ユスティーヌが首をかしげる。「モブナイト先生って誰だ」

「ここでアンネリッタが決め台詞、

『黒猫と呼ばれるわたくしですが、時には黒豹にもなりましょう……時代がそれを求めるならば』

きたあああぁぁ!これはかっこいい!」


「うるさいな。早く寝ろ」


 夜の宿で、モブナイト先生が机に向かって一人で大興奮。対する読者1号は何の興味も示さず、むしろうるさそうに、ベッドに寝転がったまま。


「あ、うるさかった?サリアごめんね」


 先生はしばらく静かになったが、しばらくするとまた勝手に興奮して独り言を始めるのだった。


「ここでノルデン公、

『な、なんじゃと!我が幻妖術が効かぬとは……!』

対してアンネリッタが言うんだ、

『そのような術、わたくしの加護の前には無力なのです。領民がわたくしに寄せる、信頼という名の加護の前には!』

うおおおお熱い!自分の作品ながら燃える!」


 あまりの大声にサリアがガバと跳ね起きて、


「うるさいよ!寝られないだろうが!!」




 先生が目下執筆中の『追放令嬢アンネリッタの成り上がり領地経営』は、毎年秋に募集される騎士道物語コンペに応募予定なのだ。優秀者には賞金と書籍化。作家デビューをもくろむ先生にはまたとない機会。

 ミリアーネはこの旅が終わってから続きを書いても秋には十分間に合うと思っていたのだが、予想以上に旅が長期化しているため、原稿用紙を買って続きを書きだした。彼女はそれでいいかもしれないが、毎晩付き合わされるサリアはたまったもんじゃない。先生は執筆中に興奮してくると勝手に音読を始めてしまうのである。そればかりでなく―――――


「うーん、ノルデン公を領地没収して追放するのはやりすぎかな。誰の命を奪ったわけでもないし。アンネリッタに負けて心を入れ替える、って方がいいかなあ。サリアはどう思う?」


 そう、自分の作品が知り合いバレしてしまった今、先生は開き直ってサリアに意見を求めてくるようになってしまったのだ。求められる彼女は鬱陶しくてしょうがない。今もミリアーネとは反対の壁側を向いたままシカトしている。

 でもミリアーネにとってはサリアのそんな態度いつものことだから、全然あきらめない。


「サリアさん、どう思う?」


 彼女はまだ黙ったまま。


「ねえサリア様、どう?」


 そこでようやくサリア様は面倒くさそうに答えるのだった。


「知らんわ。そもそもノルデン公って誰だ」


「だからあ、アンネリッタの領地経営を邪魔してくる、隣領の悪徳貴族なの!こないだからずっと言ってるじゃん」


「血祭りにあげればいいだろ、そんなやつ」


 この返答は効果があったらしい。先生は大きなため息をついて静かになってしまった。が、5分もするとまた話しかけてくるのだった。


「よく考えると、アンネリッタはちょっといい子すぎるかな?なんでもかんでも『わたくしにお任せください』『許します』じゃ、人生疲れちゃうよね。それにもっと人間臭い方が、魅力あるヒロインになる気がする。ねえサリア様、どう?」


 しかしサリア様はもう眠ってしまったようだった。先生はしばらく一人で考えて、妙案を思いついた。


「そうだ、身近な人の性格を取り入れてみるのはどうかな」


 例えば、この2ヶ月毎日一緒のサリアやハインツの性格を取り入れるのはどうだろう。うんざりするくらい一緒にいるから、性格描写はすぐできる。それでいい子一辺倒のアンネリッタのキャラクターに深みが出るならしめたもの。

 が、よくよく考えてみると、前者を取り入れたら反抗する者を片っ端から血祭りにあげていく超暴力系ヒロインが出来上がりそうだったし、後者を取り入れれば酒池肉林の淫蕩君主になること疑いなかった。先生はまた大きなため息をついて、別の題材を探すことにした。別の身近な人――――――エルフィラとユスティーヌなんかどうだろう。そう考えたら2人のことが急に懐かしくなってきた。


