第28話 開発品
好感触 / 開発品の性能
2007年4月5日(木)午後4時頃に 川緑は 材料プロセス研究所の居室のパソコンで リアルタイムにやり取りされる電子メールを見ていた。
電子メールは ODD開発センターのメンバー間で交信されていて 川緑宛に CC宛で送られていた。
メールの内容は 今年発売予定のBD光ディスクドライブに登載予定の光ピックアップ開発に関わることであり メールを送信しているのは 光ピックアップ開発チームの上杉リーダーと多田主任技師と 杉下電気社の技術開発センターから派遣され開発に参画している早野リーダーであった。
新モデルのBD光ディスクドライブ開発の流れは まず 福岡のODD開発センターで新モデル設計の原理確認が行われ 次に 杉下電気社の技術開発センターで一次試作が行われ 最後に 熊本事業場のODD事業部で量産が行われていた。
この日の電子メールでのやり取りは 新モデルのBD光ディスクドライブを熊本のODD事業部で量産しようとするタイミングで行われていた。
メールの中で多田主任技師は 新モデルの光ピックアップに 機能性樹脂プロジェクトの杉村技師が開発したレンズプロテクターを使いたいとの意向を伝えていた。
現行のレンズプロテクターは 光ピックアップの光ディスク認識動作で レンズプロテクターと光ディスクとが接触した時に 付着により僅かに遅延時間が発生していた。
認識動作の遅延は 光ディスクの認識エラーを引き起こす事があり このエラーを回避するために 光ディスクドライブ起動には 認識動作を2回行うシステムを採用していた。
2回の認識動作は 光ディスクドライブの立ち上がり時間を長くしていた。
彼は 新モデルでは 立ち上がり時間を短縮するために 光ディスクの認識動作を1回にしたいと主張し そのために杉村技師のレンズプロテクターの採用を提案していた。
多田主任技師の提案を受けて 早野プロジェクトリーダーは 返信メールで 彼の提案に同意する意向を伝えていた。
リーダーの返信メールを見ていると 後方から「川緑さん。ちょっといいですか。」と声を掛けられた。
振り返ると ODD開発デンターの光ピックアップ開発チームの上杉リーダーが立っていた。
リーダーは 川緑に「急な話で申し訳ないのですが 新モデルのBD光ディスクドライブの量産時期に合わせて 杉村技師のレンズプロテクターを供給して貰えませんか。」と言った。
川緑は「分りました。直ぐに準備を始めます。」と答えた。
4月25日(水)午前11時頃に ODD開発センターの光ピックアップ開発チームの上杉リーダーから川緑に 機能性樹脂プロジェクトで試作した伝熱材の性能評価結果の連絡が入った。
上杉リーダー等は 開発中のBD光ピックアップに伝熱材を塗布し BD光ピックアップを起動して青色LDを連続発光させ LDモジュールの温度変化を 熱電対を用いて測定していた。
測定結果は 伝熱材を用いることによりLDモジュールの温度を5℃低下させるものであり それは彼等が期待していた1℃の温度低下を大きく上回るものであった。
この測定結果は 直ぐに 熊本事業場で新モデルのBD光ピックアップの量産化を準備していた早野プロジェクトリーダーに 電子メールで伝えられた。
この日の午後5時頃に 早野プロジェクトリーダーから川緑に電話があった。
リーダーは 弾んだ声で「新モデルのBD光ピックアップの設計には 機能性樹脂プロジェクトの伝熱材が必須です。明後日に熊本のODD事業部での会議で この件を報告して 伝熱材の採用判断を仰ぎます。」と言った。
川緑は「分りました。もし採用になりましたら連絡ください。直ぐに対応しますので。」と答えた。
10月1日(月)午前9時に 九杉社の厚生棟2階の食堂で 全社員を対象に臨時の朝会が開かれた。
うつむき加減で登壇し 硬い表情の小森社長は 冒頭に「現在 会社の経営は非常に厳しい状況にあります。」と言うと 少し間を置いて「非常事態を宣言します。」と言った。
彼は「今の厳しい状況を乗り切るために 今後 緊急経営対策を行います。」と言った。
九杉社の各事業場の販売商品には輸出品も多くあり 2005年に為替レートが円高に大きく振れ 1ドルが100円近くになって以降に 九杉社は内部留保を大きく切り崩してきていた。
その後 為替レートは 徐々に円安方向に動き 今年2007年には 1ドルが120円程まで円安に動き 円高による収益の損失は改善されていた。
しかし 以前より市場のグローバル化が進み 競合他社との商品の価格競争が激化し 九杉社の収益が上がらない状況が続いていた。
この日の午後1時に 開発センターの居室で 楠田R&D担当役員による臨時昼会が開かれた。
