ハインツが憧れる。「俺も腹筋バキバキにしたいな」

バキッ!

 

 という心が折れる音が聞こえてきそうだった。サリアは再びやらかした。


 昨晩王子が宿に入るのを見届けた後、久しぶりに3人で飲んだ。サーモンをよく食べると乳首がピンクになる、っていうハインツの与太話でゲラゲラ笑っていた記憶がある。いや、今になって考えてみるとナニが面白いんだ、この話?そしてそこから先の記憶はなくて、今朝ミリアーネに揺り起こされて目覚めてみるとパンツ1枚、枕に足をのせて寝ていた。当然のように頭はズキズキ、体は鉛を流し込んだような重さ。ふらつく足取りで宿の食堂まで来たものの、固形物を口にする気にもなれず、スープをチビチビ飲むのがやっとという次第。


 またか……という顔をした2人が、あまり心配もしてなさそうに聞いてくる。


「サリア、本当に昨夜のこと覚えてないの?近年まれにみる大爆笑してたのに」

「ちょっと怖くなるくらいだったぞ」


 サリアは真っ青な顔を縦に振る。先日の夜の街で、酒に注意しようと肝に銘じたばかりではなかったか。その後にミリアーネと痛飲して今みたいな二日酔いになって、こんな思いは懲り懲りだと反省したばかりではなかったか。なぜまた同じ過ちを繰り返してしまうのか―――底知れない後悔が彼女を苛む。


「そうすると、ミリアーネは古今無双の大英雄、どうか私を下僕にしてくれ、って懇願したのも覚えてないんだね」

「ミリアーネ、嘘はいけねえ。さすがにそんなこと言ってなかったぞ。でも俺に向かって、どうか恋人にしてくださいとは言ってた!」


 ツッコむ気も起きない。今にも胃の奥からいろいろ飛び出してきそうだ。サリアは震える手でウェイターを呼び止め、震える声でオーダーする。


「ビール……」

「ちょっと!なんでまたお酒飲もうとするの!」


 さすがのミリアーネも真面目にストップをかけた。


「迎え酒……」

「こりゃあとんでもねえアル中予備軍だ」


 ハインツも絶句している。




 迎え酒なんかしゃちゃダメだからね、とよくよく言い聞かせて、カール王子の後について2人は先に行ってしまった。サリアもひとまず宿は出たものの、歩くのがしんどすぎる。一歩進む、すると大地の硬さが足裏に伝わり、その振動で頭痛と胃液が大暴れ。5分くらい歩いたら、早くも胃の内容物が喉奥まで上ってきた。


(あ、ダメだこれ。木陰でリバースしよう……)


 道の両脇はまばらに木が生えていて、身を隠すのにちょうどいい。道を外れて蹌踉と脇に入っていくと、


バキッ!


 変な音がしたが、気にしている余裕は彼女に無い。胃液はもう5秒もしたら射出されてしまうところまで来ている。

 なんとか木陰に隠れて出すもの出して、若干スッキリして元の道に戻ろうとするサリアの前に、一人のイカつい男が立ち塞がっていた。


「おい、ヒトの商売道具壊してんじゃねぇよ。どう責任取るつもりなんだ、あぁ?」


 男がサリアを見下ろしながら怒鳴る。




 男は旅芸人だった。芸の道具が入った荷袋を置いて木陰で休んでいたら、サリアがそれを踏み抜いて壊してしまったのだ。

 サリアの観察では、男は30くらい。筋骨隆々で、顔は浅黒く日焼けして彫りが深く、あご髭がもじゃもじゃ生えている。その男が筋肉の塊のような腕を振り回しながら嘆いている。


「どうすんだよ。芸ができなきゃ、道具を買い直す金も稼げねえ」 


 サリアは平身低頭、スミマセンモウシワケゴザイマセンと謝るしかない。先日金欠のミリアーネを巡ってひと騒動あったばかりだが、実はサリア個人の財布にも余裕がなく、芸道具を買えるような金は残っていなかった。こんなとき、実家がお金持ちのエルフィラかユスティーヌがいてくれたらこんなことには……。


(いや、ユスティーヌはだめだな。こないだの山で滑落してそう)


「おい、聞いてるか?」


 男の声でサリアは現実に戻った。と同時に窮鼠猫を嚙む、1つの案が浮かんだ。彼女の金は道具を買い直すには全然足りない。しかし男の金と合わせれば、それなりの額になるのではないだろうか。サリアは提案する。とりあえずあなたの貯蓄と私の手持ちで道具を買い直して、それで稼ぎませんか?

