第20話 宮崎の休日
新年会 / ルアー釣り
2002年1月13日(日)午前5時に 川緑の居る単身赴任寮へ開発チームの池本技師がミニバンタイプの車でやってきた。
寮の玄関に待機していた川緑は「おはようございます。今日はよろしくお願いします。」と挨拶すると 池本さんは会社では見たことの無い明るい笑顔を見せた。
会社では 昨年末から0603チップインダクタの量産ラインの新設が行われており ライン設置の完了までには暫くかかる見込みであった。
量産ラインラインの設置が完了するまで 池本さんと川緑は 休日には休むことができた。
池本さんは川緑をルアー釣りに誘い その経験がない川緑に 釣り道具をすべて用意していた。
彼の車が向かった先は 単身赴任寮から15分くらいの所であり 一ツ瀬川の河口から南へ数キロメートル程の距離にある石崎浜というところであった。
車を道路脇に止めると 池本さんは 後部のハッチ式ドアを開けて 二人分の釣具を取り出した。
釣り竿には 既にリールが取り付けられていて 釣り糸の先端には ルアーを取り付けるための金具が止められていた。
彼は 金具に15センチメートルくらいの長さの魚の形をしたミノーという種類のルアーを取り付けて 川緑に渡した。
日の出前の真っ暗な中 彼等は 頭につけたライトの明かりを頼りに 波打ち際まで歩くと お互いに20メートルくらいの間隔を取り キャストを始めた。
始めて間もなく 池本さんは川緑のところへやってくると「小さいですけど 釣れました!」と フィッシュグリップで挟んだ 体長40センチメートルくらいのシーバスを持ち上げて見せた。
日の出が近づくと 南北方向に180度の角度範囲に水平線が現れ それから暫くすると 東側の水平線からひょうたんのような形に変形した太陽が出てきた。
日の出から1時間程経った頃に 池本さんは川緑に「まだ 元気ありますか?」と聞いた。
次のポイントは、最初のポイントから 北へ8キロメートルほど行った所だった。
午前10時頃に そろそろ上がりの時刻かと思いながら 川緑は キャストして リールを3回くらい巻き取った時に 手元に大きな抵抗力を感じた。
流木に掛けたかと思い竿を立てると 曲がった竿先の方向の海面に 大きな魚が跳ねるのが見えた。
それを見た瞬間に 川緑は 心臓が激しく動き出すのを感じて 強い緊張感を覚えた。
池本さんに大声で「掛かりましたー!」と言うと 川緑は 後ずさりしながらリールを巻いて魚を砂浜まで引きずり上げた。
上がってきたのは 体長60センチメートルのシーバスだった。
獲物は 流線型の体型に銀色のうろこの勇ましい外見とは対照的に大人しい目をしていた。
獲物を締めて 氷水が入ったクーラーボックスへ入れると 二人共 俄然ファイトが湧いてきた。
暫くの間 キャストを続けていると 川緑のルアーが着水した近くの水面に波紋の広がるのが見えた。
それと同時に 釣竿を持つ手元に 先程に比べると小さい当たりがあった。
糸を巻く時もさほど抵抗は感じなかったが 釣れたのは60センチメートルのサワラだった。
波打ち際に上がったサワラの鮮明な青い体色と直線的なスタイルは 奇妙で魅力的な生き物に見えた。
その後 池本さんが 体長40センチメートルの鰭が黄色い黄びれチヌを釣り上げて 納竿となった。
この日は 古田班長宅で新年会が予定されていて 午後5時頃に 二人は 班長宅を訪ねた。
「こんばんは。おじゃまします。」の挨拶に「どうぞ どうぞ。」と招き入れられると 先に 製造の下津さんと宮坂さんが来ていた。
事前に釣りに行くことを伝えていた川緑は 古田さん「釣れましたよ。」と獲物を渡した。
しかし 彼は 釣果を期待して無かったようであり テーブルには 魚の舟盛やすごいご馳走が用意されていた。
それでも古田さんは 手渡されたサワラを台所へもって行くと それを捌いて 大皿に刺身を盛り付けて持ってきた。
