第3話 ヒロインは謝罪する

その日夕暮れ、家に帰った私を出迎えた両親はひどく慌てていた。


「どうしたの?」

「領主様から明日ミューちゃんと話がしたいと手紙が届いたの。」

「.....デラーレ伯爵から?」


デラーレ伯爵。この町ルナールがあるデラーレ領の領主様だ。もしかしたら、いい話では無いかもしれない。私は領主様から罰を与えられても仕方がないことをしたのだ。


「私、明日領主様の元へ行ってくるよ」

「一人で行くつもりか!?」

「うん」

「私達も一緒に行くわ。ミューちゃんを一人でだなんて行かせられない」

「ありがとうお母さん。でもお願い。私一人で行きたいの」


謝らなければならない。彼女を傷つけてしまったから。私の大切なあの子を。









「顔を上げさい。ミューリア」


重厚感のあるどっしりとした声でそう私に促すのは、私達の暮らす辺境の地デラーレ領の領主であるフランク・デラーレ辺境伯様だ。そして、私の幼馴染みであるアリーナ様のお父様.....。


「この度は大変申し訳ありませんでした」

「ミューリア。謝らなくていい。顔を上げてくれないか。私はお前に謝罪して欲しかった訳ではないのだよ。寧ろ、謝罪せねばいけないのは私の方だ。守ってやれなくてすまなかった。守ってくれてありがとう」


悲痛の混じったその声に思わず顔をあげた。なぜ謝るのか。上手に学園生活を送る事もできず後ろ盾になって貰ったにも関わらず、顔に泥を塗るようなことになってしまったのは私の責任なのに。何て言えばいいか分からない。なぜ...

私はあなたの宝物を傷つけてしまったのに。




ーーーッキーン....

耳鳴りがしたと思えば窓の外から聞こえていた鳥の囀りや使用人さん達の朝の忙しそうな音が全て遮断され突然の静寂が訪れた。そして領主様はさらに眉間にシワを寄せてまるで泣きだしてしまいそうな、苦しそうな表情になった。

領主様自身が防音魔法を発動したのだ。



「学園でのお前の話を聞いた。だが、私はそれが偽りである事はすぐに分かった。ナメて貰っては困る。私はお前を小さい時から知っているのだ。私のもう一人の娘のようなものだからな。それらに全てサブリナ様が関わっていることも。あの方は賢女と名高い方だ。色々な意味でな。目をつけられてしまったことは災難であった」


喉に何かが詰まって言葉が出てこない。じっと領主様を見つめこの低く優しい声を受け止めることしかできない。


「あの子も分かっている。お前があの子を突き放した意味を。ナメないでもらいたい。私はそんなに柔じゃない!っとぷりぷり怒っていたがな」


領主様の眉間のシワが解けて、可笑しそうに目を細め立派な髭を揺らしていた。その姿がだんだんと滲んでぼやけて、この土地に帰ってきてから何度目になるだろうか。


「あの子を守ってくれてありがとう。私の娘に生まれて来てしまった子だ。貴族の世界から抜け出すことは出来ない。あの世界であの子の居場所を守ってくれてありがとうミューリア」


あの地獄のような学園で唯一の私の光だった大好きなアリー。特別な力を持って生まれた私は彼女と同い年だった。その為小さな時から領主様のお屋敷に訪れる事も多く、次第に遊ぶ事も多くなった。幼いが故に礼儀も何も知らない田舎者の私はあろうことか貴族であるアリーに敬語も遠慮も何もなく、たくさん喧嘩をしたものだ。でもそれ以上にたくさん笑ってたくさん話をした。心細かった入学もアリーと一緒なら頑張れると思った。けれど、現実はとても残酷なもので私の心は擦り切れていった。あの地獄で誰もが敵になったあの場所でそれでも変わらず私の側にいてくれたアリー。大好きなアリー。唯一の味方だったアリー。そんな優しいあなただから、大好きなあなただから私は貴女を裏切った。だって大好きなのだ。私と一緒の地獄になんて来てはいけない。傷つけてごめんなさい。許してなんて言えないことをした。大好きなあなたを遠ざけた。

だけど...だけど優しいあなたの優しさに私はまだ心のどこかで縋ってしまっているの。またいつかあなたが私を許してくれる日が来たら私とまた喧嘩をしてくれる?笑ってくれる?お話しをしてくれる?


