第4話 研究に着手

   研究委託契約 / 開発計画書  

   

 1998年4月17日(金)午前10時15分頃に 川緑は 佐賀事業部の商品 企画課を訪ねた。

訪問の目的は 今年度の研究所への研究委託内容の打ち合わせと契約取得のためで あった。


 10時30分に技術棟の会議室に来たのは商品企画課の日野リーダーと畠山主任 技師だけであった。


 「機構技術からの出席者はいますか?」と聞いた川緑に 畠山主任技師は「ここへ来る途中に声をかけたんですが 皆さん忙しい様で。」と答えた。


 川緑は 新規定着機の開発には 定着機の組み立てや評価を行う機構技術課の協力が必要になると考えて 事前に機構技術課へ案内を出していたが そこからの参加者はいなかった。



 川緑は 席につくと「お時間頂き ありがとうございます。今日は定着機関連の 調査結果のご報告と今後の新規定着機の開発についての打ち合わせをお願いします。」と言って報告書を手渡した。


 報告書は 定着機関連の特許調査結果と 定着機を構成する樹脂材料の調査結果と 今年度の開発計画書に関するものであった。


 定着機関連の特許調査の報告では 過去に出願された特許の変遷を示した。

川緑は LBPメーカーの中で最大手のDグラフィー社が有する特許と 佐賀事業部のOEM生産元のエンジニクス社が有する特許を示し 両社のLBP設計思想を読み解き 今後 自社がとるべき開発の方向を示した。


 定着機を構成する樹脂材料の報告では 材料メーカー各社が有する材料を一覧表にまとめ その中で 自社で使用可能なものを示した。 


 開発計画の報告では 今年度末までに 現行品より超寿命で低コストの定着機の 開発を目標として掲げ 目標達成のための開発の取り組みとスケジュールを示した。


 開発の取り組みでは 月西工業社から入手予定の樹脂材料をベースにヒートロールを開発し また 薬品メーカーから入手予定のシリコーンオイルをベースに離型オイルを開発することを示した。

 

 ヒートロールの開発では 月西工業社から入手予定のフッ素ゴム材料を表層材料に用いる構成として ゴム材料の機械的強度や表面エネルギー特性をパラメーターとした開発の取り組みを示した。


 それらのパラメーターは ゴム材料の硬化状態に依存するために 川緑は 彼の 硬化の理論を基にした開発のツールの構築を 新規定着機の開発計画に盛り込んで いた。


 報告の最後に 川緑は 開発計画を推進するために佐賀事業課の協力が必要であると述べた。


 報告を聞いていた日野リーダーは「開発計画の内容については 了解しました。 佐賀事業部では今期 研究委託の費用は計上していますが 正式に委託を行うかどうかは 一度 事業部内で検討して回答します。」と にこやかな表情で答えた。



 4月27日(月)午前10時15分頃に 川緑と上司の野島チームリーダーは佐賀事業部を訪れた。


 先日の川緑の新規定着機の開発計画案の提出を受けて その後 商品企画課から 今年度の研究所への研究委託の申し入れがあり この日に研究委託契約の締結と  今後の業務の進め方について打ち合わせが予定されていた。


 打ち合わせは技術棟の会議室で 商品企画課の日野リーダーと畠山主任技師が参加して行われた。


 川緑が提出した研究委託契約書には 研究所側の責任者等と材料チームリーダーと川緑の印鑑が押されており これに事業部側の責任者や関係者等の押印をもらい契約が締結されるものであった。


 事業部側の押印を依頼すると その後 新規定着機の具体的な開発の進め方の話になった。

川緑は 新規定着機の開発の取り組み内容をまとめた報告書を提出し 内容の説明を行った。


 新規定着機の評価の取り組みの話の中で 川緑は カラーLBPを用いた定着機の試験の際に 事業部から人を出して LBPの操作方法の指導を依頼した。


 畠山主任技師は 「その件は 一度 機構技術に相談してみます。」と答えたが 川緑は 彼の回答に違和感を覚えた。 


 それは 佐賀事業部が材料部品研究所へ新規定着機の開発依頼を決めているのであれば 当然 開発品の評価には機構技術のメンバーが参加するものと思われたからであった。


 彼の言葉は 川緑に 今回の研究委託の案件が 会社の上層部から佐賀事業部に押し付けられたものであり 事業部の機構技術は 契約により 委託費洋が発生することと 技術の人手がとられること反発している様子を思い描かせた。



   研究に着手 / 簡易評価方法の考案


 5月13日(水)に 川緑は 月西工業社から届いた液状フッ素ゴム材料2種類の評価を始めた。


 材料の1つは 現行の定着機に用いられているルーテル社製の商品であり もう1つは 月西工業社から紹介されたメーカー不明のサンプルであった。


 最初に 川緑は 2つの液状フッ素ゴム材料の硬化性を厳密に調べることにした。     

彼は 2つの材料について 塗布条件や加熱条件を変えた時に どのように硬化するのか調べた。 


 川緑は 硬化性の樹脂材料を取り扱う時には その硬化性を厳密に調べておくことがなにより必要だと考えていた。


 それは 硬化状態を正確に抑えずに得られた樹脂材料の評価結果は 使い道のないものなってしまうことを過去に経験していたからであった。


 川緑は 液状フッ素ゴムの硬化性を調べるために 100×100×1mmサイズのガラス板の上に アプリケーターと呼ばれる塗装治具を用いて 液状フッ素ゴムを塗布したサンプルを作製した。

その後 乾燥機を用い乾燥温度と時間を変えて液状フッ素ゴムを硬化した試験サンプルを作製した。


 次に 彼は それぞれの試験サンプルの硬化状態の評価を行った。


 硬化状態の評価には ゲル分率と呼ばれる手法と 赤外分光分析装置(FT-  IR)と X線光電子分光分析装置(ESCA)とを用いて行った。 


 ゲル分率は 試験サンプル全体の硬化状態を評価する方法であり 切り出したサンプルを有機溶媒で煮沸し その前後のサンプルの重量変化を求める評価方法であった。 


 FT-IR分析は 試験サンプルの一部分の硬化状態を評価する方法であり 薄く切り出したサンプルに赤外線を照射し 光の吸収特性を調べることで サンプル中の反応性分量を評価する方法であった。


 ESCAは 試験サンプルの極表面の硬化状態を評価できる方法であり サンプルの表面にX線を照射し 発生する電子のエネルギーを観測することにより サンプル表面の反応状態を評価する方法であった。


 川緑は 2つの液状フッ素ゴムの試験サンプルについて 得られた実験結果の解析を行った。

彼は 解析の中で 彼の硬化の理論を用いて それぞれのサンプルの内部の硬化状態の数値化を行った。



 5月25日(月)に 川緑は 新規定着機開発のための定着性の簡易評価方法を考えていた。


 本来 事業部では 定着機の定着性の評価は 試作した定着機をLBPに搭載して行われていたが それでは評価に時間が掛かりすぎるので 何か簡便な評価方法が必要であった。


 川緑が考案した定着性の簡易評価方法は 次のようなものであった。


 まず 先述と同様にガラス板上に液状フッ素ゴムを硬化させた試験サンプルを作製し フッ素ゴム面を上にしてホットプレート上で所定の温度に加温した。


 次に トナー(画像を形成する着色粉体)を転写した紙を用意し フッ素ゴム面に 布に含浸させた離型オイルを薄く塗布し 転写紙のトナーが付着している面を合わせるようにフッ素ゴム面に乗せて その上から所定の荷重を掛けて所定の時間保持した。


 最後に 荷重を除き フッ素ゴム面から紙を剥がして トナーの定着状態の評価と フッ素ゴム表面へのトナーの付着状態の評価を行った。


 簡易評価に用いたトナーを転写した紙は カラーLBPのフロントパネルを開けて インターロックを解除した状態で印字をスターとさせ トナーを転写された紙が  定着機に送り込まれる前に取り出したものを用いた。


 定着性の簡易評価方法を用いた 2種類のフッ素ゴムサンプルの試験結果は 現行の液状フッ素ゴムの方が 月西工業社のサンプルよりも定着性に優れる結果であった。


 この結果は 以前に 月西工業社での打ち合わせの時に聞かされた情報と一致しており 川緑は 定着性の簡易評価方法が有効な手法だと感じた。


 簡易評価方法を得たことは 川緑にとって 研究委託業務を進めるための第一歩であったが 材料メーカーや事業部の対応を振り返ると 研究委託契約書に掲げた目標の達成が難しいものであると予想された。


 事業部や材料メーカーや加工メーカーの協力が得られない中 彼は 新規定着機の開発を進めるためには 自分ができることをやる以外にやりようが無かった。

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