第18話 量産支援

   事業部長報告 / 開発委託の延長

   

 2001年12月7日(金)午前9時に宮杉社の特別会議室で 各ビジネスチーム(BT)の代表者から松藤事業部長への開発テーマの進捗報告会が開かれた。 


 松藤事業部長は 60歳頃の男性、中背ふっくら体型、日焼けした顔で温厚そうな表情をしていたが 彼の視線には厳しさが感じられた。


 特別会議室は 他の会議室や商談室とは異なり 重厚感のある内装が施された会議室であった。


 会議室の床は絨毯が敷かれ 大きな木づくりのテーブルにふかふかの椅子が配置されており 壁に飾られた絵画や厚地のカーテンといったものが 会議室に重たい雰囲気を醸し出していた。


 その雰囲気と事業部長の視線は 各BTの代表者等に強い緊張感を与えているように思われた。



 宮杉社には コイルBTの他に3つのBTがあり 各BTの代表者は 彼等が担当する開発テーマの進捗と今後の展望について報告を行った。


 3つのBTの代表者の報告は 市場のグローバル化に伴うLCR電子部品の市場価格の続落の影響から 大きな売り上げを見込めるものとはなり得ず 冴えない内容となっていた。


  それぞれのBTの代表者は 開発テーマの報告を終えると 事業部長や幹部等から今後の方針や事業の挽回策についての厳しい追求を受けた。


 コイルBTの報告では BTの州崎技師と開発チームの池本技師の二人が代表者として登壇し開発テーマの進捗を報告した。 


 彼等は 新商品0603チップインダクタの開発状況について報告を行い その中で開発品の良品歩留まりの推移と 町畑製作所から注文を受けていることと 注文への対応の状況について述べた。


 彼等の報告が終わると 幹部等は「新商品の量産化を実現するように!」や「必要な人、物、金は用意する!」と言った激励の言葉を掛けた。



 報告を傍聴席で聞いていた開発チームの立野リーダーは 彼の隣に座っていた川緑に「今後も引き続き よろしくお願いします。」と声を掛けた。 


 彼がそう言ったのは 川緑の支援期間が当初の11月末日までから来年3月末日までに延長されていたからであった。


 数日前に 宮杉社は研究所へ0603チップインダクタの開発支援の延長を申し入れしており 研究所サイドもこれに同意していた。



 報告会の最後に 松藤事業部長は 会議の参加者に「このまま行けば 来年の4月には この事業場の門は閉ざされているだろう。」と言った。 


 彼は「一方で 九杉社の各事業部の長が集まる会議の場で 私は他の事業部長さんから『お宅は 事業部内部で材料開発から製品開発まで広く手がけておられていいですね。』と言われる。」と言った。


 事業部長は 宮杉社が物づくりの源泉から商品までの幅広い技術を有する会社であることを述べ 最後に「うちの強みを活かして 頑張ってもらいたい。」と激励した。



 報告会議が終わり事業部長が退室すると 同席していた事業部人事の泉田リーダーが川緑に声を掛けてきた。


 40歳くらい、中背、細身、面長の顔に黒縁の眼鏡を掛けた彼は川緑に「外部のあなたから見て 宮崎の事業所はどう見えますか。」と聞いた。


 川緑は「私も事業部長と同じように考えています。ここの事業場は 組み立てだけで商品を作っている他の事業場にはない 幅の広い技術があって 新しい事業にチャレンジできる組織だと思います。」 と答えた。


 川緑の言葉に泉田リーダーは 何度かうなづきながら「そうなんですね。」と言った。



 12月12日(水)午前10時頃に 川緑は 新設された2号ラボラインにいて 製造スタッフによる0603チップインダクタの試作状況を確認していた。 


 0603チップインダクタ量産化のために宮杉社から支援依頼を受けた川緑は 量産化のための更なる良品歩留まり改善について 何か糸口を見つけようとしていた。


 そこへ製造部の古田班長がやってくると「川緑さん 町畑製作所向けのサンプル試作の話は見送りになったとですよ。」と言った。


 彼の言葉に驚いた川緑は「えー! 一体何があったのですか?」と聞いた。



 古田班長は 先日の事業部長報告会の後に宮杉社の責任者等で0603チップインダクタの今後の方針が議論されたと言った。


 議論の中で 責任者等からは 町畑製作所の依頼に答えて注文数量の製造を優先すべきと言う意見や まず量産化に進むべきかどうかを判断する必要があるとの意見が上がったとのことであった。 


