第23話 新規事業の創出
製造量オーバー / 東京工場
1994年2月10日午前9時頃に 川緑は東京工場に入ると 古友電工社千葉事業所向けの新タイプUVカラーインクの試験製造を行うために製造現場に向かった。
先月に千葉事業所と 新タイプのUVカラーインクの納入仕様書を交わしており、その後に松頭産業社より今月末日に千葉事業所からインクの注文が入ることが伝えられていた。
インクの製造現場に川緑が入ると すでに製造技術課の緒方係長と製造課の木村さんが試験製造の準備を始めていた。
川緑は彼等に「おはようございます。今日はよろしくお願いします。」と言うと 彼等とインクの仕掛品の着色顔料ペーストの作製を始めた。
午後になると 川緑は品質管理課へ行き 製品検査担当の松村さんと製造課の永田さんへ新タイプUVカラーインクの品質検査方法の指導を始めた。
そこへ生産管理課の大塚係長が あわてた様子でやってきて「川緑さん えらいことになりました。製造量オーバーです。」と言った。
大塚係長は 今日 松頭産業社から連絡があり 今月末の納期で電線メーカー各社からUVカラーインクの大量注文が入るようだと言った。
彼によると 今回の受注量は 既に受注済み分の数量と同じくらいの注文量であり 現状の生産体制では対応できるものではなかった。
直ぐに 川緑は 松頭産業社に電話すると 電話口に出た女性に頼んで菊川課長に繋いでもらった。
「川緑です。 今 東京工場にいて UVカラーインクの大量注文の話を聞きました。 一体何があったんですか。」と聞いた。
課長は「実は 電線メーカー各社さんに 新規のユーザーさんが光ファイバーの注文を入れたんですわ。」と言った。
菊川課長によると これまでのUVカラーインクの注文は JTT社からの光ファイバーの依頼に対応したものであったが、今回の注文分は 首都電力社からの光ファイバーの依頼に対応したものであり UVカラーインクの注文が重なったとのことであった。
首都電力社の光ファイバーの発注の背景には 東京を中心とした彼等の電力網に光ファイバーを併走させることにより新しいネットワークを築こうとする計画があった。
また 電力網に光ファイバーを併走させるのは 例えば 山間部での電力線の切断事故が発生した時に その位置を特定するためでもあった。
光ファイバーは切断された場合に その破断面から反射する光を計測することにより 切断位置を正確に捉えることができた。
菊川課長の話を川緑から聞いた大塚係長は 直ぐに 東京工場の各課の担当者に召集をかけて 生産管理課の居室で 今後の対応を打ち合わせた。
担当者間の打ち合わせでは UVカラーインクの増産のための生産計画の見直しと 納期調整の検討が議論された。
大塚係長は 直ちにインクの原材料の追加発注を行い UVカラーインクの最大量を製造する日程を組むこととなった。
同時に 納期に間に合わない注文分は 菊川課長に頼んでユーザーと折衝してもらい 分納による納期調整を依頼してもらうこととなった。
今回のUVカラーインクの大量注文への工場の対応が決まった一方で 川緑の予定していた新タイプのUVカラーインクの試験製造の割り込む余地が無くなってしまった。
川緑は 打ち合わせの場にいた担当者等に「なんとか 新タイプのUVカラーインクの試験製造も平行してやってもらえませんか。」と頼んだ。
しかし大塚係長は「悪いけど 工場サイドは、受注した製品の製造を優先するよ。」と答えた。
係長の話を聞いていた製造課の木村さんは 打ち合わせが終わると川緑のところへ来て「試験製造に使う仕掛品は 俺 休みに出てきて作ってやるよ。」 と言った。
川緑は 彼の言葉が製造課に所属するものの発言とは思えずに 奇妙な感覚を覚えた。
製造課の業務は 技術の業務と違って 厳しく管理されたものであり 作業時間や製品の製造量は事前に計画されていたので 彼の言動は川緑には不自然なものに思われた。
川緑は彼の顔を覗き込むように「そんなこと できるんですか?」と聞いた。
木村さんは黒縁の眼鏡越しに川緑を見ると「川緑さんが せっかく いい製品を設計したんだ。 俺に任せろって 俺が作ってやる。 このインクを世界中に広めてやるよ。」と言った。
2月15日午後1時に 東京工場の品質管理課の会議室に 園田製造部長は UVカラーインクの関係者等を呼びつけた。
呼び出されたのは 生産管理課の木下課長と大塚係長 製造課の原田課長と木村さん 製造技術課の緒方係長 及び技術部の川緑であった。
