悪役令嬢に追放されたヒロインは眠れる森の美男と戯れる
むい
第1話 ヒロインは追放される
「ミューリア・ルナールお前をこの学園から追放する!!それに加えて、サブリナへの接触及び王都への立ち入りも禁ずる。本来ならば国外追放でもぬるいくらいだが、我が愛しのサブリナがどうしてもと言うので退学で見逃してやるのだ。サブリナの寛大な処置に感謝しろ。」
「ごめんなさい。ミューリアさん。貴女にも何か事情があったのよね。守ってあげれなくてごめんなさい。どうか、お元気で。」
艶やかな波打つ黒髪を揺らし、お人形の様なクリっとした碧い瞳を涙で濡らして、私を抱きしめてくる彼女。サブリナ・デワイス公爵令嬢。
そして私の耳に赤く色づく唇を近づけて誰にも聞こえない声でそっと囁く。
「貴女の出る幕なんてないの。私の勝ちよ。さぁ、無様なヒロインはこの学園から出て行きなさい。悪役令嬢に負けるなんてヒロインも大したことないのね。ふふふふふふ」
鼻の息だけで笑える彼女はとても器用な人だと思う。悪役令嬢って何?自分で悪役って言っちゃてるじゃない。そもそも、役じゃなく貴女は悪だ。少なくとも私にとっては。
そして、ヒロインって何だ。
私を小説か何かに出てくる悲劇のヒロインって言ってるの?なるほど、ぴったりじゃない。
...ただ、私はここで泣いたりなんてしない。
離れていった彼女を見据えて、周りにいる全ての生徒に聞こえる声で私は言い放つ。
「畏まりました。殿下、男に二言はなしですよ?皆様もお聞きになりましたね?サブリナ様もほんとに色々、いっろいろ!ありがとうございました!皆さまお世話になりました!それでは、ご機嫌よう!!!!」
グッバイ!地獄のお貴族様学園!これで私は自由だ〜!
***
パカラッパカラッガタンッガタンッ
軽快な馬の足音と車輪が地面のデコボコで跳ねる音を聞きつつ外の景色を眺める。もうすぐ辺境の町ルナールだ。私の生まれ育った町。もうすぐ実家に帰れるのだ。リリは元気にしているだろうか。手紙では元気にしていると書いてあったけれど老犬だから正直もう長くはないはず。こうしてまた一緒に暮らせるなんて夢みたいだ。お母さんのシチューだってもう、ずっと食べていないし、お父さんとメリィ達の世話をする時間もずっと恋しかった。その生活がまた今日から始まるのだ。
次第に景色は見覚えのある町並みへと変わっていく。コリンさんの焼くパンの香り。二ドル爺ちゃんの野菜を売り捌く元気な声。薬屋のトリノさんがお店の玄関をホウキで掃いている。帰ってきた。やっと帰ってこれた。もう、王都なんて行かない!お貴族様となんて二度関わらない。私は田舎でのんびり暮らしていくのだ!
そう決意を固めたと同時に乗合馬車は動きを止めた。
上機嫌で最後の一段をぴょんと飛んで降りる。目の前には見慣れた、けれどちょっぴり時の流れを感じる両親が待ってくれていた。
「おかえりミュー」
「おかえりなさいミューちゃん。会いたかったわ」
両親が笑顔で迎えに来てくれた。もう何も気にしなくていい。振る舞いも言葉遣いも何もかも。私は二人に飛びついた。鼻がツーンと痛くなる。抱きついた拍子にぶつけた痛みかそれとも何かがこみ上げてくる痛みか。目と鼻から温かい何かが溢れてくるけれどそれを誰にも見せまいとお父さんの胸に思い切り顔を埋めた。その後、お父さんの服の胸元はピカピカしていて、家に着く頃にはカピカピしていた。
家に着いて、扉を開ければ大好きなシチューの香りと愛犬のリリが飛び込んできた。老犬なのにまだまだ元気なリリの姿を見て嬉しくなる。久しぶりの我が家にまた視界がにじむ。シチューの匂いと共に落ち着く香りが鼻を通った。きっとこの香りは我が家の香りなのだろう。毎日居ては分からない、しばらく離れていたからこそ味わえる何だか不思議な感覚。
懐かしさに浸っているとぐぅとお腹が空腹を訴えてくる。この感覚も久しぶりな気がする。
「ふふふ。ミューちゃんご飯にしましょう。お母さん張り切って作っちゃった。沢山食べてね。」
「ありがとう。ずっとお母さんのシチュー食べたかったの!」
「母さんのシチューは世界一だからな。毎日でもいいぞ!」
「ふふふ。毎日出したら飽きちゃうでしょ?さぁ、食べましょうか」
*
ふーっ。食べ過ぎてしまった。
