトドッグという魔物なんだよ。元々はこちら側で生まれた子だ」


ネムの話によればナイトドッグとは魔物の一種で、動物の犬に比べ桁違いに身体能力が高く、そして何より賢いらしい。警戒心が強く、滅多に人に懐くことはないけれど、一度、主と決めれば忠誠を誓いその命が果てるまで主人の側で守り続けるという。その為寿命も長く人間と変わらないとのことだ。


寿命が人と変わらないって...

リリとまだまだ一緒に居られるということ?でもリリは最近寝てばかりで前よりも活発に動くことも無くなってしまった。年齢の所為ではないとしたら...もしかして病気!?


「リリは最近寝てることが多いの。老衰かと思っていたのだけど...」

「その為のチョーカーだよ。そっち側の土地の力は魔物には合わないからね。リリはまだまだ若い。女の子に老衰は失礼だよ」


ネム曰く、このチョーカーをつけていると、精霊の森の影響を受けにくくなるらしい。これで以前の元気だったリリに戻るとのことだ。

 もう長くは一緒に居られないと思っていた。段々と眠る時間が長くなっていくリリを見て覚悟は出来ても現実を受け止める自信は無かった。でも、その覚悟さえも、まだまだ要らないモノになった。ネムがそうしてくれた。


「....ありがとう。」


目頭がだんだんと熱を帯び、鼻がツンッと痛くなる。壁にぶつかった時とは違う内側からこみ上げる痛み。


「リリ〜....うっひっく...気付いてあげられなくてごめんねぇだいずきだよぉぉ」


思いっきりリリに抱き付いた。

私には分からないけれど、リリはきっと今までとてつもない辛さに耐えながら側に居てくれたのだろう。寿命が人と同じということは、私と年齢は変わらないくらいだと思う。むしろ、私より若いかもしれない。それなのに、昼間でも寝ていなきゃいけないくらいに弱ってしまっていたなんて。リリに申し訳なさ過ぎる。いつも助けてもらって励ましてもらってばかりなのに、私は何もリリにしてあげれていない。情けない。


「ミューリアはほんとよく泣くね。安心しなよ。リリは成長が極端に遅くなったり眠気に襲われることが多くなっただけで、苦痛はないみたいだよ。それに、君の側にいられて幸せだ」

「.....ネムはリリの言葉が分かるの?」

「うん。魔物とは仲が良いんだ。それにしても、君は幼い時から泣き虫だったんだね。リリはそんな君を放っておけなかったそうだよ」

「そっか...そうなんだ」


 そっか、出会った時からずっと守ってくれてたんだ。私の大切なリリ。良かった。リリが苦しんでなくて。私の側が幸せだと思っていてくれて。

嬉しくて嬉しくてリリにしがみついて首元に顔を埋めた。いつものリリの匂い。大好きな私の家族。まだまだこれから一緒に時を刻んでいけることがなによりも嬉しい。


....ん?



首元でスーハースーハーと匂いを楽しんで心を落ち着かせていると気がついた微かに香る石鹸の様な香り。いつもの匂いと混じったそれに気がついてしまえばキュッと胸が苦しくなった。この感覚がとてもこそばゆくてさらにぐりぐりとリリの首に顔を埋めた。


すると壁の向こうからっふという笑い声が耳に届いた。ゆっくり顔を持ち上げると吸い込まれそうなほど美しい夕暮れの瞳と視線が合う。急激に体温が上がり耳から火が出そうになり慌ててリリの首元に顔を戻したけれど、石鹸の香りが私を休ませてはくれない。


「さっきの僕はこんな感じだったのかな」


何かネムが呟いた気もするがよく聞き取れなかったうえに、今はそれどころではない。恥ずかしくて恥ずかしくて堪らないのだ。


「さぁ、そろそろ顔あげてくれないかな?もう行かなくちゃいけないから。」


ネムの言葉にバッと顔を上げた。そうだ。ネムは帰ろうとしてたんだ。あれから時間が経ってしまっている。引き止めてしまって申し訳無いことをした。

乱れてしまった前髪を手櫛で梳かしてワンピースの袖口で涙を拭い立ち上がる。


「引き止めてごめんなさい。チョーカーありがとう。それに、今日来てくれて嬉しかった。あの、また会えたら嬉しい!」


何回も誘うのはちょっぴり気が引けて、でもまた会いたくて、だからその気持ちだけでも伝えようと思う。


「ミューリアは次はいつここに来るの?」

「私?私はネムが来る時」

「君...暇なの?」

「暇じゃないよ!失礼だなぁ。牧場の手伝いだってちゃんとしてるんだから!ただ、暇じゃないけど、予定もないの。ネムがここに会いに来てくれる約束をしてくれたら、、、私の予定が、、、でき、るん、、だけどな」


自分で言ってて恥ずかしくなってきた。だんだんと語尾が萎んでいくと同時に視線を下に落とした。履いているブーツの先に丸い小石があるのを見つけてそれをコツンと蹴ってどうにか気を紛らわそうとしたけれど、この緊張感はどうにもならず、ネムの返事をただただ待った。


「夜は出てこれる?」


夜...?視線をネムへと戻して首を傾げる。


「うん?」


 学園から帰ってきてからは出てないけれど、以前はよく夜の森も散歩したものだ。昼間とは景色をぐるりと変えて静寂な眠る森はとても神秘的。月光を浴びて夜にしか咲かない花や夜行性の動物たち。そして何より宝石を散りばめたようなの満点の星空が大好き。でも、夜の森へ出掛けることをお父さんとお母さんに言えば心配を掛けてしまうから二人が寝静まった後にこっそり自分の部屋の窓から抜け出すの。それがちょっぴりいけない事をしているみたいで、そのドキドキもまた楽しかった。


