~第四章 あんたの剣道なんだから~
選抜試合も半分程度終わった。部のエース、男子部の楓と女子部の桜は順調に勝ち進んでいた。
部全体に緊迫感が漂うこの時期が、楓は好きだった。常に自分の中を駆け巡る鼓動がもたらす快感……それは、何物にも代えがたいものだ。戦いの中に身を置く者としての高揚感を常に感じていたのだった。
今日の対戦相手は中学三年の飯島。『面』を得意とする相手だが、打突は真っ直ぐでなく、右手を返して回転させて打つ……そんなクセのある剣道をする。しかし、『面』の突進の威力は凄い。
「はじめ!」
「ヤァアアー!」
「ドリャアアー!」
楓は飯島の中心を取り、攻める。竹刀の剣先が触れ合う間合い……そこから、お互いにジワジワと攻める。竹刀の物打(打つ部分)まで触れ合う間合いになった瞬間、飯島の竹刀は上がった!
飯島が右手を返すその瞬間……楓は飛ぶ!真っ直ぐに、飯島の『面』へ向かって……
『ダァァーン!』
凄まじい踏み込み音と共に、両者『合い面』を打つ。
「面あり!」
上がったのは……白い旗。楓の旗だった。
(そうよ、楓!)
試合を観る桜はキリッと口角を上げた。
(相手がどんなにクセのある剣道をしても……どんなに打突の威力が強くても、あんたは真っ直ぐ『面』を打てばいい。それが、あんたの剣道なんだから)
「二本目!」
「ヤァアアー!」
「ドゥアアー!」
お互いを牽制し合う。
「メェェーン!」
一本を先取されて焦った飯島は『面』を打ち込んだ。しかし、楓はそれを捌く。
(よし、冷静)
桜は目を細め、微笑んだ。
「メン、メェェーン! ドォオ!」
冷静さを欠いた飯島は、焦って連打の攻撃をした。しかし、楓は足を使って体を躱すと共に、打突を全て竹刀で捌き……かすりもしない。
「メン、クッ……メェェーン!」
飯島は苦しまぎれの打突を連打する。その『面』を捌いた瞬間、楓は瞬時に飯島の中心を取り、体勢を立て直す!
飯島は無駄打ちの連打で息が上がり、反応が遅れる……!
「メントォー!」
「面あり!」
楓が鮮やかな『飛び込み面』を決めた。
「勝負あり!」
今日の試合は二本勝ち……これで、楓のレギュラー入りが確定した。
*
「まぁ、冷静には対処できてたわね。それは良かったと思うわ」
試合後の楓に、桜はクールに言った。
「でも、最後まで気を抜かないことね。今日のでレギュラー入りは確定したけど、個人戦に出れるのは二人……まだ、分からないからね」
「はい!」
楓は元気よく返事をした。
飯島はその様子を面白くない顔で見ていた。
飯島は入学当初、同じ学年の桜に一目惚れした。密かに想いを寄せる桜……彼女が入部するから、という理由で自分も剣道部に入った。
元来、運動神経のよい彼は、すぐに同学年の部員達の中でも、負けることはなくなった。小学生時分から女子にもてており、自分のルックスに自信を持っていた彼は、すぐに桜の心も自分のものにできると思っていた。去年……楓が入部するまでは。
(ダッサいガキが入ってきた)
飯島は最初、そう思った。桜に好意を寄せているように見えたが、どうせ口だけだろうとも。そんな小便臭いガキに自分が負けるワケがない……そう思っていた。
しかし、彼は見誤っていた。
楓は常に桜に付いて、直向きに練習を重ね、みるみる強くなったのだ。そして、去年……秋の大会に向けた選抜試合では、自分は楓に敗れ、レギュラーの座を奪われた。
(信じられない……いや、信じたくない。勝てる筈だ、絶対に……)
飯島は楓と対峙する度に、そんな想いをくすぶらせていた。
「楓! 俺と稽古しろ!」
試合後。地稽古が始まるやいなや、飯島が言った。
楓はすっと目を細めて飯島を見た。そして……
「はい、飯島先輩。お願いします」
飯島との稽古を受けた。
「ヤァアアー!」
「ドゥリャアー!」
両者、気迫を充実させる。
(負けない……こんなガキに俺が、負けるワケがない)
飯島は思う。
(だって俺は、少し練習すればどんなスポーツでもマスターできたんだ。そう、どんなスポーツでも……)
両者、剣先の触れ合う間合いで攻め合う。そして!
