第35話 UV硬化の理論
UV硬化の計算ソフト / 分光感度
2010年4月9日(金)12時30分頃に 川緑は 新横浜駅から横浜線で2つ目の鴨居駅に降りると 駅から歩いて 光計測システム社へ向かった。
川緑は 事前に同社にキセノン分光照射機の試作を依頼しており この日に持参したUV硬化型接着剤塗布サンプルを用いた露光実験を予定していた。
キセノン分光照射機は 川緑の進めるUV接着技術開発のために必要な装置の1つであった。
UV接着技術開発のための研究設備投資については 熊本事業場は 自社の組織再編の動きを横にらみに これに待ったを掛けていたが 川緑は そのことを光計測システム社に伝えて 露光実験を依頼していた。
光計測システム社は 4階建てのビルの中にあり 川緑は階段を上って2階の受付で 来社の用件を伝えると 直ぐに奥の扉が開いて 一人の男性が出てきた。
40歳くらい中背、ふっくら体型 広いおでこに眼鏡を掛けた彼は「川緑さんですか。技術の杉です。こちらへどうぞ。」と言って 川緑を奥の実験室に案内した。
実験室は 外の光が入らないように 全ての窓が黒いカーテンで遮光されており 幾つかのスポットライトが点灯してた。
キセノン分光照射装置は 実験台の上に置かれており 装置全体が黒い布で覆われてた。
杉氏は キセノン分光照射装置の構造を説明し その後 キセノンランプを点灯させて 照射部のシャッターを開けると 装置の前に置かれていたA4サイズの紙に虹色に分光された光が照射された。
照射された光は水平方向に波長分散され垂直方向に強度分散されたものであった。
装置の説明が終わると 川緑は 杉氏と 実験室を出て 明るい事務室に移ると 実験に用いる接着剤塗布サンプルの説明と 露光実験の進め方について打ち合わせを行った。
接着剤塗布サンプルは φ40×1mm の2枚の臭化カリウム板に 20μm の間隔で接着剤を挟み込んだものであり 露光実験は サンプル5個について 露光条件を変えて行うことにした。
露光実験が終わると 川緑は 試験サンプルを遮光袋に回収し 杉氏にお礼を述べて光計測システム社を出た。
4月15日(木)午前9時30分頃に 川緑は 佐賀県工業技術センターの材料環境部を訪れた。
川緑は 材料環境部が保有するオートステージ付顕微FT-IR装置を借りて 先日の光計測システム社で行った露光実験サンプルの分析を予定していた。
材料環境部の受付で来訪の用件を伝えると 装置の担当者が現れて 川緑を作業室へ案内した。
作業室には 数々の実験設備が配置されており 窓側に設置された顕微FT-IR装置は 既に 電源が入れられていた。
川緑は 早速 φ40×1mmの臭化カリウム板2枚の間に挟んだ露光実験サンプルをオートステージ上にセットし 装置の画面から「マッピング」という面分析モードを選択し 分析条件を入力して サンプルの矩形のエリア内の400点について自動分析を開始した。
この頃 分析機器メーカーが保有する最新のFT-IR装置であれば 検出器アレイを搭載しており オートステージを使わなくても 短時間に面分析が可能であったが 国内の工業技術センターで そのような最新のFT-IR装置を導入している所はなかった。
4月16日(金)午前中に 川緑は 会社の居室のパソコンを使って 工業技術センターで取得した 接着剤サンプルのIR分析データの解析を始めた。
川緑は まず IR分析で取得した400点のIRスペクトルの数値データの中から UV硬化型接着剤の硬化状態に関わる吸収波長帯のピークの光の吸収強度を取り出した。
次に 別途 取得した同じ接着剤の未硬化時と完全硬化時のIRスペクトルの同一波長の光の吸収強度の値を基準として 先の光の吸収強度の値を硬化度に換算した。
次に 400点の硬化度のデータを用いて 光の波長と光の強度と硬化度のデータとの関係を3Dグラフに表示した。
最後に 試験に用いたUV硬化型接着剤に特有な分光感度を求める数値計算を行った。
数値計算は ソフトを組んで行い 3Dグラフのデータと 接着剤を構成する成分の光の吸収特性と キセノン分光照射機の光の特性と 露光時の温度等の環境条件を基に行った。
4月23日(金)午後4時頃に 川緑は BD光ピックアップに用いられているUV硬化型接着剤の1つについて 1000μm 立方サイズのモデル形状の硬化状態を数値計算するソフトを完成させた。
ソフトは 東西ペイント社勤務時に 構築した硬化の理論を基にして UV硬化型接着剤に含まれる球状粒子による光の散乱の影響を盛り込んだものであった。
