第21話 社外発表

   最適なUVランプ  /  共同研究

 

 1993年7月15日午後4時頃に松頭産業社の菊川課長から川緑に電話があった。


 課長は川緑に 9月に藤河電線社でケイトウ電機社の新規UVランプの試験を予定していることを伝え、至急ケイトウ電機社へUVランプの試作に必要な情報を送るように言うと「これが最後のチャンスです。」と言った。


 藤河電機社の技術課では 以前よりTKM会の活動に注目していて ケイトウ電機社の新規UVランプを用いた光ファイバーの生産性の改善活動を計画していた。


 しかし 新規UVランプの開発の遅れが 藤河電機社の事業計画の遂行に支障をきたすことが危惧されて 同社では新規UVランプの試験開始期限を9月と定めていた。


 一方 ケイトウ電機社では 新規UVランプの試作はランプの信頼性評価も含めて約1か月間かかるために できるだけ早く新規UVランプを設計に必要な情報が必要な状況であった。


 UVランプ設計に必要な情報は UVカラーインクの硬化に最適な発光スペクトルであった。



 本来のTKM会の活動は 3つの計画を遂行することにより 光ファイバーの生産性に寄与し3社の業績アップを図るものであった。


 1つ目の計画は UV硬化型樹脂の硬化の理論を構築し この理論を基にインクの硬化状態を数値計算するシミュレーションシステムを開発するものであった。


 2つ目の計画は 各種UVランプとUVカラーインクを組み合わせた露光実験の結果とシミュレーション結果を比較して硬化の理論を検証することであった。


 3つ目の計画は シミュレーションシステムを用いて 新規UVカラーインクの開発と新規UVランプを開発することであった。


 菊川課長の連絡を受けた時点では TKM会の3つの計画の内の2つ目まで完了していたが、川緑は まだ3つ目の計画には着手していなかった。


 川緑は 本来業務に忙殺される中で ラドテックへのエントリィの件に時間を取られて 3つ目の計画を実施することは出来ずにいたが、今すぐにやらなければ 二度とやる機会は回ってこないと思った。



 8月2日午前10時頃に ケイトウ電機社の放電灯事業部で 半年ぶりのTKM会が開かれた。


 TKM会には 放電灯事業部の内藤次長と森永氏と沼田氏が参加し 松頭産業社から菊川課長が参加し 東西ペイント社から米村部長と川緑が参加した。


 会議が始まると 川緑は用意していた報告書を参加者等に配り 報告書に記載した2つの項目について報告を始めた。


 1つ目の項目は 各種UVランプとUVカラーインクを組み合わせた露光実験の結果と 同じ条件で行ったシミュレーション結果の報告であった。 


 横軸にUV光量を取り縦軸に硬化度を取ったシミュレーション結果は 露光実験の結果と一致しており 現行のUVカラーインクに対して ランプ試作品の優劣を序列づけたものであった。


 報告を聞いていたケイトウ電機社の森永氏は「その計算では UVランプのインクへの硬化適性の比較はできません。」と言った。                                  


 川緑は彼の方を向くと「それは どうしてですか?」と聞いた。


 森永氏は「UV光量は 光量計のセンサーの感度の影響を受けます。 UVランプの出力を基にしたシミュレーションの結果はUVランプ同士の比較にはりません。」と言いうと UV光量計のカタログを開き 受光素子の感度特性を表示したグラフを提示した。


 グラフを確認すると川緑は「ここに示すUV光量は その感度特性で補正したものです。」と言った。


 川緑は UV露光実験とシミュレーションの結果を合わせるために 露光実験の際に UV光をスペクトルメーターとUV光量計で同時に測定し、UV光量計の受光素子の感度特性で補正した光量を基準としていた。



 2つ目の項目は 現行のUVカラーインクを硬化するのに最適なUV光の波長を求めたシミュレーション結果であった。


 TKM会では 本来 UVカラーインクの硬化に最適な発光スペクトルの提出を計画していたが、この日までに 発光スペクトルを算出するためのソフトの作成が間に合っていなかった。