古田さんが席につくと それぞれのコップにビールを注ぎあい「お疲れ様でした。」「今年もお世話になりました。」と言ってコップを傾けた。
川緑は サワラの刺身をみんなに勧めながら 今日の釣りの話をした。
話がはずんで酒が進むと 川緑は 彼等に これまで仕事場で見てきたものとは異なる人物像を見ることが出来た。
獲物! / 鉄砲猟
2月3日(日)午前7時頃に 単身赴任寮へ製造の佐方さんが 軽トラックで川緑を迎えに来た。
この日に 佐方さんは 川緑を狩猟に連れて行く約束をしていた。
佐方さんは 寮から北の方角へ数キロメートル離れたところにある彼の家へ戻り 彼が飼っている猟犬4匹を 軽トラックに積んだ檻に移すと 目的地に向かって出発した。
彼の自宅から北の方角へ進むと、木城町を流れる小丸川にぶつかり そこから川に沿って西の方向へ進み その後 山道に分け入り 暫く進むと 人が住んでいない民家に着いた。
その民家が 佐方さん達が所属する狩猟の春山グループの集合場所だった。
春山グループは 猟の期間中だけ この家を狩の拠点として借りていた。
家の前の道には 軽トラックが5台停まっており 幾つかの車には 猟犬が積まれていた。
この日に集まったハンターは7名であり 60歳代や70歳代の方が多く 50歳代前半の佐方さんが一番の若手だった。
川緑は 佐方さんに言われて持ってきた1.8リットルの紙パック入りの焼酎を ハンターの一人に渡すと 彼は それを家の中の神棚に祀られた山神様にお供えした。
お供えが済むと 彼等は 今日の猟の段取りについて 打ち合わせをはじめた。
狩猟のスタイルは 二手に分かれて行うものであり 犬を連れて獲物を追う「せこ」と呼ばれるチームと彼等に追われた獲物を待ち撃つ「まぶし」と呼ばれるチームとに分れた。
打ち合わせでは 狩猟のエリアと 「せこ」が進むルートと 「まぶし」が待ち受ける場所が取り決められ 佐方さんは「せこ」役となり 川緑は彼に借りたビデオカメラを持って付いて行くことになった。
皆 無線機を携帯しており 無線機を使うときは 互いを名前では呼ばずに 3桁の番号で呼んだ。
先に「まぶし」のメンバー等が 軽トラックで集合場所を離れて行き 暫く時間をおいて「せこ」役の佐方さんと「407」と川緑は軽トラックで移動を始めた。
山の斜面に軽トラックが止められると 彼らは車を降りて 猟銃を点検し始めた。
川緑は 佐方さんの猟銃の点検の様子をカメラ越しに見ていたが彼の動作は きびきびしたものであり 近寄りがたい雰囲気が漂っていた。
準備ができると 佐方さんと川緑は 「407」と別れて それぞれのルートを進んだ。
二人は 猟犬の後から 木々が生い茂る道なき山を登り 尾根を下った。
急斜面の山を登り尾根に出た時に 佐方さんの4匹の猟犬が 右下の方向の斜面を 吠えながら駆け下りて行くのが見えた。
その直後に 左下の方向に 猟犬と同じくらいの大きさの灰色をした動物が見えた。
その動物が前方の斜面を尾根に向かって駆け上がるのを見た川緑は「獲物! 獲物!」と叫んで その方向を指差した。
その瞬間に 佐方さんは「猪じゃ!」と言いながら 素早く猟銃を構えて 2発撃った。
猪は 飛び跳ねるようにして尾根を超えて行った。
直ぐに 佐方さんは 一人で 猪が超えていった尾根まで追いかけたが そこで獲物を見失った。
その後 別の所で待ち受けていた 「まぶし」から鹿を仕留めたとの無線連絡が入り 二人は尾根を下り連絡のあった場所へ向かった。
その場所の近くまで来た時に 佐方さんは川緑からビデオカメラを取ると 先に行くようにと言った。
彼は 仕留められた鹿と川緑が対面する様子をビデオに撮影しようとしていた。
「まぶし」が待つところへ着くと そこは谷川沿いであり 川の手前に 重さ100キログラムくらいの雄の鹿が横たわっていた。
