ハインツは主張する。「男なら普通だろ、このくらい?」

 人家や畑、木が点在する平原を貫く一本道。その道を不安そうな少年がトボトボ歩き、少し離れたところでミリアーネたちが付いていく。


「よく考えたらこの任務ってさ、成功してもおおっぴらにできないじゃん。なんだか損な役回りだよね。そりゃあ私たちは表に出ないモブキャラだけどさ」


 ミリアーネが口を尖らせて言う。普段は彼女の言葉にあまり同意しないサリアも、こればかりは同意していた。


「モブキャラは置いといて、貧乏くじなのは間違いない。なあ、ハインツ?」


 彼女は振り返って、2人の後ろを歩くハインツに話を振った。しかし彼は2人ほど貧乏くじだとは思っていない。むしろ考えようによっては、おいしい任務だと思えるのだ。

 確かに、表に出ずに運動音痴の少年のお守りなんて面倒極まりない。しかし2人の女性と旅ができるのはまたとない僥倖。棚からぼた餅。彼が秘かに憧れるのはエルフィラだったが、ミリアーネとサリアもその次くらいに気になる存在だった。

 彼は2年前の出来事を思い出していた。





 2年前、まだ皆が首都で厳しい訓練に呻吟していた頃のある日。その日、ハインツの股間のマンドラゴラは特に自己主張が激しかった。適切な処置をしておかないと、その夜の就寝中に暴発することが懸念された。

 そのため、夕食後に彼は便所へ向かったのである。そこは男女共用の個室1つしかなく、敷地の外れにあるためほとんど人が来ない。いわば穴場スポットで、彼はマンドラゴラを取り扱う際にはもっぱらそこを使用していた。

 ところが、その日に限っては先客がいた。それがサリアだった。彼女は前屈みでお腹を押さえ、便所のドアを叩いていた。


「ミリアーネ、まだ?そろそろ私もマズい。くそ、中ると知っていたら買い食いなんてするんじゃなかった……!あ、『くそ』とか言ったら余計に……」


 そしてさらに前屈みになった。

 2人がペアで市場警備をしていたころ、任務の合間にこっそり買い食いをしていた。そのバチがこういう形で当たったのだった。

 便所の中からはミリアーネの声がする。


「ごめん、しばらくかかる……。別のおトイレ行ったほうが……」

「無理だ、もう歩けん!」


 2人の悲惨な状況を哀れみながら、ハインツはサリアに目を注いでいた。もともとお尻が大きいと思っていたが、前屈みになっているから余計に強調されている。しかもお腹の痛さを紛らわすために足踏みのようなことをしているから、それがモクモク動く。マンドラゴラが自己主張を始め、彼まで前屈みになった。


 顔面蒼白なミリアーネがようやく出てくるや否や、代わりにサリアがとんでもない速さで個室に入ったので、ハインツは順番を待つために並んだ。

 するとまた前屈みになったミリアーネが戻ってきて、


「ダメだ、また波が来た……」


 と呻きながら彼の後ろに並んだ。振り返って彼女を見ると、前屈みになっているために上着の隙間から谷間が見えるのだった。マンドラゴラがさらに自己主張し、彼は一層前屈みになった。

 ミリアーネは彼の様子を見て、やっぱり苦しそうに、


「ハインツも食あたり?一緒に頑張ろう」


 と、よくわからない激励をする。彼は彼女の優しさに感じ入ると同時に申し訳なくなってきた。彼の前屈みは腹痛でなく、もっと下劣な理由なのである。あまりの罪悪感に彼は順番をミリアーネに譲ると、彼女は感謝しながらサリアが出てくると同時に個室に飛び込んでいった。

 その晩、先程の光景がマンドラゴラの怒りを鎮めるのに役だったことは言うまでもない。

 

 たったこれだけのことで、2人はハインツにとって気になる存在になった。要するに、彼はHENTAIであった。





「ハインツ、聞いてるか?どうしたんだ」


 サリアの声で我に返った。


「なんか魂抜けてる感じだったよ」


 ミリアーネも言う。2人の乳と尻のことを考えていたとはまさか言えないから、適当にごまかした。


「ちょっと、あの美しいエルフィラさんのことを考えていて」

 

