第25話 昇格試験
昇格試験 / 専門職
2005年7月28日(木)午後5時過ぎに 川緑は 材料チームの福井リーダーに呼ばれて研究所の会議室に入った。
リーダーは しばしば 研究所の各プロジェクトの担当者を呼んで 担当テーマの進捗を聞いていた。
川緑は 福井リーダーに 熊本事業場と宮崎事業場からの委託開発テーマについて進捗報告を行うと 最後に「担当テーマの推進に人手が必要です。人をつけてもらえませんか?」と依頼した。
リーダーは「人をつけてもいいけど・・・」と言うと 少し間を置いて「話は違うけど 川緑さんを今度の参事職への昇格候補に挙げるよ。」と言った。
川緑は「折角ですけど 私は管理業務は向いていません。」と難色を示した。
すると彼は「川緑さんは 管理職ではなくて 専門職で昇格候補に挙げようと思ってる。」と言った。
福井リーダーは これまで昇格には管理業務を行うことが必須であったが 昨年から参事職に専門職枠が設けられ 技術専門職能でも 会社経営に貢献すれば参事職になれると言った。
リーダーは 川緑の佐賀事業所向けのカラーLBP用定着機の開発や 宮崎事業所向けの0603チップインダクタの開発や 熊本事業所向けのBD光ピックアップ用青色LD光耐性接着剤開発の事例を挙げて 川緑に 専門職での昇格試験を受けるように勧めた。
リーダーは「川緑さんには 惨事職に就いてもらって 若手の技術者の指導もお願いしたいのよ。そうなれば 君に人もつけられるしね。」と言った。
川緑は「分りました。試験を受けたいと思います。よろしくお願いします。」と言って頭を下げた。
2006年3月22日(水)午前10時頃に 研究所の居室で 川緑は オプトデバイス開発チームの沖田主任技師を見つけると 「事業部は 杉村さんのレンズプロテクターを採用しそうですか。」と聞いた。
彼は「昨日 事業部で会議がありまして 今年発売のBD光ディスクドライブには 彼のレンズプロテクターは使用されないことが決まりました。」と ちょっと申し訳なさそうに言った。
昨年末までに レンズプロテクター開発品は 光ディスクドライブでの最終評価が行われ 従来品に比較して ACTと光ディスクとの衝突試験での光ディスクの傷つき性やACTの衝撃吸収性に優れた結果を得ていた。
しかし 沖田主任技師は レンズプロテクター開発品を用いた光ピックアップは 光ディスクドライブ起動時の立ち上がり時間が 従来品を用いた場合に比べて 僅かに長くなるがり 採用が却下されたと言った。
BD光ディスクドライブは 起動時に ドライブ内にセットされた光ディスクが CDかDVDかBDなのかを識別するために 光ディスクを回転させる前に ACTを光ディスクに近づけて 記録層の位置を測定することにより それが何であるかを認識するように設計されていた。
BD光ピックアップのACTに固定される対物レンズの焦点距離は CDやDVDの光ピックアップのACTに用いられる対物レンズの焦点距離に比べて短く設計されており BD光ディスクドライブ起動時の光ディスクの認識の操作は ACTを光ディスクに当てるまで近づけるものであった。
この操作で ACTを光ディスクに当てて その後 ACTを元の位置まで戻すのにかかる時間を測定した時に レンズプロテクター開発品は 従来品に比較して その時間が 0.2秒間長くなっていた。
新商品BD光ディスクドライブの設計者等は その発売に当たって 従来機種に比較して 光ディスクをセットして立ち上がるまでの時間が長くなることは容認されることではなかった。
BD光ディスクドライブ起動時の光ディスクの認識動作の時間は レンズプロテクターの開発着手時に 要求された機能の中には無く 川緑と杉村技師は その機能を開発品の設計に盛り込んではいなかった。
沖田主任技師は 2人に 来年発売が予定されているBD光ディスクドライブをターゲットに レンズプロテクターの改良検討を依頼した。
4月7日(金)午後5時頃から 研究所の会議室で 2人の上司は 川緑と 昨年度の業務評価について 個別に面談を行った。
オプトデバイス開発チームの深田リーダーは 川緑に「今回の君の参事職への昇格は 周りから注目されていると思う。」と言った。
彼は これまでは いくら腕の良い技術者であっても プロジェクトメンバーのマネージメントが出来なければ 参事職への昇格はできなかったことに触れた。
彼は 今回から導入された参事職の専門職枠で 川緑が昇格出きたことで 多くの技術者のやる気に繋がると言い 川緑は 周りから そういう目で見られていると言った。
材料チームの福井リーダーとの面談の中で 川緑は 各事業場からの研究開発委託業務に対応するために 再度 人を付けてもらえるように依頼した。
リーダーは「川緑さんに 何名か技術者を任せるよ。」と言い「その代わりに 別のテーマも見てほしいんだけど。」と言った。
