ラムゼイの予感(後編)

「クリスティン、君はアドレーのことを、なぜ避けている?」


 彼女はすいっと視線を逸らした。


「なんのことでしょうか? わたくし、アドレー様を避けてなどおりませんけれども」

 

 いや、避けているだろう。

 不思議で仕方なかった。

 アドレーはこの国の王太子で、品行方正、眉目秀麗で、男から見ても最高の結婚相手だ。彼以上の相手はいない。

 彼に惹かれない女など、このクリスティンくらいだ。


「君は変わってるよな、本当に」


 不本意だとばかりに、彼女は反論する。


「変わっているのは、ラムゼイ様でしょう? 倒れるほど魔術の研究をなさるなんて。この間は驚きましたわ」

 

 エヴァット公爵家の跡取りとしてラムゼイは多忙であり、彼女と魔術の実験をしているとき、極度の睡眠不足で倒れるように眠り込んだことがあった。

 自分は確かに変わっているのだろう。

 だが彼女も、相当な変わり者である。

 

 

 紅茶を飲み、休憩を終えれば、席を立った。 


「今度は外で君の魔術を使ってもらう」

「はい。わかりました」


 地下室から出、螺旋階段を上る。

 重たい扉を開け、庭に足を踏み出せば、陽の光を眩しく感じる。

 茜色に染まる木々の葉を、柔らかな風が優しく揺らせていた。

 クリスティンは気持ちよさそうに目を細める。 


「爽やかな風ですわね。心が洗われるようですわ」


 ラムゼイは嫌なことを思い出してしまい、眉間を皺めた。

 風──。

『星』術者は『風』術者と相性が良い。


(彼女の周りの『風』術者……メル・グレン)


 彼がクリスティンに治療を施せば、クリスティンの体力は快復する。

 しかしそのことをクリスティンに伝える気はなかった。

 なぜなら、彼女はそれを実行に移さないだろうから。

 移されたくもない。


(どうして『風』なんだ)


 自分の『大地』ではない?

 

 

 詮無きことを思いつつ、クリスティンの魔力の調査を終えると、庭にひとつの影がみえた。


「クリスティン様」


 彼女を迎えにきたメル・グレンだった。


「そろそろお屋敷にお戻りになるお時間ですが」


 クリスティンは頷く。


「ええ。丁度、終わったところなの」


 彼女はこちらに向き直った。


「ラムゼイ様、本日はありがとうございました」

「ああ」


 ひらりと舞った木の葉が彼女の肩に振りかかる。


「待て、クリスティン」

「?」


 帰ろうとした彼女の肩にラムゼイは掌をのせた。


「葉が」


 ──瞬間。

 前方に立つメルと目が合った。

 底から光る、切れるような鋭い双眸。

 ラムゼイは小さく息を呑む。

 殺されそうで、身に冷たいものが通り抜けた。

 メルは長い睫を伏せ、自身の感情をすぐに覆い隠す。

 

(…………)


「では、ラムゼイ様、失礼いたしますわ」


 頭を下げるクリスティンにラムゼイは目線を戻す。 


「あ……ああ」


「行きましょう、クリスティン様」


 メルがクリスティンを促し、二人は小道を歩きはじめる。

 ラムゼイは戸惑いながら、彼らを見送った。

 常に無表情な近侍は、今、微笑んでクリスティンと会話している。

 先程と違い、眼差しは穏やかで慈しみに溢れ、どこか熱を帯びてもみえる。

 彼と話しているクリスティンは、朗らかだ。

 あんな柔らかな表情を、彼女は他の誰にも向けたことがない。

 ──あの近侍以外には。

 

(……ひょっとして……)

 

 ラムゼイはひとつの予感を抱く。

 

 ──アドレーや、この自分にとって。

 最大の強敵になるのは、ダークホース的なあの近侍なのではないか。

 

 彼の『風』はクリスティンと相性が抜群である。

 それに何より、彼女は彼に心を許している。

 もし──あの二人が互いに惹かれ合っていたら?

 恋をすれば、途方もない強い結びつきになるのではないか?

 

 ラムゼイはそこまで考えて、ふっと皮肉な笑みを漏らした。

 

(オレは何を。馬鹿なことを……。考えすぎだ)


 ありえない。

 メルは近侍で、クリスティンは彼の主君。

 どうこうなるわけがない。

 主従の絆が強いだけ、それだけだ。

 

 

 ──このときの予感が当たっていたことを、ラムゼイは翌々年の春、知ることになる――。

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