第2話 森で眠れる人


《あっちだよー!》

《ほらあそこ!》

《あの子!ミュー、あの子だよ!》


 精霊達の声に導かれて森の奥深くまでやってきた。ここに来るのは幼い時以来かもしれない。森を探検するのが楽しくてどんどん奥へと入ってしまった時。あの時はまだ魔力のコントロールも未熟で透明な魔力の壁があることに気が付かなかった。

そのせいで、まだまだ先へ行こうと突き進んで壁にぶつかり鼻を強打。何がなんだか分からず大泣きした事を覚えている。その時の痛みを思い出して、何となく鼻がツーンとしたような気がした。とりあえず、鼻に手を当てて摩っておく。

 魔力のコントロールが出来るようになった今はしっかりと壁の存在を感じる事が出来る。それと同時に、壁の向こうとこちらの空気の違いも感じ取れるようだ。

そうだ、あの時大泣きしたのは鼻の痛みだけじゃなかった。向こう側は薄暗くて何だか得体の知れないモノがたくさんいる気がして怖くて、こわくて堪らなくて泣いたのだ。

 そんな事を思い出しつつ辺りをゆっくりと見渡す。精霊達の声が集中する方へ向くと壁からそこまで離れていない向こう側で木に凭れて座っているような人影が見えた。そっと壁の手前まで近づいて目を凝らして様子を伺う。



「っげ」


《どうしたの?》

《ミューちゃん?》


「あ、いや、何でもない」


 はっきりと人を確認出来てまず一番に目に飛び込んできたもの。それは黒髪だった。

黒髪は苦手。嫌な思い出しかない。珍しい色だからもしかすると、あの人の親戚か何か?いやいや、そうとは言い切れない。そもそもリストピアでは、珍しい色では無い可能性だってある。


《ミューちゃん?だいじょうぶ?》


「へ?あぁ、ごめんね。大丈夫だよ。」


精霊は聡い。さっき散々泣かせてもらったのだ。もうこれ以上心配させちゃいけない。

今はとりあえず、髪色を気にするのはやめよう。うん。


「男の子かな?胸が微かに動いているから、生きてはいるね。怪我も...してないみたい、良かった。何でこんな所で寝てるんだろう?迷って疲れちゃったとか?」


 いや、その割には洋服は綺麗でブーツもそこまで汚れていないような?

白いシャツにトラウザーズにブーツ。一見何の変哲もないシンプルな装いだけど、森に入る人が果たしてそんな無防備な格好でくるだろうか?況してや彼がいるのは魔の森だ。精霊達から聞くところによると、魔の森には魔物が住んでいるらしい。こちらでいう精霊みたいなモノらしいが、姿形はあるらしい。あまり人好きではないそうだけど。


それなのに、何だろうこの感じ。

今私には、魔物と呼ばれているであろうモノの姿は見えないけれど、気配は分かる。人嫌いの割に彼に対しての警戒心は無さそう。むしろ...


「ねぇ、みんな。私姿は見えていないのだけど、魔物?達が彼のことを心配しているように感じるんだけど?」


先程から、向こう側に気配を感じる。正体がはっきり掴めないモヤモヤ感はあるものの、恐怖心はなく寧ろ彼を案じているように思える。その優しい気配がちょっぴり微笑ましいほどに。

きっと幼い私が向こう側へと抱いていた恐怖は、今感じているこの気配に対してのものだったのだろう。あの時はほんとに何も分からなかったけれど、今は分かる。感じるのだ。その存在を。


 精霊達が教えてくれなければ魔物の存在を知ることはなかった。こちらの精霊が向こうの地の魔力が合わないのと同じで向こう側の魔物もやっぱりこちらの地の魔力が合わないらしく、精霊の森には滅多に立ち入らない。だから私は魔物を見たことがない。人嫌いなら尚更、私が魔物を見る日は来ないかもしれない。それでも、私が今その存在を感じることが出来ている事実がどうしようもなく嬉しい。


《まものさん達あの子のこと心配してるよ》

《まものさんあの子のこと好きなんだって》


「そっか....どうしようか....」


私は向こう側へは行けないし、魔法も壁の向こうへは掛けられない。日が傾きかけていて、私はもうすぐ家に帰らなければいけない。私の残り限られた時間で何が出来るのか...何か....なにか....


