第3話 異動

   事業本部に転属  /  設計思想


 1985年3月25日午前8時45分に 緑川は異動先の神奈川県の平塚事業場の正門に着いた。

受付で来社の用件を伝え記帳すると、彼は勤務先となる工業用塗料技術研究部3課へ向かった。


 3課の建屋は2階建てであり ここに3課のメンバーと東西ペイント社の出資会社であるJEL社のメンバーが同居していた。


 建屋の2階にある3課の居室に着いた川緑は 扉をノックして中に入ると、部屋の奥にいた40歳前半の中肉中背で眼鏡をかけた男性が笑顔で近づいてきて「お待ちしてましたよ。」と言った。


 彼は3課の杉本課長であり  川緑に「この机を使ってください。」と入り口近くの机を示した。

3課には 松下部長と杉本課長と川上係長と森田係長と小山主任が働いていた。


 杉本課長に案内されて1階にある3課の実験室に入ると そこは 幅4m 奥行き8mくらいの広さで、塗料を取り扱う実験台や秤や容器や攪拌装置等があった。 


 実験室の約4分の1の面積を占める棚には 塗料を作るための原材料が並べられており 1Lのポリ容器に入ったオリゴマーやモノマーと呼ばれる樹脂材料は異臭を放っていた。      

これらの原材料の中には感光性のものもあり それらに室内灯の光を当てないようにするために 実験室は暗かった。


  実験室の奥の扉を開けると 建屋の1階と2階を通した広い空間があり、その中に幅が8m 奥行き8m 高さが5mくらいの鉄筋コンクリートで囲われた構造物があった。


 課長の説明によると この中に電子線加速装置が設置されていて電子線の外への放出を避けるために厚さ1メートルのコンクリートで囲われているとのことであった。

この装置は 電子線硬化型塗料を硬化させるため装置であり 3課とJEL社との共同開発に用いられている試験設備であった。


 JEL社は 電子線照射装置に隣接して建物の1階に居室があった。

JEL社の社員は藤井部長と福永主任と西本さんの3名であった。

 

 3課とJEL社は ユーザーから工業用塗料営業部経由で入る問い合わせや新規塗料開発の依頼に対応して研究活動を行っていた。


 川緑は ユーザーから依頼のある中で耐熱塗料に関する案件を担当することになった。


 3課に来て1週間もすると 緑川は 3課とJEL社の人達や仕事の内容等が分るようになってきた。


 3課の松下部長は 定年まで1年くらいの年であり 中背で細身、背筋が伸びており、時折 和らいだ表情も見せたが、彼が席を外した時に3課のメンバーの表情が緩むのを見ると、以前は彼の厳しい指導があったのだろうと思われた。


 杉本課長は40歳台後半、中肉中背で色白、眼鏡を掛けていた。 

彼が実質的に3課とNEL社とのまとめ役であり 双方のメンバーに声を掛ける姿が見られた。


 川上係長は 小柄で細身、白髪で眼鏡を掛けており 日焼けした顔をしていた。 

定時になると 彼は テニスラケットを持って 近くにある会社のテニスコートへ向かう姿が見られた。 


 森田係長は ふっくらした体型、丸顔で長髪、彼もまたよく日焼けしていた。

彼は 自宅と会社間の距離約30kmをバイク通勤しているとのことであった。


 3課のメンバーは あまり残業をすることはなく 彼等の帰り時間は早かった。


 JEL社の藤井部長は 大柄で恰幅の良い体型、白髪交じりで温厚な表情をしていた。

彼は定年まで1年くらいであり、よく JEL社の居室の商談用スペースのソファーに座って新聞を読んでいる姿を見かけた。 


 JEL社の福永主任は 30歳代中頃、中背でふっくらした体型、濃い無精ひげを生やし、べらんめえ調の話し方が特徴的な方であった。  

彼は 電気技師であり金属の溶接や加工も行っていた。


 3課とJEL社は 以前に北九州のある瓦メーカーと共同で電子線硬化型塗料と電子線照射装置の開発を行っており、その頃の彼等は派遣対応等で忙しく働いていたようであった。


