第34話 構造改革

   スキルチェンジ / 組織再編

    

 2010年1月1日付けで 九杉社は 杉下社のグループ会社のSN社に吸収再編される形で SSN社へと社名が変更になった。


 SSN社の設立は 電話機等の通信技術に特徴を持つ九杉社と 防犯カメラ等の映像技術に特徴を持つSN社を統合し 2社の特徴を融合させて B to B 市場での事業拡大を図るための施策であった。


 SSN社の発足に伴い 社長には 旧SN社の石山社長が選任され 旧九杉社の若松社長は 上席副社長となった。


 会社組織の変更に伴い ODD開発センターは ODD事業部に吸収集約され センターのメンバーは熊本事業場へ異動となった。


 旧コミュニケーション開発センターは 要素技術開発センターと名前を変え 旧SN社から赴任して来た岩野センター長の管理下となり 金森元センター長は 要素技術開発センター第2グループのグループマネージャーとなり 川緑達は 第2グループの第4チーム所属となった。


 九杉社とSN社との合併後の新組織は 両社の力関係を示す人員配置となっていた。



 1月5日(火)午前9時に SSN社 福岡事業場の厚生棟の食堂でSSN全社の朝会が開かれた。


 朝会の様子は SSN社の商品の1つであるネットワークシステムにより 全国の関連会社や海外の事業拠点へ配信された。


 朝会では 石山社長と若松上席副社長と役員等が 交代で壇上に立ち 自己紹介とSSN社の今後についてメッセージを伝えた。


 元SN社の責任者等の発言は 元九杉社の社員には馴染のない単語や表現が多くあった。


 役員の一人は 製造業で世界の頂点に立つ会社を例に上げて 同社は工場を持たず 全世界で一番安い材料や部品を 世界で一番安く製造できるところで作り 事業の急拡大を図ってきたと述べた。


 彼の発言は 商品開発に必要な材料やデバイスを 自社で時間とコストを掛けて開発するより 他社からの購入を優先すれば 材料やデバイス開発に必要な技術や人員は不要になると言っているように聞こえた。


 役員等の話は 要素技術開発センターで 材料開発やデバイス開発に関わるメンバーには 彼等の仕事の是非を自問させるものであった。



 午後1時に 要素技術開発センターの居室で昼会が行われ 岩野センター長の新任の挨拶があった。


 50歳代前半、中肉、大柄で眼鏡を掛けたセンター長は センターのメンバーを前にして 要素技術開発センターの方針を述べた。


 彼は 旧SN社の画像処理技術と 旧九杉社の通信技術を組み合わせた新規情報処理システムの開発を目指すことを宣言した。 


 彼は 「皆さんには センターの方針に沿った開発業務を遂行して頂きます。 そのためのスキルが必要な方には スキルチェンジをお願いしたい。」と言った。



 昼会後に実験室に集まった機能性樹脂プロジェクトのメンバーは 皆 新センター長の話に 意気消沈した表情になっていた。 


 実験室の椅子に掛けた城本主任技師は「この年になって スキルチェンジは きついよ。一体 何のスキルを身につけろって言うわけ!」と口調を強めて言った。


 彼の横に居た杉村技師は「ソフト開発は 自分の性に合いません。材料開発の仕事が好きなんです。何か材料がらみの仕事を探しましょう。」と言った。


 川緑は「Visual Basic を使った制御系のスキルを習得しませんか。新村塾で習ったことをレベルアップすれば 材料開発のノウハウと合わせて やっていけますよ。」と言った。


 川緑の提案に メンバーは 暫くの間 考え込んでいたが 反応は無かった。 



 1月19日(火)午後1時に 要素技術開発センターの応接室で 川緑は SSN社に出入りしている設備機器関連の商社である小倉社の営業の鳥飼氏と打ち合わせを始めた。


 40歳くらい 中肉中背、活発な感じの鳥飼氏は 川緑の依頼を受けて 小倉社が代理店を勤めるEIX社のナノインデンテーション装置の紹介と その装置を用いた実験の段取りを話し合った。


 ナノインデンテーション装置は 最近 同社で開発された最新の装置で これまで出来なかった微小なエリアの硬度や機械的強度を測定できる装置であり 川緑は ODD事業部から委託を受けたUV接着技術開発のために この装置が使えるかどうかを見極めようとしていた。


 川緑は 実験用に準備していたUV硬化型接着剤の硬化物サンプルを 鳥飼氏に手渡した。


 それは 外寸 5×5×10mmサイズの黒色のエポキシ樹脂であり その 5×5mmの1つの面の中央に 面に垂直な方向に 空けた穴の中にUV硬化型接着剤を固めたサンプルであった。


 UV硬化型接着剤は 黒色のエポキシ樹脂に空けられた1×1×5mmサイズの穴の中に固められており その1×1mmサイズの表面は研磨され 鏡面に仕上げられていた。   


 川緑は 鳥飼氏に 試験サンプルの形状を図示した資料を渡し  1×1mmサイズの表面の中心付近と 1つの辺の付近の 0.05×0.04mmのエリアを格子状に切った それぞれの20の格子点の機械的強度の測定を依頼した。