 そこで 川緑は 波長250nmから500nmの範囲の1nm毎の波長の光で UVカラーインクを露光した場合の硬化度のシミュレーション結果を提出した。


 シミュレーションは 白色と青色の現行UVカラーインクを 5μmの厚みに塗布した時に それぞれの波長の光を 1mJ/c㎡ だけ照射した時に 期待されるインクの硬化度をグラフに示していた。  


 グラフは 横軸に1nm毎の光の波長を取り 縦軸にインクの硬化度を示したものであり、310nm付近に硬化度の最大値を取り 385nm付近に極大値を取ったものであった。


 川緑の報告と参加者からの質疑応答が終わると 今後の進め方の打ち合わせとなった。 


 打ち合わせでは ケイトウ電機社の内藤次長は 硬化度のシミュレーション結果を基に 今後1ヶ月の間に新規UVランプの開発を行い 開発品を藤河電線社へ届ける計画を示した。


 内藤次長は「TKM会の開発の成果を どう特許に落とし込みましょうか。」と指摘した。 


 彼は 今回の成果が知財化すべき案件であり そうすることにより3社の事業活動の際に 大きなセールスポイントになるだろうと指摘した。  


 一方 特許出願は3社の責任者等の意向や明細書の作成に関する業務分担等の課題があった。 


 結局 研究成果の知財化の件は 一度3社で持ち帰り検討することとなったが、川緑はこれまでのTKM会に対する新規事業部の責任者等の対応をから 今後この話が進むことは無いだろうと思った。



   社外発表  /  ラドテックASIA


 11月8日午後6時頃に 技術部の居室で 川緑は今週10日から3日間開催されるラドテックAsia‘93での発表資料をまとめ終わると 発表に備えて時間配分等の事前準備を始めた。 


 準備を始めると 間もなく松頭産業社の菊川課長から電話が入り「大正電線さんから電話がありまして 先方は えらい剣幕で工場監査すると言われてます。」と言った。


 大正電線社は これまで 新規事業部へ彼等の指定色のUVカラーインクのサンプルを依頼し、それを用いて光ファイバーの評価を行い 10月に採用を決定していた。


 菊川課長によると 先週 大正電線社の注文を受けて 東京工場から出荷された製品の中に 先方の指定色とは異なる青色インクが入っており 先方から苦情の連絡が入ったとのことであった。


 菊川課長は 東京工場の品質管理課へ色違いの原因究明を依頼中であること言ったが、川緑は インクの色違いの原因が インクの組成に起因するのであれば ラドテックには参加できなくなると思った。



 11月9日午前8時30分頃に 川緑は 東京工場の品質管理課の坂口係長に電話して 大正電線社向けのUVカラーインクの色違いの原因を聞いた。 


 坂口係長は「申し訳ない。インクの色違いの原因は 工場の手違いで 他社向けのUVカラーインクを取り違えて発送してしまいました。大正電線社さんの監査は 東京工場で対応します。」と言った。



 11月12日は 3日間行われたラドテックAsia‘93の最終日であった。         


 午前6時10分平塚発東京行の電車に乗った川緑は 東京駅で京葉線に乗り換えて8時30分頃に海浜幕張駅に着いた。


 午前9時頃に 会場の日本コンベンションセンターに着くと 受付近くに吉永課長が来ていた。  


 受付を済ませて 彼等が会場に入ると そこにはホールが2つとコンファレンスルームが1つあった。川緑の発表会場は後者の方であった。 


 彼等は コンファレンスルームの近くで 松頭産業社の菊川課長とケイトウ電機社の技術者の面々を見つけると 彼等に合流し 待ち時間をコーヒーを飲みながら談笑して過ごした。


