~第七章 剣の煌めき~

 女子個人戦決勝。加奈は相手を場外ギリギリまで追い詰めていた。

「ドゥァ、メェー……」

 相手が無理に『面』を打とうとしたその瞬間!

「メントォー!」

『バコォ!』

 加奈の『面』が鮮やかに決まった。

「面あり! 勝負あり!」


 この春の大会、女子個人戦では加奈が優勝を決めた。それは、秋の大会の時のように悶々とした蟠りの残る勝利ではなく……気持ちの良い、爽やかな優勝であった。

 そして彼女は『面』を外してすぐに男子部の試合場へ急いだ。


 男子部個人戦決勝では、楓と土井が向かい合っていた。それを、観客席の桜と稔、そして立明中学の部員達……加奈が見守る。

 楓は圧倒的な力をもって、そして土井も己の剣道を貫いてこの舞台に立った。

 試合を観る者の気持ちは皆同じだった。

(どちらも……頑張れ!)

 単に勝敗ではない……それを超越したものを、誰もがこの試合に求めていた。

「はじめ!」

「ヤァァアー!」

「リャァァアー!」

 両者の気迫がぶつかり合い、その場の空気がビリビリと振動する。

 互いが『面』の奥の相手の面を見つめながら、ジリジリと右足を前に出す。

 剣先が僅かに触れ合う……その刹那!

「メェェーン!」

「ドォォオー!」

 楓の『飛び込み面』と土井の『抜き胴(相手が面を打つ動作で振りかぶった際に放つ『胴』)』は完全に同時に、互いの打突部位を捉えた。三人の審判は全員『相打ち』の判定……試合を観る者からも歓声が沸き起こる。


(すごい……!)

 その瞬間、稔の内にもジーンと熱いものが流れ込み、全身鳥肌が立った。

(これは……地区中学のレベルはもしかして、俺がいた頃よりも……)


「メェェーン!」

「メントォオー!」

『ズダァァーン!』

 両者振り返って放つ『合い面』も、同時にお互いの『面』を捉えた。凄まじいばかりの踏み込み音が響き渡る。

 楓は目の前の相手……必死で食らいつく土井の姿に、一年前の自分が重なって見えた。

 自分も一年前、好きで好きで堪らない桜のために。どうしても、認めてもらいたくて、そして、桜も自分のことを見ていてくれたから……全力で山口 稔とぶつかった。

 そして、こいつもきっと、誰かとの『誓い』のために……。

 楓はすっと剣先を土井の喉元につけた。

(だから、僕も……こいつの剣道に全力で応える!)

 相手と向かい合う刹那、時間が止まる。その緊迫感は何物にも代えがたい。

 跳ね上がる鼓動……瞳に映る、大切な人。

 互いに向ける『剣』の先に、お互いの想う人への熱い気持ちが流れ込む!

「ドゥァ……」

 竹刀を振り上げたのは、完全に同時だった。互いに向かって飛ぶのも同時。

 勝負を決するのは……

「メェェーン!」

「メントォオー!」

『バクゥ!』

 両者、『面』の後の残心をとる。

「面あり!」

 上がったのは楓の旗。

 『面打ち』の重さ……破壊力。それは、楓の『面』の方が勝っていた。

(よし……最高の『面』だ)

 試合を観る桜はニッと目を細めて頷いた。


 試合開始線に戻り、楓と土井は再び向かい合う。

(まだだ……)

 土井の瞳の奥に赤い炎が灯る。

(まだ、絶対に……最後まで諦めない!)

 土井の瞳の奥に灯る炎を認めた楓はニッと右口角を上げた。

(そうだ、土井)

 すっと竹刀の先端を土井の喉元に向けた。

(そうこなくっちゃ……だって、最後まで勝負は分からない。お前の『大切な人』も見てるんだろ?)