 ミリアーネが呆れて、


「なんでこのタイミングで?」


 ハインツは悪知恵が働いた。こう言ってごまかしつつも、2人の仲介で本当にエルフィラさんとお近づきになれるかもしれない。何しろ、2人はエルフィラさんと仲が良いのだ。

 しかし人生そううまくできていない。すぐにサリアが怒鳴った。


「ダメだ、ダメだ!貴様なんぞにエルフィラはやらん!」


「いや、サリアのものじゃないし」


 ミリアーネのツッコミもサリアの耳に入らない。


「絶対にダメだ。どうしてもというなら、ユスティーヌを持っていけ」

「ちょっとサリア、ユスティーヌも大事にしてあげてよ……」

「ユスティーヌさんは、うーん、性格がなあ。それに胸とお尻も――――」


 またしても最後の一言が余計だった。サリアが軽蔑した目で、


「気持ち悪いなお前」





 下らないことを言い合っている間に、前を歩く王子は自分の前から歩いてきた、ケバケバしいいでたちをした旅人ふうの女と話していた。近くの木陰に隠れて様子を窺う3人。


「逆ナンか?うらやましいな。俺はそんな経験1回も無いぜ」

「私もナンパされたことないなあ。サリアはあるけどね。私が機転を利かせて助けたんだよ。ね、サリア?」

「2人ともちょっと口閉じて」

「私はそんな気ないんだけど、サリアと私が付き合ってるってことにして切り抜けたんだよ。ね、サリア?」

「わかった、感謝してる、感謝してるよ!だから口閉じてくれ!私たちの存在がバレるだろ!」


 声までは聞こえなかったが、しばらく話していた王子と女旅人は互いの剣を交換して別れた。


 3人は顔を見合わせた。そこらの旅人の剣が、王家の人間が持つ剣より優れているはずがなかった。明らかに純粋無垢な少年がうまいこと言いくるめられて、剣を詐取されたに違いなかった。


 ほくほく顔で歩いてくる女の前に、3人は立ち塞がる。


「お姉さん、さっきの少年から剣をだまし取ったね?返してあげてよ」


 ミリアーネの言うことに女はせせら笑って、


「なんだアンタらはいきなり?私が騙したなんて証拠がどこにある?騙したとして、アンタらに何の権限があるんだ?騎士団サマでもあるまいし」


「うん、私たちは騎s――――」


 ミリアーネの口を慌てて塞いで、サリアが言う。


「いや、私たちはただの旅芸人だ。あなたが騙したという証拠もない。だけど、その剣は返してあげてもらえないだろうか?お礼といってはなんだが、私の剣を差し上げよう。それなりにいいモノだ」


 穏便に言ったつもりだったが、女は激昂した。


「誰がいるかそんなナマクラ!ちょうどいい、この剣の切れ味を試してやる!旅芸人風情が、あの世で後悔しろ!」


 王家の剣を抜いてサリア目がけ斬りかかってくる。が、横からミリアーネが素早く鞘で女の腕をしたたかに打ち、その衝撃で女は剣を取り落としてしまう。女の目の前にハインツの剣が突き出され、その場にへたり込んでしまった。どう考えても旅芸人の動きではなかった。もしかしたら本当に騎士団の人間かもしれない。とんでもないヤツらを相手にしてしまった、と今更後悔しても遅い。

 サリアが自分の剣を抜いて、冷ややかな目で女を見下ろしながら言った。


「本当にナマクラか、お前で試してやる。首を出せ」


 女はガクガク震えながら、


「いや、あの、冗談ですよね……?さっきの発言は、あれは私なりのジョークというかなんというか……。剣は返しますので、首は勘弁してください」


 サリアはなおも剣を収めずに、


「さっきの少年と話したことを、ありのままに言ってみろ」


 女が話したことは、だいたい3人の予想と同じであった。前から歩いてくる少年がいい剣を差しているのを見て、自分が欲しくなったこと。自分の剣は第4代公王の所有した由緒ある剣と偽ったこと。

 話を聞いたミリアーネとサリア、


「やっぱり詐欺師だね。どうする?」

「じゃあ斬るか」


 女はもう泣かんばかり、


「そんな、ニンジン切るみたいにあっさり斬るとか言わないでください!」


 見かねたハインツが助け船を出した。


「まあまあ2人とも、この人も反省してるみたいだしさ、今回は見逃してやろうよ。もちろん剣は返してもらうけど」


 サリアは彼を見て、ニヤリと笑った。そして女を見下ろして言った。


「仲間がああ言ってるから、今回は見逃してやる。が、また同じようなことしたら、次こそは斬る。あと2つ条件がある。私たちの存在は誰にも言うな。そして首都に行って、『剣を詐取しようとしたら、カール王子にたしなめられた』と最低100人に言い触らせ。私たちが首都に帰るまでに噂が広まってなかったら、探し出して斬る。わかったな」


 女は何度も頷き、転がるように逃げていった。その後ろ姿を見送りながら、サリアは笑ってハインツに言う。


「もうちょっと楽しませてくれよ」


「え、あれ演技だったのか。本当に斬るつもりかと思ったよ。ドSだな」


 ミリアーネも笑いながら、


「私は気付いてたよ。だってサリア、口の端が笑ってるんだもん」


「ま、あれだけ脅したら再犯しないだろ。でも、ハインツすら騙せるとは。私、劇団員の才能あるかも」


 サリアの笑顔に、ハインツもまた爽やかな笑顔で答えた。


「俺は本当に騙されてた。あの女オッパイ大きかったから、助けてあげようと思って思わず止めたんだ」


 彼はHENTAIであった。と同時に正直であった。自分に嘘はつけないし、仲間にもつけないのだ。一見矛盾するこの2つの性質も、彼の性格の中では見事に融合しているのである。

