第7話 愛を囁く

 俯くクリスティンの頬にそっと触れ、顔を上向かせる。


「さっき、私を慕ってくれていたと話してくれたけれど、それは過去形なのだね」


 怖がらせないよう気をつけながら問いかける。


「…………」


 その眼差しがありありと語っていた。過去のことだと。

 アドレーはクリスティンに恋をしているのに……。

 胸にぐさりとくる。彼女はよそよそしさを通り越している。

 

「私のことを好いてくれてはいないのだろうか」

「アドレー様を、素晴らしいかただと尊敬しております。将来この国を治めることになるアドレー様に畏敬の念を抱いております」

「それは恋ではないのだね……前も?」

 

 クリスティンは目を伏せた。


「……さきほど申し上げた通り、慕っておりましたわ。淡い想いです。初恋と呼べるほどのものではありませんけれど……」

 

 初恋でもなかったようだ。

 がくっとしたが、前向きなアドレーは、気持ちを即座に切り替える。


(これからだ)

 

 人生は今後のほうが長い。

 彼女がアドレーに恋をしてくれるように努力する。

 愛を育んでいく時間はたくさんある。

 何年かかっても、必ず彼女を振り向かせてみせる。待てる。

 

 万一彼女の心が他の男に移ることがあっても……最終的に、この自分を愛してくれればそれで構いはしない。

 アドレーはクリスティンから手を離し、明るい声で言った。


「景色が良いし、少し歩こうか」


 彼女はほっとしたように表情を綻ばせた。


「はい」


(可愛い)


 彼女の笑顔をみれば、アドレーも笑顔となる。

 彼女以外の誰に惹かれるというのか。決してない。

 けれど、今、アドレーが手を離したことで、彼女が笑顔をみせたと思えば、つらいが……。

 

 

 

 湖を散策し、木陰に彼女と並んで腰を下ろした。

 バスケットから、包みを取り出す。

 王宮の料理人が作ったサンドイッチを二人で食する。

 

 上空で、鳥の鳴き声が聞こえる以外は、静かで平和だった。

 クリスティンと二人きりで過ごせる時間。


(このときが、ずっと続けばいい)

 

 幸せを噛みしめる。

 


 

 食事後、二人で会話をしながら景色を楽しんでいたが、すうっと静かな寝息が聞こえてきた。

 横でクリスティンが瞼を閉じ、木にもたれて眠っていた。

 

 疲れたのだろう。

 彼女は体質改善のため、日々運動をし、昨日はダンス、魔術や剣術を学んだ。今朝もアドレーは彼女にレッスンをし、その後すぐここに連れ出してしまったのだ。


「無理をさせてしまったね」


 しばらく眠らせてあげよう。

 天使のようなクリスティンの寝顔を見つめる。

 

 紫色の瞳は、今は閉じられている。

 ダークブロンドの長い髪が、風に揺れ、きめの整った肌に柔らかくふりかかる。通った鼻に、艶やかで初々しい唇。

 美少女だ。

 

 だが、もし外見が違っても惹かれた。

 彼女を好きになったのは、美しさが理由ではないから。

 ひたむきに物事に取り組み、頑張るところが好きだ。それにちょっと変わっているところも。

 

 後ろの木に手をつき、距離を詰め、唇に口づけをおとそうとした。

 だが初めての口づけを、眠っている間にするなど、卑劣だ。

 いくら婚約者といえども、いけない。

 アドレーはぐっと己の気持ちを抑えた。

 

 が、堪えきれず、彼女の頬のラインを手の甲でなぞり、そっと彼女の額に唇を押し当てた。

 クリスティンの耳朶に囁く。


「好きだよ、クリスティン。君もきっといつか私を想ってくれるね?」


 催眠術ではないが、こうしていれば彼女も意識してくれるのでは?

 そんな期待をしたが、クリスティンは突如うなされはじめたのだ。


「ん……うぅ……幽閉……惨殺……怖…………怖い……! うぅ……!」


 何を言っているのか聞き取れなかったが、その苦悶の表情から、逆効果な気がした。

 アドレーは彼女から身を離し、愛を囁くのをやめた。

 すると彼女の眉間にくっきりと刻まれていた皺は、ふっと解けた。

 アドレーはほっとする。

 

 しかし……今彼女がうなされていたのは、ひょっとして、この自分が原因だろうか……。

 一抹どころではない不安がよぎる。


(……今後、彼女が私を受け入れてくれる日は、本当にくるのか……)

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