 発表の番が来ると ステージの奥にいたチェアマンは「Mr. Kawamidori」と発表者を促した。


 川緑は発表の壇上に上がって マイクを胸につけて会場を見回すと 会場は傍聴者が300人くらいが座っていて 会場の後方から10人程が駆け込んで来るのが見えた。


 川緑は 彼らが席に着くのを待って「Mr.Chairman Ladies and Gentleman, I‘d like to present our new simulation system we’ve derived.」と言って発表を始めた。


 発表の内容は UVカラーインクの硬化性を数値計算するシステムの開発に関するものであった。


 川緑は 数値計算システムの概要と そのシステムを用いて設計したUVカラーインクの硬化性を 実際の実験結果と比較して示した。


 但し 新規事業部の責任者等の意向により 数値計算システムの心臓部である硬化の理論については触れなかった。



 川緑の発表は ほぼ時間通りに終わり 質疑応答の時間となった。


 会場からの質問の中に UVカラーインクの塗布形状が硬化性に影響する因子「硬化の空間的効率」について説明を求める声があった。      


 質問に対して 川緑は「硬化の空間的効率」 の現象を捉えた実験方法と解析結果を説明し、その現象を インク中に発生する活性種の存在を確率分布の重ね合わせで近似されると説明した。 


 回答している間に 川緑の右手側の席にいた傍聴者がうなづきながら聞いていたのを見た川緑は 彼もまた この現象を経験したことがあるのだろうと思った。 



 質疑応答の時間が終わり 傍聴者に向かって一礼して ステージを降りると 川緑のところへ 40歳くらいの中背細身の男性が彼に近づいてきた。                  


 彼は「あなたの実験の事について聞きたいのですが お時間ありますか?」 と聞いたので 川緑は「ええ いいですよ。」と言い、2人は会場の外へ出た。             



 会場の外には商談用のテーブルが設置されていて 2人はテーブルにつくと 名刺交換を行った。 

川緑が受け取った名刺には 関東循環器センターの生体工学部の杉野工学博士とあった。 


 彼は「UVカラーインクの厚み方向の硬化の状態を分析した実験の詳細について教えてください。」と言った。 


 川緑が実験の手順の詳細を説明すると 彼はその内容をノートに書き留めていった。 


 説明を終えた川緑は「私の実験に興味をもっていただき ありがとうございます。」と言うと 彼は「いいえ こちらこそ。また教えてください。」と言った。 



 昼休みに 川緑が展示会場を見回っていると 前方からケラリー・ジャパン社の数名がやってきた。


 ケラリー・ジャパン社は UVランプの製造販売を行っており 光ファイバー用途に無電極タイプの新商品を展開しようとしていた。


 先頭にいた平木事業本部長は 川緑を見つけると「ああ 川緑さんだ。」と周りのメンバーに注意を促すように言いながら近づくと 川緑に「いつでも うちのラボに来てください。」と言って名刺を差し出した。


 名刺を渡すと 彼は「UVカラーインクの硬化に最適なランプとはどのようなものですか?」と聞いた。


 川緑は「UVランプとUVカラーインクのマッチングには インクの硬化性に影響するいくつものパラメータを同時に比較することが必要です。」と伝えた。



 午後の部に 東西ペイント社の新規事業本部研究部の2人の発表があった。


 全ての発表プログラムが終わると 会場の近くのグリーンホテルの宴会場で ラドテック研究会主催の立食パーティが開かれた。                                  


 宴会場のテーブルには 刺身の舟盛りや寿司やスパゲティやピザやデザートや飲み物等が数多く並べられていた。 


 宴会場の一角に 東西ペイント社の参加者等で集まっていると、同社のラドテック研究会の会員の杉本部長がやって来て、彼等を東西ペイント社の下村社長のところへと連れて行った。 

   

 杉本部長は右手で川緑達の方向に伸ばし 社長に「彼等が当社の発表者達です。」と言った。 


 発表者達の方を振り向いた社長は「これからは 世界の中で活躍しないといかん。」と言い「どういうところでも うちの会社は一番でないといかん。 そう思わんかね。」と言った。


 社長の話を聞いていた川緑は「そのために必要なことは何でしょうか?」と思ったが 口には出さなかった。

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