~第七章 豪剣の契り~
校庭の銀杏が黄金色に色付く秋。
「ったく、あいつ、どこ行った?」
図書委員の桜は、同じく図書委員の稔を探していた。稔は図書委員の仕事をほったらかして逃げたのだ。
「まったくもう。あいつ、いい加減な所ばかりお姉ちゃんの真似するんだから」
桜は頬を膨らました。すると、見つけた。校庭の銀杏の木の下。
「み……」
桜は、かけようとした声を飲み込んだ。稔と向かい合っているのは……同じクラスの原田さん?
稔は、バツが悪そうに原田に言っている。
「ごめん、原田さんの気持ちは嬉しいんだけど。俺、今は真剣に剣道やってるんで、付き合うとか、そういうことは考えられないんだ」
(あいつ、一丁前に女の子振ってる!)
物陰で見る桜は吹き出しそうになった。しかし、原田の曇った声が聞こえる。
「やっぱり……山口くん、春山さんのことが好きなんだね」
(え、いや、何でそうなる?)
桜が突っ込みそうになった途端、稔が打ち消した。
「違う、違う。桜とは全然そんなんじゃない。同じ剣道場に通ってるだけ。ただ、今は本当に誰とも付き合うとか、考えられないんだ」
即座に完全に否定する稔に、桜は少しムッとする。しかし、原田は目に涙を浮かべていた。
「分かった。でも山口くん、もうちょっと自分の気持ちに素直になった方がいいよ」
涙を拭いながら去って行った。
「いや、自分の気持ちに素直とか、そういうことでもないんだけどなぁ……」
ぼぉっと彼女の後ろ姿を見る稔に、不意に物陰から出た桜が声をかけた。
「こら、この、女泣かせ!」
「うわっ、覗き見女。趣味悪っ」
稔は、そう言いながらも、恥ずかしそうに頭をポリポリかいている。
(こんな何気ない仕草も、お姉ちゃんに似てきてる)
桜は可笑しさに嫉妬が混じった、複雑な想いになった。
桜は、改めて稔を見た。
去年の夏頃、いじめられていた頃とは比べ物にならないくらい、たくましくなった。腕にも筋肉がついて太くなったし、いつの間にか自分のことを『俺』、杏のことを『姉貴』なんて呼ぶようになり、言葉使いも粗雑になった。クラスではやはり一匹狼だが、それは『馴染めない』いじめられっ子ではなく、人を『見透かす』クールな一匹狼だ。女の子みたいな顔つきも男らしくなり、でもやはり美少年で、女の子にモテるのも頷ける。
「でも、あんた。真剣に剣道やってるって言ってたけど、この頃教えた通りにやらないって、お姉ちゃん怒ってたわよ」
桜が言うと、稔の顔は少し曇る。
「しょうがねぇよ。俺は、勝たなきゃならないんだ。どんな手を使ってでも」
「だけど、あんた。お姉ちゃんの剣道に憧れて始めたんじゃなかったの?」
「関係ねぇよ。俺は、俺のやり方で最強になるんだ。杏姉貴のやり方じゃあ、俺では勝てねぇんだよ」
(こんなこと言ってるけど、こいつの目にはお姉ちゃんしか映っていない)
桜は分かっている。
でも、だからこそ……早く追いつこうと焦れば焦るほど、『勝とう』と思うほど、『自分の剣道』を見失っていく。その苦悩は私にもよく分かる。だけど……
「私には、どう足掻いても杏姉ちゃんのような『面』は打てないけど、あんたには打てるじゃない」
桜が眉間に皺を寄せて睨むと、稔は寂しそうに俯く。そんな稔に、ポツリと呟いた。
「剣道もだけど……自分の気持ちにも素直にならなきゃ、お姉ちゃん、自分のことになると鈍いんだからね」
「え、何?」
「いや」
桜は目を瞑り、ため息を吐いた。
「それより。あんた、図書委員の仕事、サボったでしょ! 今すぐ図書室に来なさい!」
「ありゃあ……バレちったぁ」
「ったく……」
桜は両手を腰に当て、またため息を吐いた。
(態度は反抗してても、しっかり誰かさんの口癖を真似してるんだから……)
そして、素直に図書室へ向かう稔の背中にそっと呟いた。
「そんなあんたも、やっぱり誰かさんに似て、大鈍感なんだけどね……」
秋の市民剣道大会。稔は小学四年生男子の部で決勝まで勝ち上がった。
杏は不機嫌な顔で、隠し持っていた好物の干しあんずをクチャクチャ噛み締めながら観ていた。
勿論、神聖な剣道の試合、そんなものを食べながら観てはいけない。
しかし、何しろギリギリまで寝てたのを桜に叩き起こされ、朝食抜きで試合会場へ来たのだ。空腹も相まって、彼女の苛立ちは頂点に達していた。
「コテ、メェーン!」
「メントォー!」
稔はグイグイ前へ出て、相手を場外ギリギリまで追い詰めていた。
もうすでに、開始早々に『出小手』で一本取っている。一本取った上で、尚且つ相手をギリギリまで追い詰めていた。ほぼ勝ったも同然の状態だった。
稔はジワジワと前へ出る。
相手の目線。この状況にも関わらず、それは稔の目を真っ直ぐ直視していた。
捨て身の『面』が……来る!