領主様の優しい声に真剣な眼差しに私はもう耐えられなかった。どうしてあの時私は一人だと思ったのだろう。ここは、この場所はこんなにも温かかったことをどうして私は忘れていたのだろうか。


「ごめんなさい。おじ様。ごめんなさい。私アリーが大好きなの。傷つけてしまってごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい...」

「謝らなくていいんだよ。よく頑張った。よく無事で帰って来てくれた。それだけで十分だ」



背中を優しく摩ってくれるおじ様の手は記憶にあるよりも小さくて時間は流れているんだと感じる。それでもやっぱり大きくて温かくて優しくて...やっぱり変わらないおじ様の手だった。


 ずっと泣いて震える背中を摩ってくれていた優しい手つきとは裏腹におじ様は唸るような声で言葉を吐き出した。


「フォレスティアを守ってきた森を切り開くだけでは飽き足らず、またも守り神を無下に扱ってただで済むと思っているのか。我らは森に守られ森に育てられてきた。今ある恵を享受することを当たり前と覚え、ありがたみを忘れる。なんと愚かな」


怒りと悲痛の混ざったその声にっはっと我に帰る。おじ様は勘違いをしているかもしれない。


「おじ様。私の力は森の為の力です。決して人を傷つけたりなんてしません」


沢山悲しい思いをしたけれど、だからと言って何かやり返そうなんて思えない。


「ミューリアは優しい子だ。」


地響きのような声は鳴りを潜め穏やかな声を私へと向けてくれる。ちゃんと私の考えを伝えておかなければ。


「いいえ、おじ様。私は優しさでそう思っているのではなく、一切の無関係を貫きたいのです。何かをあの方達にしようだなんてそんなこと絶対に思えない。だってそんな事すればまた関わりができてしまうでしょ?触らぬ神に祟りなしです。例えそれが復讐であってもまた関わりを持つなんてごめんです!私は何もかも忘れて...っといってもアリーとのことは忘れられないけれどとにかくあの学園でのことは自分の中で綺麗さっぱり忘れて、私はこのデラーレで幸せに生きていきたいのです!だからこれでいいです。ただで済んでいいんです!私の事はいなかったものとしてくれていいんです!私はもうあの場所とは無関係です!!!!」


自分でも、泣いていたのによくもまぁこんなに素早く切れ変えられるものだと思いつつも勢いよく出て行く言葉は止められなかった。一歩前に出た私と一歩引いたおじ様。

目をパチクリさせた後、おじ様は大きく口を開けて盛大に笑い始めた。そして一頻り笑い終えた後っふぅと息を一つ。


「ミューリアは面白い子だ。そう言ってくれて助かった。お前の言葉のお陰で少し楽になったよ。なんせ愛娘二人分の怒りはあまりにも大き過ぎてな...頭から火が出るところだった。お陰で娘一人分の怒りで済むよ。...ああダメだ。やっぱり火が出そうだ」


これはまずいのでは?

やっぱりおじ様の耳にも入っていたか。アリーのこと。

こうなってしまうとどうにも手が付けられない。おじ様はアリーが大好きなのだ。目に入れても痛くないほど可愛いと普段から言っているが、アリーが小さな頃本当に目に入れようとするとは思わなかった。溺愛である。

そんなおじ様がアリーの学園での事を聞けば大変な事になることは明らかで、出来れば知って欲しくなかった。アリー自体もあの出来事を「あ、そうなんだ。」くらいで何とも思ってないようだったので、私もアリーが気にして無いのならいいかと思っていた。これが、アリーが悲しむ出来事であったのなら私もおじ様のように怒り狂おう。さっき言っておいては何だが私の持てる力全てを使うことも厭わない。けれど、そうではないのなら寧ろその出来事よりも、おじ様が知ってしまった事の方が悲劇だと思う。アリー可哀そうに....。


