サリアは憤る。「旅芸人って設定にした責任者を出していただきたい」

 そろそろお昼という時刻。カール王子はとある町を通過していた。かなり距離をとって付いていく3人。

 王子はここで昼食をとるつもりらしく、一件の料理屋に入った。3人も目立たぬようにその店に入り、王子と離れた席を取る。

 メニューにはオーソドックスな肉料理が並んでいる。


「じゃあ俺は、この鮭のムニエル2人前。レモンたっぷりかけてね」


 ハインツの注文に、ミリアーネとサリアが驚いている。


「よく食べるなあ。軍資金はあるからいいけど」


 王子が行く料理屋や泊まる宿は高級なものが予想されたから、問題なく払えるよう、出発の際に渡された軍資金は潤沢にあった。


「これだけ食べないと、体型が維持できないんだ」

「その体型を維持する必要なくない?もう少し細くても」


 そんなことを言ってる間に料理が運ばれてきた。3人は一口食べて、


「う……これは……」


 魚も肉も生臭いし、上にかかったソースも塩辛いばかりで、下の肉とまったく調和が取れていない。

 しかし横目で王子を窺うと、おいしそうに食べているのだ。


「私たちが庶民過ぎて舌に合わないのかな?」

「いや、そんなことはない。エルフィラ実家の料理なんか最高級においしかったし」

「俺、2人前頼んじゃったよ。誰か半分いらない?」


 3人とも食がまったく進まないでいると、王子はおいしそうに平らげて、早くも出て行こうとしている。


「あ、王子行っちゃう!」

「早くかきこめ!」

「俺は無理だ、こんな残飯みたいな……」


 鼻をつまんで水とともに無理矢理流し込み、お金を放り投げて王子を追う。

「騎士団の食堂よりおいしくない食事が存在したのか」

 とかブーブー言いながら歩いていると、向こうから何人もの騎士団の人間が、ものものしく鎧を着込んで歩いてきた。


「鎧を着てるってことは捕り物でもするのかな。ご苦労なことだね」


 ミリアーネがのんきなことを言っていると、その騎士たちが3人を取り囲み、


「ちょっといいか?お前らに話がある」


 団長からの伝言かな、と思っていると、彼らは3人を路地裏に引っ張り込もうとする。


「あ、ちょっと。それは困る。王子見失っちゃう」


 ミリアーネが思わず口を滑らすと、騎士たちの目の色が変わった。


「やっぱり、王子をつける怪しい奴っていうのはコイツらだ!おい、貴様らは何者だ?なぜ王子を尾行する?」


 ようやく状況を理解した。不審者としてこの町の騎士団に通報されていたに違いなかった。

 3人とも顔面蒼白、


「さ、さあ、王子ってなんのことですか……?私たちはただの旅芸人です……」

「嘘つけ!さっき王子見失うって言ってただろうが!それに貴様らの差している剣、まるで騎士団が持つような丈夫なものだ。旅芸人っていうのも嘘だな?」


 騎士団なんだから当たり前だろ、とはまさか言えない。


「いや、護身用の剣です。最近物騒だから……。本当に旅芸人なんです」


 それでも騎士たちの警戒はまったく緩むことがない。


「旅芸人っていうのは、具体的にどういう芸をするんだ?」


 ミリアーネは冷や汗ダラダラで口からでまかせ、


「ジャグリングとか……」

「じゃあやってみろ」


 ジャグリングどころか、3人とも芸なんて1つもできやしない。旅芸人なんて無茶苦茶な設定にした団長を恨んだ。


「じゃ、じゃあジャグリングするのでお手玉貸してもらえませんか……?」

「馬鹿野郎!芸の道具持ってない旅芸人がどこにいる!捕まえろ!」


 とっさにハインツがその巨体を活かして騎士の1人に体当たり、騎士は思わずバランスを崩して包囲が破れた。その隙間を縫って3人が逃げる。鎧を着ていない分、こちらの逃げ足の方が速い。が、巨体のハインツが遅れがち。ミリアーネとサリアで後ろから押すようにして逃げ、路地裏の大きい木箱の中に隠れた。騎士たちが駆け回る足音が聞こえる。


「まだ遠くに行ってないはずだ、探せ!」

「町の入口は封鎖しました!」

「応援要請を出せ!」


 なんだかとんでもない事態になった。





 カール王子が試練の旅に出るというのは公にはされていなかったものの、3人のような意識の低い一部の騎士を除いて、だいたいの騎士が暗黙の内に知っていた。だから自分の管轄の町で王子が難に遭わないよう、彼の来る日取りを予想して警備を厳重にしていたのである。その一方で、王子に陰の護衛がいることは当然知らなかった。理の当然として、王子をつける3人組がいるという通報に過敏に反応した。