 対して男は答える。


「貯蓄はねえよ!」

「……嘘だろ?」


 思わずサリアの素が出てしまった。男が彼女を睨んで、


「『だろ』?」

「……嘘ですよね?」


 男は先日旅芸人に転職したばかりだから、貯蓄は無いと宣言した。他に金を稼ぐ当ても無い。

 それは果たして旅芸人と呼べるのか?というサリアの疑問顔には気づかず、男は彼女をジロリと見ながら言う。


「てことは、お前を利用するしかねえな」


「え、娼館に売り飛ばすとかは勘弁してほしいんですが……」


 サリアが今朝から青い顔をますます青くさせて怖々と聞いたのに男はちょっと引いて、


「いや、さすがにそこまではしねえ……。お前、なかなかエグいこと考えるヤツだな……」


 そして彼女の頭からつま先までを見回し、


「それに、お前売ってもそんな金にならなそうだしなあ」


 いつものサリアならすぐさま鉄拳が飛んで行っただろうが、男にとっては幸運なことに、今日の彼女は二日酔いの状態異常であった。


 男が言いたかったのは、道具を買い換える金ができるまで、サリアを助手として働かせることだった。改めて道具を見せてもらうと、壊れていないものは男が脇に抱えていた弓矢と、中身が砂だから壊れようがないお手玉だけ。当面はこの2つで稼ぐしかない。


「見たところお前も旅芸人みたいな格好じゃねえか。お手玉できるか?」


 男が聞いてくるが、サリアも2ヶ月前くらいに旅芸人(という設定)になったばかりだからできるわけがない。正直にできません、と答えると、


「まあ、俺もできないんだけどな」

「……嘘だろ!?」


 また素が出た。男が彼女を睨んで、


「『だろ』?」

「……嘘でございましょう?」

「嘘じゃねえよ。ずっと練習してるんだが、一向に上達しなくてなあ」


(それはお手玉が向いてないか、そもそも旅芸人が向いてないかのいずれかです)


 サリアは思ったが、口には出さなかった。男はポジティブに、


「まあ、できないことはできるまで練習すればいいんだ。ちょうど助手も増えたし、2人お手玉はどうだ?2人向かい合って、お手玉を次々投げ合うアレだ」


 そう言って練習を始めたわけだが、もともと1人お手玉ができない2人が揃ったところで2人お手玉ができるわけがない。加えてサリアは二日酔いで運動神経がほぼゼロの状態。男の投げた玉をサリアが落とし、サリアが投げた玉は明後日の方向に飛んでいく。この悲しい光景を見ながら、サリアは絶望した。これはいつまで経っても解放されないぞ……!


 その悲しい光景をしばらく演出してから男はようやく諦め、


「ちょっとこれはダメだな……。代わりに弓矢を練習しよう。頭にリンゴを乗せて、それを射抜くっていうアレだ。お前ちょっとそこに立ってみろ」


 サリアはまた顔が一層青くなった。芸用の矢は一応安全のために先が丸めてあるものだが、当たったら痛いのは間違いないし、青痣ができるのも確実だ。自分の透き通るのような美肌にいくつもいくつも青痣をこしらえてもらっては困る。

 彼女は必死に提案した。


「実物の人間使う前に、木で練習しませんか?ほら、私が万一ケガでもしたら、お金稼げなくなっちゃいますし!」


 そして近くの木の自分と同じ高さの箇所に剣で切り込みを入れ、


「ちょっとこれを私だと思って、やってみてください」


「お前、俺を信用してねえな?お手玉よりは練習したし、自信はあるぜ」


 男は憮然として弓矢を構えたが、サリアからするとその構えがもうなっていないのだった。弓矢が体から離れすぎていて、狙った箇所に飛んでいかないのが一目でわかる。サリアは弓矢が得意ではない(ミリアーネとどっこいどっこいなのだ)けれど、この男よりはうまい自信がある。