ーーーそうだ。


両手を胸の前で合わせ水を掬う様に優しく丸める。



『お日様の光』


 言葉に魔力を乗せるとぼんやりと優しく温かい光が生まれ掌の上で踊りだす。

少しずつ魔力で膨らませて一番近くの木の枝に光を吊した。直接は何もしてあげられない。せめて寒さで震えないように、陽だまりで暖めてあげられたらいいな。陽の光までは、さすがの壁も拒むことはないだろう。

あとは....


「ねぇ、少しだけリリが向こう側に行ってもいいかな?」


《だいじょうぶだよー》

《まものさんあの子のこと助けてほしいんだって!》

《ミューちゃんの光あったかいってよろんでるよぉ》


「そっか、良かった。リリ、この籠をあの子の側に置いてきてくれる?」


側にいてくれたリリに籠を近づけるとスンスンと鼻を動かして、ゆっくり口を開けてくれた。それを咥えたリリは人には通れない壁をするりと抜けて彼の元へと辿り着く。そっと籠を彼の横に置くとまた壁を通り抜けてこちらへと戻って来た。


「ありがとう。リリ。私に出来ることはこれくらいかな。とりあえず今日はもう戻らなきゃね。みんな、また明日来るね。何かあったら知らせてくれる?」



《わかった!》

《ミューまた明日ねー》

《ミューだいすきぃ》

《あー!ぼくもぼくもー!!》

《わたしもー!》


「私もみんなが大好きだよ。また明日ね。」


本当は誰にも渡すつもりはなかったんだけどな。クッキー。






 今日も1日の始まりはメリィの世話からだ。昨日よりは、少し感覚を取り戻せた気がする。乳搾りも完璧!!!私に乳搾りをやらせたら、右に出る者はいないかもしれない!!!



.....いや、いたわ、お父さんがいたわ。



「ミュー。もう今日はいいぞ!また飯食ったら俺の分も頼むなー!」

「はーい。今日は森で食べるからお昼ご飯すぐ持ってくるね。」

「おお、そうか。腹減ってたから助かるよ。頼むな!」



 今日のお昼ご飯はニックルスープと甘いミルククリームをたっぷり塗った丸パンだ。ニックルスープはメリィのお肉とたっぷりの豆と野菜を煮込んだ郷土料理で、とにかく美味しいのだ!それを一人用の小鍋に移して、丸パンは布に包んで籠へ。これを2セット。お父さんの分と私の分。私の分のパンとスープは念のため少し多めに入れておいた。


「お母さん行ってくるね」

「ええ。あ、そうだ!そろそろナコの実の季節かしら?」

「そういえば、そうだね。精霊に聞いてあったら摘んでくるね」

「嬉しいわ。よろしくね。いってらっしゃい」

「行って来ます」


ナコの実かぁ。学園に通い始めてから一度も食べていなかったな。真っ赤な掌サイズの丸い果物。あの甘酸っぱい果汁が何ともいえず美味しいんだよね。丸かじりすれば、中から透き通った琥珀色のぷるんとした果肉が飛び出して口の中いっぱいに甘い香りで満たされる。沢山摘んだ時は絞ってナコジュースに。煮詰めてジャムにしても最高!今日は沢山見つかるといいな。


 ナコの実に想いを馳せていると、いつの間にかいつもの切り株まで辿り着いていた。


《ミューだぁ》

《ミューちゃんだあ》


「みんな、やっほ〜。遊びに来たよ」


《よく来たな。ミューリア。ナコの実はここから北へ少し行ったところに沢山生っておるぞ。あの子の様子を見に行く途中に摘んでいくといい》


「おじいちゃんには何でもお見通しだね。ありがとう。行ってきます!」




 おじいちゃんが言っていた通り沢山のナコの実を積むことができた。お母さん喜ぶだろうなぁ。これだけ沢山あるならお昼ご飯の後にデザートとして食べてもいいかもしれない。


ん...?