 議論の結果 責任者等は 注文をキャンセルして 年内に0603チップインダクタの量産化の可否判断を優先することを議決したとのことであった。


 また班長は 量産化に踏み切るとの判断になれば 大型設備投資を行い量産ラインの立ち上げを行うことになり そのためには 近々に試作品の良品歩留まりを高い水準で安定させることが必要条件になると言った。


 班長の話を聞いた川緑は 直ぐに良品歩留まり改善策を講じなければ 0603チップインダクタの量産化は頓挫してしまうと思った。



 班長が退室すると 川緑は 良品歩留まりの影響する要因で見落としているものがあるはずだと思いながら ラボラインの隅から隅まで見まわしていた。


 そこへ勝田技術部長から電話で呼び出しが掛かった。

 


   君のミッションではないのだが / 硬化阻害


 勝田部長に呼び出しを受けた川緑は 技術棟の2階へ行き 部長を見つけると「部長 お呼びですか?」と聞いた。


 机の上の書類に目を落としていた部長は顔を上げると「これは 君のミッションではないのだがね 抵抗BTで開発品の試作にトラブルが発生してね。君 悪いが対応してくれんかね。」と言った。


 川緑は 技術棟1階の実験室へ行き 部長から聞いた抵抗BTネスチームの寺川技師を訪ねた。


 40歳代 中肉中背、丸顔の寺川技師は 川緑を見つけると笑顔で「寺川です。」と言った。


 彼は「私は回路保護素子と言う新商品の開発を担当してます。開発品の絶縁用に検討している樹脂材料が固まらなくて困ってます。」と言った。



 回路保護素子は 外寸が1.0mm角×2.0mmの大きさの角チップ抵抗であり 角チップ形状のセラミック基材の表面に銅メッキで特殊なパターンを形成することにより 所定のLCR特性を持たせた電子部品であった。


 彼によると 素子表面の銅メッキパターンを絶縁封止するために 新野化学社製のシリコーン系の樹脂を検討していたが メーカー推奨の硬化条件で乾燥しても硬化しないとのことであった。 


 寺川技師は 時計皿に乗せた回路保護素子サンプルを取り出すと 素子の表面をピンセットの先でつついて シリコーン系の樹脂が硬化していない事を示して見せた。


 現象の説明を聞いた川緑は「状況はわかりました。この件を調査してみます。」と伝え「そのために教えてもらいたいことがあるのですが。」と言った。


 川緑が依頼したのは 回路保護素子を構成する全ての材料と 素子の加工処理に用いられる全ての材料のリストの作成であった。



 開発チームの居室に戻った川緑は 新野化学社の福岡営業所の西森課長に電話して 回路保護素子に用いられた品番のシリコーン樹脂について 硬化阻害を起こす物質を調べてくれるように頼んだ。



 翌13日(木)午前10時頃に 川緑は 新野化学社から届いた化学物質の情報と 寺川技師から渡された回路保護素子に用いられる化学物質の情報とを照らし合わせていた。


 双方の情報を比較して 川緑は シリコーン樹脂の硬化阻害を引き起こす化学物質を特定した。


 硬化阻害の調査結果と 幾つかの対策案を文書にまとめた川緑は 寺川技師のところへ行き 文書を手渡して その内容の説明を行った。


 寺川技師は「直ぐに対応して頂きありがとうございました。早速対策案を検討してみます。」と言った。



 回路保護素子の件に片が付くと 川緑は ふと 0603チップインダクタの良品歩留まりの低下の原因に 電着UVレジストの硬化状態に影響しているものがあるのかも知れないと思った。


 電着UVレジストの乾燥工程で もし何か レジストの硬化を阻害するものがあれば その後のUV露光工程や現像工程で不具合が生じることが予想された。


 そこで予想される不具合は ラボラインで起きている0603チップインダクタの良品歩留まりを低下させる状況を説明できるものと思われた。


 川緑は もう一度 ラボラインで電着UVレジストの硬化性に影響する全ての要因を見直すことにした。

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