居室の窓側に立った楠田役員は 社長の非常事態宣言を受けて 臨時昼会を開き 会社の経営状況の説明と会社が進めようとしている緊急経営対策の概要について話を始めた。
彼は 話の最後に「会社は非常に厳しい状況にありますが R&D部門は 会社の将来の希望を託すところです。皆さんの活躍に期待します。」と激励の言葉を述べた。
10月3日(水)午後1時に 材料プロセス研究所の居室で 臨時昼会が開かれた。
企画の落合リーダーは 研究所のメンバーに 小森社長の非常事態宣言を受けての会社側の緊急経営対策内容と それに対する組合側の対応について説明を始めた。
彼によると 会社は 緊急経営対策の中で 管理職の給与カットと 組合員の出張手等の削減や有給休暇の一部削減や1日の労働時間の増加を申し入れていた。
これに対して組合は 有給休暇の削減と労働時間の増加の申し出を拒否していた。
管理職の中には 労使間の交渉について 組合に頑張ってもらいたいと考える者も多くいた。
それは 組合員の待遇が悪くなると 職場の志気が下がり 組合員等の不満の声が高まると チームの業務の推進に悪影響を及ぼすからであった。
思わぬ反応 / 経営環境の変化
11月6日(火)午前10時に 川緑は 熊本事業場のODD事業部の会議室で 事業部からの開発委託テーマについて報告を始めた。
川緑は 技術の日置チームリーダーと鶴主任技師へ 新モデルのBD光ピックアップ用に 機能性プロジェクトで開発中の伝熱材とレンズプロテクターの性能と供給体制について説明を行った。
日置リーダーは 50歳くらい 中肉中背、面長で 眼鏡を掛けており 技術的に正確な物言いをするタイプの人物であり 鶴主任技師は 40歳中頃、中肉中背、丸顔で 実直な感じの人物であった。
事前に ODD開発センターのメンバー等から 新モデルのBD光ピックアップの設計には 伝熱材とレンズプロテクター開発品がマストであるとの連絡を受けていた川緑は 報告後に 日置チームリーダーから次のステップの指示を期待していた。
しかし 日置リーダーから伝えられた話は それとは異なるものであった。
彼は 新モデルのBD光ピックアップに使用する伝熱材について 熱伝導性は現行品と同等であればよく コストを現行品の半額にしてもらいたいと言った。
彼の要望に驚いた川緑は「BD光ピックアップは 伝熱性能のよい伝熱材が無ければ 発熱により青色LDの動作保障温度を超えてしまうと聞いていたのですが。」と確認するように聞いた。
すると 彼は「その件は LDのメーカーさんに 動作保障温度を上げてもらうように交渉しています。」と答え「現行品の半額のコストと言うのは 製造費込みの価格です。」と念を押すように言った。
伝熱材とレンズプロテクターの製造は ODD事業部に 製造装置と検査機器等を設置し 事業部の製造部門から作業者を割り当てて 行う必要があった。
それらの製造には 原材料を秤量するための容器と秤や 仕掛品を作るための撹拌装置と分散装置や 製品を仕上げるためのろ過装置器と缶詰装置等が必要であった。
また 製品の検査には 粘度計や比重計と言った液特性を検査する装置や 熱伝導率や機械的強度を測定する装置が必要であった。
川緑は 伝熱材とレンズプロテクターの製造を ODD事業部内部で行うことを想定しており 打ち合わせの中で 彼等に 製造設備投資と 製造人員の確保を要請した。
しかし 日置リーダーは「今 ODD事業部では 人手が足りないので それら開発品の製造のための人員確保はできません。」と言った。
ODD事業部で開発品を製造することが出来なければ 社外の会社に頼むよりないが それには 時間も費用も掛かることになった。
「伝熱材とレンズプロテクターの製造の件は 社外に当たってみます。」と告げた川緑は 彼等の言動から ODD事業部は BD光ディスクドライブの開発に 商品性能や品質よりも 製造コスト削減にウェイトを置いていると感じた。
ODD事業部がBD光ディスクドライブの製造コストに拘る背景には ノートパソコンの市場価格の低下があった。
海外で販売されるノートパソコンは 安価品の価格が500ドルまで低下しており それに搭載される光ディスクドライブの価格は 安価なもので無ければ 売れなくなっていた。
光ディスクドライブの製造コストの削減に走るODD事業部は 光ピックアップの性能や品質の向上は二の次に考えていた。
午前12時に会議が終わり 事業部を出た川緑は 光ディスクドライブの製造コスト削減の動きは 今後 製品の性能や信頼性や製品歩留まりに悪影響を及ぼすだろうと思った。
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