そういえば、彼がまだあの場所にいること前提で考えていたけど、昨日から一日経っているのに、むしろまだ居たら不味くない?


 何となく騒つく気持ちを抑えて精霊達に昨日の場所へと案内してもらう。目的の場所に着きそうになったので、慌てて木の影に隠れて向こうの様子を伺うことにした。昨日よりはまだ早い時間なので、辺りは明るくて視界はいい。

そっと木の影から顔を出して彼が居るかどうかを確認することにする。


「.....あれ?居ないね。」


緊張とは裏腹に、人の姿はなく凭れていた木の側には昨日置いてきた籠だけがあった。壁まで近づいて籠の中を覗くと、籠の上に蓋の代わりに掛けてあった赤いチェック柄の布が丁寧に畳まれて入っていた。


 彼がここに居ないということは、まだ動く力があったということになる。魔物達も心配していたくらいだから、連れ去られたり襲われた可能性もないだろう。クッキーだけだったけど食べてもらえて良かった。食欲があるのは良いことだ。


「彼も居ないことだし、戻ってご飯食べようかな!リリ、籠取ってーー」


「君、だれ?」


「ッうわ!?!?」


突然、精霊の声ではない声が聞こえて慌ててリリにしがみついた。心臓がドキドキして痛い。


「だ、だれ?」

「僕が聞いているんだけど。君はだれ?この森で誰かと会うのは初めてなんだけど?」


とりあえずリリの匂いを思いっきり吸い込む。はぁ、落ち着く。

そろ〜っと顔を上げれば壁の向こうの木の裏から昨日の男の子が現れた。顔は覚えていないけれど、服装が一緒だから多分そう。身長は思ってた以上に高かったけれど。


「あれ、髪の色が...」

「ねぇ、僕の話聞いてる?」

「へ?あぁ、えっと...わたしはミューリア。あなたは?」


 昨日黒髪だと思っていた彼の髪の色は、今は深い紫色でその艶やかな髪は日の光を反射してキラキラと輝いている。とても綺麗なその色は私の苦手なものとは別物で少しだけホッとした。昨日は薄暗かったから黒髪に見えてしまったのかもしれない。後ろの髪は一つに纏めてあるのに長い前髪はそのまま下ろしていて顔はよく見えないけれど、声からしてもやっぱり男の人で間違いない。


「君はどうしてここに居るの?こんな森の奥深くなんて、人が立ち入るような場所じゃない」


 なんだ...と!?自分の質問には答えさせておいて、私の質問は無視なのか?


「こ、ここは私の庭みたいなものだから。小さい頃からこの森で遊んでたの」

「そうなんだ」


短い会話が終わり沈黙が流れる。

何とも言えず居心地の悪い。どうしようか....


っふと手元に目を向けると大きめの籠が目に入った。そうだ、これだ。


「ねぇ、あの、これ一緒に食べない?」

「え?」


 断られたら、二人分よりは少なく一人分にしては多過ぎるこの量を一人で食べなければいけなくなるし、何より寂しい。

だから、返事を聞かずに底に忍ばせておいた取り皿を出してスープを小鍋から分ける。


「リリ、籠取ってきてくれる?」


リリに昨日クッキーを入れていた籠を彼の元から取ってきてもらった。

その籠にスープを入れた皿とミルククリームを塗った丸パン。あとはさっき摘んできたナコの実を入れてもう一度リリに託す。リリが警戒しないということは彼は悪い人ではないのだろう。それは昨日のクッキーを届けてもらった時に分かっている。


届けに行ったリリから籠を恐る恐る受け取った彼は何かを呟いて優しそうな手つきでリリの頭を撫でた。リリも家族に見せるような安心しきった顔でそれを受け入れている。ほらやっぱり悪い人じゃない。