(エルフィラとユスティーヌは今頃どうしてるのかな)


 ミリアーネは遠い故郷の2人に思いをはせる。





 時間は少し遡る。

 ここ最近のエルフィラとユスティーヌの士気低下は著しいものがあった。なにしろ今まで1年間、友人同士4人でキャッキャウフフでやっていたものが、いきなり2人が出奔したうえにかつての鬼教官がやってきて、地獄の訓練の日々に逆戻りなのだ。

 特にユスティーヌにそれが顕著で、今日も朝食時間になってもベッドに籠ったままプチ・ボイコットを始めている。

 おとなしくしていればかなりの美少女なのだが、このユスティーヌ、とにかく高慢ちきで、他人より自分が優れていると思わなければ満足できず、しかも根拠なく自分に自信をもっているという悪癖があった。その悪癖が、恵まれた容姿という美点を相殺して余りあるのだ。

 そして今も、起こしに来たメイドのユーディトに開口一番こう言うのであった。


「ユーディト!この国で一番優れているのは誰だと思う?」


 ユーディトはユスティーヌの実家から派遣された、自信なさげな見た目とは裏腹の優秀なメイドだったから、この2年間で高慢お嬢様の扱い方を心得たつもりだった。が、それでもここ最近のお嬢様の扱いには手を焼くのであった。


「え、え?公王陛下でしょうか?」


 公国臣民としては百点満点の模範解答なのだが、ユスティーヌの召使いとしては不正解であった。たちまちユスティーヌの機嫌が悪くなった。


「もういい!今日はベッドから出んぞ!」


 ふてくされて、またベッドに潜り込んでしまった。涙目でおろおろするユーディトのところへ、様子を見にエルフィラがやってきた。部屋の状況を一目見るなりだいたいの理由を把握し、ため息をついてユスティーヌに語りかけた。


「ユスティーヌ、ユーディトさんをいびるのはやめなさいって私いつも言ってるわよね?」


「だって、この世で一番優れてるのは公王陛下だとか言うんだもん」


 ベッドの中からふてくされた声で駄々っ子が答える。


「公国臣民としてはそれが正解なの。むしろあなたがそのうち不敬罪に問われるわよ……。公王を目指す人がこんな有様でどうするのよ」


 ユスティーヌは第四代公王の弟の奥方の兄の曾孫だとかなんとかかんとか、本人以外はもう誰も正確な系譜を覚えていないし覚える気もないのだけれど、とにかくわずかながら公王家の血をひいている。だから王位継承権が300番目くらいにあって、継承権者300人がある日一斉に牡蠣にあたってくたばるような、限りなくゼロに近い可能性ながら、公王に即位する権利があるのだ。即位のあかつきには、領民全員が私を敬うようにしてみせよう。いや、私は公王で終わる器じゃない。いつか皇帝に即位して、帝国の全臣民を足下に跪かせてやる!彼女の妄想はとどまるところをしらない。


 が、そんな未来の皇帝はやっぱりベッドから出ようとしない。


「ふん。誰かさんのせいでやる気がなくなってしまったわい」


 エルフィラはまたため息をついてこう言った。


「あと30分でベアトリゼ隊長が来るわよ?今日は1時間早く訓練始めるって言ってたでしょう」


 そうだった!ふてくされて寝ている場合じゃない。早く朝食をとって準備しなければ。食事を抜くようじゃとてもついていけない過酷な訓練なのだ。彼女はベッドから跳ね起き、着替えて足早に食堂に向かった。

 エルフィラは3発目のため息をついた。結局ベアトリゼ隊長の名前を出して脅かすのが一番効果的なのである。しかしそもそも、同じ隊のわがまま娘のお世話係は勘弁してほしい。そんな給金はもらっていない。