 川緑が3課に赴任した時には 瓦用途の案件は下火となっており、他にこれと言った注力すべき開発テーマがなく職場の雰囲気は活気のないものに感じられた。


 ある日 川緑は JEL社の福永主任に「暇そうですね。」と声をかけると 彼は「お前に、暇がどんなにつらいかわかるか。」と怒ってはいないが、まじめな口調で言った。                        

 川緑は渉外技術の仕事というものはユーザー対応に追われるのも大変だが、逆に緊急の仕事が無いのも時間を持て余してしまうものだと感じた。


 別の日に川緑は 3課の森田係長に「塗料の開発を行う時に大事なことは何ですか。」と聞いた。

すると彼は「塗料の開発で最も重要なのは設計思想だよ。」と言った。

彼は「設計思想が正しければ いつかはいいものを作ることができるけど、もし設計思想が間違っていたらいつまでたってもいいものはできない。」と続けた。


 彼の言葉は 川緑が初めて耳にした言葉であり、川緑にその意味を考えさせるものであった。

これ以降 川緑は新規塗料の開発を担当する時は その度にこの言葉を思い出すことになった。


   開発業務  /  新規塗料の開発


 1987年2月20日午前11時に 川緑は会社の講堂の演壇に立ち傍聴席に向かって話し始めた。


 彼は手に持ったポインターから照射された赤色のLD光を、後ろのスクリーンに投影された資料の表題に当てながら「発表します内容は人工衛星アンテナ用保護塗料の開発に関するものです。」と言った。


 傍聴席には 技術本部長や研究本部長をはじめ150名程が演壇を向いて座っていた。

 彼はこの日に行われた社内の研究発表会の4番目の発表者であり、彼が関わった新規塗料の開発ついて その成果報告を行っていた。


 川緑の報告は アンテナ用白色塗料の開発の背景に始まり 白色塗料に要求される機能の紹介やJ研究の内容、及び商品化された塗料の製造方法や商品単価等に関するものであった。


 彼の報告の内容は 講堂で傍聴する人達にはなじみの無いものであり、また報告にある専門用語は聞きなれないものであった。


 彼が話す宇宙環境は 真空であり、強い光や放射線等からなる太陽風というものが吹き荒れており、太陽光が当たると温度が200度くらいに上がり、また太陽光が当たらないとマイナス200度くらいになるものであった。


 この日までに 川緑は 他社との共同開発によって そのような環境に耐える白色塗料を商品化していた。


 1年ほど前に 国内の大手の通信関連企業のJTT社から東西ペイント社に人工衛星アンテナの保護塗料の開発依頼があった。

 

 JTT社の通信研究所の開発担当者の話では JTT社は国の特殊法人宇宙開拓事業団の宇宙ロケットの国産化方針を受けて、ロケットの開発に関わる全てのデバイスや材料の国内調達を進めており、その一環としてパラボラアンテナ用の保護塗料の開発を計画しているとのことであった。


 人工衛星に取り付けられるパラボラアンテナは CFRP(カーボン繊維強化プラスチック)と呼ばれる素材で作られており、この素材は宇宙空間では太陽光を吸収すると その熱により分解することが知られていた。

                 

 分解を防ぐために アンテナの表面には太陽光を反射するための保護塗装が必要であり、塗装に用いられる塗料も宇宙空間で長期間耐えられるものでなければならなかった。 


 当時 この要求に答えられる塗料はアメリカのイリノイ州にある大学で開発された白色塗料のみであり、その塗料は1kg当たり40万円程の価格で取引されていた。


 JTT社通信研究所では パラボラアンテナ用の国産の保護塗料を開発しようと、東西ペイント社に、共同開発を持ちかけてきた。


 JTT社の開発依頼の発端は その頃東西ペイント社の合成研究所の島崎係長が開発した耐熱性の無機系樹脂の情報が業界紙等に掲載されており、この情報がJTT社で取り上げられたことであった。 