リリが戻ってくるとお礼にナコの実をあげた。リリもナコの実が大好物なのだ。

 近くの日陰を見つけて地面に直接座る。芝生は最高のクッションである。


「さ、食べよう?いただっきまーす。」


もうお腹がペッコペコだ。丸パンへ思いっきりかぶりついた。噛んだ瞬間にミルククリームがじゅわっと溢れ出てくる。クリームが口の端についてしまったけれど気にしない。口いっぱいにミルキィな甘さが広がってなんて幸せな瞬間だろう。おいしいぃぃぃぃ。

口の端についてしまったクリームをテキトウに指の腹で拭ってぺろっと舐める。うん。やっぱり美味しい。次はスープ。冷めちゃってるかな?魔法で温め直そうか...あ、彼のも温めてから渡せばよかった。

 っふと彼の存在を思い出して壁の方へと向く。籠を持ったままの彼はまだ呆然と立っていた。


「どうしたの?食べないの?もしかして、お腹すいてなかった?」

「え?あ...いや、お腹は...空いてる。」

「そっか。良かった。せっかく持ってきたんだもん。食べてもらえると嬉しい」




「....いただきます。」


ポツリと呟いて彼は壁のすぐ近くの木の根元に腰を下ろした。私が座ったのも壁を隔てて隣に植っている木の根元だったので、少し距離を置いて隣に座っている形になった。


「あなた、魔法は使える?良かったらスープ温めようか?」

「いや、自分で出来る」


そう言って皿の上に手をかざすと、スープが一度ポチャンと跳ねる。そのすぐ後にはホカホカと温かい湯気が上がり始めた。


「魔法上手だね」


魔力をコントロールするのは難しい。あのスープを温めるだけの少ない魔力を調節するなら尚のこと。私も魔力を自分の思い通りに扱えるようになるまで相当苦労したものだ。まぁ、私は学園で友達居なくて常に一人だったから練習する時間はいっぱいあって、苦労したものの上達は早かったけど...。うわぁ...悲しい。


「君だって出来てるじゃないか」

「私はいっぱい練習したから。だから難しい事も知ってるの」



彼がスープを口にするまで何となく見守った。スプーンでスープを掬う仕草に何となく既視感を覚える。なんだっけ?


「...おいしい」


ポツリと溢れた言葉が私の耳に届いた。


「そうでしょ?このスープはニックルスープというの。あなたの国にもある?私このスープ大好きなの。パンも美味しいんだよ?中に挟んでるクリームはうちで育てているメリィのミルクで作ってるの」

「これは、君が作ったの?」

「ううん。私のお母さん。お母さんの料理はどれも美味しいんだよ」

「じゃあ、昨日のクッキーも?」

「え?」


ドクンと心臓が跳ねた。自分の作ったクッキーの話を誰かとするのはあまりいい思い出がない。


「クッキーを置いて行ったのは君でしょ?」

「そうだけど」

「あれは君が作ったの?」


何となくこの会話は嫌だ。


「....そう」

「そうなんだ」

「言っとくけど、本当に私が作ったんだよ?嘘じゃないから...ね」

「嘘だなんて思ってない」

「え?信じてくれるの?」

「君がそう言ったんでしょ?何で疑う必要があるの?」


心底不思議そうに尋ねてくる彼をじっと見つめた。段々と視界が滲んでいく。止めようとしても止まらない。

私の言葉が意味を持って家族以外の誰かに届いたのはいつぶりだろう。


「う、うれじぃ」


しゃくり上げてしまって上手く話せない。けれど、ただただ嬉しいのだ。彼のその何気ない言葉が、どれだけ求めていた言葉か。

そんな私を見てパンを食べようとしていた彼の手がピタッと止まった。


「え?君、なんで泣いてるの?」

「あ、あなたの、言葉が、嬉しかっ..たから...」

「.....よく分からないんだけど。ねぇ、泣かないでよ」


今まで淡々としていた彼の声色が、困ったような笑っているような呆れているような。

優しく柔らかくなった彼の声が私の耳を撫で私はまた嬉しくなった。


 涙が引くまで彼は黙って隣でいてくれた。落ち着いて、またぽそりとパンをかじり始めると彼もまた食事を始めた。

そんな彼を横目でチラリと見て、あの既視感が何だったのかをようやく思い出せた。


「ねぇ、あなた貴族?」

「.....なんで?」

「所作が綺麗だから」


そう、彼は食事をする動作が優雅で綺麗なのだ。同じものを食べていても彼の物の方が高価に見えるくらい。学園で散々見てきた貴族の優雅な所作と似ていたから既視感があったのだと分かって何だかスッキリした。


