第19話 認められない研究
何の役に立つんだ! / 年次報告会
1993年3月9日午後1時に 講堂で 1992年度の新規事業部の年次報告会が開かれた。
年次報告会は 年度初めに平田本部長と部内の各チームとで協議して選定された本部長管理テーマの新規事業部の責任者等への報告会であり、進捗報告は 各チームの開発担当が行った。
報告会の聞き手方は 社外の担当役員である亀田役員 研究本部の吉岡本部長 新規事業部部の平田本部長 技術部の米村部長 研究部の杉本部長と稲田部長 営業部の城山部長等であり、品質本部等の部外からの出席者があった。
報告の3番目に演台に立った川緑は「UV硬化型樹脂の硬化性の研究」の進捗報告を行った。
彼は先日の東京の工業系大学の栗田先生に報告した資料を用いて報告を行い、持ち時間の30分間の報告が終わると質疑応答の時間となった。
最初に質問に立った研究部の稲田部長は「この説明ではUVカラーインクの硬化時の粘度の変化の影響が考慮されていない。 酸素阻害の理論はおかしい、化学的なアプローチがなされていない。」と言った。
質問者の指摘は 川緑には一方的なものに聞こえて、そこに何か議論をしようと言う意思が感じられず、どう答えてよいものか分らずコメントすることができなかった。
川緑は 彼がそう言うのであれば なぜ先日の栗田先生への報告会の時に指摘をしなかったのか、指摘すれば彼の疑問に対して先生からのコメントが聞けたのにと思った。
次に質問した吉岡研究本部長は 席に座ったまま「仮に酸素阻害の影響を説明できたとしても この考え方は正しくない。」と指摘した。
川緑は彼の指摘に対して更に説明を繰り返して反論する気にはならなかった。
畳み掛けるように平田本部長は「君の取り組みはUVランプを選ぶ以外に 一体何の役に立つんだ!」と言い、米村部長の方を向くと「米村さん ちょっと仕事の進め方を相談してくれないかなあ。」と言った。
川緑は 本部長の発言に対しても口を開く気になれなかった。
川緑は彼等の指摘を振り返りながら この取り組みが何の役に立つのか判らない人達がマネージメントする事業部には将来がないだろうと感じた。
本部長管理テーマの全ての報告が終わると亀田役員の講評があった。
彼は講評の中で川緑のテーマに触れ「報告はみんなが分かるようにしなければいけない。あのような報告は失礼だ。」と怪訝そうな表情でコメントした。
最後に会場のスクリーンに来年度の本部長管理テーマが映し出され、壇上に立った平田本部長は選定されたテーマ名と概要の説明を行った。
スクリーンを見た川緑は 彼のテーマが本部長管理テーマから外されたことが分かった。
3月11日午後4時頃に 実験室で作業していた川緑は 最近の出来事について振り返っていた。
それらの出来事は 先日の栗田先生へのテーマ報告会の件であり その後の年次報告会の件であり、直近の雑誌「塗料と研究」へのペーパー投稿の件であった。
栗田先生へのテーマ報告会は 川緑の研究を雑誌「塗料と研究」に載せて良いものかどうかを判断するために行われた。
先生は「この研究を広く世間に問うてみたらいかがですか。何かの学会で報告されたらよろしい。」と言って川緑の研究を評価した。
その後の年次報告会では 川緑の研究は事業部の責任者等から酷評を受けて、来年度の本部長の管理テーマからはずされてしまっていた。
直近の雑誌「塗料と研究」へのペーパー投稿の件は 事業部の責任者等により 川緑の研究を投稿することが決まっていた。
しかし 投稿の内容は 彼等により修正されていて 現行のUVカラーインクの実験結果のみを掲載するものであり、川緑の「硬化の理論」を除いた骨抜きのものとなっていた。
これらの出来事を振り返った川緑は 思わず「はー。」とため息をついて 重苦しい気分になっていた。
そこへ元上司の森田課長がやってきて「最近どうよ?」と声をかけた。
UVカラーインクの開発の仕事は 元々森田課長に指導を受けてきた経緯もあり、川緑は 課長には正直にものを言うことができた。
「うちの事業部は 何か おかしくないですか。」と言った。
森田課長は 先の年次報告会で川緑のテーマ報告を聞いており その後の質疑応答で川緑の報告が酷評を受けたのを聞いていた。
森田課長は「後 数年の我慢だよ。」と言った。
その言葉の意味は 後数年経ったら新規事業部の責任者等が今の立場にはいなくなるから仕事がやりやすくなるということであった。
課長は「年次報告会での彼等の あんなコメントを聞いたら 会社の若い連中がやる気を失くしてしまうよ。」と言い「彼等は川緑君が必要に迫られて 人の倍も働いて あの研究やってきたことが分かっていないんだ。」と言った。
森田課長の話を聞いていた川緑は 彼の仕事の理解者がいたことに少しほっとする感じを受けた。
