モブナイト先生は鼻高々。「私の人生より面白いと思う、この作品は」
ミリアーネがサリアから離れなくなった。なんでも底抜けに怖い夢を見たらしい。あのやかましいミリアーネがしおしおしているのでサリアも初めはゲラゲラ笑っていたけれど、すぐに生活に支障をきたすことがわかってきた。
ミリアーネは朝起きると、開口一番こう言う。
「おはようサリア。おっぱい見せて」
これにサリアがバカだのアホだの罵倒で返すと、本物の彼女である蓋然性が高いということになるらしい。次にミリアーネはこう聞いてくる。
「サリア、私のことどう思う?」
ここでミリアーネを褒めてはいけない。サリアはこう返す。
「小説の読みすぎで現実と虚構が区別できなくなったイカレポンチ」
これでやっとミリアーネは安心し、
「よし、これは夢じゃない」
判別方法がどうかしている。そして彼女の中で本物のサリアは罵倒・暴言製造機ということになっているらしい。
あまりにもバカバカしいので一度問いかけを無視したところミリアーネが大慌て、サリアとハインツの財布を強引に開いて金がほとんど入っていないのを確認し、
「よし、女の人を斬殺して有り金奪ってない」
2人にとってはなんのこっちゃ意味がかわらず唖然としている中でひとりミリアーネだけ大真面目、
「もしお金に困っても、強盗殺人なんかしちゃダメだからね」
言われずともそんなことができる蛮勇と胆力を持った人間はこの3人の中にいない。
この朝の儀式が終わった後は、サリアの後ろをミリアーネがずっと付いて来る。例えばサリアが顔を洗いに井戸に行けばミリアーネも顔を洗う、サリアが朝日を浴びながら体をほぐせばミリアーネも同じ動きをしている。そして――――
「こら、なんで個室に入って来ようとする!変態か」
「私も不本意なんだけどさ、サリアが目に見えるところにいないと不安なんだよ……。いいじゃない減るもんじゃなし、一緒にしようよ」
「イヤだ、気持ち悪い!」
サリアの引きつった顔を見てもミリアーネはめ諦めない。
「わかった、そこまで嫌なら同室はあきらめるよ。ドアの前にいるから」
「ヤだよ、もっと離れた所に行ってくれ」
「姿は見えなくても、排泄音聞こえたらサリアがいるって安心できるからね」
「やめろ、本当に心の底から気持ち悪い!……あああ漏れる!」
ミリアーネを突き飛ばして個室に飛び込んでギリギリ間に合った彼女はため息をつく。ここ数日のミリアーネの気持ち悪さはハインツすら凌ぐ。
そのハインツは2人を見ながら鼻の下を長くして、
「おやおや、仲がよろしいようで」
なんて言っている。彼は第一義的には男女の恋愛が好きであわよくば自分がその主人公になりたいと思っているのだが、女性同士が百合百合しているのを見るのもその次くらいに好き、というかもはや性的な香りのするものはなんでも好きだから、ここ数日の2人を眺めて非常な充足感を味わっていた。
そんな中、いよいよ明日にでも金が無くなるとなって、サリアがアルバイトを名乗り出た。
「キミたちはこないだ失敗してるからね。まったく頼りにならん。私が当面過ごせる金をあっという間に稼いできて、有能ぶりを証明してやろう」
サリアの心の中では自分が稼いで2人に恩を売りつつ要領の良さを見せつけて尊敬を勝ち取ろうという魂胆があったのだが、ミリアーネがそれを阻んだ。サリアが行くなら私も行く、と言い張って聞かない。
「一人じゃ不安だってんなら、ハインツといたっていいじゃない。王子の警護が本務なんだから、そっちが手薄になるのは良くない」
「やだよお、こんな変態とふたりきり。ここ最近の私たちをなんか嫌らしい目で見てるよ。女の子はそういうのに敏感なんだからね!」
ミリアーネが女の子と呼べるかはさておき、一度言い出したら諦めない彼女の性格をよく承知しているサリア、仕方がないから彼女を連れていくことにした。
