第22話 熊本事業所案件

   なんとかなりませんか / BD光ディスクドライブ

   

 2003年の初めに 杉下電気社では 本社社長が交代し 新任の沢村社長は 杉下電気グループ各社の大掛かりな組織再編に取り掛かった。


 新社長が行った組織再編の背景には 2000年頃からのグループ各社の経営状況の急激な悪化があった。


 経営状況悪化の要因の1つは 近年 市場に登場した薄型テレビやデジタルカメラやデジタルレコーダー等のデジタル家電と呼ばれる新商品の普及の波であり グループ各社がその波に乗り遅れてしまったことによる機会損失であった。


 また要因の1つは グループの事業部制の組織形態による弊害であり グループ内のそれぞれの会社が ばらばらに新商品開発を行うことで 全社の開発のベクトルが揃わずに 無駄な開発投資を行っていたことであった。


 新社長は 「破壊と創造」をスローガンに掲げ 全てのグループ会社の事業領域を絞り 開発のベクトルを合わせることで事業の「選択と集中」を推し進めた。


 新社長の進めるグループ会社の構造改革は 九杉社へも波及した。



 2003年4月1日(火)午後1時に 九杉社の研究所の昼会で 吉海所長の新任の挨拶が行われた。


 吉海所長は 50歳頃、小柄で細身の体形、日焼けした精悍な顔つきの男であり 過去に熊本事業場でノートPC用の光ディスクドライブの事業を立ち上げてきた人物であった。


 挨拶の中で彼は 本社の「破壊と創造」 と「選択と集中」 の方針を受けて 研究所方針を打ち出した。


 彼は「事業部の最大の顧客がエンドユーザーであるように 研究所の最大の顧客は事業部である。研究所は 自社事業部に軸足をおいた運営を行う。」と言った。


 彼は 研究所の方針を基に 今後 研究所の既存のテーマの精査を行うことを告げた。


 所長の指示を受けて 研究所の既存の開発プロジェクトは そのフェーズを構想段階と研究段階と開発段階と量産段階に分類され それぞれにディシジョン・チェック・ポイント(DCP)という関所が設けられた。


 各プロジェクは DCPに合わせて 研究所の責任者等から テーマのGO/NOの判断を下された。


 研究所の幹部等による開発テーマの精査は 会社経営への貢献の度合いや実利を重視したものとなり 以前と比べると 研究所独自のテーマを少なくし 事業部支援テーマを多くするものとなった。


 研究所の組織再編の流れの中で 材料チームには 福井チームリーダー赴任してきた。

彼は40歳台前半、中肉中背、童顔、笑顔で チームのメンバーに活発に声を掛けるタイプであった。



 2003年12月4日(木)午後2時頃に 出張先から研究所へ戻った川緑に 同所のオプトデバイス開発チームの作本主任技師が声をかけてきた。


 彼は 40歳台前半、大柄でガッチリした体形をしており どちらかと言うと いかつい風貌の男であり これまでに 自社の熊本事業場で製造販売している光ディスクドライブ用の光ピックアップの開発を行っていた。


 彼は「川緑さん うちで開発中のブルーレイ・ドライブ(BD)用光ピックアップの件なんですけど ハイパワーの青色レーザーダイオード(LD)の光にもつ接着剤がないのよねー なんとかなりませんか。」 と言った。


 光ピックアップとは 光ディスクドライブに搭載されている光学デバイスであり 光ディスクへの情報の読み書きを行う装置であった。 


 BD光ピックアップとは 従来のCDやDVD光ディスクドライブ用の光ピックアップに比較して 更にデータ容量が大きいBD光ディスクドライブに登載するデバイスであった。


 作本主任技師は オプトデバイス開発チームのメンバーと共に 他社に先行してノートパソコン用BD光ディスクドライブの開発を行なっていた。


 川緑は「分りました。ちょっと調べてみますので 詳しい状況を教えてください。」と言うと 作本主任技師は「それでは 一度 熊本事業場へ行って 技術の話を聞いてもらえませんか。」と言った。



   半歩先行く / 事業部の方針


 12月5日(金)の午後0時頃に 研究所を出た川緑は 福岡空港から高速バスに乗った。


九州自動車道路を南下して菊水インターでバスを下りた川緑は タクシーで熊本事業所へ向かった。


 熊本事業場は 以前に ビデオテープレコーダーに登載される磁気ヘッドの製造販売を主力の事業としていた。


 1990年代頃からパソコンの普及増加に伴い 記録デバイスが磁気記録から光記録へと移行する中で 熊本事業場は 磁気ヘッドに代わりノートパソコン用光ディスクドライブの事業化を行い経営を存続してきていた。