「エルフィラ様、私、お嬢様から何か罰を与えられるのでしょうか」


 心配そうに聞くユーディトに、エルフィラはこの部屋に入ってから初めての笑顔を見せて答えた。


「大丈夫。1時間もしたら忘れてますわ」





「エルフィラ、ユーディト、街に出ないか?」


 午前の訓練を終え、ちょっと長い昼休み。ユスティーヌが2人を誘いに来た。エルフィラは午後の訓練に備えて体力を温存するため一人で勝手に行けと言いたいのが正直なところなのだが、一人で行かせると何をしでかすか分かったものではないので、いつもしぶしぶ同行するのであった。

 で、街を歩いていると、雑貨屋の店先にきれいなガラス細工の置物が売っているのが目にとまった。


「わあきれい。ユーディト、あれをもらってきてくれ」


 ユーディトは眉を八の字にして、


「お嬢様、あのガラス細工は高価なもので、そのようなお金は……」


「は?なんで私が商人にお金払わないといけないんじゃ?私は将来の公王よ?」


 始まったぞ、とエルフィラは思った。一事が万事この調子である。だから野放しにできないのである。本日6発目か7発目のため息をついてから、


「ユスティーヌ、確かに私たちの立場なら対価を払わずにかっぱらってくることもできるわ。だけどそうするとあの商人は、心の中ではあなたを恨み、蔑むことになる。すなわち、公王になって領民全員から敬われるというあなたの野望は、この瞬間に終わってしまうのよ」


「う、それは困る……仕方ない、今日は勘弁してやろう!」


 エルフィラは疲れた顔をした。毎回言い聞かせるのに骨が折れる。ここ最近は特にひどい。というかご実家のご尊父ご母堂はご息女に何を教えていたのか。何よりもまず、社会常識を教えてほしい。





「もうやだ、もうやだああ!」


 夜。午後の訓練でベアトリゼ隊長に喝を入れられまくってグロッキー寸前になったお嬢様が、どこにそんな体力を残していたのか、地団駄踏んで暴れている。

 だから昼休みに余計な体力を使うべきではないのよ……。エルフィラはそう思うのだが、それを口にする元気は彼女にも残っていなかった。


「だいたい、ミリアーネとサリアが自分探しの旅とか言っていなくなってから毎日がおかしくなったんじゃ。2人がそんなこと始めなければベアトリゼ隊長も来なかったのに!というか、いつまで自分探してるんだ!3ヶ月探さないと見つからない自分なんて、それはもう自分じゃないよ」


「なかなか哲学的なこと言うわね」


 エルフィラはユスティーヌほど頭の血の巡りが悪くなかったので、2人が何らか騎士団の密命を遂行していることは感づいていた。が、世間一般基準に照らすとそれほど良くもなかったので、それを王子の旅と結びつけることはできなかった。

 だからうるさいユスティーヌに向かって、こんなアドバイスをした。


「2人は今どこにいるかわからないけれど、帰って来るのは間違いないわ。なんなら、手紙を出してみたら?2人も早く帰ろう、って気になってくれるかも」

「なるほど、それはいい。早速書こう!」




 そんなやり取りをした数日後、エルフィラはふとこのことを思い出して、話のついでにユスティーヌにどんな手紙を出したのか聞いた。彼女は鼻高々、


「2人が早く帰ってきたくなるような名文だ。最初は近況とかいろいろ書こうと思ったんだが、直球で要件を伝える方がいいと思ってな」


「なるほどね。で、なんて書いたの?」


「『早く帰ってこないと(過酷な訓練で)死ぬ』って」


「……っはああぁぁぁ!?」





 ミリアーネとサリア宛にユスティーヌから手紙が届いた。いくつもの町のスタンプがベタベタ押してあって、2人を探して町から町へと転送されてきたことが一目でわかる。昨晩エルフィラとユスティーヌを懐かしく思い出したばかりだったので、ミリアーネは喜んで開封した。と同時に顔色を失った。




