~第八章 信頼できるチームだから~

 カエデが鮮やかな紅色に色付く季節……。

 ついに、待ちに待った秋の大会が始まった。男子団体戦では、かつてないほどのベストメンバーが揃った立明中学は、準々決勝に駒を進めた。


 相手の中学は地区大会でベスト四常連の苅野中学。

 先鋒の土井は一本勝ち、次鋒の宮永が二本負け、中堅の楓は二本勝ち、副将の飯島が引き分けで大将の長田に繋げていた。


 長田は長身から基本に忠実な打突を繰り出し、相手の大将に応じる。

 しかし、相手の大将もさるもの……長身相手のセオリーに乗っ取り、攻撃を仕掛ける。長田が『面』の動作を起こそうとした瞬間、『小手』に竹刀が伸びる!

「コテェ!」

『パコーン!』

 相手の竹刀は、長田の『小手』を捉えた。

「小手あり!」

 長田は試合開始線に戻る。

「二本目!」

 長田が一本を取られてからの二本目の試合が再開された。


「おい、楓……」

 副将の飯島が楓にそっと耳打ちした。

「代表戦の準備、しとけよ」

 しかし、楓はにっこりと笑って振り向く。

「いいえ。その必要はありません」

 そして、真剣な表情で真っ直ぐ、視線を試合に戻した。

「だって、長田キャプテン……この試合、絶対に『勝つ』から」

「いや、『勝つ』って、お前……」

 飯島が言いかけた瞬間……

「メェェーン!」

 長田が鍔迫り合いから、鮮やかな『引き面』を決めた。飯島は口を噤む。


「信頼できるキャプテンだから、僕達、ここまで勝ち進んでこれたんです。長田キャプテンじゃなかったら、僕達、ここまでこれなかったと思います」

「そっか……そうだよな」

 爽やかに言う楓の隣で、飯島は目を細めた。


 その後の試合……長田は、相手の『小手』を竹刀の柄で受けて返し、見事に二本目の『小手返し面』を決めて勝利したのだった。


 準決勝は、いよいよ、成光中学……稔のいる中学との試合だ。稔は去年と変わらず大将ポジションで、団体戦では長田と当たることになる。


 立明中学の選手の中に楓の姿を認めた稔の口元は、少し緩んだかに見えた。試合開始前の礼の時から、稔の独特のオーラ……何を打ち込んで行っても全て飲み込んでしまいそうな、そんなオーラを感じる。

(僕はこの後……個人戦で、この人と勝負する)

 団体戦での試合開始前の稔を見た楓は、早くも武者震いをしたのだった。


「はじめ!」

「ヤァアアー!」

「シャアアァー!」

 先鋒戦……土井と成光中学の美波の試合が始まった。

 美波は去年に引き続き、先鋒のポジションだ。去年……中学二年の時にこの試合で楓に敗北してから、美波は人が変わったように真剣に練習に打ち込んだ。それまではテクニックに長けた選手……相手の手薄な部分を突いて勝利を収めるタイプだったのが、相手の実力を最大限に引き出した上で、自分も最大限の力をもって潰す……そんなタイプの剣道をするようになっていた。

 それは、そう……去年の試合で、初心者だと思って油断していた楓の圧倒的な『飛び込み面』を目の当たりにし、瞳に映った『刹那の剣光』とともに敗北を味わった時。その時から、彼の中で剣道に向き合う姿勢が変わったのだった。


「メン、メントォ、コテェ!」

 美波は次々に技を繰り出す。そして、土井もそれに応じてひたすらに技を繰り出す。

(楽しい!)