「じゃあ、3日後の夜。ここから少し北へ行ったところにある湖で月が南の空に昇る頃に」


これは、もしかして次会う約束をしてくれている?また会えるの?またお話できる?次は何を持ってこようか。


「うん!分かった!嬉しい!楽しみにしてるね」


そう答えれば、っふと柔らかく微笑んで、じゃあまた、と呟いた瞬間に森に溶け込むようにネムは姿を消した。




「え....うそ!すごい!!!」


 何が起きたのかすぐに判断ができなかった。あれはたぶん瞬間転移だ。学園の書庫室にある近代魔法論という本で見た事がある。かなり魔力が必要なうえに、魔力コントロールが難しく少しでも制御を誤ってしまえば空間が捻じ曲がってしまい体が砕け散ってしまうらしい。私は恐ろしくて、どうしてもやってみようと思えない。それに、去年の魔法研究機関の公開資料では成功した者は未だに少なくこの大陸でも片手で数えられる程度だそうだ。すごい!凄すぎる!次会った時はその話をぜひ聞いてみたい。さっそく次会った時に話したい事が出来てしまいあと3日もすればどれだけ増えているのだろうと少しこわくなる。コレは話したい事メモを作成したほうが良いかもしれない。


「さ!私たちも帰ろうか?」

「ワンッ!」


 リリもチョーカーのおかげかいつもよりご機嫌だ。動きも軽やかでその姿を見てさらに嬉しくなって思わず鼻歌が漏れてしまう。ネムは沢山の嬉しいを私にくれる。私はネムに何をしてあげられるかな?

ステップを踏んだり、くるりと回ったり。足取り軽く家に向かって歩みを進めた。

 あの二股に分かれたミキの木を右に曲がり少し背の低いカフサの木をぐるりと回って左斜めに進む。この先に出てくるリキリナスの大木を曲がればいつもの切り株に辿り着くのだ。途中でしゃがみ地面に手をついてみる。ドクンドクンと大地が脈打ち命が巡る。森が生きている。瞑っていた目を開けて立ち上がり掌に付いた土を軽く払う。

水脈に異常はないし、うん、大丈夫!


 日が傾きかけて木漏れ日がオレンジ色へと変わっていく。


「あ、キクリン茸がある」


 切り株に出る手前の木の根本にコロっとした形のキノコが沢山生えている。コレはキクリン茸と言ってコリっとした食感が美味しいキノコだ。バターでソテーして軽く塩を振ればお父さんのお酒の肴の完成である。オイル漬けにすれば日持ちもするし、バケットにも合う美味しく便利なキノコなのだ。

 籠いっぱいに摘めば中々の重さになった。まあ、メリィのお世話の感覚を取り戻しつつある私にはこの重さもへっちゃらだ。籠を抱え直して切り株へと出ると、この森とは別の爽やかな濃い緑の香りが鼻をくすぐった。身に覚えのあるその香りに頬が緩んでいく。目の前の切り株には大きな翼鋭い目つきとクチバシにきらりと光る研ぎ澄まされた爪を持つ一羽の鳥が留まっていた。

 タキと呼ばれるその鳥は全ての鳥類の頂点に君臨し、別名賢鳥と呼ばれるほど賢く強い。そしてタキは世界的にも希少な鳥でフォレスティアで生息しているのは東の森のみだ。

 目の前のタキには右目の上に傷がある。昔彼が彼の主人と出会い主従関係を決める際に負ったものという事を私は知っている。そして、彼がルルという名前だということも、その由来が"何となく"という実にテキトウな感じで決まってしまったことも。


「ルルー!久しぶりね。元気だった?」


勢いよく抱き付けばキュルルと喉を鳴らして答えてくれる。大人と変わりない体格の私が上に乗っても何の支障もなく飛んでしまうほど大きいルルだけど、抱きついた私に頬擦りをしてくれるくらい愛らしい性格をしているのだ。


《ミューリア、なんだか機嫌が良いみたいだねぇ》


「もう、おじいちゃんからかわないでくれる?森で起きる出来事は何だって知ってるくせに」


《はっはっは。いい友達が出来てよかったじゃないか。その子がお前を迎えに来たそうだよ。明日、東の森へ行っておいで》


 東の森。この精霊の森ともう一つフォレスティアには広大な森がある。それが東の辺境に位置する東の森だ。元々フォレスティアは東西南北を森に囲まれた緑豊かな国だった。けれど、先代のエルフが亡くなって代替わりをした直後、私が赤ん坊だった頃に北と南の森は外交の為切り開かれたそうだ。その為この国に残された森は西に位置するこの精霊の森と東の森のみとなった。

 東の森には森の民と呼ばれる獣人が暮らしている。彼らは森に住み、森を守護する役目を担っていて、私も小さい頃から交流がある。どうやらそんな彼らに私がこの森へと帰ってきた事が伝わったらしい。


「分かった。行ってくるね。お爺ちゃん私が留守の間お願いね」

《なぁに、ミューリアが都会に行っていた間ずっと守り続けてきたんだ。たかが東の森へいく1日2日どおってことないわい》

「ふふ。そうだったね。みんなよろしくね。ルルも明日はよろしくお願いします」


キュルルと可愛く返事をしたルルと精霊達に明日の朝にまた来ると別れを告げ、私は帰路に着いた。

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