「君は?」

「私は貴族じゃないよ」

「そうだろうね」

「あれ?どういう意味???」


私の所作が優雅ではないと言われているのかな?あれ?私に失礼じゃない?

まあ、彼の前での私の所作のどこにも優雅さが無かったことは自覚はしているけども!


「ふふ。そのままの意味だよ」


小さく笑った彼の声を聞いてまた嬉しくなってしまった。昨日顔色があまり良くなかった彼が元気になったみたいでよかった。いや、元気になったのは私か!そもそも、初対面の彼の前で何堂々と泣いているのだ!私、めんどくさい奴だな?


「ねぇ、どうして昨日こんな所で寝てたの?」

「君こそどうして昨日ここへ来たの?」

「え、私?私は精霊達が壁の向こうで倒れてる人がいるって教えてくれたから...ねぇ、さっきから、というか会った時から私の質問に、答えてくれないのはどうして?」


また、質問を質問で返された。ナンダコレ。

会話にならないじゃないか。


「........僕のこと知ったところで...意味ないでしょ...」

「そんなことないけど...?」


彼の言っていることがいまいちよく分からない。意味?というか、知りたいから聞くのだ。それ以上でもそれ以下でもない。そもそも知りたくないことは聞いたりなんかしない。興味がないことには無関心だ。



「どうしてそう言えるの?」

「だって私は今あなたと話せて楽しいし、もっと知りたいと思うよ。そろそろ、あなたのことあなたというのもやめて名前で呼びたいし、明日もこうして一緒にお昼ご飯を食べれたら良いなと思ってるの」


彼は私の質問にちっとも答えてくれない。せめて名前くらい教えてくれても良いと思うのだ。


「昨日初めて会って今日初めて話す相手に?君は誰にでもそうなの?」

「誰にでもじゃないよ。あなただからそう思ったの」


あなたは私の言葉を疑いを持たずに真っ直ぐ受け取ってくれたから。だから、私はもっとあなたと話がしたい。それに強がっていても私は案外人恋しかったのかもしれない。


「君、恥ずかしげも無くよくそんなこと言えるね」


プイッとそっぽを向いてしまった。何か悪いこと言ってしまっただろうか?


「恥ずかしいも何も思ったことを言っただけだけど...」


この森では偽りは許されない。

精霊に嘘は存在しない。森は常に真実のまま在る。言葉はいつでもありのままを素直に紡ぐものだ。



「...君の好きなように呼んでよ」

「へ?」

「僕の名前。僕には名前があって無いようなものだから」


どういう意味かわからないけれど、やっぱり名前は教えてもらえそうにないことは理解した。ちょっと寂しいけれどあなた以外で呼ぶ許可は得られたみたい。

では好きなようにと言うのだから好きなように呼ばせてもらおう!


「じゃあ....ネム!ネムって呼ぶことにするね!」

「ネム?」

「そう!初めて会った時眠っていたからネム!」


ネム、ネム、ネム、うん!良い!我ながらなかなか良い名前だと思う!


