さよなら風たちの日々 第6章-2 (連載15)

狩野晃翔《かのうこうしょう》

さよなら風たちの日々 第6章―2 (連載15)


              【3】


 ヒロミは先輩殿、とぼくを呼ぶ。

 あの秋葉原の出来事以来、ぼくとヒロミは学校で会うと、短い会話をするようになっていた。それだけではない。放課後、屋上にヒロミがいないと、その日は『待ち伏せ危険日』なのだ。

 信二は家が近くて自転車通学だったから、あまりぼくと一緒に帰ることない。だからぼくがひとりで電車に乗って帰り、ヒロミが屋上にいないときが『待ち伏せ危険日』なのだ。

 その待ち伏せ危険日、ヒロミはぼくを駅で見つけ、「先輩殿、先輩殿」と息を切らせてやってくる。それは亀戸だったり、秋葉原だったりする。ヒロミは偶然を装って声をかけてくるのだが、ヒロミは実はぼくを待ち伏せしているのだ。ぼくはそれを知っているのだけれど、わざと知らない顔をしてびっくりしてみせる。するとヒロミはほんとうに嬉しそうな顔をして、マイクを持つような握りこぶしに口元を当てて、

「偶然ですよね。これって、ほんとうに偶然ですよね」と嬉しそうに、そして自分に言い聞かせるようにしてつぶやき、小走りでぼくの横を歩くのだった。


 上級生は全部、先輩じゃないですか。だから特別な先輩は、先輩殿なんです。

 ぼくが、それは軍隊みたいで嫌だと言ったら、ヒロミは、ならば『お殿さま』にしましょうか、と言う。

 ばか。時代劇じゃないんだから。

 そうしてぼくたちは笑い合った。それからぼくはヒロミから、先輩殿、と呼ばれるようになったのだった。

 今思えば高校時代のぼくはヒロミに待ち伏せされ、一緒に帰る電車の中が一番楽しかったように思う。


               【5】


 ふたり並んで公園のベンチに腰掛け、餌をついばむ小鳥たちを見ながらヒロミが言う。

「先輩殿は、好きな数字とかありますか」

 ぼくは少し考えてから、「好きな数字か。特にないけど」。

 ヒロミは遠くの空を見上げながら、

「わたしの名前、ヒロミじゃないですか。だからその名前を数字にすると、一、六、三、になるんですよね。だから何かあるとわたし、必ず一、六、三っていう順番で選んでしまうんです」。

「欲張りじゃないのか。好きな数字が三つもあるなんて」

 するとヒロミはほんとうに嬉しそうな顔をして、でも合計するとその数字、おいちゃかぶでは、ブタになるんですよね。と言ってはしゃいだ声を出した。

「先輩殿は、こだわってるもの、ないんですか」

 今度はヒロミが質問した。

 ぼくはまた、少し考えてから答えた。

「ないな。そんなもの」

 そして思い出したように「そうだ。おれ、駿しゅんって名前だろ。テストの成績良くなかったりすると、みんなおれの名前のようになるんだ。しゅんって」。

 見るとヒロミはうつむいていた。髪に隠されて顔は見えないが、その細い肩が小刻みに揺れている。笑っているのだ。

 足元まで近づいてきたハトが不思議そうに首をかしげ、そんなヒロミを見ていた。


               【6】


「わたしね、中学のときにね、みんなからヘンな超能力女って言われてたんですよ」

 ぼくが興味を示すと、ヒロミがる言葉を続ける。

「人間、誰だって人に知られたくない、隠しておきたい性格っていうのがあるじゃないですか。わたしはそれをね、白日のもとにさらけ出してしまうヘンな超能力がある女なんですって」

 意味が分からなくて黙っているとヒロミは、じゃあそれ、説明しますね、と前置きしてぼくの前に立った。

「誰でもいいんですけど、その誰かがわたしと一緒に何かをしたり、どこかに出かけたりするんです」

 ヒロミはぼくの顔を覗き込んだ。

「そうするとね、その人の顔、だんだん鬼の顔になるんです」

 ヒロミは両手の人差し指で頭からツノを出すジェスチャーをした。それからぼくを指差し、その指をメトロノームのように揺らしながら、

「その人、最後にこう言うんです」。

 揺らし続けている指先をぼくに向けたまま、ヒロミは目を細め、呼吸を整えてから、低い声で、

「織原。おまえといると、いつもイライラする」。

 今度はぼくが爆笑する番だった。

 それって、へんな超能力でも何でもないんじゃないのか。ただヒロミは何をしても遅いだけじゃないのか。

 ぼくのその言葉にヒロミは、

「おかしいですよね。そのヘンな超能力って、ほんとうにおかしいですよね」と言って、ベンチに座り直し、しばらくそのシーンを思い出しては小さく笑い続けるのだった。


              【7】


 突然、そばにいたハトが舞い上がった。何かに驚いたのだ。

 見るとジョギングをしているグループが、ぼくたちの方に近づいてきている。

 そのグループが通り過ぎると風がおきて、ヒロミの長い髪とセーラー服のスカートが静かに揺れた。

「そうそう。あの日、ずいぶん遅かったみたいだけど、何してたの」

 ぼくはヒロミに訊ねた。

 きょとんとするヒロミにぼくは、言葉を補足した。

「ほら、信二の手紙を渡した日」

 ヒロミは少し考えてから、答えた。

「たぶんその日、社会問題同好会のミーティングに出ていたんだと思います」

「社会問題同好会・・・」

 ぼくがオウム返しに訊くと、ヒロミはこっくりうなずいた。

 六十年代から活発化していた反左翼系の学生運動は、六十年代末の東大安田講堂事件を経て転換期を迎え、、その姿を赤軍、連合赤軍に変化、やがて自滅、終焉することとなった。わが高校の社会問題同好会は、そういった左翼思想を研究、、討論、勉強する同好会だったのだ。

「どうしてそんなミーティングに出てたの」

 ぼくが訊くとヒロミは遠くを見つめながら、ぽつりぽつりと話した。

「わたしはあの時代の大きなうねり、学生運動に関心があったんです」

「その根底にあったのが、社会主義、共産主義の思想ですよね」

「どうしてあの時代、多くの大学生がその思想に感化され、影響を受け、反社会的な行動をしてしまったのか、それが知りたかったんです」 

 黙って話を訊いているぼくに、ヒロミは遠くを眺め、言葉を続けた。

「小林多喜二の『蟹工船』。読んだんですよ」

「ブルジョアジーもプロレタリアートもいない、階級のない社会」

「すべての人々が平等で、すべての人々に住宅と食料が支給される理想的な世界」

 ヒロミはぼくに向かい直り、言葉を投げかけた。

「でも先輩殿。それって根幹的な部分で間違っていると思いませんか。だって人間って本来怠け者だから、働いても働かなくても食べていけるんだかったら、誰もが働くの馬鹿馬鹿しくなって、働かなくなってしまう気がするんです」

 その言葉を訊いたぼくは、またヒロミの知らない一面に気づいて黙り込んだ。

 空を仰いだ。

 その空には鳥の群れが、V字型の編隊を組んで東の空に、遠ざかっていくのだった。




                           《この物語 続きます》





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