 不審者を見失ったその町の騎士団隊長は、首都の騎士団本部に応援要請を出す。首都から近い町だから、早馬がその日の夕暮れには本部に着いた。不幸なことに、そのタイミングで団長は王宮へ行っており不在であった。事が事なので、早馬からの報告を受けた中堅幹部は独断で出動命令を出した。


 団長が王宮から戻ってくると、馬に乗った完全武装の騎士たちがまさに駆けていこうとするところ。彼は団長という立場にもかかわらず動揺して、


「な、なんだ?戦でもはじまったのか?」

「は!カール王子を尾行する不審者が逃げたという情報が入り、急ぎ応援に出動するところであります」

「なに、不審者だと!陛下とマンドラゴラは実在するか否か論争などしてる場合じゃなかった!俺の馬を引け!」


 ただの不審者案件に団長みずから出る必要なんかないのだが、小心者だから部下任せにできない。団長を先頭に、馬に乗った50人ほどの騎士たちが一目散に首都を出た。

 もう日も落ちようとする頃。首都の城門を出た辺りで、団長はふと思い当たった。


(王子を尾行……?)


 傍らで馬を駆っている騎士に、


「おい、不審者は何人だ?」

「3人とのことです。この人数で乗り込めば、たちどころに捕まりましょう」


 団長は嫌な予感がしてきた。


「その不審者たち、内訳は女2男1じゃないよな?」

「その通りです。さすが団長は耳が早いですな」

「男は太っちょ、女の1人は目が眠そうで黒髪のポニーテール、もう1人は大きな目で茶色のはねっ毛じゃないか?」

「男は女2人に押されながら逃げたとのことですから、おそらく太っちょでしょう。女の容姿までは報告にありませんでしたが……。団長、やけにお詳しいですな。まるで知り合いみたいだ」


 すべては明らかだった。どう考えても、3人の存在を各地の騎士団に通知しておかなかったがための無用な混乱だった。彼は自分の迂闊さを悔いた。

 彼はやにわに馬を止め、


「応援は中止だ。不審者は本当に俺の知り合いだ」

「え!?騎士団長が王子を狙う不審者と知り合いなどと、笑えない冗談を」

「いや、そいつらは不審者じゃなくて、というより王子を狙っているわけではなくて、むしろ逆でだな……うむ、何と言うべきか……そうだ、守護神だ、守護神!」

「なんと!?団長ほどの人物になると天界とのコネクションもできるのですな」

「そ、そうだ。お前たちも団長になって神と知り合えるよう、努力するがいい」

「は!精進いたします」


 騎士たちは引き返した。団長はすぐに早馬をたて、町の騎士団隊長に守護神を追い回さないよう指示した。その指示が着くのにまた時間がかかった。もう夜だった。





 ミリアーネたちは木箱の中から出られずにいた。外では町の騎士たちが相変わらず駆けずり回っている。もし見つかって口を割らずにいたら牢にぶち込まれて口を割るまで拷問されるだろうし、割ったら割ったで任務失敗でどんな処分を下されるかわかったものではない。解決法は、騎士たちに見つからずにこの町から出る以外になかった。ミリアーネたちが飢え死にするのが先か騎士たちがへたばるのが先かの勝負になった。


「でも拷問されたらお決まりの『くっ、殺せ!』が言えるよ。小説の登場人物みたいでカッコイイ!」


 ミリアーネがちょっとわくわくしながら言う。


「なんでうれしそうなんだ。おかしくないか」

 

 ハインツの当然の問いに、サリアは素っ気なく、


「気にしなくていい。コレは昔からおかしいから」

 

 ミリアーネと知り合ったときから、彼女は騎士道物語ジャンキーだった。1年目に首都にいたころから暇さえあれば本屋に行って騎士道物語を買い漁って、現実と空想の混同を続けていたのだ。それでも当時のサリアは生暖かい目で見ていた。年をとるにつれて、こんな痛々しい性格から抜け出して、完全に黒歴史となって思い出すたびに身悶えするのだと思っていた。

 しかし、ミリアーネはサリアの想像をはるかに超えて底なしだった。2年目、地方の町に赴任してからは、改善するどころかますます悪化。給料も若干上がり、ベアトリゼ隊長という目の上のたん瘤も無くなったから、ますます町の本屋に行く頻度が増えた。しかも町に1件しかない本屋が典型的な田舎町の本屋で、売れそうな本を重点的に置く。必然的にエロスに偏った品ぞろえになる。そしてそれらを一般向け書籍の横に平然と置く。

