第12話 2人目の実習生

   2人目の実習生  /  研究再開

  

 1991年10月15日午前10時頃 技術部に下期の教育実習生の高野さんが配置されてきた。

彼は長身でがっちりした体格、はっきりと視線を合わせる態度には物おじしない性格が感じられた。 


 教育担当となった川緑は高野さんを連れて技術部内を案内しながら 技術部の仕事の内容について説明を行った。   

実験室へ行くと 川緑は 彼にUVカラーインクの作り方と評価方法についての指導を行った。      


 高野さんは 川緑の話の途中に「なんで そうするんですか。」とか「なんで こうしないんですか。」と言う風によく質問してきた。                                    


 川緑が質問に答えると 彼は「なるほどね。そういうことなんですね。」と何か 納得しないと気が済まないといった態度を示した。 


 川緑は彼に 昨年の実習生の浜崎さんと同じ研修テーマ「UV硬化型樹脂の硬化性の研究」を継続して進めてもらうことを考えていた。


 浜崎さんの研修では UV硬化型樹脂の硬化性についてUV露光量と光重合開始剤の光の吸収量と樹脂の硬化状態との関係を近似した式を提案していた。              


 川緑は この硬化の近似式には新しい色々な要素が盛り込まれるべきだと考えていて、高野さんに 彼の研究で新しい要素を見出してもらい それを硬化の近似式に盛り込んでもらうことを考えていた。


 川緑は その新しい要素は TKM会を推進して行くことで見出すことが出来ると考えていた。      

そこで川緑は 高野さんにTKM会に参加してもらうことにした。



 12月3日午前10時頃に ケイトウ電機社の放電灯事業部の藤崎氏と西口氏と池崎氏が 新規事業部技術部に社用車でやってきた。 


 彼等は TKM会での取り決めに従い ケイトウ電機社製のUVランプ開発品を用いた露光実験のための環境整備を行う目的できていた。                        


 彼等は 持参したUVランプ開発品と ランプを点灯させるためのいくつかの装置を技術部の実験室に運び込むと、休むまもなく設置作業を始めた。 


 この日から3日間連続して ケイトウ電機社の三人は UV照射機の設置と調整のために新規事業部へ通い続けた。


 驚いたことに 彼等は 彼等のミッションに集中して作業を行い 昼食を取る時間以外は一切休憩時間を取らずに ひたすらUV照射装置に貼りついて作業を続けていた。


 何処の会社でも 10時頃と15時頃に小休止を取るのは 労使間で取り決められていることと思っていた川緑は 彼等の会社は違うのだろうか 或いは電機メーカーと塗料メーカーでは違うのだろうかなどと考えた。


 彼等が組み上げたUV照射装置は 各種ランプの交換や出力調整が可能な装置であった。  

そのために装置のUVランプハウジングの改造が行われ 小型の洗濯機ほどの大きさの高電圧発生装置も取り付けられていた。


 予定していた作業が終わると彼等は 川緑と高野さんを呼んで 改造したUV照射装置の取り扱い方法やUVランプ交換の操作方法を教えた。                


 装置の説明が終わると 彼等は笑顔で「何かわからないことがあったら連絡ください。よろしくお願いします。」といって去って行った。


 彼等を見送ると 川緑と高野さんは 早速 改造されたUV照射装置を動かしてみた。      

UV照射装置の電源を入れると その直ぐ横に置かれた高電圧発生装置が「ブーン」という低い唸り音を立てた。  


 高電圧発生装置のカバーの隙間越しに見える大きなコイルに30アンペアの電流が流れていると聞かされていたので 二人はその音に少なからず緊張した。


 UVランプへの入力電流値が安定した頃に 彼等は 別途ケイトウ電機社より借用していたスペクトル測定装置を用いて UVランプから照射される光の発光スペクトルの測定を開始した。