 川緑は 光ディスクドライブ事業部の技術棟の会議室に入ると そこにはBD光ピックアップの開発に関わるメンバーが集まっていた。


 研究所のオプトデバイス開発チームから 深田リーダーと古澤氏が来ており 光ディスクドライブ事業部の技術チームから 石塚主任技師と山岡技師と椿技師と井手口氏が出席していた。


 川緑の中途採用試験時の技術面接官でもあった深田リーダーは 川緑に気付くと「川緑さん みんなの相談に乗ってやってよ。」と言いながら席に誘導した。


 会議が始まると山岡技師が 開発中のBD光ピックアップの構造と性能について説明を始めた。

山岡技師は 40歳台中頃、中肉中背、温和な眼差しと頑丈そうな顎が印象的な人物であった。


 彼の説明によると 開発中のBD光ピックアップは 3波長対応型と呼ばれるタイプの光ピックアップであり 波長780nmの光と波長650nmの光と波長405nmの光のそれぞれを発するLDが搭載され それぞれCDとDVDとBD光ディスクのデータの読み書きに対応するデバイスであった。


 また彼の説明では 光ピックアップの構造は それぞれのLDから発せられた光が いくつものレンズやミラーやプリズム等の光学部品を通り、整形、加工されて記録媒体に届き その後 記録媒体から反射された光が 光学部品を経由して 受光素子に届く仕組みとなっていた。


 山岡技師に代わり 古澤氏が BD光ピックアップの問題点について説明を行った。


彼は 30歳台前半、中背、細身の体形であり 面長で黒縁のメガネを掛けていた。


 彼の説明によると 光ピックアップには 光を分割、加工し 結合させる機能を有する光集積素子と呼ばれる光学部品が搭載されていた。


 光集積素子は 特殊な処理を施された4枚の光学ガラス板を接着剤を用いて貼りあわせ その後 数ミリ角のキューブ形状にカッティングして作られていた。


 彼は 従来のCD/DVD対応の光ピックアップ用の光集積素子に用いていた接着剤を 開発中のBD光ピックアップ用の光集積素子に用いたところ 光ピックアップを駆動時に問題が生じたと言った。


その問題とは 青色LD光を連続照射した時に 光集積素子を通るBD光の強度が減衰し 光ピックアップが駆動しなくなるというものであった。                                                


 これは 青色LD光により 光集積素子の接着剤が焼け焦げてしまい LD光の送受信が出来なくなったことによるものであった。


 これまで技術チームでは 青色LD光による接着剤の劣化の問題を解決するために 十数社の接着剤メーカーに依頼して 青色LD光に耐性のある接着剤の開発を依頼していた。


 古澤氏は 取り寄せた各種接着剤サンプルを用いて試作した光集積素子の評価を行ったが 良い結果は得られなかったと言った。


 古澤氏の話が終わると 深田リーダーは 参加メンバーへ 川緑に青色LD耐性接着剤の開発を依頼することと 川緑の本件に掛けられる時間は 持ち時間の内の3割であることを伝えた。


 深田リーダーは 川緑が佐賀事業所と宮崎事業所の研究委託テーマを抱えていることを知っていて 事前に 材料チームの福井チームリーダーと川緑の本件に関わる時間の調整を行っていた。 



 深田リーダーは 川緑に BD光ピックアップの開発の背景と 青色LD耐性接着剤の開発の必要性について話を始めた。


 彼の話によると 市場のノートパソコンの開発トレンドは「軽薄短小」であり それは パソコンに登載される光ディスクドライブについても同様であった。


 1980年代に デスクトップパソコンに登載された光ディスクドライブはハーフハイトモデルと呼ばれ その厚みは 41.5mmであったが 次に登場した ノートパソコンに搭載された光ディスクドライブはスリムモデルと呼ばれ その厚みは 12.7mmであった。


 その後のノートパソコンの「軽薄短小」 化に伴い 光ディスクドライブの厚みも 薄くなり 主流のスーパーマルチドライブの厚みは 9.5mmまで薄くなっていた。 


 光ディスクドライブの薄型化と光ディスクの大容量化の流れの中で 光ディスクドライブ事業部は 新規格に対応した新製品を 競合他社に先んじて市場に供給してきていた。


 深田リーダーは 「熊本事業場は 半歩先行く事業経営を実践していてね これまで競合他社に先駆けて新商品を市場に投入してきたんだよ。」と川緑に言った。


 また彼は「今回のBD光ディスクドライブの商品化は 青色LD用の光集積素子の開発がネックとなっていてね その開発ができるかどうかは 青色LD光に耐性のある接着剤の開発にかかっているんだよ。」と言った。

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