第68話 悪戯な微笑み

 ……そしてカードを入れた俺は屋上に行き、彼女が来るのを待った。


 待っている間は特に何も考えることなく、たなびく雲でも眺めていたんだ。


 ……時間が経てば自分も冷静になるだろう、なんて思っていたけれど、全くそんなことなくて……むしろヒナノに会いたい欲が、次第に高まってきたんだ。


 そんな自分が情けなくて、また嫌な気持ちになってしまう。


 そんな時。


「……ん!」


『ギィィッ』っと、錆び付いた屋上の扉が開く音がした。


 そして……扉の向こうからニョキっと。いつもと変わらぬヒナノの姿が、そこから飛び出して来たんだ。


 それを見た俺は……とっても安心した気持ちになったような。心地の良い気持ちになったような。


 そんな言葉では言い表せないくらいの幸福感が、一気に体内に注ぎ込まれたんだ。


 それで俺はその感情と、さっきまで味わっていた傷付いた感情がグルグルに合わさってしまって……何が何だか分からなくなってしまって。


「シュン君ー? 呼び出してくれたのは嬉しいけど、もうすぐでホームルームが始まっちゃうよ──」


「ひっ……ヒナノっ!」


 思わず、ヒナノの肩に触れてしまったんだ。


「わっ! えっ、シュン君どうしたの!?」


「うっ……ひっ、ひなのっ……おっ、おれっ!」


 上手く口が回らない。ちゃんと俺の言葉を聞いてほしいのに……!


 そんな無様な俺を見たヒナノは。最初は驚いた表情をしていたんだけど……


「うん……そっかそっか。大丈夫だよ、シュン君。ゆっくりでいいからね」


 すぐに俺を受け入れてくれて……自分から抱きしめてきてくれたんだ。


「ごめん……ごめんね……!」


「いいの。いいんだよ。シュン君は、私の前ではそんなに無理しなくていいんだよ?」


 そう言ってヒナノはよしよしと、俺の背中を優しくさすってくれたんだ。


「ううっ……ヒナノっ……!!」


 俺は泣いた。


 こうやって俺が人前で泣き顔を見せたのは、多分これが初めてのことだった。


 ──


「あっ、えっと……本当にごめんな。急に肩掴んで、泣き出しちゃって……」


 しばらく泣いてやっと冷静になった俺は、ヒナノに謝罪していた。


 あんなあられもない姿を見せてしまったので、普通に恥ずかしいし……さっきの出来事は忘れてほしいくらいなんだけどな。


 それでもヒナノは元気な声で。


「だからいいんだってば! 私はシュン君の彼女なんだよ? えへへっ!」


 そう笑って言ってみせた……


 えっ、なんですかこの天使は。こんな子が地上に存在してていいんですか。こんな子が……本当に俺の彼女でいいんですか!?


