初日の出の願い事
狐のお宮
第1話
しん、しんと、真っ白な綿雪が降りしきる夜のことでした。
「さぁ、みんなで数えようね」
「……3、」
その日はとても寒くて、雪と一緒に凍ってしまいそうでした。
「2、」
今ここで、新しい時が訪れたなら——
「1——」
「——せーのっ」
私の冷え性も、治るでしょうか?
「あけまして——……」
しん……
「……?」
◇
「おめでとうございます」のその声が聞こえないことで、私は初めて顔を上げた。そうしたら炬燵の中にみんないて、何だなんにもおかしくないじゃないかと思って視線を戻しかけて、やっぱりおかしいじゃないかと寝ころんでいた体を起こす。
改めて幸せそうな家族の顔を見て、確かにそれがおかしいことを理解した。
まるで精巧に作られたマネキン人形のようだ。父は「おめでとう」と言った直後に両手を上げるのが癖で、今はその腕は両脇に縮こめられたままでセッティングされている。母も目じりを下げて笑った表情のまま、行事が好きな姉も、まだ幼い弟も、髪の毛一本すら動かない。挙句の果てに、今の今まで私の寝ころんでいた場所。読んでいた文庫本は開きっぱなしにしていた。不安定に背表紙だけで立ち、ページは私の指の形に歪んでいる。
時が、止まったみたいだった。
ひゅ、と、私の息をのむ音が響いて聞こえた。急に寒さがこみあげてくるようだった。部屋には暖房が効いているはずだけど、この寒さは、なんというか内側からにじみ出る感じだった。
突然のことに声も出なくて、ただ肩が乱高下するのを必死に押しとどめながらしばらく彷徨った果てに、とりあえず外に出ることにした。
冷え性で末端がよく冷えるのだけれども、気にせず玄関を飛び出た。もしかしたら玄関が開かないんじゃないかと心配もちらついたけど、いたって普通に玄関は開いて外へと出ることができた。
「わっ、雪……」
寒くて思わず身震いする。深夜だからまだ日が出ていないのは当たり前だけど、何だか明るく感じたのは、雪が降り積もっているからだと気づく。
大雪の予報が出ていた通りだ。けど、この雪はいつもよりふわふわで、いつもより真っ白く見えた。そこで私がほっと息をつけたのは、空から雪が降り続いていたから。ふわふわと真綿のような雪が、次々鼻をかすっていく。
よかった、時間が止まったわけじゃないんだ。降る雪にこんなにも安堵感を覚えたのはいつぶりだろう。とにかくよかった。さっきのは家族の悪い悪戯だ。普段そっけない私の態度にみかねて、そういう悪戯を仕込んだんだ。
「……くしゅん」
安堵して緊張がほどけたからか、ツンと寒さが肌を撫でてくしゃみが出た。周りの雪が音を吸い込んで、しん……とすぐに静寂が訪れる。
ぴたり、玄関のノブを掴む手が止まった。どうしてかはわからない。ただなにか、「ああよかった」というには違いすぎる、底の冷えた不安が両肩を掴んできたのだ。
そういえば「おめでとう」の声が聞こえてこない。ならば、まだ、家族はマネキン人形のままなのだろうか。
「……そうだ、広場……」
家族が悪戯でやっているのだとすれば、町の人たちは動いていていいはずだ。確か広場では年越しのカウントダウンをやっていたはず。年が明ければ、花火もなるはずだ。そうだ、この不安な気持ちは、町が静かだからなのかもしれない。
寒くて寒くて耳や手が千切れそうだったけど、とにかく走った。少しすると広場の明かりが見えてきた。色とりどりにライトアップされて、楽しそうに年越しを待つ人影が見える。
年越しを待つ人影が見える……
「……なんで」
荒い息は冷たい空気を吸い込んで、喉を刺した。派手にむせたけど、誰一人心配してくれる人はいない。動いている人がいない。人の移動する横の流れ一切が消えて、ただ雪の降る不規則な縦の流れだけがそこにはあった。
……冷えが酷く襲ってくる。普段寝間着にしているスウェットは薄いから、いつもの指先はもちろん全体的に凍えている。もう足の先はしもやけになっているかもしれない。感覚はほとんどなかった。
いったい、何が起こったというのだろう。悪い夢だろうか。私はどうすればいいのだろう。家に戻る? いや、家に戻ったところで何も起こらないのは一目瞭然だ。