「騎士団長がどうしてもと言うから婚約を許したにも関わらず、他のご令嬢に現を抜かすとは何事だ。それも、殿下の婚約者殿とは。彼奴は師匠の私が直々に八つ裂きにしてやろう」


 おじ様の目が爛々と怪しく光を宿している。おじ様は以前、王宮で騎士団長をされていたらしい。それはそれは凄腕の騎士様だったらしい。辺境伯を継ぐために騎士団長を退役してデラーレに戻って来たらしい。

アリーから聞いた話だから全部"らしい"だ。私自身が知っているおじ様はいつも威厳があって穏やかで、アリーのことになるとちょっと周りが...いや、大分周りが見えなくなるけれど、それはご愛嬌。領民の声にもしっかりと耳を傾ける素晴らしい為政者だ。剣の腕は見た事がないけれど、アリーが言うのだからきっと凄いのだろう。


 アリーの婚約者はおじ様の戦友であり現騎士団長ローバル様のご子息アレク様だ。アレク様はおじ様と師弟関係であり、その為、アリーと幼なじみでもある。元々二人に恋愛感情は無く、友情のみだったが団長様がどうしてもと言うので入学する前年におじ様も渋々婚約を許した。けれど、学園に入学したアレク様は恋をした。王太子殿下の婚約者サブリナ様に。恋をするのは仕方がない。自分ではどうにも出来ない感情らしいから。けれど、例えそこに恋愛感情など皆無でも婚約者がいる身。それは周りの誰もが認知している事実であり、簡単には解消出来ないものだ。それなのに、あんなに大っぴらに態度に表してサブリナ様にご執心とは大問題である。アレク様だけが"婚約者がいるにも関わらず、他の令嬢にご執心の浮気者"というレッテルを貼られるなら問題はない。寧ろ大歓迎だ。私もべったり貼ってやろう。けれどアレク様がそう思われるのと同時にアリーも"婚約者に浮気されたご令嬢"と周りから見られるのである。アリーはさっぱりした性格だから「好きに言わせておけばいいのよ」と物凄く男前なことを言っていて、思わずちょっぴりときめいたくらいである。が、その当時は私もハラワタが煮え繰り返ったものだ。あ、思い出したら私も頭から火が出そう....。


 まぁ、あの時はまだそこまで私の学園生活も酷くは無かったからアリーの心境を直接聞けれた事だけは良かったかな。


「ミューリア、体調でもわるいのか?」


思考の海にダイブしていた私は一足先に我に帰ったおじ様の声に呼び戻された。


「あ、い、いいえ。大丈夫です。おじ様」

「そうか、それなら良かった。今日は朝早くからすまなかった。最近立て込んでいてな。この時間しか時間が取れなんだ。帰りの馬車を用意させよう」


アリーの話で鬼の形相になっていたおじ様はいつの間にか、いつもの穏やかな微笑みを私に向けてくれた。私は改めて幸せ者だと思う。デラーレの地に生まれてきてよかった。


「お心遣いありがとうございます。せっかくこちらまで来たので、少し街を歩いてから帰ろうかと。街の人達にも挨拶がしたいので」


小さな頃から領都デラリアには来ていたのでお店の人達ともちょっとした知り合いなのだ。久しぶりに帰ってきたから挨拶がしたい。それに、きっとこの季節の街並みは綺麗だろう。おじ様と話して心が軽くなったから、ちょっと羽を伸ばして街を楽しんでみたいと思う。


「そうか。それは良い。きっと皆喜ぶだろう。そうだ。ミューリアの好きな菓子を、たくさん用意したぞ。学園では成績が良かったそうではないか。これはそのご褒美だ。後で自宅まで送っておこう」

「わぁ!嬉しい!おじ様ありがとうございます」

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