第26話 新参事職研修

   柿本塾 / 工場見学

   

 2006年7月4日(火)午前7時10分福岡空港発の飛行機に乗った川緑は 伊丹空港からからモノレールに乗り 門真駅で京阪電車に乗り換えて 杉下電気社研修所の最寄の駅に着いた。


 駅のホームには 電車から降りた多くのスーツ姿の男性と女性が見られ 彼等の一部は駅のバス停に向かい 彼等の多くは 研修所へ向かって 長い行列を作って歩き出した。                                           


 川緑は 長い行列に続いて15分くらい歩くと研修所の正門に着いた。


 彼等に続いて 正門にあるカードリーダーにIDカードをかざして研修所の敷地内に入ると 中には多くの木々が立ち並び それらの間に多くの研修棟が見えた。


 駅からやってきたスーツ姿の男女は 皆 研修所のG棟に入って行ったので 川緑は 彼等が今年に昇格した新参事であることが分った。


 G棟1階の講堂には 専門職枠で昇格した約400名の新参事が集まり 彼等は用意されていた椅子に着席した。



 午前10時に研修が始まり 杉下電気社の幹部等からの祝辞の挨拶と 副社長の講演が行われた。


 寺岡副社長は 最近の杉下電気社のヒット商品の紹介を行い その中で 手振れ防止機能付きデジタルカメラの開発に関する講演を行った。


 手振れ防止機能は 杉下電気社の一人の技術者が発明した機能であり カメラに内蔵されたセンサーが手振れによる位置ズレを感知して そのズレを修正するものであった。


 位置ズレの修正は 最初はメカニカルな技術により行われ その後 画像処理技術により行われた。


 副社長は 手振れ防止機能がカメラ業界に革新をもたらし 会社の経営に大きく貢献したと述べて 新参事等に「若い皆さんの今後の活躍に期待します。」と言った。


 副社長の話を聞いていた川緑は この会社には 優れた発明を生み出す技術者を育てる土壌があるのだろうと思った。


 また彼は 1つのアイデアが新規事業を創出することに 技術の醍醐味を感じるのと同時に 逆に他社のアイデアが自社の事業を終息させる可能性も感じた。


 彼は 会社には優れた発明を生み出す技術者を育てる土壌を醸成する取り組みが必要だと思った。



 研修の午後の部では 新参事等は 十数名を一団とするグループに分けられ グループ単位で「技術塾」と呼ばれる研修塾に参加することになった。


 「技術塾」は 技術側面から会社経営に貢献する提言を行うことを目的として 5ヶ月の間に塾生達が互いの拠点を訪問しながら交流と知見を深め 研修活動を行うものであった。


 川緑は案内のあった「柿本塾」と書かれた立て看板を見つけて その前に立つ塾長の所へ行くと そこに集まった塾生は 塾長と会議室へ移り そこで 第一回目の「柿本塾」の会合が開かれた。



 「柿本塾」の塾長は 杉下電気社 AV技術開発センターの柿本グループマネージャーであった。

柿本塾長は50歳台前半、中背、細身、面長で眼鏡を掛けていた。


 塾長は自己紹介の中で「私は 渓流釣りが好きで 休みの日には よく釣りに出かけます。 それから 皆で集まって酒を飲むのも好きです。」と温和な表情で言った。


 次に塾生等の自己紹介が行われ その後 塾長から「柿本塾」の進め方の説明が行われた。


 塾生等は 関東方面では 佐江戸や綱島や横須賀の事業場から また関西方面では 門真や京橋や長岡京や豊中の事業場から来ていた。


  「柿本塾」の進め方は それぞれの事業場の工場見学と 会社経営に貢献する提言をまとめる活動を組み合わせて行うものであり 担当となった塾生等は 自社の工場と調整を行い 工場見学のスケジュールを作成することになった。



 10月13日(金)午前8時50分に 川緑は九州自動車道筑紫野インターバス停留所から高速バスで熊本方面へ向かい 菊水インターからタクシーで熊本事業場へ向かった。


 この日に 第5回目の「柿本塾」が予定されており 川緑は先着して 熊本事業場の光ディスクドライブの製造現場を案内するために 関係部署に当たって受け入れの準備を行った。


 13時頃に 塾長と塾生等は タクシーに分乗して事業場へ到着すると 待ち受けていた事業場人事の野原リーダーと川緑は 彼等を迎え入れ 会議室へと案内した。


 会議室に入った塾生等は 懸案の「会社経営に貢献する提言」をまとめる取り組みを始めた。



 午後4時頃に 野原リーダーは会議室へ来ると 塾生等に声を掛けて 彼等を別棟にある光ディスクドライブの製造工場へと案内した。


 塾生等は 工場に移動すると クリーン服に着替えて エアシャワーを浴び クリーンルーム内の光ディスクドライブの製造ラインに入った。


 クリーンルームの中には クリーン服にマスク姿の女性の説明員が待ち受けていた。


 彼女は 塾生等を誘導して 工場で生産中の光ディスクドライブ展示品を紹介したり 光ディスクドライブの製造ラインを案内しながら 各工程の作業の内容を説明した。



 工場の製造ラインの見学は グループ会社であっても その肝の部分は公開しないようにしていたが 技術塾に対しては できるだけオープンにするようにと 杉下電気社の幹部からの通達があった。 


