第90話 俺、目覚めたよ

 ──


 どうすりゃいい……と口に出す余裕すらなくなった放課後1人屋上。俺は捨てられた人形のように、力無くバッタリと横になっていた。


「……」


 怖かったのだ。ヒナノがちゃんと部活に参加しているかどうか、この目で確認するのが。そんな簡単なことに恐れている自分に対しても恐怖していた。怖いのゲシュタルト崩壊だ。怖い怖い。


「……あー」


 あの時のヒナノはいつもと違っていた……いや、正確には『俺がマジックの内容を変える』と言い出した後からか。


 やっぱりヒナノも心のどこかで、自分が足を引っ張っていることに恐怖……心苦しさを感じていたのかもしれない。


 そして俺にああ言われた後にヒナノは。呆然としてしまったのか、俺に対して怒りを覚えたのか。それとも安心……したのか。


 ……何にせよこの答えはヒナノだけが分かる。だからこのことをズルズルと考えても仕方ないよな。


 うん。今の俺がするべきことは……部活を辞めそうなヒナノの行動を阻止することだ。ヒナノは運動が好きだから。それを俺が奪うことはしたくないんだ。


「……」


 だけど……だけど。この行動は本当に正しいものなんだろうか? ヒナノのやろうとしている行為を阻止することが、果たして本当にヒナノの為になるのだろうか。


 ヒナノにとっては、俺の為にやろうとしている行為であって。それを止める俺がいて……それに抗うヒナノがいて……更にそれをどうにかしようとしている俺がいて……


「あー!!!」


 分からない。ワケが分からない。というかもう頭がおかしくなりそうだ。


 とにかく誰か……冷静な第三者に話を聞いてもらわないと……頭がどうにかなりそうだ。


 俺は縋るようにスマホを取り出して、アプリを開き……1番最初に目に付いた人物に、メッセージを送ることにした。


 ──


「……藍野。お前、本当に死ぬ前の人間の顔してるぞ」


「へへ……そんな酷い顔してるんだ」


 しばらく経って委員長が屋上にやって来た。そう、俺がメッセージを送った相手は委員長だったのだ。


「でも委員長がわざわざ来てくれるなんて。驚いたよ」


「普通なら無視するんだがな。『どうにかなりそうだから話を聞いてほしい』なんて文章をいきなり送られた私の身にもなってみろ」


「ああ……それはごめん」


 確かにこの文章だけでは、俺が相当ヤバイ状態になってるとしか思わないもんな。しかも呼び出した場所が屋上なら尚更だ。


「はぁ……まぁいい。丁度勉強の息抜きをしようと思っていた所だったからな」


 委員長は俺に気を使ってくれたのか、実際に勉強中だったのかは分からないけど、そうやって言ってくれた。


 そして委員長はブルーシートの上にドスッと座って。


「それでどうしたんだ? 雨宮と破局の危機でも迫ってるのか?」


 と楽しそうに俺に問う。


「違うよ……むしろ逆。ヒナノは俺のことを異常なくらいに好いてくれてるんだ」


「なんだ、惚気か?」


「それも違う……ちょっと長くなるけど、俺達の今の状況を説明するからさ、ちゃんと聞いてくれないかな」


「ふぅん、仕方ないな」


 ──


 そして俺は委員長に全て説明した。俺がマジシャンであること。高円寺の弟君にマジックを見せようとしてること。ヒナノをマジシャンに誘ったこと。そして……


「マジックを覚える時間が足りなくて……それでヒナノが時間を作るために、部活を辞めそうな、そんな大変な状態なんだ!」


「……」


 委員長は無表情のまま、口を開く。


「藍野ってマジシャンなのか。それに驚いて、話があまり入ってこなかった」


「……えぇ?」


 しっかりしてくれよ委員長。もう一度説明するのは面倒だから嫌だぞ。


「というかそもそも……どうして私に隠していたんだ?」


「えっ? それは委員長にだけじゃなくて。ヒナノ以外全員に隠していたんだよ。俺の知られたくない秘密だったからさ」


「ふぅん、なるほどな。それで雨宮が『もっと安定した職に就いて欲しい』と……」


「いやいや言ってない言ってない」


 なんで結婚生活の悩みになってんだよ。いや、確かにマジシャンは他の職と比べて、安定はしないだろうけども。


