第15話 サンプル依頼
見守ってやらんね / 頼りになる人
2001年9月20日(木)午前9時に 技術棟2階の会議室で 定例の0603チップインダクタ進捗会議が行われた。
会議に参加したのは 製造部の古田班長と 開発チームの池本技師と 生産技術部の辻本氏と 川緑の4名のみであった。
会議の始めに 古田班長は 昨日まで ラボラインで行われていた生産技術部のメンバーと製造部のメンバーによる0603チップインダクタの試作は うまくいかなかったことを伝えた
班長によると チップインダクタの試作では 新しい現像液が検討され 現像後の仕上がりを改善しようとしたものであったが 現像の後工程で不具合が生じてしまい その不具合を改善できなかったとのことであった。
班長は その後の製造部の会議で 製造部長から「この商品開発がうまくいかんかったら これに関わった技術者は 全員 事業所にはいらん。」とお叱りを受けたと言った。
部長の発言に対して 古田班長は「あなたがいくらあせってもどうにもならん。もう少し彼等の活動を見守ってやらんね。」と伝えたと言った。
今後は ラボラインでの0603チップインダクタの試作は 川緑等が行うことになった。
定例進捗会議が終わり 川緑等がラボラインへ行くと そこには 製造部のメンバーが3名いて 0603チップインダクタの試作の指示を待っていた。
古田班長は 川緑等に「今日から 三交代勤務でチップインダクタの量産試作を始めます。」と言った。
驚いた川緑は「まだ 製造条件は決まっていません。量産試作は早すぎます。」と言った。
すると 古田班長は「物はできんでもよかとです。でも今から製造部のスタッフに作り方を指導しておかんと 量産の時の立ち上がりが遅るっとですよ。」と答えた。
川緑は 古田班長の言動に 彼がとても頼りになる人物だと感じたのと同時に、彼の指導力は 彼の役職とは不釣合いなものに思えた。
0603チップインダクタ量産試作は 製造部のメンバー2名1組のA班、B班 及びC班で 三交代勤務で行われ それぞれ午前10時から午後2時と 午後2時から午後10時と 午後10時から翌朝の午前6時までの勤務が行われることになった。
この日のB勤務から量産試作が始められ 製造部のメンバーによる試作は 開発チームの池本技師と橘技師と川緑の3名が指導しながら行われることになった。
この日の夕方まで 0603チップインダクタの量産試作は順調に進んでいた。
量産試作が安定していることを確認すると 池本技師と橘技師は 彼等の本来の業務を行うために ラインを離れて行き 午後8時頃に帰宅した。
その頃に 川緑はラボラインの様子を見に戻ると 製造スタッフの手は止まりラインは止まっていた。
製造の下津さんは川緑に「30分くらい前から 電着塗料の付きが悪くなったとですよ。」と言った。
電着塗料は チップインダクタのコイル部分に塗着する絶縁塗料であり 電着後の塗着状態を顕微鏡観察すると コイルの一部に未塗着部が見られた。
下津さんは 40代中頃、小柄で細身、その立ち姿から 製造の仕事で鍛えられていると思われ その話し方から 川緑には 彼の仕事に対するやる気が感じられた。
トラブルの対処法を考えていた川緑に 下津さんは「私等は 試作品を数多く流すとが仕事です。 やり方を指導してください。」と言った。
「わかりました。では 現像液を入れ替えますので 手伝ってください。」と言うと 川緑は彼等に作業のやり方を教えた。
現像液の入れ替え作業が終わると 下津さん達は ラインを流し始めた。
その後 彼等は しばらく流してはラインを止めて 試作品の仕上がり状況をチェックし またラインを流すというようにして作業を進めたが 良品歩留まりは上がらず 20%から30%くらいであった。
午後10時近くになると ラボラインにC勤務の作業者二人が現れ B勤務の下津さん等から彼等への引継ぎの打ち合わせが行われた。
打ち合わせで 下津さんは川緑に「このまま勤務を交代しても C勤務の作業者等はトラブル対応できませんから 私は彼等を手伝います。」と言い 川緑も彼と供に C勤務をサポートすることにした。
午前5時頃に 一度単身赴任寮に戻った川緑は この日に福岡の研究所での月次報告会に参加するために 午前6時頃に寮をでると 佐土原駅から宮崎空港行きの電車に乗った。
電車に乗り 座席に座って目を瞑っていると 川緑の頭の上の方から「おはよう!」という声がした。
視線を上げると 勝田技術部長が 電車の吊革につかまり こちらを見ていた。
「おはようございます。」と返すと「出張かね。」と聞かれ「ええ 福岡で報告会があります。」と答えた。
「最近は どうかね。」と尋ねられて「昨日は 徹夜になりました。」と答えると川緑はまた眼を閉じた。
営業先からの電話 / サンプル依頼
10月4日(木)午前8時に 開発チームの池本技師と川緑は ラボラインに入ると C勤務の製造スタッフに昨夜の0603チップインダクタの試作状況を聞いた。