 その通達は 杉下電気社の方針によるものであり 優れた発明を生み出す技術者を育てる土壌を醸成しようとするものであった。

 

 午後5時30分に 塾長と塾生等は 事業場から送迎バスに乗り そこから10分ほど離れたところにある簡保の宿山鹿へ向かった。


 簡保の宿では 夕食を挟んで 「会社経営に貢献する提言」のまとめの作業が続けられた。



   販売実習 / 研修発表


 10月20日(金)午前9時15分博多発の新幹線に乗った川緑は 京都駅で在来線に乗り換え 近江八幡駅へ着くと タクシーで25分ほど移動して 目的地のスポーツセンター「ドラゴンハット」に着いた。


 明日と明後日の2日間に 杉下電気社と地域の販売店による家電製品合同展示販売会が予定されており 川緑は ここで新参事職研修の1つの販売実習を行う予定であった。


 「ドラゴンハット」は 竜王町の総合運動公園の中に設置された客席のないドーム型球場の様な建物であり 内部は 地面にブルーシートが張られており 販売店毎に商品陳列棚が設けられていた。


 展示会場は 55店舗の販売店が出店しており それぞれの商品陳列スペースには 法被姿に鉢巻の出で立ちの販売員達が 出展の準備を行っていた。



 10月21日(土)午前9時に ドラゴンハット会場では 主催者と販売員等が集まり 朝会が開かれた。 


 主催者は 朝会の壇上に立つと このところの量販店の進出により 地域の販売店から顧客が奪われて 売り上げが低下している傾向に危機感を示した。


 主催者は 展示販売会の売り上げ目標額が3億円であることを伝えると 販売員等から「がんばろー!」の掛け声が上がった。


 午前9時30分頃になり客足が出始めると 間もなく 会場は お客様でごったがえし 午後6時まで その状態は途絶えることなく続いた。 


 この間に川緑は お客様からの質問に答え ご意見やご希望を聞き取り メモ帳に記録していった。



 10月22日(日)午前9時に 展示販売会がスタートすると 昨日よりも多くのお客様が来場した。

この日は 昨日に比べて 展示品を見に来るお客様より 買いに来るお客様の数が多かった。


 午後4時頃に 川緑は 主催者に挨拶して 展示会場を後にして 帰路についた。


 帰りの新幹線の中で 川緑は 合同展示販売会に集まったお客様から聞き取った情報を記録したノートを見直していた。 


 記録には お客様の性別や年齢層や 興味を持つ商品や 商品への要求性能や希望価格等のコメントが書き込まれていた。


 お客様には 年配の方も多く 彼等のファックスや電話機等の商品への要望には 価格は少し高くても良いから液晶パネルの表示を見やすくすることと 余計な機能は不要と言ったものが多かった。


 今回の合同展示販売会は 賑わったものであったが 川緑は 事前に お客様達の要望の情報を集めて品揃えをしていたら もっと売れていただろうと思った。



 11月28日(火)午後1時に 杉下電気社の研修所で 技術系新参事職が集まり  6つの会場に分かれて 技術塾のまとめの報告会が開かれた。


 それぞれの技術塾の代表者は 5ヶ月間の技術塾の活動を通じてまとめた 会社の経営に貢献する提言の報告を行った。


 報告された技術塾の提言は その着眼点から大きく分けて2つのタイプに分けられた。


 1つのタイプの提言は 新しい技術基盤を構築し これを基にした新商品開発を目指すという内容であった。


 それらの提言は 技術者サイドに視点を置いたものであり 製造メーカーに必要な技術の構築を目指したものであったが 技術に偏った狭い範囲の話であるとの印象を与えた。


 もう1つのタイプの提言は 新商品を生み出すための新組織の構築を目指すという内容であった。 


 それらの提言は 会社経営を行う側に視点を置いたものであり 会社組織の運用の無駄をなくすことにより 商品開発の効率化を図るものであったが それらの構想は 現実味が感じられなかったり また現状の会社体制に対する苦言との印象も与えた。


 「柿本塾」の提言は 後者であり ピラミッド組織とフラット組織の問題点を取り上げ それらを改善する組織の仕組みについてまとめたものであった。


 技術塾の報告会が終わると 杉下電気社の幹部の講評が行われ 新参事研修は終了した。



 11月29日(水)午前9時に 研究所の会議室で 川緑は福井リーダーへ新参事研修の終了報告を行った。


 報告を受けた福井リーダーは「ご苦労さん。」と言うと「話は変わるけど 来年 あなたに新プロジェクトを任せるよ。」と言った。

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