「……冗談だ。要するに雨宮は藍野の求めているラインに届かなくて焦ってるんだろ?」


「まぁ……そういうことになるのかな」


 なんだ委員長、ちゃんと話聞いてるじゃんか。そして委員長は不思議そうに、俺に尋ねる。


「そもそもマジック披露なんて、藍野が1個2個サラッと技を見せてやればいいじゃないか。どうしてそこまで雨宮を追い込む?」


「えっ、追い込んでるつもりは……! ただ、俺はヒナノとマジックをやりたくて! ヒナノとしか出来ない技を見つけたくて……!」


「……」


 俺がそう言うと……委員長の目が鋭くなったような。そんな気がした。


「……そうか。お前の理想論は分かった。だがな、お前が何年マジックをやってきたかは知らんが。雨宮とお前では明確な差が存在するのは分かるよな?」


「それは……分かってるよ」


「ああ。なら雨宮がマジックを覚えるのが、お前の何倍も時間を要するのも当然理解しているよな?」


「う、うん」


「大切な恋人であるお前の頼みだ。きっと雨宮は必死にやってるだろう。私の……いや、お前の想像する何倍も何十倍も」


「……!」


 思えば。あの時ヒナノが見せようとしたカード消失マジックのカード。あのカードは……とてもボロボロになっていた。


 あれは……何度も練習を繰り返していた証だったのか。そんなのにもすぐ気が付かなかったのか、俺はっ……!


「そんな必死な努力をしても、まだ足りないと、削ると、妥協すると言われた雨宮の気持ちがお前に理解出来るか?」


 そんなの……そんなの……


「でっ、出来るよ……!! でも! 何もそこまで、部活を辞めようとするなんて──」






「いい加減にしろよ藍野。いや……お前」


「……っ!?」


 全身が凍る。今までとは全く違う……委員長の威圧に。俺は動けずにいた。


「前回は……高円寺の喧嘩した時は、まだお前の言い分も分かった。味方でいられた……だがな。今回ばかりは本当に無理だ」


「……」


「これだけ頑張れ、でもやっぱり無理そうだから減らすね、ああでも部活は辞めないでね、君の楽しみを奪いたくないから……なぁ、これって舐めてるだろ? 明らかに」


 正論の槍が幾つも突き刺さる。苦しくて吐き出しそうだ。


「雨宮だって当然葛藤したハズだ。だけどな、好きな部活を辞めてでも、お前について行くことを……お前に食らいついて行くことを選んだんだよ」


「……」


「絶対に楽で楽しい道を捨てて。茨の道を選んだ。ただお前の……藍野の傍にいたい一心でな」


「……」


「なのにお前はどうだ? 意思はブレブレ、悩みに悩んで選び抜いた答えすら簡単に拒絶する……本当に最悪だよ。そんなんでよく雨宮の彼氏を名乗れるよな?」


 ……何も言えない。言い返せない。


「別に私は人を虐める趣味は無いから、この辺で終わっておくが……雨宮との答えが出るまで、私に話し掛けるなよ?」


「……ッ」


 何故だ。涙が止まらない。


 委員長に強い言葉を沢山言われたから?


 違う。そんなガキみたいな理由じゃない。


 ヒナノの言葉に真剣に向き合わなかった、自分の愚かさに気が付いたから。そして。


 俺に簡単に拒絶されたヒナノの心を思うだけで。胸が張り裂けそうなくらい、楽になりたいと思うくらい。苦しくなったのだ。


「……ッ、うううっ!」


 こんな姿、誰にも見せたくないのに。くそっ。クソっ……!!


「……おい」


 そしたら委員長が俺に向かって、ポケットティッシュを投げてきた。


「……!」


「はぁ。泣きたいのはきっと雨宮の方だぞ」


「いっ……いいんぢょ……」


 その受け取ったティッシュで、俺は目と垂れてきた鼻水を拭き取って。


「あっ……ありがとう。そしてごめん。おれ、めざめたよ」


「……ふん。謝る相手を間違えてる程泣いてるのか? 藍野」


「……!」


「ほら、早く行けッ!」


「うん!!」


 そして俺は階段に向かって駆け出した。


 彼女に。愛するヒナノに会う為に。

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