 そのような流れの中で JTT社通信研究所材料研究室の深江研究員は 東西ペイント社を訪れ 人工衛星アンテナ用保護塗料の共同開発を依頼した。


 JTT社からの依頼を受けて 工業用塗料本部の責任者等が集まり JTT社との共同研究の可否について協議を行った。


 協議の結果 JTT社との共同開発の案件は 研究3課が対応することになり、

たまたま耐熱塗料を担当していた緑川のところへ降りてきた。


 後日 JTT社通信研究所材料研究室の深江研究員は研究3課を訪れた。

研究3課の会議室で川緑と名刺交換した深江研究員は 40歳くらい、中肉中背の研究員は 穏やかな表情で「ロケット開発の国産化のためにご協力をお願いします。」と言って 打ち合わせを始めた。


 打ち合わせでは 開発業務の進め方が取り決められ、3課では主にアンテナ用保護塗料の作製と 塗料をスプレー塗装した試験板の作製を行うことが、JTT社 材料研究室では試験板の評価を行うことが取り決められた。


 川緑は 開発を進めるにあたり 森田係長の言葉を思い出して 設計思想を立てることにした。


 設計思想を立てるために 彼は宇宙空間に浮かぶパラボラアンテナをイメージし そこに太陽風が当たる状況を想像した。

想像の中で彼は アンテナ表面の保護塗料のイメージを拡大していき、太陽風による塗料の劣化の状況を推測した。

                          

 彼はその推測を基に 保護塗料に求められる耐光性や耐粒子線性や耐熱性や耐真空性等の性能を書き出すと、それらの性能を有する原材料をリストアップした。


 また 彼は 太陽風のエネルギーに着目し保護塗料に当たって消費されるエネルギー量を少なくすることと、そのためのエネルギーの計測方法を確立することを 保護塗料の設計方針をとした。


 川緑は 合成研究所の島崎係長が開発した無機系樹脂をベースにして、光に対して高反射率を持つ幾つかの無機系粒子を分散し、硬化剤を添加して保護塗料の試作を行った。

無機系粒子の分散は 定年間際の東京工場の吉田係長に頼んで指導してもらいながら行った。


 川緑は 試作した保護塗料をCFRP板にスプレー塗装した試験板サンプルを作製した。

保護塗料のスプレー塗装は 東京工場の宮本さん頼んで指導してもらいながら行った。


 川緑は 作製した試験板サンプルをJTT社の深江研究員へ送り性能評価を依頼した。


 深江研究員から試験板の評価結果が知らされると、その結果を参考にして保護塗料の改良を行い、改良品を用いて試験板を作製し、JTT社へ送り性能評価を依頼した。


 川緑と深江研究員は このようなやり取りを繰り返しながら 要求性能を満足する保護塗料を開発していった。


 その後 人工衛星アンテナ用塗料は アンテナの製造販売会社である西芝社や日菱電機社での実証実験を経て 商品化された。


  2月20日の研究発表会での川緑の報告が終わると、最前列の有働技術本部長から質問が出た。

50歳代前半、やや小柄で細身の彼は「この商品は儲かるのですか。」と聞いた。


 川緑は「この保護塗料は高価な値段で販売できますが 販売はスポットであり数量は見込めないものです。」と答え、続けて「それでも当社ではこのようなハイテク商品も取り扱っていることを 業界にアピールできます。」と答えた。


 発表が終わり川緑が降壇すると、講堂の中ほどにいた合成研究所の島崎係長が声をかけてきた。


 40歳くらい、大柄でふっくら体型、少しやんちゃな感じの彼は 保護塗料のベースレジンの開発者であり「君の発表、よかったよ。」と言い「君の仕事で 俺に何かできることがあったら遠慮なく言ってくれ。」と言った。

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