「それでシュン君、何があったの? 全部私に話しちゃいなよ!」


「あーえっと……いや、マジでしょうもないことだから、言いたくはないんだけど……」


「しょうもないことで、シュン君は泣きじゃくったりしないでしょ?」


「えっ……」


「それに、傍から見て『しょうもないこと』だったとしても、シュン君はそう思わなかったんだから、それは『しょうもなくない』ことなんだよ?」


 ……うーん、正論である。


 完全に観念した俺は、ヒナノに全部話すことにしたんだ。


「えっと……いや、まぁ、昨日ヒナノをお姫様抱っこしたじゃないですか」


「……」


 そしたらヒナノはポッと顔を赤くして……目を逸らしながらこう言った。


「あっ……うん、しっ、したみたいだね?」


 ……何だこの可愛い小動物は。


 というかヒナノは『お姫様抱っこ』したことを誰かに聞いたってていで話を進めるのね。


 まぁ……もうそこには突っ込まないけどね。


「そのことが話題になっていたらしいから、詳しく調べてみたんだよ。夢咲さんのスマホでツイッター見せてもらってね」


「あっ、そうなんだ……ってことは。何か嫌なモノでも見ちゃったんだね」


「……うん。そうなんだ」


 やっぱりヒナノは察しがいいよな。話がスムーズになるから助かるよ。


 そしてヒナノは俺に向かって……


「シュン君。やっぱりこの世界はいい人だけじゃなくて、残念なことに悪い人もちょっといるんだよ……だから、そういった人の言葉を真に受けちゃダメだよ?」


 と、人差し指を立てて言った。


「ああ。そうだよな」


 そしたらヒナノは「ふふっ」と笑って。


「何か心美ちゃんっぽいこと言っちゃったよ! 最近ずっと一緒にいるから……似ちゃったのかな?」


 と。おいおい待ってくれ……


「お願いだから、高円寺だけには似ないでくれよ……」


「えっ、どうして?」


「あいつが2人に増えたらと思うと……ストレスで身体が大変なことになりそうだからな」


「あははっ! 心美ちゃんに言うよー?」


「それはやめてくれ……」


 んなこと言ったのがバレたら、絶対ダルいことになりそうだからな……


 そしてヒナノは、ボソッと呟くように。


「……でもちょっと意外かも。シュン君、そういう周りの発言とか、全く気にしないような強い人かと思ってたよ」


「それは……きっと委員長みたいな人のことを言うんだよ……俺はその逆、過剰なくらいに人の目を気にし過ぎてしまうんだ」


 俺がマジシャンの頃も、ずっと評価ばかり気にしていたもんな……あの時にエゴサとかいう言葉を知っていたら、絶対にやってただろうな……


 ホント、マジシャン時代にSNSに全く触れてなくて良かったよ。そしたらマジシャン引退するのも、もっと早くなってたかもしれないからな……


 まぁ。俺はそんな人間なんですよ。


「……俺が弱い人間でガッカリした?」


 そう聞くと、ヒナノは驚くほど早いスピードで否定してきた。


「えっ、するわけないじゃん! 私はシュン君の弱い部分もぜーんぶ含めて、シュン君のことが好きなんだから!」


 ……何でこんなにいい子なの? やっばり天使の生まれ変わりなんじゃないか?


「本当ありがとね……本当にヒナノが近くにいてくれて、俺はとっても助かってるよ」


「うん! 私もだよっ!」


「えっ、そうなのか? 俺、ヒナノに何にもしてやれてないんだけどな……」


「えーそんなこと言ったら、私だってシュン君に特別なこと何にもやってないよ?」


「えっ? でも……」


 そんなことないだろ……と言おうと思ったけど。


 きっとヒナノは『こうやったら、シュン君が喜んでくれるだろう』とか色々考えて行動しているんじゃなくて……本心で。自分の気持ちそのままに行動してるから、特別なことをやっていないと思うんだろうな。


 それだったら、尚更凄いことなんだけどな。


「ふふっ! だからさ、2人とも自覚してないだけなのかもね!」


「……かもな」


 俺も……ヒナノと同じようなことが出来ているのかも。そうだったらいいな。


「それで……シュン君って夢咲さんとそんな仲だったんだねー。知らなかったよ?」


「えっ?」


 ま、まさかヒナノ……怒ってる? 夢咲さんに嫉妬……しているのか!?


 それはマズイ! 早く誤解を解かねば!!


「……あっ、いや、それは事故というか、委員長のせいで知り合ってさ……!」


 そんな俺の慌てた姿が面白かったのか、ヒナノはクスクス笑って。


「冗談だって。シュン君がそんな変なことするワケないもんね」


 そう言ってくれたんだ……ああ、良かった。マジで良かった……でも、一応念を押して言っておこうかな。


「うん、そうだよ! 言っちゃアレだけど、ヒナノが1番可愛い過ぎて、他の女の子が霞んで見えちゃうんだよ!!」


「もっ、もう! それは言い過ぎだってば!」


「あははっ!」


 俺達はそんな幸せな時間を過ごしていったんだ……って。あれ? 時間? 時間って……


「そう言えばヒナノ。今何時だ?」


「えっ?」


 俺の言葉でヒナノは腕時計を見て……驚きの声を上げた。


「……うわっ! もう9時20分過ぎてるよ!」


「えっ、嘘っ!」


 1時間目は9時から開始される……つまり。もう遅刻は確定なのだ。


「うわーっ。やっちゃったな。本当にごめんヒナノ、早く教室に戻ろう……」


 そう言って俺はヒナノを見た……そしたらヒナノは悪戯っぽく笑ってみせて。


「ふひひっ……シュン君、たまには私達も心美ちゃんの真似をしてみない?」


「え? えっと……つまり……」


「サボっちゃうの! みんながお勉強している

 間、私達は屋上でゴロゴロするの! これってどうかな!」


「ひっ、ヒナノ……!?」


 ヒナノからそんな提案されたら……俺は。俺は……!!






「それ、最高だなっ!!」


 こんなの、乗るしかねぇじゃんか!!!


「ふふっ、やったーっ!」


「よっしゃー!! 遊んでやるぞー!!」

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