 12月12日午後2時30分に ケイトウ電機社の放電灯事業部でTKM会が開かれた。    


 TKM会には 東西ペイント社新規事業部から城山営業部長と米村部長と川上課長と川緑と高野さんの5名が参加し、松頭産業社から野崎部長と菊川課長と奥田氏の3名が参加し、ウシオ電機社から内藤次長以下7名が参加した。


 会議が始まると 川緑は ケイトウ電機社のUVランプ開発品の発光スペクトルの測定結果示された資料を配布した。


 資料を見た内藤次長は 参加者等を見回すようにして「このデータは 見る人が見ればそれが何か分ってしまいます。 まだ特許出願前なので このデータはマル秘扱いにしてください。」と言った。 


 内藤次長の言葉を聞いた川緑は ちょっと嬉しくなった。 

それは ケイトウ電機社に新しい技術があり 自社にも新しい技術があれば 共同研究によってそれぞれの技術の相乗効果が得られ、お互いの事業に貢献できる成果が得られると感じたからであった。


 次に 川緑は 懸案の分析装置の調査結果を報告した。

調査の結果は 最新のFT-IR装置を用いることにより 硬化したUVカラーインクの微小なエリアの硬化状態を定量的に評価することができるというものであった。 


 川緑は ナイコ・ジャパン社製の最新の顕微FT-IR装置を紹介すると その機種はデモ機の貸し出しが行われていないことと、共同研究を進めるためにはその装置の購入が必要であると述べた。


 川緑の報告が終わると 参加者等の意見交換が行われ、その後 松頭産業社の野崎部長が「東西ペイントさんもケイトウ電機さんも 今後の実験に顕微FT-IR装置が必要ということでは一致しているのですな。」と確認した。


 しかし 懸案の顕微FT-IR装置の価格が 約2000万円と高価であることから この場でそれ以上の取り決めは行われず、別途 各社で持ち帰り検討することとなった。



   新しい概念  /  分析データ


 1992年2月4日午後2時頃に 東西ペイント社の新規事業部でTKM会が開催された。       

ケイトウ電機社の内藤次長と笹原氏と藤崎氏と須崎氏が 松頭産業社の野崎部長と菊川課長に同行してきて会議に参加した。                     

新規事業部の米村部長と川上課長と高野さんと川緑が彼等を迎えて対応した。


 この日の会議は実習生の高野さんの報告書を基に 彼の報告により進められた。

彼の報告はUVカラーインクの硬化性についての2つの仮説に関するものであった。


 仮説の1つは 塗布されたUVカラーインク中の任意の体積素片を考えた時に、体積素片に照射される光量の2階対数と体積素片の硬化性とが1次の関係にあるというものであった。


 この考えは 昨年の実習生の浜崎さんの研究発表で提案されたUV硬化型樹脂の硬化性の関係式を 微小な体積素片に適用したものであった。


 また仮説の1つは 塗布されたUVカラーインク中の任意の体積素片は インクの厚み方向に配置する位置により 硬化性が異なるというものであった。      


 報告の最後に 高野さんは「これらの2つの考えは UVカラーインクの開発やUVランプの開発に重要な役割を果たすと思われますが まだ仮説の段階です。」と言った。


 報告が終わると ケイトウ電機社の笹原氏は報告内容に興味を示し「インクの表面付近で硬化性が悪くなる理由はなんですか?」と質問した。               


 川緑は「良く分からないのですが 一般に樹脂の重合反応は分子同士の衝突によって確率的に引き起こされます。そうすると 周りに多くの分子が存在する内部よりも 分子の数が少ない表面の方が反応は起こりにくいのではないかと考えています。」と答えた。

 