 悲しいかな、2人の女性はそのことを理解できなかった。ミリアーネがドン引きし、サリアは汚物を見る目をして言った。


「きっしょ」





 取り返した剣は王家にふさわしい逸品だった。柄には宝石がちりばめられ、先には小さいながらも精巧に彫られた公国の紋章が刻まれている。刃も何回も鍛錬されたことが一目でわかる。サリアは自分の剣(給料3ヶ月分もした)を決してナマクラだとは思っていなかったが、これと比べるとナマクラと言われてしまうのは仕方がないという気もしてしまう。

 これをどうやって王子に返すかという話になった。自分たちがそのまま渡したら、たちどころに正体がバレてしまうではないか。


「こういうときのために、いいのを持ってきた」


 そう言ってハインツが背嚢から取り出したのは、赤いアイマスク。仮面舞踏会なんかでよく使われている、蝶の形をして目の所に穴の開いたもの。


「これで顔を隠せば、王子にも騎士団の者だとバレないぜ」

「やだよこんなの。まるっきり痴女じゃん」


 しかしそれ以外に妙案もないので、仕方が無いからじゃんけんで犠牲者を決めることにした。犠牲者はサリアだった。

 顔を真っ赤にしながら赤いアイマスクを着けた彼女を見て、ミリアーネはゲラゲラ笑っている。ハインツも興奮しながら言った。


「さっきのドSぶりといい、SMの女王様みたいだ。試しに俺を罵倒してくれないか」


 彼女は無言で彼を蹴り飛ばし、王子を追いかける。蹴られて息を荒げているハインツを、ミリアーネは豚でも見るような目で見ながら聞いた。


「なんであんなの持ってたの?」


「そりゃもちろん、息抜きのためだ。行く先々の町の花街でそういうプレイができるようにな」


 ミリアーネの大きなため息が聞こえた。





 王子に追いついたサリアが彼と話している。


「王j……じゃなくてアナタ、さっきの女に剣を騙し取られませんでしたか。私が脅s……話し合って取り返しましたので。ハイこれ」


 王子はいきなり表れた仮面の女に驚いて、(もしかして痴女かな?)と思ったが、話を聞くと悪い人ではなさそうだ。


「でも、この剣は第4代公王の旧蔵品だって……」


「明らかに嘘ですよ。ちょっと見せてごらんなさい」


 それはサリアでも一目でわかるレベルの粗悪品だった。これで騙された王子の純朴さを逆に褒めてあげたくなるほどである。


「いいですか、柄に嵌めてあるコレは一見宝石のようですが、まがい物のガラスです。本物の宝石はこんな脆い欠け方はしない。それに刃こぼれもひどい。仮に第4代公王の旧蔵品ならこんなに刃こぼれしませんよ。王家には優秀な研ぎ師が何人も雇われていますからね。とにかく、アナタの剣はそんじょそこらの剣が100本集まっても敵わないような逸品です。これからは軽々しく手放してはいけません。いいですか?」


「わ、わかりました。でも、私の剣を返してもらったからには、この剣はあの女の人に返さないと。今から追いつくかな……」


 真面目過ぎる!サリアは思った。そこら辺に捨てりゃいいのに。


「では、それは私から返しておきましょう。私の足ならたぶん追いつけます」


 王子はこの女に感心した。無事に王宮に帰った暁には、ぜひとも騎士団に推挙しようと思った。


「ありがとうございます。あなたはとても優しくて強い人だ。実は僕、公国の王子なんです。とある理由で旅をしているんだけど、王宮に帰ったらあなたは騎士団として僕を護ってくれないでしょうか」


 突然の申し出にサリアは慌てて、


「私は今でも騎s……じゃなくて旅芸人で、こうしてフラフラしているのが性に合っているのですよ。あと、気安く身分を明かしちゃいけません。では、失礼」


「あっ、せめてお名前を!」


 王子の声を背中に受けながら、彼女は走って逃げた。





 2人のもとに戻ったサリアは嬉々として報告している。


「王子直々に褒められたぞ。優しくて強い人だと。しかし王子は底抜けに純朴で真面目な方だな。この剣は女に返す必要がある、って。あんな女のこと気に掛けなくていいのに」


「あの女、すっとんで逃げていったから急がないと追いつかないぞ。嬉しそうに報告してる場合じゃない」


 ハインツが慌てて言うのをサリアは笑って、


「おいおい、純朴なのは王子だけでいいよ」





 次の町。女の剣を売った金で、3人は酒場にいた。


「では、王子と私たちの前途を祝して、乾杯!」


 上機嫌なサリアの音頭に、2人はちょっと引きながら唱和した。


「サリアってたまにひどいこと平気でするよね」

「うん、俺はお前の恐ろしさを実感した。これは女王様どころじゃねえ、魔王だ」

「いいんだよ。悪党に人権はない」

「「ええ……」」





 こうして、「詐欺犯を改悛させた」というカール王子の伝説ができた。

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