相手は稔の『面』を狙い、飛び込む。
稔の竹刀は相手の手元へ吸い寄せられる!
「コテェ!」
稔の竹刀は相手の『小手』を捉え、そのまま足と体を左へ捌いて綺麗に決めた。
「小手あり!」
稔は決勝で二本勝ち、優勝を決めたのだ。観客席からドッと歓声が沸き起こる。
しかし……
「チッ!」
歓声を上げる観客達の中で、杏は一人舌打ちをした。
「どうして、そこで『小手』を打つかなぁ……」
「稔、凄えなぁ。お前、無敵じゃん」
「いやぁ、そんなことねぇよ」
頭をポリポリ掻きながら門下生仲間達の賞賛に謙遜し、稔は辺りを見回した。
(いない)
ほっと胸を撫で下ろした。
その時、目の端に決勝の相手が映った。相手はぐしょぐしょに涙を流し、手拭いで顔を拭いている。それを見ると、急に心に靄がかかった。
(あの勝ち方で、本当に良かったのか?)
稔は、その想いを振り払うように防具を片付けて防具袋に戦利品の金メダルを入れ、試合会場を後にしようとした。
「私なら、あそこは『面』で勝負したけどね」
出口を出て、不意に声を掛けられビクッと立ち止まった。見ると、目を瞑った杏が腕を組んで壁にもたれている。目を開け、稔をキッと睨んだ。
「あんたは一本先取してた上に、相手をギリギリまで追い詰めてた。気持ちの上でも、断然有利な筈だった。なのに、どうしてあそこで『小手』を打った?」
「だって、あいつが『面』を打つと分かってたから……」
稔は俯いた。
「はぁ? あんた、私の教えた『面』があいつの『面』に負けるとでも思ったの?」
杏は眉を顰めた。
「『面』でも勝てたかも知れないけど、『出小手』打ったら確実に勝てるじゃん」
「そうね、あんたは確かにあの試合では勝った。相手の手首を斬って『動き』を止めた。でも、相手の『息の根』を止めてない」
「息の根……」
「そう。もっと、欲を張りなさい。勝つために動きを止めるだけだなんて、勿体無い。私は『勝つためのテクニック』なんて教えてない。『どんな相手でも斬る剣道』を教えてきたつもりよ」
でも、やはり稔は俯いた。
「だけど、俺……それでは勝てないんだ。俺、どうしても勝たなきゃならないんだ」
すると、杏はまた目を瞑りため息を吐いた。
「やっぱ、『試合』に勝つためだけ、なのね。あんたはあの『試合』には勝ったけど、『気持ち』では完全に負けていた。相手の捨て身の『面』の方が輝いてたわ」
美しい瞳で見つめるが、やはり稔は下を向いたままだ。
「でも、あんたがそれでよしとするのなら……もう、あんたに教えることは何もないわ」
去って行く杏の寂しそうな後ろ姿に、稔は何も言うことができなかった。
「勝つためで、何が悪いんだよ」
今日取った金メダルを手に持ち眺めながら、稔は自分の部屋で呟いた。
去年のこの大会、自分は負けたけれど杏姉貴に金メダルを貰った。悔しかったけど、それ以上に杏姉貴の言葉が泣けるほどに嬉しくて、ぐしょぐしょになるまで泣いて……その金メダルは今でも大事に飾っている。
でも、同じ大会で金メダルを取った筈なのに、何故だか全然嬉しくない。ぐしょぐしょに泣く相手の顔を思い出すと、やはり靄がかかったような、後ろめたい気持ちになる。
「くそっ!」
稔は、金メダルを部屋の壁に投げぶつけた。
次の週の道場稽古。
地稽古が始まり、稔は杏の元へ行こうとした。しかし、杏はそれを無視し、他の門下生と稽古を始める。
稔は、仕方なく他の門下生と稽古を始めた。
剣先のギリギリ触れる間合い。稔は相手の目を見る。
相手の考えていること……朧げながらも稔はそれが分かる。相手が一瞬気を抜いた、その刹那!
