第24話 BD光ピックアップの量産
ご苦労さん / コストダウン策
2004年8月30日(月)午前10時から 研究所の会議室で 材料チームの月次報告会が開かれた。
午前11時に 川緑は会議室のドアをノックして入ると 中には吉海所長と福井チームリーダーと企画の落合チームリーダーがテーブルについていた。
川緑は 彼等に挨拶すると 会議室に備え付けのパソコンにUSBメモリーを挿して パソコンに連動したプロジェクターで会議室の壁に報告資料を映し出した。
川緑は「では 報告をはじめます。」と言って彼の担当する3つのテーマについて報告を始めた。
1つのテーマは 熊本事業場向けのBD光ピックアップ用青色LD光耐性接着剤開発の案件であった。
報告の中で 川緑は 開発品の青色LD光1000時間連続照射の試験結果を示し 懸案の青色LD光耐性接着剤を開発したことを伝えた。
接着剤候補品の青色LD光耐性劣化の原因は 含有する揮発成分と重合触媒の残渣にあった。
これまでに 彼は 接着剤メーカーに青色耐性改善を依頼していたが メーカーが難色を示したので 独自に接着剤の改善検討を行っていた。
彼は シリコーン系接着剤に含まれる揮発成分を 減圧撹拌装置を用いて除去し また重合触媒の残渣を 精密ろ過を行いて取り除いていた。
このようにして得た接着剤を用いて 3個の青色LD光照射試験サンプルを作製し 1000時間の光照射試験を行った結果は 良好なものであった。
川緑は 報告の最後に 今後 熊本事業場は BD光ピックアップに搭載する光集積素子の開発に 彼の開発した青色LD光耐性接着剤を用いない設計に変更する方針であることを伝えた。
熊本事業場の設計変更の理由の1つは 自社内部で 接着剤を減圧撹拌や精密ろ過を行うことにより生じると予測されるトラブルを回避することであった。
報告が終わると 吉海所長は「ご苦労さん。君の開発した青色LD光耐性接着剤は 今後 光集積素子の製造コストダウンに使われるようになるだろう。」とコメントした。
彼の言う「コストダウン」とは 再設計の光集積素子は 青色LD光が接着剤に当たらないように ガラス基板表面に反射膜を蒸着する必要があり その分コストアップとなるため 近い将来に 青色耐性接着剤を用いた設計に変更することによりコストダウンが見込まれるという意味であった。
報告会の最後に 青色LD光耐性接着剤開発テーマは そのフェーズを「量産」へステップアップすることなく 所長等の判断で中止と決定された。
今年度から研究所の開発テーマは それぞれ「調査」「研究」「開発」「量産」の4つのフェーズに区分して管理され それぞれのフェーズ毎に DCP(ディシジョン・チェック・ポイント)会議が設定されていた。
DCP会議では それぞれの開発テーマは 所長等により 次のフェーズへステップアップするか 中断するか または 中止するかの判断が下されていた。
「スクラップ アンド ビルド」と所長が言うように 終了となったテーマに属していたメンバー等は 新しいテーマに再配置されるか または他部署へ異動となっていった。
異動先として 研究所のメンバー等に人気があったのは 昨年に新設された環境本部であった。
この頃に 環境本部では 新しくできた有害物質管理法である「RoHS規制」に対応するための人手が足りなくなっており 化学系の技術者を募集していた。
「RoHS規制」は 2003年にEUへの輸出品について 有害6物質を規制したものであり 水銀、カドミウム、六価クロム、鉛と2種類の臭素系難燃剤が規制の対象となっていた。
これらの規制物質は 工業用製品に用いられる色々な原材料に含まれており もし それらの原材料を用いた商品がEUへ輸出されて 先方の輸入管理局での検査で有害物質が検出されると その製品を輸出したメーカーは 多額の賠償金を支払うこことなった。
2003年の年末に 日本のゲーム機器メーカーからEUへ輸出されたゲーム機が先方の輸入管理局で差し止められ その後 巨額の賠償金を支払った事例は 日本の企業に衝撃を与えていた。
これは ゲーム機の電源コードに印字されたインクに含まれる顔料に 規制物質が含まれていたことにより規制を受けた事例であった。
環境本部は 研究所の化学系の技術者達には 彼等の専門を活かせる職場の様に思われた。
光の回り込み / 新商品出荷
9月1日(水)午前10時頃に 材料チームの川緑と杉村技師は 企画の落合リーダーに呼ばれて 企画チームの会議室へ入った。
杉村技師は30歳台後半 背が高く スポーツマンタイプであり はっきりものを言うタイプであった。
彼は 化学を専攻しており 研究所のディーゼルエンジン用燃焼触媒開発プロジェクトに所属していた。
彼の所属していたプロジェクトは そのフェーズが「開発」段階であったが 先週の研究所のDCP会議の場で 所長から「テーマの中断」を告げられていた。
落合リーダーは 会議室のテーブルについた二人に オプトデバイス開発チームから材料チームへ BD光ピックアップ用の新規樹脂材料の開発依頼があったと言った。
