第2話

 しん、しんと、雪が降っていた。

 ざく、ざくと、私は積雪を踏む。

 懐かしいな、毎年家族で雪遊びして。つまらないと口では言っていたけれど、本当は楽しかった。

 そう、その家族は——


 幸せな表情のまま、動かなくなっていた。




「……!」

 ふいに冷たい空気が鼻を突き、それで目が覚めた。確かお賽銭箱の隣で丸くなっていたはずなのに、気づけば私はそれより少しあがった拝殿の縁側のようなところに横になっていた。


 相変わらずの雪景色。南向きに建てられているからかまだ直接日が差してくるわけではなく、陰になった本堂側から見た雪色の境内は、真白く輝いていた。

 そして同じような光をすぐ横にも感じ、寝ぼけたまま顔を向けると、あの雪の反射光のような淡い光を纏う、白い束帯の人がいた。


「おや、お目覚めですか。明けましておめでとうございます、初日の出ですよ」

「…………」

「珍しいですねぇ。新年だというのに、人がいない。皆さん、寝正月をしておられるのでしょうか。初日の出は悲しいです」

「…………」

「ああ、すみません。きっとあなたにも見えてはいないのでしょう。誰も初日の出を見に来ないものですから、あなたがいてつい嬉しくなってしまいまして」


 そのようなことをまるで独り言とは思えない声量で話し、私とバッチリ目を合わせたまま、穏やかな表情でその束帯の人は首を傾げる。


「うーん、と。不思議ですねぇ、あなたとはとてもよく目が合っている気がする」

 束帯の人は隣で足を垂らして座り、愛しいものを愛でるかのように目を細めている。つん、と冷たい雪の香りとは正反対の、陽光のような温かさを思わせた。


 私は開いた口がふさがらなかった。ぽかんと口を開け、それはそれは間抜けな顔をしているのだろう。冷たい空気が喉に直接あたってしまうが、それはどうでもよかった。それよりも動いている人がいるということへの非常に大きな安堵感と、同時に押し寄せるこの人智を越えた謎の力のようなものが混ざりあって、他は何も考えが浮かばなかったのだ。


「初日の出にも、不思議に思うことがあるんですねぇ。今年は、なんだかとても力がみなぎる。お天気様でしょうか、初日の出に降る雪を見せてくださったのは」

「…………あの」

「はい」


 やっと出たかすれ声で呼びかける。と、束帯の人は驚く様子もなく返事をした。

「これはこれは、うれしいですね! あなた初日の出を見ることができるのですか!」

「…………?」


 逆に私が戸惑ってしまい、「はい?」と聞き返しそうになったところ、喉の乾燥が酷く変にむせてしまった。慌てて別な方を向きひとしきり落ち着くと、寝転がっていた体を起こし姿勢を正す。自然とそうしてしまうような神々しさのようなものが、感じて取れていたのかもしれない。


「はい、お茶です。温かいですよ」

 喉の乾燥を見抜かれていたのか、いつの間にかお盆にお茶とお茶菓子が乗ったものがあり、ほのかに湯気の立つ湯吞みを渡された。声が出ずお辞儀をするだけになったが、どことなく緊張していたからか、心で感謝の言葉を何度も言いながら中のお茶を飲んだ。


「あ、ありがとうございます……」

「いえいえ、初日の出は当たり前のことをしたまでですから。そんなにお礼を述べなくても良いのですよ」

 「恥ずかしいですね」そう言いながら頬を赤らめる。私は、心の中の声を聴かれたのかと驚いた。束帯の人は、微笑むだけだった。




 少しの間一緒にいると、束帯の人は自分のことを「初日の出」と呼んでいることが分かった。それ以外その人の事はわからなかったので、神々しい容姿から私は『初日の出様』と呼ぶことにした。もちろん心の中でだ。それが意味のある事なのかどうかは分からない。


「この町は……少し寂しいですね。まるでかの積雪のようだ」

 初日の出様は拝殿から降り、小走り気味に境内の雪へと向かう。玉砂利に積もった雪を一掬い、ふわふわの綿雪はほろほろとその手を滑り落ちていった。


 頭上からすっきりとした陽光が降り注ぎ、ふと、もうそんなに時間が経ったのかと顔を上げる。頭上高く昇った太陽は、けれど真昼の太陽というよりかは、まだ朝日を思い起こさせた。