「君って名前つけるセンスがないね」


彼は可笑しそうに笑ってこちらを向いた。揺れた前髪の隙間から少しだけキラリと光る瞳が見えた気がした。


「え?ネム嫌だった?」


嫌なら考え直さなければいけない。


「いや、いいよ。僕はネムで君はミューリア。だっけ?」

「そうだよ!親しい人からはミューって呼ばれてるの。ネムもミューって呼んでくれると嬉しい」


そう呼んでもらえたらもっと仲良くなれる気がする。


「じゃあ、ミューリアと呼ばせてもらうよ」

「....ネムって意地悪だね?」


またネムが可笑しそうに笑った。

ミューと呼んでくれないのは少し寂しいけれどこれからその距離を少しずつ縮めていけたら良いと思う。私はこれからずっとこの地で暮らしていくのだから、まだまだきっと時間はあるはずだ。


「ねぇ、ネム。明日もここにいる?」

「....居た方がいいの?」

「無理にとは言わないけれど...また明日もここで一緒にお話ししながらご飯を食べれたらいいなと思って...」


わがままを言ってしまったかもしれない。

顔は見えないけれど、ネムが少し困っているように感じる。


「明日は来れそうにない。ごめんね」

「...そっか、残念。でも謝らないで。これは私のわがままだもの」


やっぱりダメだったか。そうだよね。ネムにだって普段の暮らしがある。それに、ここは森の奥深く。この場所に住んでいないのならここに毎日など来れるはずがない。それに今頃ネムの家族が心配をしている可能性だってある。少し舞い上がりすぎたかもしれない。私のわがままだったのに、ネムに謝らせてしまったのだ。ネムが気にしないようにせめて、何もなかったように明るく振る舞わなければ。


「また会えたら嬉しいな。あと、ご飯はちゃんと食べてる?ネムはちょっと痩せすぎだと思うの。痩せすぎはあまり体によくないからできれば毎日ちゃんとご飯は食べて欲しい」


なんて言えばいいか必死で考えて出てきた言葉がコレとは...私はお母さんか?!

ほらネムも唖然茫然でこちらを眺めている。どうしよう、どうしよう...何か言わなきゃなんて言おうか...


「....そう言う君も痩せすぎだと思うけど?」

「え?私?私はこれから毎日ご飯をお腹いっぱいに食べて太るつもりだからいいの」


しばらくご飯が喉を通らない毎日でぴったりだった制服も緩くなってしまった。けれど、家に帰った昨日は自分でも驚くほど食欲が止まらなかったのだ。お陰でお腹が痛くなってしまうくらい。だからこれから私は確実に太っていく!これは間違いなく胸を張って言える!


「何それ。そんな堂々と宣言する女の子初めて見た」


また可笑しそうに笑うネムの瞳がちらりと見えた。ほんの僅かな瞬間でも煌めいていた彼の瞳はきっと、とても綺麗な色をしているのだと思う。いつか見ることができたらいいな。


「だってご飯が美味しいんだもん」

「あまり丸くなってしまわないでね。次会った時に誰だか分からなくなってしまう」

「そこまで太ったりしないよ!」


失礼な人だ。そこまで食べ過ぎたりしない。あくまでも体型を元に戻す程度に、だ。それに家の手伝いに、森の散歩。体は常に動かしていくつもりである。そうそう簡単に丸くなってたまるものか。.....あれ?


「また会ってくれるの?」


ネムは今、また会った時と言わなかった?


「明後日」

「へ?」

「明後日またここに来ようと思う」

「来てくれるの?」

「魔の森は僕のサボり場所だからね」

「またご飯一緒に食べてくれる?」

「また何かくれるの?」

「何が食べたい?」

「じゃあ、クッキー」

「げ!?」


ぎくりとまた心臓が跳ねる。あまり触れて欲しくないのに、今日はやけにこの話が出てくる。クッキーは嫌な思い出しかないのだ。昨日もあげるつもりは無かった。そこに、それしか無かったから仕方なくだった。


「あれ、美味しかったから。あんなに素朴すぎるクッキーは食べたことがない」

「それ褒めてる?」

「捉え方は人それぞれだよ」


なんだそれ。

思わず吹き出してしまった。クヨクヨしてるのがバカらしくなってしまったじゃないか。ここはもうあの場所じゃない。ネムはあの人達じゃない。


「明後日いっぱい作ってくるから。絶対にここに来てね!約束だよ?」

「はいはい」


少し面倒くさそうな返事が何だかくすぐったかった。

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