彼は「依頼の案件を材料チームで対応すべきかどうか 杉村さんに主担当になって見極めてもらいます。 川緑さんには 杉村さんのサポート役をお願いしたい。」と言った。
昼会後に 二人は落合リーダーから紹介されたオプトデバイス開発チームの沖田主任技師を訪ねた。
主任技師は 40歳台前半くらい 中肉中背 端的な受け答えをする話しやすい印象の人物であった。
彼は BD光ピックアップのアクチュエーター(ACT)の開発担当者であり 材料チームに依頼のあった新規樹脂材料は ACTに用いられるものであった。
彼は 開発中のBD光ピックアップには 対物レンズの焦点を光ディスクの中の記録層に合わせるために 対物レンズを乗せて 磁力で駆動するACTと呼ばれる装置が搭載されていると言った。
彼は ACTは 通常の動作中に回転する光ディスクに接触することはないが もし 光ピックアップに イレギュラーに強い衝撃が掛かると その反動でACTに固定されている対物レンズが回転する光ディスクに衝突するケースがあると言った。
対物レンズが高速で回転する光ディスクに衝突すると 光ディスクに傷が入り 光ディスクに記録されたデータの読み取りや書き込みができなくなり また ACTに損傷が起こることが懸念された。
彼は ACTが光ディスクと衝突する時に 対物レンズの代わりに衝突し 光ディスクの傷つき防止とACTの損傷防止を目的とした緩衝材「レンズプロテクター」の開発を依頼した。
11月26日(金)午前10時頃に 川緑は研究所の居室で「レンズプロテクター」の開発計画書を作成していた。
「レンズプロテクター」開発の案件は 先週 研究所のテーマ起案会議で承認され 新規開発テーマとして登録されていた。
「レンズプロテクター」開発プロジェクトは オプトデバイス開発チームに属して活動することとなり 必要な研究費は オプトデバイス開発チームの深田リーダーの承認により得ることになった。
必要な研究費の使用予定を開発計画書に記入しているところへ 熊本事業場の光ディスクドライブ事業部の猪原技師が川緑を訪ねてやってきた。
猪原技師は 40歳くらい 中肉中背で 熊本弁まじりで 笑顔を交え ゆっくりと話をする温厚そうな人物であった。
彼は「川緑さん BD光ディスクドライブの商品化には 青色LD光耐性接着剤に頼るしかなかとですよ。」と言った。
彼は 来年1月に量産予定のBD光ディスクドライブに登載するBD光ピックアップの光集積素子の担当技術者であり 光集積素子の製造に用いる青色耐性接着剤の取り扱い方や評価方法を習得するために来ていた。
数日前に 川緑はオプトデバイス開発チームの作本主任技師から 光ディスクドライブ事業部での設計変更仕様の光集積素子の試作に不具合が出たために 設計を元に戻して 川緑の開発した青色LD光耐性接着剤を使うことが決まったことを聞いていた。
また 川緑は 作本主任技師から 事業部の技術者が青色LD光耐性接着剤の取り扱いについて 川緑の指導を受けるために訪ねてくることも聞いていた。
作本主任技師によると 最近まで 事業部では BD光ピックアップ用光集積素子を 青色耐性接着剤を用いない設計で試作し 素子の開発を進めていた。
光集積素子は 反射膜を蒸着したガラス基板を用いて作製し 青色LD光はガラス基板を張り合わせる接着剤に当たらない設計に変更されていた。
しかし 新設計の光ピックアップは 動作試験中に 従来の接着剤が青色LDの光により劣化し 光集積素子の機能が低下することが判明し 開発の中断を余儀なくされていた。
作本主任技師の話を聞いた川緑は ATR(Attenuated Total Reflection)法を用いた赤外分光分析のことを思い浮かべた。
ATR法は 赤外線を透過する屈折率の高い結晶板を用いる分析方法であり 結晶板内部を その対向する面で全反射させながら赤外線を送受信させて行う方法であった。
ATR法は 結晶板の外側に分析サンプルを置くことにより 結晶板からサンプル側へ滲み出した光(エバネッセント光)の吸収から サンプルの情報を分析する方法であった。
エバネッセント光は その波長のオーダーで 全反射面から外側へ滲み出すもので 赤外線では 数μmから数十μm の距離だけ外側に回り込むものであり 青色LD光の場合は その波長が405nmなので 数十nmの厚みの反射膜を通り越して その外側にある接着剤に届きダメージを与えたと想像された。
この日に 川緑は 猪原技師に 青色耐性接着剤の使用前の処理方法や 使用方法について説明を行った。
川緑の説明が終わると 彼は「川緑さん 暫く 熊本事業場に来てもらえんですか。 光集積素子の製造工程で 製造スタッフに青色耐性接着剤の取り扱い方を指導しいもらえんですか。」と言った。
光集積素子の量産支援の話は 事前に オプトデバイス開発チームの深田リーダーと材料チームの福井リーダーから指示されており 川緑は「分りました。では 来週早々に 熊本事業場におじゃまします。」と答えた。
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