「二本目!」

「シャアァァー!」

「ドリャアァー!」

「メントォオー!」

 先手を打つ土井の『面』。楓はそれを竹刀で捌き、体を移動……右への開き足をとった。『面打ち』が空振った土井は、気持ちを途切れさせることなく竹刀を楓の中心に向ける。

(楓先輩は……)

 構えをとりながら、土井は想う。

(前へ出る凄まじい勢いだけでなく……横、斜めへの動きも自在に操れるようになった。簡単には動きを掴むことはできなくなった。だけども……)

 ギュッと下唇を噛む。

(絶対に、捉えてみせる!)

「メン、メントォ、コテェ!」

 土井の連続技……楓はその全てを躱した。だが……

『バァァーン』

 土井の渾身の体当たり……楓はそれを全身で受け止める。

 必死の想いで持ち込んだ鍔迫り合い……それは、土井に唯一の勝機を与えた。楓は飽くまで『面』……『引き面』で勝負する。ならば、振りかぶる瞬間……その一瞬に生じる隙を狙う!


 土井は『面』の奥の楓と目を合わせる。

 自分は、この先輩に憧れて入部した。それ以降……彼はどうしても超えることのできない『壁』として、自分の前に立ちはだかった。

 しかし……土井の目の端に、こちらを祈るように見つめる加奈が映る。

 今の自分には……超えなければならない『理由』がある。だから……せめてこの一瞬だけでも、超えてみせる!

 土井の中で、楓を超えられない『壁』と定義する見えない鎖がミシミシと音を立てた。

「ドゥリャ……」

 楓が『引き面』を放とうとした、その刹那! 土井は『胴』に生じる刹那の隙を見逃さなかった。

(届け……)

 土井は力の限り手首を返す。

「ドォォオー!」

『バコォーン!』

 思い切り後ろへ送り足をして取る残心。

 自分の竹刀が捉えた『胴』が立てた音。それが、ミシミシと音を立てていた『鎖』を引きちぎった。

 何より、自らの竹刀を伝って感じるビリビリとした痺れが、土井に自らの『一本』を実感させた。

「胴あり!」

 両者一歩も譲らないその勝負に、会場は歓声と拍手に包まれた。


 そして、会場を包み込む熱い歓声の中。

(やった……! ついに、土井くん……)

 土井が、ついに……ついに、前に立ちはだかる最大の壁を越えた!

 試合を観る加奈の目には、熱いものが込み上げた。


 自分の旗を上げる主審の前の試合開始線に、土井は戻る。目の前の相手……楓は、そして土井も口元に白い歯を覗かせて笑みを浮かべていた。

(楽しい……大切な人のために全力でぶつかり合うことが、こんなに楽しいなんて)

 それは、土井は小学生時代……立明中学に入る前、ただ適当に剣道をしていた頃には味わえなかった感情だった。

 立明中学に入って、楓と桜と出会って、そして加奈に『自分の剣道』を貫くと誓って。様々な出会いの中で触れた『剣愛』がこんなにも彼を変えて……大きく成長させたのだ。

(こいつは……)

 楓の中で跳ね上がる鼓動が、高揚感を昂らせる。

(強くなる。これから先……測り知れぬほどに。だから、僕も……全力でこいつと向き合う!)


「勝負!」

 主審の発する試合再開の合図。

 それと同時に楓は両腕を上げて左足を前に出し……『左諸手上段』の構えを取った。それは、試合を観る観客を……そして、楓と向かい合う土井も驚かせた。

(上段……初めて見た。これが、楓先輩の本気……)

 その左諸手上段……それには確かに、桜の姿が重なって見えた。

(大切な人への想い……なら、俺も!)

 土井はその上段に真っ直ぐに向かい合う。

(大切な人のために、全力で応える!)

『ダァァーン!』

 土井は床を蹴る。

 楓は左手に握る竹刀を一直線に土井の『面』に振り下ろす。その刹那……土井の目には絢爛と光る日本刀の放つ『刹那の剣光』が煌めく……!

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