「メェェーン!」
「メントォ!」
『合い面』……それは、明らかに楓の打突の方が速かった。
「クソッ……」
飯島は体勢を立て直そうとした。しかし……
「メェェーン!」
続け様に『面』を取られる。
『ダァァーン!』
楓から体当たりされて、また体勢が崩れる。その瞬間……!
「メントォー!」
楓から『引き面』を決められた。
飯島は稽古を観る部員達の方に目を遣る。自分達の稽古を観る女子部員の憧れの眼差し……それは全て、楓に向けられていた。
(カッコ悪い……)
それは、飯島が初めて……剣道を始めたことによって、初めて味わう屈辱だった。自分は今まで、どんなスポーツを始めてもヒーローになれた。それが、剣道は……剣道の所為で……!
両者、構え直す。そして……
「メェェーン!」
「メントォ!」
『バクゥッ!』
やはり、飯島の打った『面』は右にずれ、楓の『面』が完璧に決まった。
『ダァァーン!』
両者、激しく体当たりして、そのまま鍔迫り合いを始めた。
「飯島先輩……」
鍔迫り合いの間、楓が口を開いた。
「本当にこれが、『先輩の剣道』なんですか?」
(俺の剣道……)
飯島は考えた。剣道を始めたての頃は、こんなクセはなかった。
真っ直ぐ振りかぶって真っ直ぐ振り下ろす……そんな『真っ直ぐ』な剣道が清々しくて爽やかで、好きだった。
でも、真っ直ぐな剣道では『小手』を狙う相手には、ことごとく負けるようになった。だから、『小手』を狙われても負けないように……いや、寧ろ相手の『小手』を利用して自分が一本取れるように。自分の剣道は歪んでいったのだ。
「飯島先輩……僕、『真っ直ぐでない』先輩の剣道には、負ける気がしません」
楓は『面』の奥から凛とした瞳を飯島に向けた。
「うるせぇ!」
飯島は楓を押して無理矢理に鍔迫り合いを解き、構え直した。
(本当は、分かってんだよ)
楓も構え直し、真っ直ぐに飯島の中心を取る。
(歪んだ剣道じゃ、お前には勝てないってことぐらい)
両者、対峙する。
微動だにせず、止まる時間。張り詰める緊迫感……次の瞬間!
「メェェーン!」
飯島は飛ぶ!真っ直ぐ振りかぶり、楓の『面』に向けて真っ直ぐに。
その刹那!
「メントォー!」
飯島の瞳には閃光……楓の竹刀が確実に自分を捉える際に煌めく『剣光』が映った。両者、真っ直ぐ前へ抜けて残心を取った。
「……負けだ」
飯島は呟きながら振り返る。
「俺の負け」
「そうですね」
楓は笑顔で言った。
「僕、先輩の『本当の』剣道と勝負できて、嬉かったです!」
そんな楓を見て、飯島は苦笑いした。
「次は、絶対に負けないからな」
「はい!」
楓は素直に真っ直ぐ答えた。
*
「ったく……ホント、調子狂うぜ」
稽古終わり……道場を出た簀で防具と竹刀を片付けながら飯島は呟いた。
その時。
「楓との勝負、惜しかったじゃない」
背後から透き通った凛とした声が掛けられた。
「春山……」
振り返った飯島は、少し赤くなった。
「惜しかったって……後輩に負けた時点で、カッコわりぃよ」
飯島はふて腐れる。そんな彼に、桜は凛と澄んだ瞳を向けた。
「剣道はカッコよさのためにやるもんじゃないよ」
飯島は目を逸らした。
「分かってるって、そんなこと……」
(でも……)
飯島の口をついて、出そうになる。
(お前のために、俺はカッコよくいたいんだ)
その言葉を飲み込んだ。すると、桜はそっと目を細める。
「あんたの剣道のクセ……それも、あんたの剣道。でも、『決める』時には、『真っ直ぐ』……それが、何よりも強いあんたの武器になる。あいつも、それが言いたかったんでしょうね」
飯島は、ハッと目を桜に戻した。
「頑張りなよ。それが、『あんたの剣道』なんだから」
桜は柔らかく微笑んだ。
その時……
「せんぱ~い、一緒に帰りましょう」
聞きなれた声がした。
「はい、はい」
桜は苦笑いして、声の主……楓の元へ向かった。
「ったく……お前ら、似た者同士じゃんかよ。敵わねぇな」
飯島も苦笑いして、桜の後ろ姿を見る。
「でも、だからこそ……」
飯島は防具袋と竹刀を持った。
(楓……絶対にお前には、いつか勝ってみせるからな!)
そんな熱い想いを、そっと胸に燃やしたのだった。
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