第8話 新規定着機の開発

   N増し試験 / 定着性の評価  

   

 1999年12月3日(金)午前9時30分頃に 佐賀事業所に入った川緑は  守衛所で記帳すると 機構技術の居室へ向かった。


 この日 川緑は平松氏の指導を受けての新規定着機の組み立てと 新規定着機を カラーLBPに組み込んでのN増し試験を予定していた。


 平松氏を見つけた川緑は「おはようございます。ご指導よろしくお願いします。」と言った。

彼は「おはようございます。試験用の部材は揃っています。早速 はじめましょう。」と言った。


 定着機の構成部品には PBT(ポリブチレンテレフタレート)と呼ばれる固めのプラスチックで成型された シューズボックスサイズの型枠と ヒートロールと  プレッシャーロールと ウェブロールと ハロゲンランプと 熱電対と 歯車や押さえバネやCリング等があった。


 ヒートロールは 2本の現行品と 6本の開発品の合計8本が用意されていた。

開発品は 2系統の液状フッ素ゴムのそれぞれに3水準のカーボン量を充填したもののそれぞれを塗布したものであった。 


 川緑は それらの部材を手に取ると 平松氏の指導に従って 定着機を組み立てていった。



 川緑の作業を見ていた平松氏は「川緑さんは工具の使い方に慣れてますね。」と 言った。

川緑は「以前勤めた会社で 製造設備の分解や組み立てをやってましたので。」と 答えた。


 これまでは あまり川緑に話しかけることをしなかった平松氏は「川緑さんは  実験はご自身でやられるんですね。」と確認するように言った。


 彼の言葉に 川緑は これまでに事業部から研究所に依頼があった開発業務は  それぞれの業務分担がはっきり分かれていて 事業部の分担業務は 事業部だけで 対応していた事が分った。 


 同時に 川緑は 上司の野島リーダーの「人に仕事をさせるようにならないと仕事ができるとは言えないぞ。」と言った言葉を思い出した。


 平松氏の言葉と上司の言葉は 川緑にこの会社の仕事の方針や評価に対する基準を感じさせた。


 それは 開発委託業務とは 研究所が主導権を持って 事業部を指導するもので あり そこには業務分担が明確化されており 部材の組み立てや評価は事業部サイドが担当し そうさせる事が 研究所サイドの指導力として評価されるということであった。  


 しかし 川緑は これまでの経験から そのような仕事の進め方は間違っていると感じた。


 彼は 新規定着機を 自分で組み立ててみないと そこに生じるいろいろな課題を見逃してしまい 良い商品を作ることはできないと思った。


 また この仕事を請けたときの 事業部の冷たい態度の理由の1つは これまでの研究所の開発委託業務の進め方に対する不満があったのだろうと推測した。



 定着機の組み立て作業が終わると 平松氏と川緑は 手分けして それぞれの定着機を それぞれのカラーLBPに搭載し 初期の定着性能の評価を始めた。


 彼等は まず それぞれのカラーLBPで所定の画像パターンを定着温度を変えながら印刷した。 


 次に 印刷した画像パターンを評価し それぞれの定着機について 定着可能な温度範囲である定着ウィンドウを求め それらのデータから それぞれの定着機に適した定着温度を設定した。 


 定着温度が決まると 次にそれぞれのカラーLBPで 所定の画像パターンを印刷し 画像の発色性や鮮明性等の初期定着性の評価を行った。



 今回の新規定着機の初期定着性評価の結果は 前回の結果と同様に 現行定着機に比較して良好なものであり、N増し試験により新規定着性の優位性が確認された。


 一方 開発品定着機の 初期定着性の結果では 2系統3水準のヒートロール試作品間の優位差は見られなかった。


 平松氏は「候補品が絞れていたら まとまった数量を寿命試験に掛けるのですが・・・」と言った。


 定着機の寿命試験は「5%ランダムパターン」と呼ばれる画像パターンを目標とする定着枚数だけ印刷した後に、初期定着性評価と同様の画像パターンを印刷して画像の評価を行うものであった。


 「5%ランダムパターン」は 印刷する紙の面積に対して 5%の面積を印字するものであり トナー4原色のそれぞれを 紙のランダムな位置に数 mm 角のエリアにベタ印刷する ものであった。


 定着機の寿命試験は 事業部内で規格化された試験であり 定着機の性能を見極めるために必要な試験であり 新規定着機の開発目標である6万枚を印刷するには1か月半程の日数を要した。