「私だけでも、いったん帰るか?」

「でも任務が……。早飛脚立てようか」

「そんな金ないよ。とりあえずエルフィラに速達手紙を……」

「そもそもなんで私たちが帰らないと自害しちゃうのかな」

「わからん。しかし理由はどうあれ、お前を死なせはせんぞ、ユスティーヌ!」


 1枚の手紙を挟んで、血の気の引いたミリアーネとサリアが議論中。何も知らないハインツがフラリとやって来て、


「2人にエルフィラさんから手紙来てるぜ。ちょっと香りかがせてもらっていい?」


「バカタレ!早くよこせ!」


 サリアがひったくるようにして手紙を取り、その剣幕に驚いて退却したハインツには目もくれずに急いで封を切る。通常料金の10倍くらいかかる超特急郵便で、やっぱりいろんな町を転送されてきたっぽいその手紙にはこう書かれていた。


”親愛なるミリアーネ、サリア、日増しに暑さが厳しく――――いえ、そんな挨拶は抜き。単刀直入に要件書きます。ユスティーヌから帰ってこないと死ぬていう手紙来るけど、それは過酷な訓練で死んじゃうっていう比喩表現。だから気にしないで自分探しを続けください。エルフィラ”


 相当急いで書いたらしく筆跡が乱れに乱れ、言葉もところどころおかしい。その手紙を読んだサリアが苦り切った顔で、


「帰ったらユスティーヌに肩パン1回」




 数日後、おそらくエルフィラに滅茶苦茶に怒られたであろうユスティーヌから小包が届いた。「先日は紛らわしい手紙を出してごめんなさい。お詫びにこれを使ってください、冷えるといけないから。自分探し頑張って」という手紙とともに入っていたのは、毛糸の腹巻き2枚。


「これから暑くなるって時季に腹巻き送るか、普通?」


 サリアはやっぱりおかんむりだったけれど、ミリアーネはユスティーヌの心遣いが嬉しかった。そして思った。そうだ、アンネリッタにユスティーヌの性格を取り入れてみよう。いつもは高慢ちきの困ったちゃんだけど、心の底では優しい彼女を。





「ねえサリア、やっぱりユスティーヌを取り入れたのは間違いだった。アンネリッタがおかしくなった」


 さらに数日後の夜、宿でモブナイト先生が読者1号に話しかけていた。アンネリッタ嬢にユスティーヌの性格を取り入れたことは完全に裏目に出た。キャラクターに深みが出るどころか、筆者の思惑を超えて暴走するようになってしまったのだ。

 アンネリッタ嬢が魔法で領民を助けて感謝される、今までは「この程度何ともないのよ」的なことをサラリと返していたのに、中身がユスティーヌになったから「フン、私の力思い知ったか!」と言うようになった。邪魔立てする敵に勝つ、今までは「これを機に心を入れ替えなさい」と諭していたのに、中身がユスティーヌだから「その程度で私に勝とうなど、おこがましいわ!三代遡って人生やり直してこい!」と威張るようになった。物語の途中からこれだから、なにか邪悪な力に人格が乗っ取られたとしか思えない。『追放令嬢アンネリッタの成り上がり領地経営』は、今や世界観崩壊の危機であった。

 

 先生の泣き言に対して、ベッドで眠りに入りつつある読者1号は素っ気なく、


「知らんわ。ユスティーヌなんかをモデルにするからだ」


「このままじゃ物語が破綻しちゃうよ。ねえサリア様、どうしたらいいと思う?」


 なおも食い下がる先生に、腹巻きを巻いたサリア様は壁側を向いたまま、面倒くさそうに答える。


「私をモデルにしろ。強くてかわいくて優しい、完全無欠な主人公の誕生だ」


 先生は大きなため息をついて、サリア様に話しかけるのを止めた。そして慨嘆して呟くのだった。


「帰ったらユスティーヌに肩パン1回……」

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