 憂いを感じさせる初日の出様の表情に、私はまた、孤独感を思い出す。町のみんなは、家族は、もうずっとあのままなのだろうか——

「なるほど」

 隣で声がしたかと思えば、いつの間にか初日の出様が隣に戻ってきていた。目を細めることなく太陽を見つめながら、お茶を一すすり。


「凍ってしまったということですか。この町も、人々も」

「あの……」

 私は無意識に俯きながら、初日の出様に言った。

 逆光が、二つの影を拝殿の奥へと伸ばしていく。


「どうしてこうなったのか、わからなくて……いきなり、みんな止まっちゃって……」

 私だけが、ひたすら孤独と寒さに震えていた。髪の毛一本すら動かない、あの光景が目に浮かぶ。

「大丈夫です。怖がらないで」

 ぽっと、冷えた手を温もりが包んだ。気づけば初日の出様が私の手を包み込んでいた。真白くて一回り大きな手だった。


 真剣な眼差しから目を逸らすなどということはできなかった。そのままでいると、ふっと気の緩んだ表情になり、初日の出様は笑う。

「冷たい手ですね。大丈夫、初日の出に任せなさい」

「……ひ、冷え性なんです」

 手は冷たいままだったが、何故か身体が内側からあったかくなった。



 初日の出様は、やはり不思議な人だった。薄ら薄ら気づいてはいたのだが、私はどうしてか初日の出様の正体を問う気にはならなかった。

 白い雪の冷たい中に佇む白い束帯のそのひとはまるで太陽のようだった、ただそれだけ分かればよいのだろう。


「初日の出が考えるには——」

 ざく、ざく。音はすれど、そのあとに足跡はつかなかった。

「この雪は、あなたの冷え性と同じくらい冷たい」

「え……?」

 その場で理解するには難しい。戸惑い歩みを止めた私の手に、初日の出様が雪をのせる。


「冷たいですか?」

 そう言われて、自分の手を見る——が、常に冷たい手の感覚はあまりなく、それが冷たいかどうかはわからなかった。

「……わかりません」

「そうですか、そうですか。ならこの雪は、あなたが降らせたのかもしれませんね」

「えっ」


 思わず手のひらの雪を見、そして初日の出様に視線を戻す。当たり前だが、私は雪女ではない。そもそも自分の意思で雪が降ったことなど、一度もない。この二、三年であればなおさら、登校するのに厄介払いをしているくらいだ。


「きっと、大晦日までに大掃除できなかった、大きな後悔があるのでしょう」

「…………」

 初日の出様の言葉は、ぐるぐる数回渦巻いて、どすっと心の中にわだかまりを残した。


「……ごめんなさい」

 何がという訳ではなく、謝った。何だか、大きな罪悪感に似たものがのしかかってきたのだった。


 不思議な初日の出様のいうことだから、この不思議な現象にも納得がいくのだ。雪を降らせたのが私で、その雪がみんなの時を止めてしまったのか。そうとなれば、私は何か大変なことをしでかしてしまったのだと、責め立てる自分の声が止まない。


「いえ、何も悪いことではありませんよ。この雪のおかげで、あなたは初日の出に会うことができました。初日の出を見ることができました。初日の出は、あなただけの初日の出になれたのです。それは、なにも悪くない」

 初日の出様はまた、雪が乗った私の手を外側からそっと包み込んだ。手のひらの雪は、解けることなく乗っている。初日の出様は確かに温かいのに、雪は解けずに残っている。


 日が傾いてきた。この朝日のような太陽の落ちるは、なんと早いことだろう。

 初日の出様は知っているのだろうか。いや、心の声を聴けるような方だ、何も知らないことはないのだろう。

 うっすら愁いを帯びたその瞳を見れば、初日の出様は知ってくれているのだといわずともわかる。


「この町は——」

 初日の出様は手を包み込んだまま、瞳を覗き込んだ。

「この町は、まだ初日の出を見ていません。あなたがいない町では、年を越せないと言うのですよ。大丈夫。町はあなたを、愛してくれている」

 「さぁ」——初日の出様はふいに手を離し、改めて手を差し出す。

 手のひらの雪が、傾いた太陽に反射した。


「願い事をしましょう。初日の出が落ちる前に」





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