今回のアルバイトは何をするのか聞くミリアーネに、サリアは素っ気なく答える。
「道路整備の肉体労働」
「えぇ……私ひ弱だからそういうのムリ」
「もうこれしか選択肢が無いんだよ!書店の接客みたいなのはなかなか募集が無いし、あったとしても誰かさんが失敗しちゃうしさ。嫌ならついて来ないでよろしい」
そう言ってやると、ミリアーネは泣きそうな顔で「わかった、頑張るよ……」と受け入れるのだった。いつものミリアーネだったら絶対「じゃあサリアだけで頑張って」とか言ってたはずで、サリアは改めてミリアーネが見たという悪夢の影響を痛感する。聞いたところでは二重三重の夢になっていて、どこから虚構でどこまで現実かわからなくなるようなものだったらしい。いつもの騎士道物語ジャンキーミリアーネと同じじゃないか!現実と虚構の混同を体現する生活しといて、今さら何が怖いのかわからん。
こうして渋々道路整備に向かうミリアーネだったが、そこは腐ってもミリアーネ、なんとか肉体労働を回避すべく、最後の悪あがきを試みる。
「でもその前に、近くの町にあるっぽい出版社寄っていい?私の作品持ち込んだら即出版が決まって、原稿料が前借りできるかも!」
彼女の作品、『追放令嬢アンネリッタの成り上がり領地経営』は昨晩脱稿したのだった。彼女は嬉しさの余りサリアに読むことを強要して感想を求め、サリアはまったく興味無かったのだけれど一度言い出したら諦めないミリアーネの性格を重々、たぶんミリアーネの両親と同程度に承知していたので渋々読み、そして内容のペラペラ具合に言葉を失ったのだった。その無言を物語世界に没頭しているせいだと勘違いしたモブナイト先生が自信満々の顔付きで忌憚なきご意見ご感想を求めてくるので、サリアはその希望を丁重に叶えてあげることにした。
「一言で言うと、凡百の騎士道物語だと思いました。主人公が完璧超人すぎて、次の展開が読めてしまいます」
いったんユスティーヌの人格を吸収しかけたアンネリッタだったが、世界観崩壊の危機を招いたために人格は元通りになっていたのだ。世界が崩壊しなかった代わりに物語は単調そのものと成り果て、アンネリッタの身の回りに何らかの困難や邪魔者が現れる、それを彼女が一手に引き受け、解決し、周囲から賞賛・感謝される、延々その繰り返し。サリアは1/4も読まないところで投げ出したくなったが友人の手前そうもいかないので心を無にして最後まで読み、先の意見を述べた。
モブナイト先生は首を傾げながら次はハインツに押し付けると、彼も渋々読んでやっぱり1/4くらいで飽きてやっぱりサリアと同じような意見を述べた。で、自信に満ち溢れる先生は自作が凡人には理解されない傑作であることを確信した。
(世紀の傑作が革新的すぎて同時代の人から理解されないってのは歴史的にもよくあるよね、うんうん)
というわけで『追放令嬢アンネリッタの成り上がり領地経営』はミリアーネにとっては出版社に持ち込めば書籍化待ったなしの傑作である一方、サリアにとってはチリ紙以上の価値は無いのだった。サリアはチリ紙を持ち込んだらお金をくれる慈善事業を手掛ける出版社を寡聞にして知らなかったので当初ミリアーネの提案に難色を示したが、よく考えたら一度編集者に酷評されて彼女の天まで届きそうな高い鼻をへし折ってもらった方がいいような気がしてきて、持ち込みに同行することにした。
◆
デスクを挟んで2人の前に座っている小太りで目が細い30代くらいの男、この人が編集者なわけだが、彼はモブナイト先生の原稿を頬杖をつきながら読み、あくびを連発し、1/4も読まないうちに原稿を投げ出してこう言った。
「つまらない」
そしてそこからお説教が始まってしまったのだった。