専門職では? / テーマ管理
4月21日(金)午前9時に 研究所の会議室で 熊本事業場のインクジェット事業部のメンバーと研究所のメンバーとの間で 事業部からの研究開発委託テーマの打ち合わせが行われた。
熊本事業場には インクジェットヘッドの製造販売を行うインクジェット事業部があった。
会議には インクジェット事業部の津崎プロジェクトリーダーとメンバーの二人が参加し 研究所の材料チームの新メンバーの柳瀬主任技師と横井主任技師と立花主任技師の3名が参加し 川緑はオブザーバーとして同席した。
柳瀬主任技師と横井主任技師と立花主任技師の3名は この4月の会社の構造改革により 熊本事業場のインクジェット事業部から研究所へ異動してきていた。
柳瀬主任技師は 40歳台後半、中背細身、会議で発言を求められると 長い時間をかけて詳細に話が出来るのが印象的な人物であった。
横井主任技師は 40歳台中頃、長身中肉、まじめなタイプの人物であり、立花主任技師は 40歳くらい、中肉中背、物静かなタイプであった。
3名とも 化学系の技術者であり これまでインクジェット事業部で インクや洗浄液等の材料開発に取り組んで来ていた。
インクジェット事業部は 産業用インクジェットプリンターメーカー向けに インクジェットヘッドの製造販売を行っており 1年程前から あるプリンターメーカーと新商品の共同開発を行っていた。
そのメーカーは ラベル製造機器の製造販売を生業としたトウシール社であり 同社が開発中の新商品は シュリンクラベル印刷用プリンターであった。
シュリンクラベルは プラスチックフィルム上にプリンターで文字やデザインを印刷したものであり 飲料用のペットボトル等の外側に貼りつけて内容物を表示したり美観を付与する目的に用いられていた。
柳瀬主任技師等は 事業部で シュリンクラベルの印刷に用いるインクの開発に関わっていたが 彼等の異動により その開発が中断されていた。
インクジェット事業部の津崎プロジェクトリーダーは トウシール社との共同開発を継続するために 柳瀬主任技師等へ 研究開発委託を申し出た。
この会議の前日に 川緑は 柳瀬主任技師に シュリンクラベルの開発内容と進捗状況や今後の見通しについて聞いていた。
主任技師は「匙は もう そこいら中に投げてますよ。でも 止めさせてくれないんですよ。」と言って 事業部からの研究開発依頼の受託には否定的な考えを示していた。
シュリンクラベルは 文字やデザインが印字されたプラスチック製のシートであり フィルム基材と その上に塗布されたインク受容層と 印刷インクとから構成されていた。
シュリンクラベルは ロールに巻かれたフィルム基材を 別のロールに巻き取る間に 受容層が塗布され 印刷装置を用いて文字やデザインを印字して作られ その後 所定のサイズに裁断されていた。
シュリンクラベルは エンドユーザーで使用される時に 飲料缶等の外側に巻かれて 加熱して収縮させ 飲料ボトルの表面に固定されるものであった。
トウシール社では 従来 シュリンクラベルは 油性のインクを用いて印刷していたが 油性のインクの取り扱いは 安全性や環境汚染の課題があり 印刷版作製にかかるコストも課題となっていた。
同社は これらの課題の解決のために インクジェットプリンターを用いて 水性インクを使ったシュリンクラベルの開発を計画し インクジェット事業部へ協力を依頼していた。
柳瀬主任技師は 彼の検討結果から シュリンクラベルの開発に水性インクを用いる場合 耐水性や耐湿性等の環境試験に耐える商品を作るのは難しいと言及した。
4月25日(火)午前8時頃に 川緑は 居室のパソコンでインクジェット事業部との打ち合わせ議事録を作成すると 福井リーダーにメールした。
その後 福井リーダーの所へ行くと 彼に議事録をメールしたことを伝え 懸案の研究委託案件の内容と難易度について所見を述べた。
福井リーダーは 本件は研究所で受託することが決まっていると言い 「川緑さん この件では あなたは開発をやらなくていいから アイデア出しと開発メンバーの業務管理をやってよ。」と言った。
川緑はリーダーの言葉に違和感を感じて「私は専門職ではなかったんですか。」と聞いた。
リーダーは「あなたも会社経営に関わる立場だから 管理業務もやってよ。」と返した。
川緑は 彼の仕事の推進のためにメンバーの増員を依頼していたが リーダーは その依頼に答えるのと同時に 別の研究開発テーマと管理業務も上乗せしてきた。
川緑の業務時間の多くは 関係する開発テーマの進捗管理や研究所内や関連事業所打ち合せや 開発メンバーの勤務管理や研究費の管理等に費やすることになった。
加えて 6月からの杉下電気社の新参事職研修や 量販店での販売実習に参加することになった。
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