 19歳になったミリアーネがそういう本を手に取ってしまうのはもはや必然であった。転生してチート無双とか悪役令嬢とかざまぁ系とか、そういうメルヘンな単語が占めていた彼女の脳内に、エルフとオークだとか女騎士と触手だとかメイドとドSご主人様だとか、不穏な単語が入ってくるようになった。サリアは彼女の脳内がだんだんピンク色に染まってきているのに気づいて、何度か止めようとしたがすべて無駄だった。ミリアーネにとって、それはたぶんアルコールと同じなのだ。一度知ってしまった味は、やめられない。


 しかもマズいことに、彼女は自分の読書経験を活かし、最近では自作の騎士道物語も書き始めている。底なし沼に沈まんとしている人がわざわざ自分の足に錘を付けて、沈むのを加速させているようなものだ。事実、ミリアーネの部屋は今では本と原稿が散乱して、本当の沼のようになっているのだった。

 サリアは一度聞いたことがある。


「書いてどうすんの、それ」


「懸賞小説に送るんだよ。そして作家デビュー!サイン貰うなら今のうちだよ、あげようか?」


「残念だけど、私にはゴミを集めるっていう変わった趣味はなくてね。書くならチリ紙に書いてくれ、鼻かむのに使えるから。そもそも今まで佳作でももらったことあるの」


 ミリアーネは残念ながら無いと言ったので、サリアは審査員の目の高さに感心した。そして、できることなら辛辣なコメントをミリアーネに返してあげてほしいと思った。そうしたら彼女も底なし沼から這い上がろうと思うかも知れない。





 始めのうちはまだ「くっころ」なんてことを言っていられる余裕があった。特にハインツは鼻の下を長くしていた。何しろ、乙女――――かどうかはともかく、女性2人と身体を密着させているのだ。彼の人生の中で、おそらく初めての出来事であった。彼はこの幸運をエロスの神に感謝した。感謝しつつ、2人の柔らかさと匂いを堪能した。彼はHENTAIである。

 しかし日が暮れるころには、それもどうでもよくなってきた。狭い木箱の中にずっといるから、体が窮屈で仕方がない。腹も減った。やがて訪れる排泄という生理現象はどうすればいいのか。いつまでここにいなくちゃいけないのか。この頃にはエロスの神を恨むようになっていた。


 サリアのお腹が大きく鳴った。


「音でバレちゃう!我慢してよ」

「仕方ないだろ、生理現象なんだし」

「俺はもう餓死しそうだ」

「それは早すぎ。背嚢に非常食あったでしょ」

「マズくて食えたもんじゃねえよ、あれ」



「あ、臭っ!サリア、こんな狭いところでしないでよ!」

「わ、私じゃないぞ!失敬な!」

「ごめん、俺」

「まったく、昼食2人前も食べるからだよ!」



「喉がカラカラで干からびそうだ……。水筒の水分けてくれないか」

「私もみんな飲んじゃった。ところでハインツ、私は今ね、膀胱がそろそろ限界を迎えそうだよ。直飲みなら衛生的に無問題らしい」

「倫理的には大問題だ!2人してそんな変態行為したら、金輪際口きかないからな!」


 木箱の中はそろそろ地獄の様相を呈してきた。





 いろいろなものが限界になる頃、外の騎士たちの声が聞こえた。


「おい、探索は中止だそうだ。なんでも、あの3人は王子の守護神らしい」

「はあ!?なんだそれ」

「あの太っちょ、体当たりして逃げていったぞ。神なんかじゃないよ、実体があったもん」

「でも、確かに団長からの命令だ。確認したら次の町にも伝えろだとさ」

「本当だ、ちゃんと署名が入ってる……」

「黒髪の方の女の顔を見たか?眠そうな目してるのに瞳だけはギラギラ光ってて、神には程遠い陰惨な顔だったぜ。神は神でも、あれは疫病神だ」

「まあ団長命令なら仕方ない、疫病神を見かけても追い回すな、と次の町に伝えてくるよ」




「疫病神などと、おのれ、なんたる屈辱……!」


 怒りのあまりブルブル震え、今にも飛び出していこうとするサリアを2人で押さえつけていると、言いたいことを言うだけ言って騎士たちは去っていった。そして3人はほぼ半日ぶりに木箱の蓋を開けた。


 すぐに近くの宿に転がり込んで、当然食事時間なんか終わっていたから、ベッドにもぐりこんだ。明日は早起きして、王子に追いつかないといけないのだ。

 ベッドが近年まれに見る一級品で、ベッドの上なのに石の上に寝ているような感覚を味わえる極上の硬さ加減だったけれど、誰も口には出さなかった、というより出す元気が残っていなかった。

 そして全員がこう思いながら寝た。


「この任務は酷すぎる……」

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