川緑は 鹿の正面にまわり 3段に枝分かれした角を持つ鹿の頭の近くにしゃがんで見ると 胸に刺し傷があり 短刀でトドメを刺されたのが分かった。
横たわった鹿の瞳のない目は 大きく見開かれていて 光のない緑色をしていた。
鹿の首筋辺りに 体長5ミリメートルから10ミリメートルくらいの大きさのダニが5匹から6匹くらいいて 鹿から離れていくのが見えた。
鹿を仕留めた「まぶし」と駆けつけた2人で 鹿を谷川から山道までの15メートルくらいの斜面を引き上げるのは かなりの重労働であり 川緑はひどく息が切れた。
獲物を軽トラックに乗せていると また無線が入り 別の所で鹿が捕れたとの連絡があった。
佐方さんと川緑が連絡のあった場所に着くと 葉の落ちた広葉樹が立ち並ぶ山の斜面に 二人のハンターがいて 80キログラムほどの雄鹿を 山道の方へ引きずり下ろそうとしていた。
川緑は ビデオカメラを回しながら 彼らの左斜め後方のから近づいて行き 彼等に追いつくと獲物を山道まで運ぶのを手伝った。
獲物を軽トラックに乗せると 午前中の狩りは終わり 空き家へ戻って 昼の休みとなった。
昼は 佐方さんの奥さんが作ってくれたおにぎりをご馳走になった。
山を歩き回って 獲物を運び 一仕事が終わった後に食べるおにぎりは 格別に美味かった。
午後に 佐方さんと川緑は 午前に登った山と谷を挟んで反対側にある山の斜面へ向かった。
二人は また山の斜面を登り尾根を降ったが 彼等の先を行く猟犬が吠えることはなかった。
午後4時頃に この日の狩猟は終わり 二人は山を降りて 集合場所の空き家へ戻った。
春山グループの今日の猟の収獲は 鹿5頭だった。
5頭の鹿は ハンター等によって空き家の中に運び込まれ 獲物の解体が始まった。
空き家の土間に運ばれた鹿は その角にロープが掛けられ 家の太い梁の下に吊るされた。
二人が1頭に掛かり 彼等は 短刀で皮を剥がし 次に 前足を肩から切り外した。
鹿の肩には関節がなく 驚くほど簡単に外された。
次に後足が外され 背中の肉が切り外され 内臓が取り出され、最後に肋骨と背骨が切断された。
鹿の解体作業が進むと あたり一帯は 鹿の血の匂いが立ち込め 5メートルくらい離れた位置からビデオカメラを撮っていた川緑は 血の臭を嗅ぐのが辛くなった。
「血生臭い」という言葉を川緑は聞いたことがあったが その場は単に生臭いだけでなく 臭いが体に染み付くような気がして 川緑は胸がムカムカするのを感じた。
鹿の解体作業をしていた60歳代のハンターは 一口大の赤い肉片を切り取り 川緑に「食べんね。醤油で。」と言って差し向けた。
「ありがとうございます。でも、血の臭がきつくて。」と川緑が遠慮すると 彼は「それに慣れたら 美味いよ。」と言った。
午後6時半ころまでに 獲物の解体作業が終わると 収獲はみんなに分配された。
猟犬を出した人には 多めに配られ、内臓は 希望する人に その部位が分けられた。
収穫の分配が終わり 皆が板の間に上がると 山神様にお供えしてあった焼酎が運ばれてきた。
焼酎は1つのお椀に注がれると みんなで回し飲みして 山神様にお礼を述べ 本日の収獲を祝った。
焼酎が一回りすると 最長老のハンターは「今日の猟の成果は 春山グループ始まって以来の快挙だ。」と笑顔で言った。
狩猟の会が散会すると 佐方さんは 川緑を単身赴任寮まで車で送って行き 彼の収獲の一部をビニールの袋に入れて手渡した。
川緑は「ありがとうございます。今日はお世話になりました。」と言って袋を受け取ると 中には10数本のスペアリブが入っていた。
単身赴任章の自室に戻った川緑は 1日中 山を歩いた疲れと これまで経験したことがない冒険の感動から 頭がぼんやりするような充実感を覚え その余韻に浸っていた。
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