関係者等が会議室の席に着いて待っていると 後から入室してきた園田製造部長は 全員を見渡しながら 開口一番 「勝手なことをするな!」と強い口調で怒鳴った。
彼が怒ったのは 東京工場での新タイプUVカラーインクの試験製造の件に対してであった。
彼の言う「勝手なこと」とは 休日に製造課の木村さんと川緑が試験製造を行っていたことと 事前に彼にそのことが報告されていなかったことであった。
彼は15分間程 集まったメンバーへ苦言を言い続けた。
川緑は これまでに何度も 新規事業部の責任者等やユーザーから怒られることがあったが、今回は 怒られていても それほど悪い気はしなかった。
それは 各課の課長も 木村さんと川緑の行動を黙認していたことで 製造部長の怒りの対象となっており 奇妙な連帯感を感じていたからであった、
事業部長が退室すると 関係者らは次々と口を開き始めて 本題に入った。
この日の会議の議題は 関係者等が集まって 製造部長の苦言を受けることと 新タイプのUVカラーインクの試験製造の日程調整であった。
現行のUVカラーインクの受注量が増加する中 関係者等は 知恵を絞って 新タイプのUVカラーインクの試験製造のために製造設備を空ける算段を行った。
需要予測 / 工場の対応
2月25日午後1時に 東京工場の品質管理課の会議室で 関係者等が集まり 新タイプUVカラーインクの製造移管のための会議が開かれた。
会議には 工場サイドから 村上工場長をはじめ製造課のメンバーと品質管理課のメンバーと工務課のメンバーと生産管理課のメンバー及び製産造技術課のメンバーが参加し 松頭産業社から菊川課長が参加し 技術部から米村部長と川緑が参加した。
製造技術課の小寺課長の司会で会議が始まると まず新タイプのUVカラーインクの概要について川緑の報告が行われた。
川緑は 配布した資料を基に 新タイプUVカラーインクの設計の背景やインクの特徴や作り方について 現行のUVカラーインクと比較しながら説明を行った。
次に 菊川課長から UVカラーインクの受注状況と今後の需要予測について報告が行われた。
彼の報告では これまでに電線メーカー各社の光ファイバーの製造仕様がフィックスされ 多くの電線メーカーは東西ペイント社のUVカラーインクを本採用したことを伝えた。
今後の需要予測では 国内の電力会社とJTT社から電線メーカー各社への光ファイバーの発注量を基に推測されるUVカラーインクの使用量が示された。
東京工場は 2年前に UVカラーインクの生産設備を増設し電線メーカー各社からのインクの注文に対応してきていたが 菊川課長に示されたインクの需要予測は 現状の生産設備では対応できないものであった。
川緑と菊川課長の報告が終わると 東京工場の今後の対応について議論が行われた。
会議の議題は2つあり 1つ目は現行のUVカラーインクの受注増への対応の可否についてであり 2つ目は新タイプUVカラーインクの製造移管を受けるかどうかについてであった。
議題の1つ目について メンバーの多くは 受注増に対応した前向きな意見が多く出された一方 議題の2つ目の新タイプUVカラーインクの製造移管については 賛否両論の意見が出された。
UVカラーインクが商品化されて以来 これまで東京工場への製造移管時や製造量をスケールアップした時には必ず それまでに経験したことのないトラブルが発生していた。
それらのトラブルは 主にインクの品質低下を引き起こす現象であり、インクのゲル化や変色や貯蔵性の劣化であった。
そのようなインクの品質低下を引き起こす要因には インクにかかる熱や 製造設備による力学的な力や 腐食等の化学反応や空気中の酸素の影響等があった。
議題の2つ目の新タイプUVカラーインクの製造移管に反対する意見は そのような背景から出されたものであった。
会議のメンバーからの意見が出そろうと これまで会議の進捗を見守っていた村上工場長が口を開いた。
60歳くらい小柄で白髪の工場長は「東京工場はUVカラーインクを増産して需要に対応する!これを新しい事業にする!」と言った。
彼はメンバーを見渡しながら 「インクの製造は やると決めたら必ずやらんといかん!」と言った。
工場長の発言を受けて 製造技術課の小寺課長は川緑に「新タイプUVカラーインクの製造に当たっては 当分の間 工場をサポートしてもらいたい。」と言った。
川緑は「分りました。 当分の間は こちらにおじゃまします。 よろしくお願いします。」と答えた。
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