どうしたらいいか答えが見つかることはなく、私は広場から家までの街灯のない道を歩いた。走ることすら寒さに奪われ、さらに不安から滲む手汗が指先を冷やし、ますます状況は悪化していく。
広場の明かりを見たせいか暗い夜道は何も見えない。降りしきる雪はどんどんつもり、よろける回数も多くなった。
「わっ」
そしてとうとう、雪に足元をすくわれた。顔から転んだ。ふかふかの雪がクッションになって大きな怪我はなかったけど、冷たくて頬にいくつもの針を刺された心地になった。
それ以上に、突然訪れた孤独が身に染みた。
「……ん」
少しの間、意識が飛んでしまっていた。寒さのせいだろう。薄着で、雪まみれのところに倒れて、死んでいなかったのは奇跡としか言いようがない。
心なしか、先ほどより雪が白く光って見える。町のざわめきは……戻っていなかった。悪い夢ではなかった。紛れもなく、私の生きる『今』に起きている出来事だった。
必死に腕を動かして、薄く雪の積もった体を起こす。すると、さっきまでは非常に重怠かった両腕が思ったより軽く動いて、自分でも少し驚いた。
思わず見つめた両手の先に、光る積雪。それで、気づいた。
暖かい——太陽が昇ってきたのだ。地平線の向こうから、薄ら明るくなっている。その光に反射して、雪が光る。人々は全く動かない。寝ぼけて飛んでいた鳥も、落ちることなく止まっている。
ゆっくりと差してくる光に促されてか、ふわりと暖かい空気が頬を撫でた。久々の暖かさだった。温度を感じたのは一瞬だったけど、それが私の脚を再び動かした。
何もかも冷え切ったこの町にまだ温度があるなんて。暖かさにひかれて歩いて行けば、それに呼応するように体温も上がってくる。それに暖かいということは、誰かしら人がいるかもしれない。まずは身体を温めようという気持ちと共に、人がいるかもしれないということへの安堵感を覚えた。
ざく……ざく……ざく……
静かな町に一つ、雪を踏みしめる音がする。道は雪に覆われて、そこに道があるかどうかすらわからない。でも暖かさを頼りに歩いていくと、やがて開けた場所に出た。
そこは——
「神社……」
思わず零れた声が白い息になって朝日に反射する。急な石段の上に鳥居が見える。積もる雪に正反対の朱の鳥居は、朝日を受けてより鮮やかに輝いている。
全面雪で周りの様子がわからなかったけど、この町に住んで十六年、こんなに鮮やかな鳥居を持つ神社があることを知らなかった。
誰かが雪かきでもしたのか不思議と雪の積もらない石段を上がり鳥居の下に立つと、一センチほど雪を積もらせた真白い境内が見えてきた。
相変わらず
……急に、眠気が襲ってくる。夜更かしをしていたせいか、それともこの寒さにあてられたのか、たぶんそのどっちもだろう。春の陽気を思わせる空間にすっと雪のにおいを感じながら、お賽銭箱の隣で座り込み、身体を預けて深い眠りへと誘われていった。
——ざく、ざく、ざく
「……おや」
人気のない神社に一つ、何者かがやってきた。周りの雪に同化してしまいそうなほど白いその束帯のような着物には、所々あの鳥居と同じ朱で描かれた紋様があり、どことなく人智を越えた存在を思わせる。
その者は参道の真ん中をゆっくり、ゆっくり歩いてくると、その賽銭箱の隣で小さくうずくまる少女を見つけた。その肩が寝息に動いているのを見て、興味を示したかのように顔を近づける。
しばらくそうして眺めた後、その者はすっと顔を離し、そしてまた歩き始めた。
「そのようなところで寝ていては、風邪を引いてしまいますよ。さぁ、お上がりなさい」
かと思いきやいつの間にやら、拝殿の扉の手前に腰かけており、寝ている少女に声をかける。伸ばした手の軌道を追うように陽炎が揺れた後、少女に透明な何かが覆いかぶさり浮かび上がった。
ゆっくりやさしく、少女が隣に寝かされたのを見届けた後、その者は語りかける。
「初詣には行きましたか? 初日の出も、あなたの願い事を待っていますよ」
スヤスヤと穏やかに眠る少女を、その者は微笑まし気に見守っていた。
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