第27話 機能性樹脂プロジェクト
事業場に軸足 / プロジェクト発足
2007年2月1日(木)付けで 九杉社の組織は再編され 新組織体制がスタートした。
市場のグローバル化やデジタル化の波に乗り遅れた会社は ユーザーの動向を意識して「よりお客様に軸足を置いた経営をめざす」を方針として打ち出した。
R&D部門は「より事業場に軸足を置いた運営を行う」を方針として再編され 材料プロセス研究所といくつかの開発センターに分けられた。
旧研究所の吉海所長は オプティカル・ディスク・ドライブ(ODD)開発センターのセンター長に就任し 福井リーダーは 材料プロセス研究所の所長に就任した。
川緑は 材料プロセス研究所 第1チームに所属し 新設の機能性樹脂プロジェクトを任された。
機能性樹脂プロジェクトは それぞれの開発センターや事業場からの依頼を受けて 新規樹脂材料の開発を行うことをミッションとした組織であった。
プロジェクトのメンバーは ODD開発センター向け光ピックアップ用レンズプロテクターを開発中の杉村技師と、熊本事業場向けのシュリンクラベルを開発中の柳瀬主任技師と横井主任技師と立花主任技師と、新しく城本主任技師の5名が参加していた。
城本主任技師は 40歳台中頃、中肉小柄で どちらかと言うと大人しい性格であり 他のメンバーと同じく化学を専攻していた。
川緑と5名のメンバーからなる機能性樹脂プロジェクトは 開発センターや事業部からの委託を受けて開発を行う組織であったが 別の見方をすると 研究所の運営方針により除外されたプロジェクトから再編されたメンバーの集まる組織でもあった。
機能性樹脂プロジェクトは 発足時に ODD開発センターから BD光ディスクドライブ光ピックアップ用の新規樹脂材料開発の委託を受けていた。
青色LD光耐性接着剤の開発により 熊本事業場では ノートPC用BD光ディスクドライブを量産していたが 光ディスクドライブの軽薄短小化のトレンドの中で 新たな樹脂材料の開発が求められていた。
機能性樹脂プロジェクトがODD開発センターから開発委託を受けたテーマに BD光ピックアップ用レンズプロテクターと伝熱材と精密固定接着剤の開発があった。
BD光ピックアップ用レンズプロテクター開発は 昨年に杉村技師により 光ピックアップの衝突緩衝性や光ディスクの傷つき性に優れたものが出来ていたが 光ディスクドライブを起動時の光ディスクの認識動作の遅延時間の発生が問題となり仕切り直しとなっていた。
その後 杉村技師は レンズプロテクターの光ディスクへの付着を防止するために 変わったアイデアをひねり出して 光ディスクの認識動作の遅延時間を短縮していた。
そのアイデアは レンズプロテクターの元となるUV硬化型樹脂に アルコールに溶かしたチタンテトラプロポキシドを配合することであった。
チタンテトラプロポキシドは チタン原子の周りに4つのアルコキシドと呼ばれる有機物が結合した有機金属化合物の一種であった。
この化合物を配合したUV硬化型樹脂を塗布し UV照射すると 硬化した樹脂の表面は 従来のつるつるした表面ではなくて つや消し面になった。
つや消し面は UV硬化時にチタンテトラプロポキシドの分解反応とUV硬化型樹脂の重合反応が同時に進行することにより形成されたものと思われた。
杉村技師は この改良レンズプロテクターを BD光ディスクドライブの次期モデルに登載するために 光ピックアップを用いた種種の実験と評価を計画していた。
BD光ピックアップ用伝熱材の案件は ODD開発センターの深田リーダーから依頼を受けて 開発に着手したテーマであった。
リーダーによると 軽薄短小化を目指す光ディスクドライブの設計は 光ピックアップの発熱の問題を引き起こし LDの連続発光時の発熱は LDの動作可能な温度を超えてしまい LDの出力がダウンするとのことであった。
LDは LD光を整形する光学部品や受光素子と共にLDモジュールに組み込まれており LDモジュールは 光ピックアップの基板上に 接着剤で固定されていた。
LDモジュールを固定する接着剤は 熱伝導性が低く LDの発熱を十分に拡散できないので 別途 熱伝材と呼ばれる樹脂材料をLDモジュールと光ピックアップ基板の間に塗布することにより熱を流して LDの温度上昇を抑える必要があった。
ところが 新モデルのBD光ピックアップは LDの発熱量が大きく 従来の伝熱材では LDの温度上昇を押さえられないことが分り 熱伝導性の良い伝熱材の開発が求められていた。
BD光ピックアップ用精密固定接着剤の案件は ODD事業部から依頼を受けたテーマであった。
光ピックアップは 金属製の基板上に 光集積素子やアクチュエーターやいろいろな光学部品やメカ部品を いずれもUV硬化型接着剤を用いて固定する設計になっていた。
光ピックアップには それぞれの用途に応じて 20種類くらいのUV硬化型接着剤が用いられていた。