「一言で言うと、こんな小説ごまんとあるんだよね。主人公が完璧すぎて、次の展開が読めちゃうやつが。ずっと同じ展開の繰り返しじゃないか」
(おやおや、私と同じこと言ってるぞ)
サリアは内心ニヤニヤ笑いながら、自分の感性の正常さを再確認する。
「ゲスな主人公だとか酒好きで飲むと豹変するとか、そういう捻りがほしいんだよな」
(作家たちは頭をひねってひねくれた主人公を生み出すわけだな。しかしアル中が主人公とか読みたくないぞ、私は)
「次に飢饉に苦しむ領民を助けるため、主人公が魔法で小麦の成長速度を何百倍にもするシーンね。これ、都合が良すぎて興醒めなんだよね」
(確かに。世界中の食糧問題が解決されるな。戦争も起こるまい)
サリアがいちいちひとりで納得している間にもダメ出しは続いて、最初は期待に胸膨らませてキラキラしていたミリアーネの目がだんだん濁って死んだ魚のようになっていき、姿勢もどんどん俯き加減になってくる。ついには原稿を読んでいた時間よりもダメ出しの時間の方が多くなっているような気がして、サリアはあくびを噛み殺しながら、いやもう出版には遠く及ばないことは理解できたから早く解放してくれと思っている。この人、日頃のストレスをミリアーネで解消してるのかもしれん。
「だいたいキミさ、今まで何か一筋に打ち込んだことある?薄っぺらい人生送ってると、薄っぺらい小説しか書けないのさ」
いやいや、それは関係なくないか、というか個人攻撃じゃないか。サリアはだんだんイライラしてきた。彼女は知っている、ミリアーネも決してペラペラの人生だったわけじゃない。平民出身の騎士っていうのは狭き門だから、人一倍の努力はしてるはずだ。努力の甲斐なく知性の進歩は認められないが、武芸の方は騎士階級出身のサリアより(悔しいことに)少し上なのだ。
(そういう陰の努力を知ったうえでミリアーネを馬鹿にしていただきたい)
サリアはむかむかしながらそう思ったが、ミリアーネのそんな努力を知っているのは彼女の周囲のごく限られた人間だけである。
(つまり、ミリアーネを馬鹿にしていいのは私だ。私に与えられた権利だ、誰にも渡さん!)
なんだかよく分からない権利意識にとりつかれて、彼女の内なる暴発しやすい癇癪玉がまたしても爆発した。
(この小説とミリアーネを、よくわからん編集者ごときに馬鹿にはさせん!小説は傑作だ、私が証明してやる!)
あまりの酷評にうつむく、というかうなだれていたミリアーネ、バン!!という轟音にびっくりして顔を上げると、隣に座っていたサリアが編集者の方へ身を乗り出し、拳でデスクをバンバン叩いているのだった。
「わかってない、あなたはなんにもわかってない!これは近年稀に見る怪作なんです、私が説明します!」
いきなりヒートアップしたサリアを、ミリアーネと編集者はポカンとして見ている。ミリアーネとしては昨晩はまったく理解を示さなかったサリアが何故に擁護してくれるのか分からなかったし、編集者にとっては作家のファンだか保護者だか知らないが一緒に付いてきたおまけのような女が突如興奮し始めたという印象であった。
目を丸くしている2人には一切頓着せず、サリアは滔々と語る。
「いいですか、まずあなたは同じ展開の繰り返しでつまらない、自分が読んだ中で最低最悪の小説だと言った」
「いや、そこまでは言ってない」
編集者が冷静に否定するが、今のサリアにはそんなことお構い無し。
「でも、そうじゃない。これはあえて同じ展開を連続させることで、現実の人間生活も毎日同じことの繰り返し、そしてそんな生活にどんな意味があるのかという問いを読者に投げ掛ける、哲学的命題を持った小説なんです」
「え、そうだったの?」
作者のモブナイト先生ですら初耳であった。
「次にあなたはヒロインが普通すぎるとおっしゃった。しかしですね、ヤク中が主人公の小説なんか読みたいと思います?もはや発禁されるべき反社会的小説でしょ、それは」
