~第六章 初めて~
「あれぇ、今日も来ないじゃん!」
昼休み。いつものごとく、美緒が桜のもとへやって来た。
「うるさい!」
桜は目を瞑り、苛ついた様子で鞄から菓子パンを取り出した。
あの日……一昨日から、楓は弁当を持って来ていない。部活で会っても、桜は自分から楓を避けていたのだった。
「あぁ、怖い。そんなだから、年下のダーリン君にも愛想尽かされるのよ」
美緒はからかうように言う。
「だ、誰がダー……」
赤くなる桜を見て、美緒はクスッと笑う。
「桜は顔も可愛いし、ウブでいい娘なんだから、もっと自分の気持ちに素直になればいいのに」
すると、桜は哀しげな顔になり、下を向いた。
「でも……だけど、やっぱり私、誰よりも強くならなきゃいけない。お姉ちゃんのために……」
「全くもう、強情ね」
そんな桜を見て、美緒は溜息を吐いた。
その時だった。俄かに美緒の瞳が輝いた。
「来たわよ、ほら。噂をすれば、あなたのダーリン」
「えっ……」
桜の鼓動は鳴った。振り返ると、重箱に詰めた豪華弁当を持った楓が立っていたのだ。
「あんた、何で……」
そんな桜の様子を見て、美緒は微笑む。
「ま、頑張りなよ」
美緒は、桜の肩にそっと手を置き立ち去った。
楓は桜の机に弁当を置いた。
「先輩。一昨日は、その……ごめんなさい」
いつもは明るくて天然な楓も、赤くなり緊張している様子だった。
「いや……別に」
桜も、赤くなった。
「先輩、凄く辛い想いをしてたのに……。僕、全然知らなくて。その上、あんなこと……」
「だから……それは、もういいって」
お互いに赤くなった二人の会話はぎこちない。
「あの……これ」
楓は、絞り出すように声を出した。
「先輩……やっぱり、菓子パンばかりじゃ、栄養偏ります。放課後の練習、ハードなんだし、ちゃんと食べないと……」
「うん……ありがと」
桜は、弁当箱を開けた。そこには、見るだけでうっとりとするようなメニュー……黄色い刻み卵とキヌサヤを散りばめたちらし寿司、小鮎の甘露煮、小松菜のおひたし、などなどが入っていた。
全て、楓が桜のために丹精こめて作ったもの……とても美味しいことは、桜が一番良く分かっていた。
桜の瞳は、じわっと熱くなった。目の前の景色が歪むのを、必死で瞬きをして抑える。
「それで……その……」
楓は、恐る恐る口を開いた。
「今日から、また……先輩のお母さんが退院されるまで、ご飯作りに行っていいですか?」
「えっ……」
楓は、赤くなりながらも真っ直ぐ桜を見つめた。
「僕、やっぱり……少しでも先輩の力になりたいんです。桜先輩のことが好きだから。勿論、もう絶対にあんなことはしません。だから、また……先輩の家にご飯作りに行かせて下さい」
少し震えながら、真っ赤な顔はじっと瞳をこちらに向けている。
桜は瞳を感涙に濡らしながらも、そんな楓を見てクスッと笑った。
「そんな頼み方、初めて聞いたわ」
「えっ?」
「ご飯作りに行かせてくれ、だなんて」
「あ……確かに、おかしいですね」
楓は、少し考えて頭をポリポリ掻いた。桜はそんな楓を見て、長い睫毛の目を細めた。
「ええ。作りに来て」
「え、本当ですか!」
歓喜の表情になる楓に、悪戯な笑顔を向ける。
「だって、あんた。私の『初めて』を奪ったんだから、相応の罪滅ぼしをしてもらわないとね」
「えぇっ、初めてだったんですか!?」
楓は目を丸くした。
「しっ、声が大きい!」
桜は眉をひそめる。すると、楓は桜以外には聞こえないほどに声をひそめた。
「でも、僕も……初めてだったんです」
そんな言葉を交わして目を合わせた二人は、お互いに真っ赤になって目を逸らしたのだった。
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