お風呂に入った後お父さんとお母さんにお休みの挨拶をしてこれまた久しぶりに自分の部屋へと入る。机とベッドの位置は入学前のままで、ベッドシーツと掛け布団だけが新しくなっている。何だか自分の部屋に見慣れない布団は不思議で、だけど、そのシーツは私が好きな菫色で。帰ってきてからのこの数時間で両親の愛を沢山感じて少しむず痒い気持ちになる。
学園でのことも何も聞かないでいてくれた。それがどれほどありがたいことか。
バフっとベッドに飛び込んで枕に顔を埋めればお日様の香りがして眠気を誘ってくる。きっとお母さんが私が帰って来るからと昼に干してくれていたのだろう。
「もう...学園に行かなくていいんだ...」
自分でも無意識に言葉が溢れた。そっと目を閉じればツーっとまた涙が落ちる。せっかく整えてくれた枕が濡れてしまうな。
『ミューリアさんこのクッキーとても美味しいわね。また作ってくれるかしら?』
『もちろんです!またお作りしますね。』
『ルナール。これはどういう事だ。』
『殿下...どういう事とは?』
『白を切るつもりか。これはサブリナが私の為に作ってくれたものだ。』
『え?』
『お前が盗んだのだろう』
ワンッワンッ
見たくもない光景が一瞬で消えザラザラとしたものがほっぺたに触れる。
「...夢か」
心臓が痛いほどうるさく、なんだか息苦しいがそんな事よりもまずは、と顔を横に向ける。
「おはよう、リリ。起こしてくれてありがとう。」
ワンッと満足気にひとつ返事をすればまたベッドの横にあるリリ専用のクッションに腰を下ろし寝息をたてている。
小さい頃からこうして悪夢を見る時は大抵リリが起こしてくれた。しばらく会っていなかったけれど今日もこうして私を悪夢から助け出してくれる。リリがいてくれて本当に良かった。
強張った体を解す為に大きな溜息をひとつ。額の上に手を載せればびっしょりと汗をかいていた。
「久しぶりに作ってみようかな...」
今日の予定はお父さんとメリィ達の世話だ。
メリィはモコモコした毛皮を纏った四足歩行の動物で、ミルクもお肉も絶品。毛皮も保温性に優れており冬場のコートやストールなどに使われる高級繊維になる。
入学前は、お父さんのメリィ牧場の手伝いを毎日していた。重労働で大変だけれど、ミルクもお肉も毛皮も全てありがたく頂いているので世話を惜しむことはない。それに何よりメリィ達が可愛いのだ。さ!久しぶりに頑張るぞ!!!
「お、お父さんもう、もう無理だー。」
仕事がひと段落すると同時に芝生へと倒れ込む。大の字になって寝転べば目の前には綺麗な青い空が広がっていた。
「お、なんだミュー、体力落ちたんじゃないか?まぁミューが出てからずっと一人でやってたからな。助かったよ。家に戻って昼飯食ったらゆっくり休んでな」
「そうさせてもらうよ。お父さんも無理しないでね」
「おう!」
家に帰ると、お母さんがレタスとハムのサンドイッチと野菜スープを用意してくれていた。今日の朝、庭の畑で採れたレタスはみずみずしくてほんのり甘い。横に添えてあったプチトマトをパクッと口に投げ込めばコロコロと口の中で踊り、プチッと噛めば口いっぱいに甘酸っぱい幸せが広がった。
お昼ご飯をしっかり食べた後は籠にお父さんのサンドイッチと水筒を。あとは今朝作ったクッキーを割れないように最後に入れる。
「お母さん、リリと森へ散歩に行って来るね」
「あら、久しぶりだけど大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。森は友達だもん」
「そうね。暗くならないうちに帰ってきてね」
「うん。今日も晩ご飯楽しみにしてるね」
「ふふふ。今日も張り切っちゃうわよぉ。いってらっしゃい」
先に牧場にいるお父さんにサンドイッチと水筒を持って行った。クッキーの存在に気付いたみたいだけれど、私が渡さなかったからお父さんはちょっぴり残念そうな顔をしていた。本当は渡したかったけれど、まだその勇気が出てこないの。ごめんね、お父さん。もう少し待ってね。
《わぁ!ミューだ!》
《本当だ!ミューちゃんだ!おかえりぃ》
《おかえりぃ》
《会いたかったよぉ》
《ぼくも〜!》
《わたしも!わたしも〜!》
家の裏にある森へ一歩踏み込めば精霊達が出迎えてくれる。ここは精霊の森。私のもう一つの家。
「ただいま。みんな元気だった?」
《げんきだよぉ》
《ぼくも、ぼくも〜!》
《わたしも〜!!》
サワサワと木々が風に吹かれて心地良さそうに揺れている。精霊といっても姿形はない。ただそこに存在する。そういうものだ。
ピチチッと一羽の小鳥が小さなくちばしでピンク色の花を咥えて飛んできた。肩の上に留まると器用に私の耳に花を掛けてくれる。