 あっ、これはダメだぞ、と思う間に的になる木と60°くらい異なる方向に矢が飛んで行った。


「おれ、おかしいな。十のうち七、八まではまっすぐ飛ぶんだがな」


 おいおいおいおい、とサリアが内心ツッコむ間、男は次の矢をつがえて放つ。今度はまっすぐ飛んだものの、矢は刻んだ線のはるか下方、ちょうど彼女の鳩尾の辺りに当たった。


(当たったら絶対痛いやつ……)


 サリアが心のうちで嘆く。一方の男はふと空を見上げ、俄かに焦りだした。


「おい、もうお天道様が大分高いところまで昇ってるぞ。練習なんかしてる場合じゃねえ、早く次の街に行かないと!お布施をもらわなきゃ、今日の昼飯代すらねえんだ!」


(なんでそんなカツカツ状態で旅芸人に転職したんですかね……?)


 とんでもないのとかかり合いになってしまった自分の不運を呪いながら、サリアはそれでも抵抗を試みた。


「もう少しだけ、練習していきませんか?今の状態じゃ、とても芸が成功するとは思えない……」


 しかし男はやっぱりどこまでもポジティブに、


「いやいや、人間追い詰められれば案外成功するもんなのさ。誰だったか昔の偉人も言ってたろ。ほら、行くぞ!」


 男が駆け出した。そんな偉人にまったく心当たりのないサリアも渋々、まだ重い体を引きずるように、そしてため息を連発しながら彼の後を追った。





「サリア、大丈夫かな。今頃悪い男に捕まって、娼館に売り飛ばされてたりして!」


 そろそろお昼時。カール王子の背中を見ながらミリアーネ、「全然心配していないけれど今までの付き合い上、義理で心配してあげますか」的な心配をした。ハインツもやっぱり微塵も心配しておらずに首を振る。


「俺はちょっと考えてみたんだけど、あれは演技じゃないか」


 ミリアーネの疑問顔に向かって、


「だってそうだろ?こないだも二日酔いで一日中グロッキーになって『私は生涯酒を断つ』とか言ってたサリアがさ、こんな短期間で同じ間違いをするかね。そこまで阿呆じゃないだろ」


 ミリアーネは思った。そこまで阿呆なんだと思います。

 ハインツは続けて、


「だから、あれは演技だ。俺たちの目の届かない所でしなくちゃいけない用事があるんだ。つまり、性欲解消だ!」


 みるみるひきつっていくミリアーネの顔に気づかず、彼は立て板に水を流すようにしゃべり続ける。


「この旅が始まってから、サリアとミリアーネはずっと同室だもんな。それじゃシたいこともできないだろ。その辛さはわかるぞ、うん。だから今日はサリアもいよいよ欲望が爆発して、今頃ベッドの上で―――」


バキッ!


 気持ちのいい音とともに、ミリアーネの拳がハインツの頬にめり込んだ。




 2人が次の街で昼食をとって食堂から出ると、広場に人だかりができている。なんだろうと寄ってみるとその中心にいるのは2人の旅芸人で、その片割れはなんとサリアなのだった。思わず2人で困惑顔を見合わせる。

 中心にいる芸人たちは必死にお手玉らしきことをしているが、どこからどう見ても芸人のする芸じゃない。そこらへんにいる運動神経の良い子供なんかにさせた方がまだマシだと思えるレベル。観衆も呆れ顔でひとりふたりと去っていく。

 サリアの必死な顔を見ながら、ミリアーネはなんとなく事情がわかってきた。


(ははあ、あの男の人になんか迷惑かけたんだな。リバースしたものひっかけたとか。で、迷惑料代わりに手伝いさせられてるんだ)


 分かってみると、困惑が愉悦に変わってきた。サリアのあんなに必死な顔、最近じゃなかなか見られるもんじゃない。





 サリアは必死にお手玉をしていたが、人間追い詰められれば案外成功するもんなのさ、なんていう偉人の格言は嘘だと実感していた。経験していないことはできない!私が名を残せるような人物になれたら、この格言を残そう。なぜ栄光の公国騎士団に所属しながら、こんな思いをしなければならないのか。いや、そもそも自分で蒔いた種か……


 初めは物珍しさに集まっていた観衆も、だんだん帰る人が増えてまばらになってきた。あと観衆はどれほど残っているのか、彼女が悲しい思いで観衆の方を向いたとき、最前列に陣取ってニヤニヤしているミリアーネとバッチリ目が合った。他の観衆に交じってわざとらしく「がんばれー」なんて言っている。


(なんたる屈辱!)