ソフトは 必要な数値データを取得したUV硬化型接着剤について その塗布形状を決めて UV光源を選択し 露光量を入力し 露光時の温度等の環境条件を入力して走らせると 接着剤を構成する全ての 10μm 立方サイズの体積素片の硬化度を返すものであった。
ソフトにより得られたUV硬化型接着剤の硬化状態は 実際に同じ条件で硬化した接着剤の内部の硬化状態を分析した結果と良く一致していた。
川緑は 今回のシミュレーション結果が実測値を再現したことで 懸案のUV接着技術開発が可能であると確信した。
次に取り組むべきことは UV硬化型接着剤の硬化状態から その機械的強度を求めるシステムの開発であり そのために必要な理論の構築であった。
UV硬化理論の拡張 / 硬化性と機械的強度
4月26日(月)午後2時に 居室で事務作業をしていた川緑は 外線を受けた同僚から「川緑さん。電話が入ってます。」と声を掛けられた。
携帯電話で外線を受けると「小倉社の鳥飼です。 今 御社の1階に来ています。 ご依頼のありましたデータを届けにきました。」と言う声が聞こえた。
川緑は 開発センターの階段を下りていくと センターの入り口に 鳥飼氏と 45歳くらい 中背細身で面長の顔に眼鏡を掛けた男性が待ち受けていた。
彼は「はじめまして。私 EIX社の営業の梶山と申します。」と言って名刺を差し出した。
川緑は 名刺交換して 彼等を応接室に案内すると「結果は どうでした?」と聞いた。
川緑は 2ヶ月程前に 鳥飼氏経由でEIX社に 同社のナノインデンテーション装置を用いた UV硬化型接着剤硬化物サンプルの微小なエリアの機械的強度の測定を依頼していた。
梶山氏は「私は 結果の良し悪しは判りませんので 川緑さんの方でご確認ください。」と言って 試験結果の報告資料を手渡した。
報告資料を受け取った川緑は「ご試験頂きありがとうございました。頂きましたデータを確認します。私の期待するデータが得られたのかどうか 後ほど連絡致します。」と言った。
二人を見送り 居室に戻った川緑は 直ぐに 資料に記載された数値データを編集し 測定部位毎の機械的強度をグラフにまとめる作業を始めた。
測定部位は 1000μm 立方サイズのモデル形状に塗布し硬化したUV硬化型接着剤を 露光面から所定の距離だけ削り取り 表面研磨した正方形の面の中央部と 1つの辺の中央部であった。
ナノインデンテーション装置を用いて測定された点は 50×50 μm のエリアを 5×4 の格子状に切った格子点の合計20点であった。
川緑は 測定結果を3Dグラフに表示し XY平面上に測定点を取り Z軸に弾性率を取り それぞれの測定点に対応する弾性率を示した。
グラフに表示された弾性率は 試験サンプルの中央部のエリアでは 一定の値を取り XY面に対して 平行でフラットな形状を示し 試験サンプルの辺の部分のエリアでは 辺に近い部分で 低い値を取り XY面に対して 傾きを持つ形状を示した。
グラフに表示された弾性率の形状は 別途 測定していた同じ接着剤の同じ測定部位の硬化状態の分析結果と 良い一致を示していた。
グラフを見ながら 川緑は 実験に用いたUV硬化型接着剤の硬化状態と機械的強度とが相関関係にあることから もし接着剤の硬化状態が分かれば その機械的強度も計算できると思った。
川緑は UV硬化型接着剤の硬化状態と機械的強度を計算によって求めることができるなら 懸案のUV硬化型接着剤の接着仕様を最適化するソフトの開発が可能であると確信した。
川緑は 入手したデータの解析結果を報告書にまとめると EIX社の梶山氏と小倉社の鳥飼氏へ それぞれ電子メールに添付して送信した。
彼は 電子メールの本文に「頂きましたデータは こちらが希望する通りの結果でした。ご検討頂き ありがとうございました。」とのコメントを記した。
また本文には「装置の購入の件につきましては 弊社の事業部の判断となりますが 弊社の組織再編下では 不透明な状況です。」と書き加えた。
メールを送信しながら 川緑は UV接着技術開発には ナノインデンテーション装置が必須であると確信したが 装置の購入は難しいだろうと思った。
川緑は UV接着技術開発の推進には UV硬化型接着剤の硬化物の機械的強度を求めるために ナノインデンテーション装置で得られる正確な数値データでなくても 何か別の評価方法を考案して 数値データを取得する必要があると考えた。
また 彼は 評価方法の考案と合わせて UV硬化型接着剤硬化物の機械的強度を数値計算により求めるための理論の構築が必要だと考えた。
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