「プレゼントしてくれるの?ありがとう。嬉しい」
小鳥はまたピチチッと鳴くと森の奥へと飛び立っていった。
リリと一緒にどんどん森の奥へと進む。熊の親子が出迎え、ウサギ達は踊る。小鹿は跳ねて蝶は舞う。ここは精霊の森。精霊と動物達の緑の楽園。
ここは神聖な森とされている為滅多に人が入らない。その為道標など当然無く人間はまず迷ってしまうだろう。けれど、私は生まれた時からずっとこの森と共に育ってきた。しばらく離れていたとはいえ、迷うことはない。
歩いていくうちに少しひらけた場所に辿り着いた。そこにはポツンと切り株があり木漏れ日で照らされてキラキラと輝いている。
《おかえり、ミューリア。待っていたよ。さぁお座り》
「ただいま。おじいちゃん」
少しかすれた温かい声に促されて切り株の上に腰を下した。リリは木漏れ日で暖められたふかふかの芝の上で寝そべっている。どうやらお昼寝をするらしい。
《ミューリア、ゆっくり休んでおいき。》
「ありがとう。おじいちゃん。あのね...私...わたし...ね....心が死んでしまったの。誰も私の言葉を聞いてくれないの。誰にも届かなかったの。もう涙も出なかった。だけど私今泣けてるよ。ルナールに帰ってきてから、私沢山たくさん泣いてるの。」
《そうか、そうか。ミューリア。よくお聞き?ここはミューリアの家だ。私達は家族だ。私達が何者からもお前を守ろう。いつだって私達がいる事を忘れちゃあいけないよ》
帰ってきてから私は泣いてばかりだ。今だって泣くつもりなんてなかったのに、どんどん涙が溢れてくる。悲しいのか嬉しいのか。複雑でぐちゃぐちゃになった心の色が涙と一緒に流れていっているようだった。
どれくらいの時間泣いていただろうか。精霊達は何も言わずただただ、優しい風で頭を、頬を撫でてくれていた。さぁ、もう泣き止まなくては。ここには涙を拭うお父さんの服はないのだ。前を向かなければ。もうあの場所ではないのだから。
「さ!リリ、そろそろ帰ろうか」
目元を袖でガシガシと拭って勢いよく立ち上がる。リリも目は覚めていたのだろう。私の声を聞くとのすっと体を起こしてくれた。
「おじいちゃん、みんな、ありがとう。今日はもう帰ーー」
《ミューちゃん!ミューちゃん!》
《あっちに誰かいるよ!》
《またねてるのー?》
《また倒れちゃったの?》
《ぼくたちあっちにはいけないよ?》
《どうするー?》
《どうする?どうするぅ?》
突然精霊達が騒ぎ始めた。木々の葉が擦れあってザワザワと音を立てている。話からして誰かが倒れているのだろか?もしそうならば大変だ。こんな森の奥深くに助けが来るとは思えない。
「誰かいるの?案内してくれる?」
《いいよー!》
《こっち!こっちぃ!》
《待て。その者が居るのは魔の森だ。いくらミューリアでも壁の先へはいけない。助けることはできない》
魔の森か。確かにそこで倒れているのならば助けることは難しいかもしれない。
精霊の森と繋がる魔の森は隣国であり、このラブラール大陸の宗主国である魔の帝国リストピアになる。国境には透明な結界が張られており国境の門以外での人の行き来は出来ない。人間以外の動物たちは壁を通り抜けて自由に行き来できるけれど、こちらの精霊達は向こうの地の魔力が合わず壁の向こうには行こうとしない。
それでも、精霊達が確認出来たということは、壁のすぐ近く、こちらからでも見える位置に居るという事なのだろう。私に何が出来るか分からない。何も出来ないかもしれない。けれど、困っている事を知っていて見なかった、聞かなかったとするのは、あの人達みたいで嫌だ。私はあの人達じゃない。私は私の出来る限りで優しく在りたい。
「おじいちゃん。忠告してくれたのにごめんなさい。でも私、出来ることをやり尽くしてから諦めたい。案内してくれる?」
目の前に見えるのは青く生茂る木々だけ。けれど、確かにそこに居る。温かい私の家族。その存在を真っ直ぐに見つめて答えをジッと待つ。
《はぁ。まったくミューリアには敵わん。お前たち案内してやりなさい。》
呆れと笑いの混じった声でそう言うおじいちゃんは昔から私には甘いのだ。
「ありがとう!おじいちゃん!みんな、案内よろしくね」
それから精霊の声に導かれ、森のさらなる奥へと進んで行った。
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