 もともと丈夫に作られていないサリアの堪忍袋の緒が、このときもやっぱり簡単にプツリと切れ、彼女は持っていたお手玉を思い切りミリアーネに投げつけると、


バキッ!


 という音とともにミリアーネの顔面に直撃した。観衆から笑いが起こる。なんだかそういう筋書きの台本だと思っているらしい。


「お、おい!何やってんだ!」


 小声で咎める男の声も怒ったサリアの耳には入らず、場を勝手に進行させてしまうのだった。


「お手玉は手が滑って飛んで行ってしまったので中止します。代わりに弓矢の芸をお見せしましょう。頭に何か乗せて、それを射抜くっていうアレ。ハイじゃあそこのお姉さん、ちょっとそこに立ってみて」


 そう言って観衆の輪からミリアーネを無理やり引きずってきた。


「おい、一般人巻き込むのはやばいって……」

「コレは一般人じゃないから大丈夫。はい、足押さえて!」


 困惑する男も意に介さず、逆に指示を出す始末。剣幕にのまれて男が言う通りにすると、ミリアーネの頭に残っていたお手玉を置く。


「じゃあ3,2,1でこのお手玉に矢を当てまーす」


 男に足をガッチリ押さえられたミリアーネは大慌て、


「え、え?嘘だよね?サリア、私と同じくらい弓へたっぴなんだから、できるわけないって!十のうち七、八しかまっすぐ飛ばないんだからさ!」


 観衆の爆笑が起こったのでサリアの怒りのボルテージがますます上がって、


「いやいや、人間追い詰められれば案外成功するもんなんだ。誰だったか昔の偉人も言ってたぞ。ほら、動くんじゃない!」


 さっきあれだけ否定した偉人の格言を引用しながら、彼女はキリリと矢を引き絞る。ミリアーネは泣かんばかり、


「無理!無理だって!私の透き通るような美肌に青痣ついちゃう!」


 また観衆の爆笑。


「やかましい、透き通るような美肌っていうのは私のような肌を指すんだよ!行くぞ、3,2,1!」


 ひいいぃぃぃ――と情けない声を上げるミリアーネの頭上にあるお手玉が、矢に当たって地面に落ちた。




 男の差し出した帽子があっという間に金銀貨でいっぱいになった。大道芸とコントが融合した芸だと、いいように解釈されたようだった。

 腰が抜けたミリアーネと、「見たか、私の腕前!」とふんぞり返っているサリアの手を取って、男が熱心な勧誘を始めている。


「なんだお前ら、芸人コンビだったのか?息ピッタリのコントだったぜ。しかも決めるときは決めるしな。1回でこんなに稼いだのは初めてだ!どうだ、俺たち3人で組まねえか?このぶんならすぐにでも億万長者になれるぜ!」


 いや、結構です……と2人がお断りしているところへ、まだ笑っているハインツがやって来た。


「確かに、2人の掛け合いはそこらの芸人より面白いかもな。転職を考えても―――」


バキッ!


 なんだか大きな音がしたのでハインツが下を向くと、足の下で弓が真っ二つに折れていた。





 夕食の席でミリアーネがサリアに尋ねている。


「ハインツ、どれくらいで戻ってくるかな……」

「どれだけ早くお手玉できるようになるかだな。唯一の芸道具になっちゃったし」


 あまり心配もしてなさそうにサリアが答える。そしてジョッキの中身をひと息で飲み干し、


「うまいっ!すいません、同じのもう一杯!」


「……ねえサリア、反省って単語を知ってるかな?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る