 美波も土井も、お互いに口角を上げた。

(このままずっと、この時間が続いて欲しい……)


 それは、試合での勝ちも負けも全てを超越した感情であった。

 お互いに『引き技』を繰り出して間合いを切った瞬間!僅かに土井の体勢が崩れた。

 その刹那……

「メントォー!」

 美波の渾身の『面』が決まったのだった。


「すみません……」

 蹲踞をして戻ってきた土井は俯いた。楓はそんな土井に、笑顔を向ける。

「全然、気にすんな! それより、お前、楽しかったろ?」

「え、あ……はい!」


 意外な言葉に目を丸くする土井に、楓は爽やかな微笑みを向けた。

「剣道は、その楽しさが一番大事なんだ。何よりも、強さの糧になる。だから、土井は何も気にしないで。後は、僕達に任せろ!」

「はい!」

 土井はやや瞳を潤ませながらも、元気よく返事をした。


 続く次鋒戦……宮永と成光中学、古居の試合。古居はかなり激しく、前に出る選手……しかし、宮永はそれに釣られずに冷静さを保つ。

(足を引っ張ることばかりだった俺だけど……)

 宮永の目の端に、アップする楓の姿が映った。

(俺は、俺のできる限りのやり方でこのチームのために戦う!)

 古居の激しい打突を捌き、宮永はドンドン前に出た。古居は焦り、不安定な体勢のまま『面』を打とうとする……!


『ジリリリリ……』

「コテェ!」

『パーン!』

 試合終了のベルの直後……まさにタッチの差で宮永の『小手』が決まった。


「惜しい……」

 立明中学の観客席から、その言葉が漏れた。宮永の『小手』が決まったのは僅かに試合終了後……結果は『引き分け』となったのだ。


「宮永先輩……すごく、いい試合でした」

 蹲踞をして戻って来た宮永の肩を、楓はポンと叩いた。

「後は……僕達に、任せて下さい」

「おぅ! 後は、頼んだぞ!」

 宮永も笑顔で答えた。



 中堅戦……蹲踞をする楓の姿に、その会場皆の視線が集まった。この試合、一番の注目の選手……そう言っても過言ではない。

 春の試合以降、どれほどの成長をしたか……楓の放つ『刹那の剣光』に、誰もが期待をしていたのだった。


「はじめ!」

「ドゥアァアー!」

「シャアアァー!」

 楓とその相手……成光中学の照川は気迫を充実させた。

 照川は初対面の剣士……楓の頭には、相手の剣道のデータはなかった。しかし、楓は剣先が相手の剣先に触れる間合いで攻める、攻める……。


 その瞬間!

 照川は竹刀を左肩に乗せて担いだ。『担ぎ技』……それは、竹刀を真っ直ぐ振りかぶらずに左に『担ぎ』、相手の意表をつく技。普通の剣士であれば、『小手』を警戒して、打ち込みを一瞬躊躇う。しかし……


「メェェーン!」

『バクゥッ!』

 照川の瞳には、『刹那の剣光』が映った。楓の竹刀は真っ直ぐに照川の『面』を捉えたのだ。

 楓は常に真っ向から、迷いなく真っ直ぐ『面』で勝負する。いかに照川が相手の意表を突く『担ぎ技』の名手であっても、楓には全く通用しなかった。

 中堅戦は、その流れで楓の二本勝ちとなった。


(ゾクッ……)

 楓の試合を観戦する稔の全身には鳥肌が立った。

(これだ……これが、俺が探し求めていた相手)


 稔は、試合後の蹲踞をする楓に真っ直ぐな瞳を向けた。

(決勝の舞台……楽しみにしてるぞ、楓くん)

 稔は口元に、不敵な笑みを浮かべた。



「ヤァアアー!」

「リャアァアー!」

 副将戦は、飯島が開始早々に成光中学の副将、倉澤から『抜き胴』を取られてのスタートとなった。

 いつもの飯島なら、こんな状況では焦って剣道のスタイルが崩れる。しかし、今日はいつもと違う……飯島は冷静に相手の出方を待っていた。


「コテ」

「メェェーン!」

 倉澤の打った『小手』は、飯島の回転する竹刀に飲み込まれ、『小手返し面』となりはね返る。一本を先取してリードしていたにも関わらず、倉澤には焦りが見え始めた。


(そろそろだ)

 『面』の奥の飯島は、キッと倉澤を睨む。

(勝負……!)