「いや、僕が言ったのは酒にちょっとだらしないという程度……」
「先程申したように、この小説は哲学的なんです。だからあえて普通の、そこら辺にいそうな主人公像を作って様々な困難に立ち向かわせることで、凡人である我々はどう生きるかという問いを提示しているんです。ただのありきたりな騎士道物語じゃない」
ミリアーネは思った。なんかサリア、どんな些細な表現にも意味を見出だそうとする文芸評論家みたいだあ……。
「次はこれ、アンネリッタが小麦を成長させるシーン。あなたは都合が良すぎると言った。しかし前の部分をよく読んでください、そもそも領民が困窮してるのは、アンネリッタ領が属する帝国が他国との戦争ばかりして国内を顧みないからで、要するに政治の問題なのです。これは小説という形をとった現実の為政者に対しての批判、内政を疎かにしていることへの――――」
「あああサリア、ストップ!体制批判は警察が来るから止めよう!」
ミリアーネが慌てて彼女の口を塞ごうとするのを振りほどいて、サリアはなおも止まらない。
「まだある!中間くらいで出てくるこの場面、あなたは1/4で投げ出したから読んでないだろうが――――」
ミリアーネは恥ずかしさの余り姿勢が再びうつむきがちになってきた。サリアは滅茶苦茶な論理で一生懸命弁護してくれてるが、逆に言えばそれらは小説中の欠点となっている部分。客観的に聞くと、なるほど粗だらけの駄作である。そしてその粗をサリアが大声で列挙しているのがなんだか公開処刑のようである。黒歴史ノートを人前で読まれるような恥辱。
「最後に、あなたはこの作家の人生はペラペラで紙より薄いと言ったが、このモブナイトこそは現実と虚構を混同し、周囲からいかに嘲笑されようともその姿勢を貫き通す――――」
話し続けるサリアを真っ赤な顔したモブナイト先生が遮って、
「あの、サリアさん、もういいです……」
逃げるように出版社を後にした2人が渋々参加した道路工事を終え、とりあえず3,4日は細々と食いつなぐだけの日当を得てカール王子とハインツが進んだであろう町へと急ぐ道すがら。今朝のサリアの暴れっぷりが感謝すべき事柄であるか否か、ミリアーネの中では若干議論の余地があったのだが、彼女が自分のためを思ってしたということはよくよく理解していたので、サリアに感謝すべきであるという結論になった。そして彼女に感謝の言葉を述べつつ、自分を省みてこう言った。
「今回は良い勉強になったよ。最初から傑作書ける作家なんかいないよね。また頑張ろうって気になった」
言葉とは裏腹にミリアーネが意気消沈しているのに気付いたサリア、彼女の肩を叩きながら、
「今回はダメだったし次もたぶんダメだろうけどさ、まあ生きてりゃいつかいいことあるよ」
言葉があまりにもストレートで慰めになっていないし、書いてもいない次作も駄作扱いされているのがひっかかるけれど、サリアが言わんとするところの優しさはミリアーネに伝わるのだった。これでツンケンした性格さえ無ければ引く手あまただろうになあ、と彼女は思う。神は何故彼女の性格に欠陥を生ぜしめたのか。神の気まぐれが憎い。
しばらく彼女の肩を叩いていたサリア、はるか前方に夕陽に輝く高い建造物が建っているのに気付いた。
「おや?あれはなんだろう」
彼女の指さす先に目を凝らすと、天にもそびえ立つような塔が見える。この近辺でそんなに高い建造物がある場所、答えは1つしか無かった。
「王城だ、間違いない!」
「遂に、遂に王都にたどり着いたんだね!」
ミリアーネも先程までの気分とは打って変わって、2人して大興奮。ゴールまであと僅か、ついに迎えるグランド・フィナーレ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます