ミリアーネが自慢する。「自慢じゃないけど、アルバイト経験無いよ」

 ミリアーネの路銀は再び尽きた。




 それも当然の話で、先日下着を買う金すらないから運動会に出て賞金獲ったはいいものの、そのほぼ全額を2枚の高級下着に突っ込んだのだから、早晩訪れる未来だったのだ。


「だからあの場で言ったんだ、こんな無駄な買い物はよせって。普段履いているような安物でよかったのに」


 宿のロビーで展開されるサリアのお説教にもミリアーネはめげない。心なしか顔を赤らめながら、


「だって、明日にでもいざという時が来たらどうするの?騎士団も常に有事に備えよって教えてるじゃない」


 対するサリアはバカにし切った顔つきで、


「確実絶対100%起こらない有事は有事とは呼ばない。杞憂と呼ぶ」


「暴言が過ぎるよ!わかった、サリアは私のセクシーパンツが醸し出す色気に嫉妬して、そんなことを言うんでしょ」


「羨ましいもんか。何が悲しくて、事あるごとにミリアーネのシースルーのケツを見なけりゃならんのだ」


「サリアが嫌なら、これから俺が見る役になるぜ!」


 2人が言い合っている所にいつものエロ魔人が来てこう言った。途端に2人の刺すような視線が向けられ、サリアが厳かな顔して宣言する。


「度重なるセクハラ罪により、被告人ハインツに対する軍法会議を始める。なお、公国騎士団軍法会議規程により裁判は一審制、上告は認められないからそのつもりで」


「ま、待て!軍法会議規程によれば裁判の構成要件として被告人の他に裁判官、糾問官、弁護官の最低3人の騎士が必要なハズだ!」


 ハインツの必死の抗弁にサリアが舌打ちしながら、


「くそ、こんなことだけよく勉強してやがる!」


「ねえ、2人ともなんでそんなに軍法会議規程詳しいの。被告人にでもならなきゃそんなに読みこまないよね……?」


 被害者のミリアーネが一番困惑している。



 

 ともかく、どうにかして金を得なければミリアーネはこの町から動けない。それどころか明日あさってにでも餓死する運命。しかし当人はあまり心配している様子もなく、フフンと鼻を鳴らして曰く、


「稼ぐあてはあるんだよ。『追放令嬢アンネリッタの成り上がり領地経営』がもうすぐ脱稿するんだ。これがコンテストに入賞すれば、賞金と書籍化の印税でガッポガッポなわけ」


 どこからそんな自信が来るのか、コンテストの入賞が発表されるまではどう食いつなぐつもりなのか、それ以前に落選したらどうするのか、それは誰にもわからない。サリアが馬鹿にしきったように口の端を上げて、


「そうか、じゃあミリアーネは一生この町から出られないな。今までありがとう」

「なんでそんな意地悪言うのかな?」

「真面目に考えないからだ」

「それなら真面目に考えるけどさ、サリアのオシッコ集めてそういう趣味の人に売ろうよ」

「アホ!自分のでやれ!」


 2人に任せているといつまで経っても結論が出ないから、ハインツが助け舟を出す。


「じゃあ、俺のを貸してやるよ。トイチで」

「とんだ暴利だ!それが騎士のやることか」


 ミリアーネがぷんぷんすると彼も口の端を上げて、


「そうか、じゃあミリアーネは一生この町から出られないな。今までありがとう」

「あっ、うそうそ。トイチでいいよ。貸してください」


 持たざる者の立場の弱さを実感せざるを得ない。ハインツは財布を開き、お金を取り出そうとして――――


「あっ」


 そして2人の顔を見ながら、


「へへへへへ……」


 沈黙が3人を支配した。


 


 こないだの町のように賞金付きの運動会が開かれるかもしれない、という可能性に一縷の望みを託して確認しに行ったミリアーネとハインツだったが、そんな小説みたいなうまいことがあるわけない。代わりに持って戻ってきたのは、近隣のアルバイト情報冊子。本来の任務があるから日雇いじゃないとダメだよね、と言いつつ冊子をパラパラとめくっていく。


「なになに、荷物運搬。道路工事。うーん、ハインツはいいとして、か弱い私には無理かなあ」


 贅沢言うんじゃないよ、というサリアの言葉を聞き流しながら、再びページを繰る。


「もっとこう、私の得意分野が活かせる仕事がほしいよね」

「得意分野なんか無いだろ」

「サリアちょっとうるさいよ。――――おや?これは……」


 彼女が目を止めたのは――――





「はい、いらっしゃい!安いよ!」


 次の日は朝からあいにくの雨だったが、そんな天候をものともせず、町の書店でミリアーネが大声を張り上げている。本日新装開店で多くの客が見込まれるため一日バイトを募集していたところ、運悪くこの2人が応募してきてしまったのだ。店主は2人を一目見るなり締まりのない顔や態度に何か嫌な予感はしたものの、他に応募者もいなかったから採用してしまい、ハインツという男にはその体幹を見込んで品出し、ミリアーネという女はひ弱という自己申告(当然ウソ)だったため接客を任せた。

 で、ハインツはまだいいがミリアーネの方がひどくて、店主は自分の直観に従わなかったことをすぐに後悔した。先ほどの客の呼び込みもなんだか野菜の叩き売りみたいで、書店という場にまったく相応しくない。


「すみません、これいくら?」


 客がミリアーネに聞いている。彼女が確認してみても、値段がどこにも書いていない。


「うーん、わからないな。じゃあ、2000でいいですよ」

「おい、勝手に値段つけるな!」


 店主の怒鳴り声。彼は頭が痛くなってきて、彼女を接客の場から放逐して店内整理を任せるのだった。

 ミリアーネも、自分がこのアルバイトにあまり適正を持っていないことを遅まきながら理解し始めた。よく本を読むから、という理由だけで短絡的に応募したものの、よく考えると自分の読むような本はだいぶジャンルが偏っていた。今もお客が聞いてくる。


「ねえ、あの本はどこにある?ほらアレ、最近発売された、有名ななんとかっていう先生の本。先生は書くのをずっと躊躇っていたんだけれど、周囲の人が説得してようやく書いたって話で……」


 こんなあやふやな質問が多すぎる。客は多くを説明しているつもりだが、ミリアーネが得られた情報は「最近発売された」の1点だけである。あくびを噛み殺しながら客の話を聞き続けると、その先生は預言者と呼ばれているという追加情報が得られた。最近発売された預言書。今話題の本をチェックしている読書家ならわかったかもしれないが、ミリアーネは今話題の騎士道物語しか興味がないんだからわかりっこない。それでも有名な先生の預言書というくらいだからオカルトコーナーだろうとあたりをつけて探してみても一向見つからず、他の店員に聞くと宗教コーナーにあったりする。あと30年で世界は滅亡する、みたいな過激なアオリ文を見ながらこれが宗教扱いされるんだ……と、この世の宗教が進んでいく未来を憂いつつ客の待つ所に戻ると「けっこう待ったわ」的なことをチクリと言われ、じゃあアンタがきちんと書名覚えてこいと思いつつひきつった笑顔で謝る。

 こんなことがあと半日続くのだ。ミリアーネはもう嫌になった。


 早く時間が過ぎることをひたすら念じながら客が読み散らかしていった本を直していると、視界の端に挙動不審な男を捉えた。大きなカバンを持って、絶えず目をキョロキョロさせている。


(あれは本を探している目じゃないね。まさか……)


 書店によく行く彼女特有の勘で注視していると、男はやにわに本を1冊棚から抜き取り、自分のカバンに滑り込ませる。目にも止まらない早業、しかし動体視力はミリアーネの方が優れていた。

 男が2冊目に手をかけたとき、ミリアーネが声をかける。


「お客様、何をお探しです?」


 いや、特に何も、とか早口でもごもご言いながら足早に去ろうとする男。これはもう100%クロだと確信し、「ちょっと」と肩に手をかけようとすると、向こうも走って逃げ出した。

 ごった返す店内の客を身軽にすり抜ける泥棒と追うミリアーネ。店の出口前で、今まさに荷物を店内に搬入しようとしているハインツが目に入った。


「ハインツ、そいつ捕まえて」


 仕事に集中していたハインツはそこで初めて必死でこちらに駆けてくる泥棒と、鬼の形相でそれを追いかけるミリアーネを認め、「えっどういうことだ」と理解できないながらも大の字になって通せんぼしようとしたが、大の字になりきる前、Tの字になったあたりで泥棒に突き飛ばされ、水たまりにドボンした。声にならない呻き声が漏れる。ミリアーネはそれをすり抜けざま「大丈夫?」と声をかけると、


「なんとか大丈夫、俺は脂肪が厚いから溺れないぜ」

「そんなことは心配してないよ」

 ミリアーネが後ろにむかって叫ぶ。

 

 泥棒は町はずれの方に逃走していく。雨に打たれてびしょ濡れになった男女が、「待て」「待たない」と叫びながら全力疾走する様は一見すると陳腐な青春劇のようで、すれ違う町の人も思わず目をこらすが、本人達の必死というより鬼気迫る表情を見るとそんな生温い話ではなく、むしろ浮気の復讐であるとかの修羅場が演じられていると思われる。泥棒も走り出しは好調であったがだんだん体力が限界に近づいているらしく、ミリアーネとの距離が縮まってきている。彼女は喘ぎながら、


「あなたどこまで逃げる気なの。私はどこまで走ればいいの」


 泥棒も喘ぎ喘ぎ、


「それを教えたら俺が走っている意味が無くなるだろう」


 今や二人はすれ違う人たちのありったけの奇異と失笑と憐憫の視線を受けながら町はずれに来た。ここから先は町の外、街道がはるか先の山地まで延びている。なんとしてでもここで掴まえなきゃ、と思うと同時に足が何かにつまずき、体が地面に激突した。

 その音に振り返った泥棒が、


「大きい胸から落ちてよかった、クッションになったな」


 と、侮辱なのか本当に心配しているのかわからないことを言いながら逃げ去っていく。


「セクハラ罪で軍法会議にかけるよ!」


 ミリアーネの悔し紛れの怒鳴り声は何の意味もなく、ようやく全身ぐしょ濡れのハインツが彼女に追いついた時には、泥棒の姿はもうどこにも見えない。





 間もなく雨は上がって曇りになった。

 犯罪者に逃げられたうえに転んで泥だらけ、さらにはセクハラまでかまされたミリアーネはもうカンカン、近くにあった太い枯れ枝を拾ってきて、


「これで泥棒をしこたまぶちのめさないと気が済まない」


 この3人組、いつもは誰か(だいたいはサリア)が過激論を主張すると他の2人が慌てて割って入って穏健論を出して議論を中和するのだが、今日のサリアは王子についていって不在、ハインツも泥棒に突き飛ばされて痛い目見ているので、今日に限っては穏健論が出てこない。ミリアーネがぶっ叩け、と言えばハインツも一も二も無く賛成してぶっ叩けぶっ叩けとなるので、どんどん過激な方向に議論がまとまっていく。ハインツはミリアーネよりも太い枯れ木、というよりもはや丸太を引っ張って来て、ブンブン素振りを始めてしまった。「ミリアーネの方が追いかけた分、苦労が大きかったろうから割合は7対3でいいぜ」などと嬉々としてぶちのめす回数の配分を相談している。

 

「しかし、泥棒はここに戻って来るのか?そのまま次の町まで逃げるつもりなら、こっちから追わなきゃならねえ」


 素振りを止めずにハインツが尋ねるのに、ミリアーネは地図を広げながら目をらんらんと光らせて、


「地図を見てよ。泥棒が逃げて行ったこの先の道は、山を1つ越えないと町がない。だけどさっきの泥棒は普段着で、山越えするような服装じゃなかった。つまり、この先に泥棒の家はないんだ。だから、確実に戻って来る!」


 彼女の脳味噌はこういう時だけよく働く。


 街道脇に男女が仁王立ちして枯れ枝と丸太を振り回している姿が、道を歩く人々のありったけの奇異と失笑と畏怖の視線を浴びている。しかしそれも、彼らの雪辱の志の前には些細な事なのだった。





 いい加減2時間は待ったが、敵は一向に現れない。その間に2人ともたっぷり蚊に喰われ、イライラは一層募る。既に日は傾き、道行く人もまばらになってきた。


「もう今日は来ないんじゃないか」


 体じゅうを掻きながら、ハインツが先に音を上げた。


「いや、来る!絶対に来る!」


 ミリアーネは断固動こうとしない。このままじゃ蚊に失血死させられるぜ、とか下らないことを言っているハインツを制し、来た、とミリアーネが小さく叫んだ。急いで近くの植え込みに隠れる。

 泥棒は2人に気付かず、植え込みの前を通り過ぎる……と同時に2人が植え込みから躍り上がって突進する。いきなり枯れ枝と丸太を持った悪魔のような形相の2人が飛び掛かって来たのだから先方の驚き様も尋常でない。恐怖で半泣きになり、言葉にならない何かを叫びながら走りだそうとするその足に、「セクハラの恨み」と叫びながらミリアーネが食らいつく。男はそれをうまくすり抜けたものの、バランスを崩して倒れてしまい、半狂乱になって手近にある石ころを手当たり次第に投げ付ける。


「石はやめてよ、痛い」

「せめて松ぼっくりとかにしろ」


 2人が悲鳴を上げるが、向こうも必死だから手を止めない。間もなく手近にある石ころは無くなってしまって、猶も四つん這いで逃げようとする泥棒の足を、今度こそミリアーネが取り押さえた。腹ばいになって動きを封じられた泥棒に向かって、ハインツが不敵な笑みをたたえながらゆっくりと近づいていく。泥棒から見れば、その姿はまるで処刑人のよう。ハインツが丸太を振り上げ、


「俺は優しいから貴様のケツをぶっ叩くので勘弁してやる。少しでも動いたら背骨が折れるぜ」


 空に悲鳴がこだました。





 泥棒を町の騎士団に突き出して意気揚々と店に凱旋したはいいものの、待っていたのは店主の大目玉だった。半日以上仕事をうっちゃって泥棒退治に精を出していたのだから当然といえば当然である。というか2人ともアルバイト中なんてことは今の今までほぼ忘れていた。店主はそれでもお情けで取り返した本の代金分くらいの給金はくれたが、こんな少額の金は明日あさってにでも無くなるに決まっている。




「というわけで、アルバイトは失敗しました」

「この一日なにしてたんだよ……」


 バイト終了後、食事する金もなく疲れた体に鞭打って夜道を走りに走り、ようやく王子と同じ宿にたどり着いた2人。その2人の報告を聞きながら、サリアが呆れ顔。


「お願いだサリア、貸してくれ!」


 2人にとってはもはやそれしか手段が無い。サリアは渋々、


「まったく、トゴだからな」

「暴利にも程がある」

「そうか、じゃあ2人は一生この町から出られないな。今までありがとう」

「あっ、うそうそ。トゴでいいよ。貸してください」


 再び持たざる者の立場の弱さを実感せざるを得ない。サリアは財布を開き、お金を取り出そうとして――――


「あっ」


 そして2人の顔を見ながら、


「うふふふふ……」


 沈黙と諦観が3人を支配した。

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