第41話 忘れかけていた生活感②

 「武者野クン・・・ありがとう!ありがとおおおおお!!」

 クララの父親が感極まって号泣し始めた。


 「本当にどれだけ感謝してもし足りませんわ・・・」

 クララの母親もお洒落なハンカチで目元を押さえている。


 「僕も肩の荷が下りたよ」

 クララの弟も心底ホッとしたように安堵していた。


 「お義兄さん凄いよねー。クララどころかこんなお堅いロッテンマイヤーさんを孕ませちゃうんだからぁ。アハ」

 クララの妹だけはマイペースだった。


 「およしなさいエリカ」

 クララ母が静かに、だが抗い難い圧を放つ。

 しかし、エリカちゃんにはどこ吹く風で全く効いてないようだった。


 「だって本当にもったいないってー。お義兄さん今すっごい人気なんだから。私の大学にもファンの子がたくさんいるよー。それなのに行き遅れの年増女とデキ婚なんてかわいそう。ねぇ?」


 いや、俺に同意を求められても困るわ。

 隣にいるクララは妹の戯言を全く気にしてないみたいだからいいが、とにかく俺の気持ちはハッキリと伝えておいた方が良いな。


 「俺は可哀想どころか、今が人生で一番幸せだよ」


 「おおぅ武者野様・・・」

 「あぁ拓哉様・・・」

 「マジ救世主」

 「もぉお義兄さん神様すぎるよー」


 この発言で俺は英雄からさらに神様へと祀り上げられたようだ。

 ご両親などは今にも祈りそうな表情で俺を見ている。

 ここまでくるとさすがにプレッシャーだが、長いプロ生活と大バッシングで鍛えられた俺の鋼のメンタルはびくともしないぜ。


 「俺に任せて下さい。クララさんをきちんと幸せにしますから」


 一度失敗してる俺が言えたもんじゃないが、そんなことは知らん。

 ちゃんと断言しておかいないと不安にさせてしまうからな。

 クララの家族は俺の言葉に感じ入って何も言えないでいる。

 エリカちゃんですら感激して薄っすらと涙目になっていた。


 「お茶のおかわりお持ちしましたよ」

 「おちむしゃーサッカーやろー」


 クララ弟の嫁さんがティーカップに淹れたての紅茶を注いでくれる。

 その3歳になる息子さんはまだ遊び足りないようだった。


 「あのJ3に降格しそうなほど弱小クラブだったホーリーランズを3年でJ1に押し上げるなんて本当にもの凄い快挙ですよ!」


 皆に紅茶をサーブしてソファーに座るなり義弟の嫁さんはまくし立ててきた。


 「マリアちょっと落ち着いて」

 「ミナトさんはサッカーに詳しくないから分からないんです。これがどれほどの偉業か!広島のサッカー界にどれほどの影響があるかを!」

 「おちむしゃーサッカーやろー」

 「コラ、シュウトはちょっと我慢しなさい」


 うーん、義理の妹になるマリアさんは結構なサカオタみたいだな。

 その影響で息子のシュウト君がサッカーをやってるようだ。

 そもそもシュウトという名前で推して知るべしか。


 「ありがとうマリアさん。サッカーに詳しいんですね」


 「はい!S女でサッカーやってました。だから今日は武者野選手に会えて凄く嬉しいです!ずっと楽しみにしてました」


 え、S女だってー!?

 お、落ち着け落ち着け。鋼のメンタル鋼のメンタル。

 カレンと同じ学校というだけで何も関係は無いんだ。気にしちゃ駄目だ。

 そんな風に動揺していた俺をミナトが勘違いしたようだ。


 「だから落ち着いて、武者野さんが困ってるだろ」

 「おちむしゃーサインちょーだーい」

 「大丈夫ですよ。俺もファンに会えて嬉しいです。今後もホーリーランズ共々応援よろしくお願いしますね」


 「もちろんですよ! 私、J1のサンパーク広島のサポーターでしたけどホーリーランズに乗り換えます! あぁ、来シーズンはサンパークとホーリーランズの広島ダービーが観れるんですよねぇ。もう本当に楽しみ!最高ですよ!これも全部武者野さんのお陰です!」


 「それはちょっと大袈裟だよ」


 「そんなことありません!今のチームは完全に武者野選手が作ったものじゃないですか。馬場選手を覚醒させたのも、永田選手を進化させたのも、山内選手を育てたのも、ボブ選手を調教したのも全部武者野選手ですよね。広島のサッカーファンなら誰でも知ってます。アナタは私たちの期待の星なんです!私たちの夢を叶えてくれる神様のような存在なんです!」


 「さすがに神様は・・・」


 「本当なんですよ。広島にもう一つJ1クラブが誕生すれば、プロサッカー選手を目指す子供たちにもう一つ有望な地元の就職先が増えるってことなんです。J1で広島ダービーが実現すれば必ず盛り上がって広島のサッカー熱も急上昇ですよ。そうして注目度が上がればスポンサーも増えます。広島のサッカー界が発展するんです・・・」


 「そんな夢物語が今まさに実現しようとしてるんですよ!」

 「武者野選手があと一歩の所まで連れて来てくれたんです!」


 胸の内を全て言い切った義妹は荒い息をしながら潤んだ目で俺を見ていた。

 熱いな。目だけじゃなくその想いも。

 サポーターとはここまで熱くなれるのか。

 俺はそんな風にマリアさんを冷静に分析していた。これも職業病だな。


 ・・・冷静に? 


 いや違うだろ!

 どうして俺はこんなに冷めてるんだ!?

 J1昇格を他の誰でもないこの俺が決めると誓っただろ。


 その張本人の俺がマリアさん以上に燃えてなくてどうする!?


 さっき俺は今が人生で一番幸せだと本心から言っていた。

 チームの絶好調とクララとの幸福な私生活。

 心が満たされ続けていたせいで、いつの間にか忘れていたんだ。

 あの絶望の日々での飢えと渇きを。


 油断していたつもりはなかったが、どこかで慢心していた。

 ホーリーランズのサポーターは、広島のサッカーファンは俺たちがJ1へ行くことをこんなにも渇望してくれている。

 クソ、それなのに俺ときたら・・・


 「おちむしゃーサインちょーだーい」

 「シュウト、大人の事情でサインは駄目なのよ」


 メルカリなどで高値が付くので俺はまだサイン解禁されてなかった。

 だが良いだろう。俺は大切なことを気付かせてくれたお礼をしたかった。


 「構いませんよ。俺たちはもう家族ですから」

 「本当ですか!?ありがとうございます!」

 「シュウト君の分とマリアさんの分も書かせて下さい」

 「あぁ素敵すぎ・・・クララさん本当に良かったですね。羨ましいです・・・」

 「おいおい・・・」


 嫁の有頂天ぶりにミナトが慌て始めた。

 だが大丈夫だぞ。俺は貧の者ではないからな。


 「当然ですわぁ。私の夫ですものぉ」


 クララは終始こんな感じで俺によりかかり甘えていた。

 妊娠が発覚してからどんどんその傾向が強くなっている。

 でも好きなだけ甘えればいいさ。俺がずっと支えてやる。


 「クララさんの子供もサッカーの才能ありそうですよね」


 どうだろうか。前妻との娘はスポーツをやらなかったら分からんな。


 「シュウトも一緒にホーリーランズに入れるといいなあ」


 そうだね。

 その夢を実現可能な目標にする為にも俺はやらなきゃいけない!

 あぁ、燃えてきた、メラメラと燃えてきたよ。

 今日、クララの実家に来て本当に良かった。

 広島のサッカーファンの声を夢を想いを聞けて本当に良かった。

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