「コテェ!」
稔は、微動だに反応できなかった相手から『小手』を決めた。
(いつから、俺の剣道はこんなにセコくなった?)
自己嫌悪に陥る。
(相手とぶつからずに勝つ……俺、そんなことがしたかったのか?)
稽古終わり。杏は桜と共に帰ろうとしている。
「杏姉貴!」
稔が呼ぶと、杏が振り返った。
「俺と……これから少し、手合わせして下さい!」
桜は目を丸くし、杏を見た。
「もう、あんたに教えることはないって言ったでしょ」
杏は流し目を送る。
「でも、俺、絶対に勝ちたいと思ったけど……やっぱり、あの勝ち方じゃあ嬉しくないんです。杏姉貴の剣道に憧れて剣道を始めたから、あの『面』で勝ちたいんです。お願いします。前のように、稽古つけて下さい!」
「お姉ちゃん、私からもお願いするわ。こいつ、『小手』を打たれる恐怖からあんな剣道になってるだけなの。こいつはお姉ちゃんのような『面』を打てるから……絶対に、誰よりも強くなる」
桜も言った。すると、杏はすっと目を瞑る。
「チョコレートパフェ」
「えっ?」
「あんたと桜で、私に稽古後に奢るならやってやってもいいわよ」
「ありがとうございます!」
稔は目を輝かせる。
「あんたの腐った根性、叩き直してあげる」
杏は担いでいた防具袋を置き、防具を取り出した。
「え、ちょっと。奢りって、何で私まで……」
理不尽な取り引きに異議を唱える桜はさておき、似た者同士の二人は防具をつけ始めたのだった。
「ドゥアアァー!」
「ドラゥアァー!」
凄まじい気迫がぶつかり合い、道場中の彼方此方に突き刺さる。対峙した杏と稔は、同時にお互いへ向かい、真っ直ぐに飛ぶ。
「メンヤァアー!」
『バクゥッ!』
杏の竹刀が稔の『面』にめり込む。
「やっぱ……凄い」
稽古を観る桜も鳥肌が立った。
稔も真っ直ぐに、大威力の『面』を打つ。しかし、杏の『面』の前では全く歯が立たない。
「クッ……」
稔は振り返り、体勢を立て直そうとした。その瞬間!
「メンヤァアー!」
『バコォッ!』
またしても杏の竹刀がめり込む。
「オラァッ!」
『バァン!』
稔は杏から体当たりされ、弾き飛ばされた。その瞬間!
「メントォオー!」
また、『面』を決められる……。
「お姉ちゃん……容赦ないな」
桜は苦笑いした。
でも、ただひたすらにやられている稔も『面』の奥で目を輝かせ、口元に笑いを浮かべているように見えて……何だか楽しそうだ。
「メンヤァアー!」
「メェェーン!」
『バクゥッ!』
やはり、杏の竹刀が稔の『面』にめり込む。
しかし……徐々に稔も杏の動きに付いてこれてきたように、杏の『飛び込み』にただ『乗られる』のではなく、自分からも『乗ろうと』しているように見えた。両者は振り返り、そして!
「メントォオー!」
「メンヤァアー!」
杏の竹刀と稔の竹刀は、ついに同時にお互いの『面』を捉えた!
『ダァーン!』
激しく体当たりし、ぶつかった。どちらも、薄っすら笑いを浮かべている。その場の二人にしか味わえない、言いようのない高揚感……快感。
(いいなぁ……)
桜は、そんな二人が羨ましくて堪らなかった。
「いい? 次の一撃が本当の勝負。あんたは、次の一撃にあんたの全てを込めなさい」
鍔迫り合いをしながら、杏が面越しに言うと稔は真っ直ぐ頷いた。二人は鍔迫り合いを解いて離れ、お互いに中心をとり、構えた。
「ドゥアアァー!」
稔の気迫が突き刺さる。
(きた、きた!)
杏はニヤっと笑った。
久しぶりに感じる、『ゾクッ』とする武者震い。
かつては本当に小さかった、自分より四つも下の少年の中に見た『鬼』。それが今、あの時よりもさらに成長して自分の正面にいるのだ。
「ドゥオラアァー!」
杏も負けない気迫を発した。鬼の気迫と鬼神の気迫のぶつかり合い。
次の瞬間!
稔はクワッと目を見開き……飛ぶ!力の限り、真っ直ぐに。
杏も飛ぶ!両者の竹刀は真っ直ぐに、お互いの『面』へ……
「メェェエーン!」
『バコォッ!』
ほぼ同時の『面』。しかし、両者とも……そして、桜にも分かった。この勝負、勝ったのは……。
しかし……
『ダァァーン!』
稔は、杏から『面』を決めた瞬間に足を滑らせ、転倒したのだ。
「いててて……」
腰をさする稔を見て、杏は苦笑いした。
「全くもう、お約束ね。ほれ!」
稔の手を取り、立たせた。
「やればできるじゃない!」
『面』を外した杏は、爽やかに言った。
「はい! でも、転んだから、一本には……」
「ああもぅ、細かいことはいい、いい。それより、あんた、気持ち良かったでしょ」
「はい! とても。それに、凄く楽しかった。正面からぶつかり合うって、こんなに気持ちよくて楽しいんだって」
「そう。その気持ちを、忘れないで」
杏は真剣な眼差しで、稔を真っ直ぐ見た。
「剣道はその楽しさが、一番の強さの糧になる。あんたの最後の『面』。あれは、あんたの気迫が私に僅かでも勝っていたから決まったのよ。剣道では『勝ちへの拘り』なんか要らない。気迫が誰よりも勝っていたら、誰よりも強くなれるんだから」
「はい!」
稔は目を輝かした。
「あんたの『面』は、全国でも通用する。その『面』を潰すな」
杏はニッと笑い、しかし真っ直ぐ稔を見た。
『ドクン……』
二人を見る桜の鼓動は鳴る。
桜は『恋』をしたことがない。稔への感情を「もしかしたら……」と思っていたが、それは『恋』ではなかった。今、それがはっきり分かった。
ただ、この二人の関係そのものに、『恋』に似た感情を感じてしまっているのだ。
最強の杏姉ちゃん。そして、杏姉ちゃんを追って、どこまでも強くなる稔。そんな二人の関係が、いつからか好きで好きで堪らなくなっていたのだった。
半年後。満開のサクラが咲く試合会場で、春季市民剣道大会が開催された。小学五年生男子の部、決勝。
「ドゥォヤァアー!」
稔の気迫が相手を圧倒する。相手が稔の手元に目を遣った、その刹那!
「メントォオー!」
『バクゥッ!』
稔が渾身の『面』を決めたのだ。
「面あり!」
勝負がついた二人は向かい合う。
「勝負あり!」
稔の旗が上げられ、蹲踞した。
この大会、稔は全ての試合を『面』で勝ち、優勝した。それは、杏との『豪剣の契り』を果たす、清々しい優勝だった。
「稔、お前、ホントめっちゃすげぇよ」
「マジで、全国行けるんじゃねぇ」
試合後、門下生仲間は稔を絶賛する。しかし、稔の目は誰かを探し……杏と目が合った。
「よくやった!」
杏は満面の笑みを浮かべる。
その瞬間、初めて、稔は自分の優勝を実感した。心の底から痛くなるほどの感動が沸き起こり、熱い嬉し涙を流したのだった。
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