 会議が終わった後 菊川課長は「川緑さん TKM会の活動で きっといいものができると思います。 がんばって進めましょう。」と言った。



 2月27日10時に 高野さんと川緑は東京にある外資系分析機器メーカーのビエラボ社を訪問した。 


 この日の1週間程前に 川緑は自社の技術研究所の分析課の堤課長から ビエラボ社の顕微FT-IR装置を検討してほしいとの依頼を受けていた。


 分析課の堤課長は 50歳くらい、小柄で細身、面長で広い額、骨のある技術者であり、多くの分析受託業務に対応して 日々忙しく実務をこなしていた。              


 以前より 彼は 分析課が保有するFT-IR装置を最新のものに変えたいと考えており、今回の新規事業部での装置の購入検討の情報を聞きつけて 技術部の米村部長に連絡をしてきていた。


 分析課は 社内や社外から委託を受けて 塗料に関係するいろいろな分析を行う部署であって、FT-IR装置も保有していたが それは20年程前に購入されたものであり老朽化したものであった。 


 分析課には 時々警察関係者等が分析の依頼にやってきていた。              

彼等は ひき逃げ等の事故現場から採取した車の塗料の欠片を持ってきて、それがどこの自動車メーカーのどの車種に使われているのかを特定するよう依頼していた。


 そのような分析依頼への対応に 最新の顕微FT-IR装置は 必要な分析装置であった。

分析課が保有するFT-IR装置はビエラボ社の製品であったため 堤課長は その装置と互換性のある同社の最新の装置の購入を希望しており、川緑に同社の装置を確認するように依頼していた。



 この日に 川緑等は ビエラボ社の最新の顕微FT-IR装置の性能確認のために 2つの分析サンプルを用意していた。 


 1つ目のサンプルは FT-IR装置本体に付属の顕微鏡とオートステージを用いた自動測定試験用であり、サンプル上の200点の自動測定を行い 測定にかかる時間を確認するためのものであった。


 1つ目のサンプルはφ50mm×4mmのフッ化カルシウム(CaF2)基板上に UV硬化型樹脂を10μmの厚さに塗布し硬化したものであった。                        


 CaF2基板を用いたのは 比較的強度があり割れにくい素材であることと、赤外線を良く透過するために測定精度の高い透過モードでの測定が可能だからであった。           


 2つ目の試験サンプルは UV硬化した樹脂の塗布厚み方向の硬化の状態の分析が可能かどうかを確認するためのものであった。


 2つ目のサンプルは 0.1mm× 20mm× 20mmサイズに塗布しUV硬化した樹脂をミクロトームと呼ばれる薄膜を切り出す装置を用いて 0.1mm× 0.05mm× 20mmサイズに切りだして、厚み方向の面(0.1mm× 20mm)を上にしてCaF2基板上に乗せたものであった。 


 最新の顕微FT-IR装置の操作は ビエラボ社のオペレーターによって行われた。        

オペレーターは 緑川の希望する測定条件を装置に入力し 2つの試験サンプルのそれぞれについて測定を行うと、得られたデータを装置のハードディスクに保存した。


 その後 オペレーターは 川緑の希望に従って得られたデータを解析を行った。


 1つ目の試験サンプルを用いた実験の結果は ビエラボ社の装置が 川緑の希望する自動測定を行うのに必要な性能を有していることを示していた。 


 しかし ナイコ・ジャパン社製の装置と比べると 1ポイントの測定にかかる時間が数秒間長くかかる結果であり、川緑が想定する数千ポイントの測定では 数時間長くかかることになった。 


 2つ目の試験サンプルを用いた実験の結果は サンプルの厚み方向の微小なエリアの硬化状態の分析が可能であることを示していた。


 分析サンプルの硬化の状態は 得られるIR吸収スペクトルの中の樹脂の重合反応に関わる吸収のピークの強度を解析することにより求められた。


 サンプルの0.05mmの厚み方向の20ポイントの測定点の解析結果は サンプルの表面と裏面付近ではその内部に比較して硬化のレベルが低いことを示していた。


 オペレーターにプリントアウトしてもらった解析結果を受け取ると 川緑は「いいデータが取れたね。」と言うと 高野さんは「仮説は裏付けられましたね。」と答えた。

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