それと同時に 事業部の責任者等の理解できないテーマや 彼等の方針に合わないテーマは いとも簡単に切り捨てられてしまうものだと感じた。
乗りかかった船だ! / 社外発表の案件
3月15日午前8時20分頃に 米村部長が出社するのを待って 川緑は仕事の相談を持ちかけた。
川緑は「ラドテックへのエントリィの件は このまま要旨の作成を進めてもよいのですか?」と聞いた。
川緑が作成中の要旨は 先日の年次報告会の場で報告した内容を基にしたものであった。
しかし 年次報告会での部門責任者等の発言や 雑誌「塗料と研究」への投稿内容が変更されたことからすると 要旨を提出しても社外発表は承認されないと予想された。
米村部長は川緑に「技術企画管理部の野村部長に相談に行ってみて。」と言った。
翌16日午前8時40分頃に 川緑は本館にある技術企画管理部へ行き野村部長を訪ねた。
机についていた部長を見つけると 川緑は「先日はお世話になりました。実は ご相談があるのですが。」と切り出した。
川緑は ラドテックへのエントリィ用の要旨をまとめていることと 先日の年次報告会の話をした。
川緑は 年次報告会で 研究本部の吉岡本部長に酷評を受けた時の様子を伝えて「ラドテックの件は これを進めてよいかどうか相談にきました。」と言った。
驚いたことに野村部長は 研究本部長の発言に「彼は そんなことは言わん。」と言い「もし そう言ったのなら それは誰かに言わされとる。」と言った。
野村部長の口調から 彼が吉岡本部長のことを良く知っていてそう言ったものと思われたが、川緑は部長の言葉に 開いた口がふさがらなくなり返す言葉が見つからなかった。
野村部長は「それで 俺に吉岡さんを説得しろというのか?」と聞いてきた。
「いいえ そうではなくて どうしたらよいかと思いまして相談にきました。」と川緑は答えた。
部長は しばらく考えて「稲田君に話をしてみようか。」と言い「発表は ラドテックがいいかどうか栗田君に聞いてみるか。」と言った。
部長は 腕を組んであごを引くと「乗りかかった船だ やってみるか。」と言った。
川緑は「よろしくお願いします。」と言って頭を下げた。
3月24日午後4時頃に 出張先から会社へ戻った川緑は その足で技術企画管理部へ向かった。
野村部長を訪ねた川緑は「先日の件は どうでしたか?」と聞いた。
野村部長は「稲田君と吉岡さんに 個別に会って話をしたよ。」と答えた。
部長は「稲田君は君の硬化の理論について文句を言ったわけではなく、ただ栗田先生に直すように言われたところが直っていなかったから 文句をつけたと言ってた。」と言った。
また彼は「吉岡さんは 君の硬化の理論については何も言ってない、ただ 表現が分かりにくかったと言ってた。」と言った。
川緑は どうも話が違うようだと思いながらも「ありがとうございました。お手数をおかけしました。」と言って退室した。
居室に戻った川緑は 米村部長と森田課長に野村部長から聞いた話を伝えると「私は なんだかバカバカしくなってきましたよ。」と言った。
森田課長は「彼らの言っていることは 良く分かんないなあ。」と言った。
川緑も 彼らが自分に言ったことと 野村部長に言うことを変えないといけない理由が良く分からなかった。
米村部長は「まあ とにかくラドテックをやることだけは 決まったな。」と言った。
3月30日午後2時頃に 野村部長が技術部に川緑を訪ねてやって来た。
部長は UVカラーインクサンプルの梱包作業中の川緑を見つけると「君 少し時間をとってくれないか。」と言った。
数日前に ラドテック エントリィ用の要旨をまとめた川緑は 関係者へ要旨をEメールで送り、内容の確認を依頼していた。
この日に 野村部長は受け取った要旨をプリントアウトし そこに修正文を加筆して持ってきていた。
修正文を読んだ川緑は 部長が要旨の内容をよく吟味してくれていたことと、彼が優れた技術者であることが分かった。
「どうもありがとうございました。早速 要旨を修正します。」と川緑が言うと、近くにいた米村部長が続いて「ありあとあした。」と言った。
翌31日はラドテック用の要旨の提出期限であり この日の午後3時頃に 川緑は要旨の最終版と社外発表の許可願い等の必要書類を準備していた。
提出書類の準備が終わると 川緑はラドテック研究会の事務局に電話して、要旨の提出方法について聞いた。
電話に出た事務局の女性は「要旨をFAXで送ってください。」と言った。
要旨の提出方法を確認した川緑は 米村部長に「ラドテックの件は まだ社外発表許可願いの申請が通ってないのですが どうしましょう?」と聞いた。
部長は机に目を落としたまま「いいよ。かめへん 送っといて。」と言った。
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