 暫くの間考え込んでいた平松氏は「寿命試験の前に 候補品を絞るための加速試験をやりましょう。」と提案した。


 平松氏が提案した加速試験は それぞれの定着機について 1週間で1万枚の定着を行う試験であり 寿命試験に比較して 定着機に 短時間で より負荷を掛ける 試験であった。


 加速試験は  トナー4原色の各色それぞれを 紙の25%の面積に 40%ハーフトーンのベタ印刷を行うものであり ヒートロール表面へのトナーの接触割合を 増加させることにより ヒートロールへの負荷を大きくするものであった。


 川緑は「そうですね。加速試験やりましょう。やり方を教えてください。」と賛同した。


 平松氏の指導の下に 川緑は 6台の新規定着機候補品と2台の現行定着機をそれぞれ カラーLBPに登載し 給紙トレイに投入できる最大量の500枚の試験紙をセットした。

 

 次にそれぞれのカラーLBPのコントロールパネルを操作して印刷パターンを設定すると 給紙トレイの紙がなくなるまで連続印字を行った。


 印刷速度は 4色印刷で 8ppm(ページ パー ミニッツ)の速度で行い  500枚の印刷には 1時間程の時間が掛かった。 


 平松氏と川緑は 交代で カラーLBPの印刷状態を見て回り 給紙トレイに紙が無くなるとすると また試験紙をトレイにセットし 印刷を再スタートする作業を繰り返し行った。



   候補品 / 連続定着試験


 12月13日(月)午前10時過ぎに 川緑はメールバスで佐賀事業部を訪れた。 


 この日 機構技術の平松氏と川緑は 実験室で 新規定着機の加速試験結果のまとめと 今後の開発スケジュールの作成を予定していた。


 平松氏は 加速試験を行った それぞれの定着機と 加速試験前後の定着試験で 印刷された画像データを実験台の上に並べて比較すると「うーん。結果に差がでてきましたね。」と言った。


 加速試験後の印刷画像の良好な順番は 液状フッ素ゴム中に球状シリカ粒子を充填した系統の3台の定着機で印刷したもの 次に 球状粒子を含まない系統の3台の 定着機で印刷したもの 最後に 現行の2台の定着機で印刷したものの順であった。


 球状シリカ粒子含有液状フッ素ゴムで作製したヒートロールを用いた定着機は 定着寿命の改善効果があり それは川緑の狙い通りであった。


 川緑は 球状シリカ粒子含有液状フッ素ゴムを用いることで ヒートロール表面に微小な凹凸を作り 離型オイルのヒートロール表面への濡れ性を良くすることと ヒートロール表面で熱圧着されるトナーの付着防止を目論んでいた。


 彼の設計思想が正しかったことは 加速試験で証明された。 



 球状シリカ粒子を充填した系統の3台はカーボン量を3水準とったものであった。

これらの定着機間の評価は 1台がやや劣り 他の2台は優劣をつけ難いものであった。


 印刷画像と 定着機の状態を見比べていた平松氏は「川緑さん 次は 結果の良かった2つを N増しして 寿命試験に掛けましょう。」と言った。


 その意見に川緑が賛同すると彼は「年末までに 寿命試験に必要な部材を集めます。」と言った。


  

 12月27日(月)午前10時過ぎに 川緑は会社のメールバスで佐賀事業部を訪れた。 


 機構技術の実験室に入り「おはようございます。」と声を掛けると 新規定着機の組み立てに必要な部材を実験台の上に並べていた平松氏は 川緑の方を振り返って 挨拶を返した。


 平松氏は「寿命試験に必要な部材は 揃ってます。定着機の組み立てをお願いします。」と言った。 


 寿命試験を行う新規定着機は 2つの候補品の各3台ずつと 現行品の2台の合計8台であった。


 この日の午後に 年明けからの新規定着機の寿命試験の準備が終わると 川緑は「平松さん 今年は大変お世話になりました。来年も宜しくお願いします。」と挨拶した。


 平松氏は「こちらこそ たいへん勉強になりました。 今後ともよろしくお願いします。」と答えた。


 「来年は いい物ができるといいですね。」と川緑が言うと 平松氏は「そうですね。でも ちょっと気になることがあるんです。」と言った。


 その言葉に反応した川緑は「何か問題が あるんですか?」と聞いた。


 すると 平松氏は「それは 2000年問題です。」と答えた。

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