 飯島は飛ぶ!竹刀を回転させるクセが消え、真っ直ぐ振りかぶった竹刀は、真っ直ぐ倉澤の『面』に振り下ろされる!

 倉澤は焦って手首を返す……。

「ドォ……」

「メェェーン!」

 倉澤の打とうとした『胴』より明らかに速く、飯島の竹刀は『面』をとらえた。

「面あり!」

 それは、楓と桜の見込んだ通り……飯島が自分の『クセ』も『真っ直ぐさ』も自分の剣道だと受け止めたからこその一本であった。副将戦は、そのまま引き分けとなった。


 副将戦までで、立明中学と成光中学は勝ち数は同数、取得本数は立明中学が一本リード……優勝常連の成光中学が地区大会でこれほどまでに追い込まれるのは初めてのことだ。


「今年の立明中学……強い!」

 観客席の誰もがそう思った。


 そして……

「次だ……」

 皆が次の試合に注目する。

 立明中学男子部キャプテン、長田と成光中学男子部キャプテン、稔の試合がついに始まるのだ。


「はじめ!」

「ドゥオラァアー!」

 稔は、圧倒的な気迫を放つ。


「ドゥアァアー!」

 長田も、それに負けない気迫を放った。


「メェェーン!」

「メントォー!」

 両者の『合い面』は同時に放たれ、激しく体当たりした。


(楽しい!)

 稔は白い歯を見せた。

(こいつ……長田は去年まではこんな気迫も、これほど強くもなかった。今年はきっと……)

 稔と長田は鍔迫り合いを解いて離れる。稔の目の端に、信頼の眼差しで長田を見つめる楓が映る。

(あいつがいるチームだから……!)


「メェェーン!」

「メントォー!」

 圧倒的に強い稔の『飛び込み面』に、長田は体勢を崩さず、綺麗な『飛び込み面』で応じる。両者一歩も引かない戦いは続く……!


「メンヤァー!」

「メェェーン!」

 一歩も譲らぬ『合い面』の打ち合いの後、両者は振り返って構え直した。お互いに『面』の奥の相手の目の動きをうかがう。

(次だ!)

 稔は思う。

(次で、決める……!)


 『面』の奥の長田の目がクワッと見開く……その刹那、稔は飛ぶ!

 長田も真っ直ぐ、稔に向かって飛ぶ!

 お互いの竹刀は、真っ直ぐにお互いの『面』をとらえる!

「メントォー!」

「面あり!」

 上がったのは稔の旗……しかし、振り返った顔は両者共に清々しかった。観る者も皆、勝負を超越した爽やかさをその試合に感じたのだった。

「勝負あり!」

 大将戦は、稔の勝ち……団体戦準決勝は、成光中学の勝ちとなった。


 そして、成光中学は秋の大会でも、例年通り優勝したのだった。



「キャプテン……今まで、ありがとうございました!」

 団体戦後、楓は長田のもとへ行った。

「僕、キャプテンが大将にいるチームだから……どんなチームよりも信頼できるこのチームだから、団体戦、すごく楽しかったです」

 すると、長田はいつものように顔をくしゃくしゃにして笑った。

「俺も……」

 楓を真っ直ぐに見つめた。

「お前がいるチームだから……いや、土井に楓、宮永、飯島のチームだから、信頼できた。このチームだったから、ここまで来れたんだ」

 長田の言葉に、楓は目を輝かせて頷いた。

「俺の中学剣道はここまでだけど……楓。次の個人戦、皆がお前に想いを託してるぞ。お前なら、分かってるな?」

「はい!」

 楓ははっきり、元気よく答えた。

「僕、絶対に次の個人戦、優勝してみせます!」

 その言葉に、長田はより顔をくしゃくしゃにして頷いた。


(俺……中学生活最後の剣道をお前と一緒に戦えて、本当に良かった……)

 くしゃくしゃな顔をした長田は、しみじみとそう思ったのだった。

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