 鳥飼氏は「今回の実験例は過去に無いもので EIX社さんは 非常に興味を持っています。本来 実験は有償で受けているのですが 今回は無料でやってくれるそうです。」と言った。



   怪しい雲行き / 研究設備投資の可否


 1月23日(金)午前9時博多発の新幹線に乗った川緑は 大阪で京阪電車に乗り変えて 目的地の杉下電気本社へ着いた。


 この日の午後に 川緑は 本社の樹脂材料部会の依頼を受けて 部会のメンバー等への樹脂材料に関する講義を予定していた。


 樹脂材料部会は 杉下電気全社の樹脂材料技術の振興と共有を図るために設立された部会であり 川緑は 元の上司で 旧材料プロセス研究所の所長であり 杉下本社へ出向中の福井参事の依頼を受けて来ていた。


 本社の正門の所で 福井参事と合流した川緑は 休憩室へ行き コーヒーを飲みながら この日のスケジュールの確認とそれぞれの近況について情報交換した。


 福井参事は 今回の九杉社のSSN社への再編について「前から 九杉社が吸収されることを危惧していたよ。 SSN社は もう 材料デバイス開発をできる会社ではなくなったよ。」と言った。


 川緑は「新任のセンター長は 会社の方針に合うようにスキルチェンジを求めています。うちのメンバーも悩んでいます。」と言いながら 機能性樹脂プロジェクトの今後に怪しい雲行きを感じていた。



 2月4日(木)午後1時に 熊本事業場の厚生棟の会議室で レンズプロテクターの原料メーカーの1社であるMTC社の営業課長と 彼等の原材料の供給に関する会議が開かれた。


 事の成り行きは 先月に ODD事業部の資材部からMTC社へ レンズプロテクター用の原料を発注をしたところ 先方から その原料の生産を中止したい旨の連絡が入ったことが発端であった。


 この日の会議には MTC社営業の松谷課長が参加し ODD事業部技術部の脇坂主任技師と山岡主任技師と資材部の竹林主事が参加し 要素技術開発センターの杉村技師と川緑が参加した。


 50歳くらい、中背、ふっくら体型の松谷課長は 名刺交換と挨拶も短時間に済まして 席につくと 懸案の樹脂材料の生産中止に至る経緯について説明を始めた。


 彼の話は 昨年のリーマンショックに始まり 会社の経営打撃に触れ 今後の会社の方針として事業の縮小を進めている現状に至るまでを流れるように説明していた。


 彼は MTC社の事業縮小の動きの中で 彼の担当商品の銘柄の統合が行われることと ODD事業部から依頼の樹脂材料も生産中止になると説明した。


 また 彼は 生産中止の対象商品の代替品の対応は未定であると言った。


 彼は 一方的に話をすると 帰りの電車の時間を理由に 挨拶も手短に会議室を退出していった。



 会議室に残ったメンバーは 今後の対応について MTC社へ代替え品の依頼を行う場合と 他の樹脂材料メーカーの代替え品の検討を行う場合とについて検討を行った。


 いずれの場合を選択しても レンズプロテクターの量産にストップが掛かることは間違いなかった。


 資材部の竹林主事は「レンズプロテクタの原材料購入は ストップを掛けますが 宜しいですね。」と会議の参加者に確認を取った。 


 脇坂主任技師は「レンズプロテクタの量産は出来ませんね。発注を止めてください。」と言った。



 会議が終わり 参加者等が退室すると 脇坂主任技師は 川緑のところへ来て「川緑さん UV接着技術開発の件なんですけど 研究設備投資の決裁願いが保留になりました。」と言った。


 驚いた川緑は「えー! 何があったんですか。」と聞いた。


 脇坂主任技師は 川緑に購入依頼を受けた研究設備をODD事業部で購入するために決裁願いを事業部長に上げたところ「それらの研究設備は 今期に 急いで買わなくても良いだろう。」と言って差し戻されたと言った。


 川緑は 事業部が研究設備投資を止めた背景には 今年から来年にかけて行われる杉下電気グループ会社の組織再編があると感じた。 


 杉下電気社の経営責任者等は グループ会社の事業のベクトルを揃えるための ドメイン再編の方針を打ち出していて グループ会社の分割と再編を段階的に行っていた。


 今年の初めに 再編されたSSN社は 通信技術や画像処理技術をベースとしたネットワークシステム開発を事業の中心とする組織となっていた。      


 一方 光ディスクドライブ開発を行うODD事業部の事業領域は SSN社のドメイン領域から外れているために 今後の他のドメインに再編されることが予想されていた。


 川緑は ODD事業部がSSN社から切り離されれば SSN社との間で取り交わされる研究委託業務や契約は これまでの様に簡単には行えなくなると思った。


 川緑は 研究設備投資の決裁願いの却下により UV接着技術開発はできなくなったと感じた。

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