第8話 撃退

 ──そういえば。

 先日、学園で不審な者に言われたことをふいに思い出す。


『──殿下の婚約者には秘密がある。婚約者と殿下は結ばれない運命だ』

 

 誰もいない廊下で、通りすがりに預言のように言われた。

 フードを被り、マントを纏った人物であった。

 

 振り返れば、その人物はすでにいなかった。

 忽然と消えていたのである。

 いかにも怪しかったし、縁起でもない言葉だった。

 

 一体あれは何者だったのだろう。

 クリスティンと結ばれない、など……。


 余りにクリスティンがつれないので、白昼夢でもみたのだろう。

 アドレーは先日と同じ結論を出し、忌まわしい出来事を記憶の彼方にやる。

 

 クリスティンの眠りを邪魔しないよう、静かに傍で見守った。

 彼女の寝顔は、今は安らかだ。

 景色の良い場所で、愛する相手と二人きり。

 近くで彼女を見つめることができ、これはこれで満足だ。


(髪くらいなら)


 手を伸ばして、クリスティンの髪を掬い取る。毛先まで指を通して弄んでいると、彼女はふうっと瞳を開けた。


「!? アドレー様……」


 彼女はアドレーを見て、色を失くす。

 悲鳴でもあげそうだった。


(髪に触れていただけだが)


 いや、その前に、額に口づけたりは、した。

 恐怖の表情に、アドレーは傷ついた。

 クリスティン以外の異性は、アドレーと目が合えば、頬を薄桃色に染めあげる。

 が、クリスティンに限っては、違う。青くなる。


「うなされていたよ」


 自分が彼女の額に口づけて、愛を囁いたのが原因とは思いたくない。


「……申し訳ありませんでした。わたくし、夢を見て……」

「どんな夢?」

「……将来のですわ……」

「将来について心配することはない。君のことは私が守るから」


 するとクリスティンは、紫の双眸を鋭く光らせた。


「アドレー様……」


 彼女は真剣な眼差しでアドレーに告げる。


「少しの間、動かないでくださいませ」

「え?」


 クリスティンはアドレーに身を寄せた。

 どうしたことだろう!

 アドレーは歓喜を覚える。


「クリスティン」

 

 彼女の背に手を回そうとすれば、クリスティンはすっと身を起こして、アドレーの横を通り過ぎ、突如駆け出した。

 彼女の向かう先に、四人の男がいて、彼らは剣を手にしていた。


「!? クリスティン!?」


 アドレーが立ち上がれば、クリスティンは振り返らずに言った。


「アドレー様、すぐに終わらせます、そのままで」


 彼女はダガーを取り出し、放つ。

 それが男の服に刺さり、男は木に縫い付けられた。

 クリスティンは男から剣を奪い、舞うように芸術的に敏捷に立ち回り、あっという間に男達を倒してしまった。


「アドレー様、もう動かれても大丈夫です」


 棒立ちになっていたアドレーは、彼女の傍まで行った。

 見た感じ、男達は追い剥ぎのようだ。


「クリスティン、君、怪我は!? 大丈夫か!?」


 クリスティンは、立ち回ったあととは思えないほど、落ち着いた呼吸で、優雅に言う。


「大丈夫ですわ。怪我もしておりません。失礼いたしました。剣を持ってこちらに近づいてくる彼らがみえましたので」


 身体を動かしたことで、頬は薔薇色となり、瞳はきらきらし、生き生きとしていた。

 アドレーは呆然としつつ、そんなクリスティンに見惚れてしまった。

 彼女と一緒に、男達が持っていた縄で、気絶した彼らの手足を縛りあげる。


「わたくしを狙った刺客かと一瞬思ったわ……でも運命の夜会はまだ先だし……時期的に違う……。けれど気は抜けない……」

「え?」

 

 独り言つクリスティンに、アドレーは瞬く。


「いえ。おほほ。この者達を捕まえてもらいましょう、アドレー様」



 それで王宮に戻り、衛兵に男達を捕らえさせた。

 偶然森に居合わせ、身なりのよいアドレー達に目を付け、襲おうとしたようだ。


「あの姉ちゃん、信じられねぇほど強ぇ……。何者だ。殺されるかと思った」

 

 取り調べで、男らはそう語った。

 名を馳せた悪党だったようだが、クリスティンは物の見事に撃退した。

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