彼等は 昨日の試作の良品歩留まりが10%程だったと言った。
交替勤務体制で0603チップインダクタの試作を始めて以降 昨日の様に 良品歩留まりが急激に低下することがよくあった。
川緑は 試作品の良品歩留まりの変動要因を突き止めないと 量産への移行は難しいと思った。
この日の午後5時頃に 大阪に出張中のコイルBTの浦崎主任技師から 川緑に電話が入った。
彼は 電子部品メーカーの町畑製作所社との商談を終えたばかりで 先方の社内から電話していた。
彼は弾んだ声で「川緑さん お客さんからサンプル依頼がありました。10月27日までに L値(インダクタンス特性)の異なる2種類の0603チップインダクタ合計2万個を依頼されてます。」と言った。
彼は「但し 納期を守れなければ サンプル依頼の話はキャンセルされます。」と言った。
0603チップインダクタのサンプル依頼の情報は 直ぐに コイルBTの小掘リーダーから 関係部署に伝えられ 直ぐに コイルBTの会議室に生産技術部と製造部と開発チームのメンバーが集まった。
会議に集まった面々は 開発品が売れるかもしれないという期待感に活気づいており 彼等の表情は皆一様に明るく見えた。
しかし製造部のメンバーから 近々の0603チップインダクタの試作品の良品歩留まりの報告があり その値から 納期までにできる試作品の数量は 依頼を受けた数量の半分にも届かないと判ると 参加者等の表情は厳しいものとなった。
会議は サンプル試作の活動計画がまとまらないまま 午後9時頃に散会となった。
翌10月5日午前9時から 昨日に続き 同じ会議室で同じメンバーにより 0603チップインダクタのサンプル試作の納期対応策が議論された。
議論された対策案は二つであり 一つは試作ラインの各工程毎に良品歩留まりを上げる取り組み案であり もう一つは各工程で処理する試作数量を上げる取り組み案であった。
良品歩留まりを上げる取り組み案は これまでの試作品の歩留まりの推移から察すると すぐに効果が期待できるものではなかった。
試作数量を上げる取り組み案では 試作品の投入量を上げる方策が議論され そのための具体策が検討された。
具体策には 作業者の増員や 各工程にある設備のスケールアップや 試作サンプルを処理する時のバッチ数の増加や 1バッチで処理するサンプル数の増加が検討された。
ラボラインでの試作サンプルのハンドリングは 金属製の櫛状の治具を用いて手作業で行っていた。
これまでの櫛状の治具は 100mm×50mm×1mmサイズであり 1つの櫛の刃先と隣接する刃先との間に試作サンプルを挟み 1枚の櫛状の治具に10個のサンプルを保持していた。
今回 櫛状治具のサイズアップ(150mm×50mm×1mmサイズ、16個取り)を行うことになった。
この日の午後に 川緑等は ラボラインへ行くと 建屋の隅にある机の上に「製造日誌」と書かれたノートが置いてあり そのノートには 黒い紐でボールペンがくくりつけられていた。
この「製造日誌」 は、製造部の古田班長が用意したものであった。
班長は 川緑に気付くと「そのノートは なんでもいいですから 気が付いたことを書き込んで みんなで情報を共有するものです。」と言った。
班長の話が終わると 製造部の下津さんは「川緑さん 製造のメンバーに 物づくりの心構えを教えてやってください。」と言った。
彼の声を合図に 製造のメンバー等は 川緑を取り囲むように集まった。
川緑は「このラインでのモノづくりは 全く新しい取り組みです。私も ものづくりに何が必要なのか まだ掴んでいないことが多くあります。ですから 皆さんも ラインをよく見て 何か気づいたことを教えてください。」とお願いした。
10月22日(月)午前5時に起きた川緑は 単身赴任寮の食堂で朝食をとり 6時に寮を出た。
外は雨が降っていたが この日から会社までの片道6kmを歩いて行くことにした。
宮杉社へ来てから 川緑の一日は 単身赴任寮と会社との往復で終わってしまっていた。
一日の間の起きている時間の多くは 会社で過ごしていたが その間 換気が悪い会議での長い時間の会議は 川緑の体の血流を悪くし 息苦しさを感じることが多くあった。
また ラボラインでの試作品の歩留まり改善と試作品の増産検討に頭を悩ませることも 心身の健康には 良くないことに感じていた。
そこで彼は体調管理と気分のリフレッシュのために朝晩の通勤は歩くことにした。
朝の通勤の時間帯には 外は肌寒いくらいの気温であったが 会社に着く頃には 体が温まって汗ばむくらいになっていた。
10月25日(木)午後4時頃に 町畑製作所社向けの0603チップインダクタ試作サンプル2万個が発送された。
宅配業者のトラックが 宮杉社から出て行くのを見送った関係者等の表情には ユーザーの依頼に答えてサンプルを出荷できた達成感と 今後の量産化への期待感が感じられた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます