~第六章 勝ちへの拘り~

 道場へ向かう公園に立つサクラも満開になった春。

 小学四年生になった稔は練習試合をしていた。相手は、門下生仲間の須藤という少年。稔より一つ上、小学五年生だ。

「ヤァァアー!」

「ドゥアアァー!」

 稔は、一つ上の須藤の気迫をも飲み込む気迫を発した。

 しかし……稔が須藤の『面』を狙い振りかぶろうとした、その瞬間!

「コテェ!」

『パァン!』

 須藤の竹刀が稔の『小手』を捉えた。

「小手あり!」


 試合を観る杏は腕を組む。

「うーむ……」

 須藤は、弱い相手ではない。寧ろ、『小手』を得意として、大会でも入賞することのある、強い部類に入る少年剣士だ。

 でも、杏は須藤を『強い』とは思っていなかった。ただ、器用に『小手』を決め、『勝つテクニック』に長けている剣士……稔が昨秋戦った、角口と同じタイプの剣道をする。

 稔の成長は目覚ましいものに見えた。しかし、成長が早ければ早いほど、挫折も早く訪れる。

 『面』で勝負する稔は、悉く『出小手』に負けるのだ。

 杏ほどの豪剣に対しては並の『出小手』は歯が立たない。だが、やはり稔の『面』は速さも威力もまだ未熟だった。

 その挫折の時期に、稔はこの須藤と仲良くなった。どうも、嫌な予感がする。


「稔!」

 稽古後、杏は稔を呼んだ。

「今は勝とうなんて思わなくていいから。あんたは『自分の剣道』をやりなさい」

「でも……」

 稔は何だか煮え切らない。その時。

「おい、稔。帰ろうぜ」

 須藤が呼ぶと、稔は逃げるようにそちらへ行った。

「あ、ちょっと……」

 杏が呼び止めようとした時には、稔は須藤と共に道場を出ていた。

「うーん……」

 杏は腕を組んだ。

「子供に反抗される親って、こんな感じなのかな」


 帰り道。

「なぁ、稔。お前、どうして『小手』を打たねえの?」

 須藤が尋ねた。

「えっ?」

「『小手』打てるようになると、勝つん楽だぜ。動きも少なくて済むしよ」

「でも……『面』が僕の剣道だから」

 稔の頭の中を、杏から貰った金メダルがかすめる。

「あぁもう、そんなんに拘るなって。お前も、試合で入賞したいだろ?」

(入賞したい。いや、入賞どころか、優勝したい……)

「まぁ、俺は今のままの方が、楽にお前に勝てるから助かるけどな」

 須藤が言うと、稔は下を向いた。

 次の試合・春季市民剣道大会は、杏は毎年……勿論、小学四年生の時にも優勝した大会だ。何としてでも同じ大会で優勝したい、という想いはある。でも、今の状態では難しい。何より、『面』を打つと負ける……そのことが、稔の中に『面』を打つ恐怖を植え付けていた。


 次の稽古。

「ドゥアアァー!」

「ウゥァアァー!」

 稔と杏との地稽古。

 剣先のギリギリ触れる間合いでの攻め合い。

 張り詰める緊迫感……の筈だった。しかし、その日に限って杏はお腹の調子が良くなかった。

(いてて……昨日、アイス食い過ぎたかなぁ)

 その刹那!『面』ごしにジッと杏の目を見ていた稔は、その刹那の心の隙を見逃さなかった。

 竹刀が瞬時に杏の手元へ伸びる!

「コテェ!」

『パァン!』

 杏の右手首を竹刀が打つ音が響く。

(うそ!)

 杏は驚いた。

 百戦錬磨の自分が稔に負ける筈がない。他のことを考えていても、即座に反応できる筈だった。でも、今のは……本当に、稔が『小手』を打つ『瞬間』が分からなかった。

 稔も驚いた。

 杏は、今までひたすらに憧れ……天の上のような存在の剣士だった。それが、『小手』を狙ったら、一本取れた……。

「くそっ!」

 杏はすぐに体勢を立て直した。

 それからは、一本取れたのが嘘のよう。稔がどれだけ『小手』を狙っても、すりあげられ、抜かれ、返され、ボロボロに何本も取られた。

 しかし……まぐれで杏から『取れてしまった』この一本が、稔のこれからの剣道に大きく影響を与えることになったのだ。


 サクラの花びらが舞う春季市民大会。決勝の舞台に稔はいた。

「ヤァァアー!」

「ドゥアアァー!」

 気迫の掛け合い。やはり、稔の気迫は同学年の剣士の間では群を抜いている。しかし、狙うのは『面』ではない。

 相手との距離。相手の呼吸。

 それを感じながら、稔はジッと相手の目を見て攻めた。自分のこの『小手』なら、勝てる、絶対に。

 相手の呼吸は一定。攻撃の警戒に切り替わることはなく、攻め合いながら一定の呼吸を続ける……。

 その刹那!

「コテェ!」

『パァン!』

(消えた!)

 恐らく、相手はそう思った。

 微動だに、反応ができなかった。稔は、完全に相手の一定の状態の『瞬間』を裂く『小手』を決めたのだ。

 足と体を左に捌き、短い残心を取った。

「小手あり!」

 稔の春季大会決勝は『小手』での二本勝ち。剣道の大会での初優勝を飾った。


「やったじゃんか、稔。やっぱ言った通り、『小手』を打ったのが良かったな」

 試合後、須藤がニヤニヤしながら来た。

「うん……」

 稔が杏の方を見ると、まるで無関心に、自分の試合の準備をしている。稔は下を向いた。


「ったく、『勝つテクニック』なんて覚えやがって」

 杏はブツブツ言っていた。

「確かに、あいつは『攻め合い』から『打突』への移行が上手いし、打つ『瞬間』が分からない。その『瞬間』の分からない『小手』は物凄い脅威ね」

 眉間に皺を寄せた。

「でも、相手とぶつかり合わずに『勝つ』……そんなの、私の『信念』に反するんだよなぁ」

 震える口角を上げ、怒りにも見える笑みを浮かべた。

 その日の中学女子の部では、杏はかつてないほどの早さで剣士達をなぎ倒して優勝した。そのことが、『怒りにも見える笑み』の意味を物語っていた。

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