光ピックアップの開発担当者等は 接着剤メーカー各社から推奨された接着剤を用いて光ピックアップを試作し 動作試験や環境試験を行い その結果良好な接着剤を選定していた。
それでも光ピックアップの量産時には 光ピックアップの環境試験や動作試験での品質検査で LD光の光路ずれによるスペックアウトが発生し 製品歩留まり低下や品質低下を起こしていた。
この問題を重視したODD事業部は 光ピックアップの品質向上のために 精密固定技術開発が必要と考えて 機能性樹脂プロジェクトへ 精密固定接着剤の開発を依頼してきていた。
これらの依頼を受けた機能性樹脂プロジェクトは それぞれの新規樹脂材料の開発に着手した。
ライフワーク / 新規テーマ
3月23日(金)午前11時に ODD開発センターの会議室で 吉海センター長と深田チームリーダーへの 機能性樹脂プロジェクのテーマ報告会が開かれた。
川緑は 会議室に設置されたパソコンにUSBメモリーを挿して 報告資料を開き プロジェクターでスクリーンに投影すると 懸案のテーマについて報告を始めた。
彼は ODD開発センターとODD事業部から開発依頼を受けていた幾つかのテーマについて それぞれの開発フェーズと開発体制とスケジュールを説明した。
BD光ピックアップ用レンズプロテクター開発のテーマは 開発フェーズに位置づけ 杉村技師を担当に当てて ODD開発センターの沖田主任技師と連携して 次のBD光ディスクドライブのモデルをターゲットに量産化を行う計画を示した。
BD光ピックアップ用伝熱材開発のテーマは 調査・研究フェーズに位置づけ 柳瀬主任技師と横井主任技師と杉村技師の3名を当てて この上期に 開発フェーズへのチェックポイントを設けていた。
BD光ピックアップ用精密固定接着剤開発のテーマは 調査・研究フェーズに位置づけ 川緑は このテーマの推進に機能性樹脂プロジェクトのメンバー全員を当てて対応する体制を取った。
精密固定接着剤開発のテーマに メンバー全員を当てた理由の1つは このテーマが生半可な取り組みでは対応できないと予想し 総力を挙げて対応する必要があると考えたからであった。
川緑は より良いBD光ピックアップの設計には それを構成する光学部品の精密固定を重視するべきであり そのためには UV硬化型接着剤の位置固定性に関する技術基盤の構築が必要であり その技術を用いた精密固定接着剤の開発が必要だと考えていた。
精密固定接着剤の開発には 光学部品を接着固定する接着剤の硬化状態と位置固定性との関係の把握が必要であり そのためには 接着剤の硬化状態と機械的強度の紐付けが必要であった。
接着剤の硬化状態と機械的強度の紐付けには 川緑の硬化の理論を基にした技術の深耕が必要であり それにはプロジェクトメンバーの協力が必要であった。
また 精密固定接着剤開発のテーマにメンバー全員を当てた理由の1つは このテーマを通して メンバー全員に 接着剤の作り方や取り扱い方や評価方法を習得してもらうことであった。
接着剤がどのようなものかを理解するには 自分の手で原材料を調合して接着剤を作製し 接着剤を硬化して それがどのような性能を有するのかを評価することが最も有効な手段であった。
機能性樹脂プロジェクトの開発計画の報告が終わると 吉海センター長は「川緑さん 開発テーマの進め方は 君に任せるよ。」 と言い「ところで 君も 何か ライフワークを持ったらどうだね。」と言った。
センター長の「ライフワークを持つ」と言った言葉は 川緑には 何か新規事業の創出や技術基盤の構築の様な大きなテーマに取組むことを勧めたように聞こえた。
同時に「ライフワーク」を実践するのは プロジェクトを担当している今だと指摘されたようにも思えた。
センター長の問いかけに「あ、はい。」と答えた川緑は 10年程前に 塗料メーカーに勤めていた時に 彼が 部長に提案したテーマのことを思い出した。
当時 川緑は「UV硬化型樹脂の硬化性の研究」をまとめて 次に新規事業を創出するための技術基盤作りとして「UV硬化型樹脂の硬化性と物性との紐付けの研究」が必要と考えて その旨を提案していた。
この提案は 部長により即時に却下されて 川緑は 会社を辞める選択をしていた。
10年後の今に この研究が必要となる「精密固定接着剤開発」のテーマが川緑の前に現れていた。
川緑は「精密固定接着剤開発」テーマの推進は 単にBD光ピックアップの設計に役立つだけでなく 将来に出現するだろう更に微小な光学デバイスの設計や 様々な樹脂材料の開発に役立つ基盤技術になると考えると これが「ライフワーク」になるだろうと予想した。
このテーマの推進には 最新の研究設備が必要となるのは間違いなく 川緑は 時期を見て 開発センターの責任者等に 研究への投資を依頼しようと思った。
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