第40話 忘れかけていた生活感①

 「武者野拓哉選手、君への寄付金が届いた」


 「寄付金、ですか・・・?」


 ああ、あれだけ世間で騒がれたからそういう事もあるかもな。

 とりあえず、変な話じゃなくて良かった。

 それで、誰からの寄付なのかな?


 「中東イラブの富豪から相当の大金が送られてきている」


 「は?」

 「君の中東の奇跡を知ったさる富豪が寄付をしてきたんだよ」

 「もしかして、俺が助けた観客ですか?」


 「いや違う、暴漢の方だ。正確に言うと、暴漢の親からになる」


 「それはまたどうして?」

 「暴漢は富豪のドラ息子だったんじゃ。お前のお陰で息子が殺人犯にならんで済んだゆーて感謝しとる。そんでお礼がしたいっちゅーわけじゃ」


 ゴリ監督が楽しそうに説明してくれた。

 なるほど。俺はドラ息子だけじゃなくその親の名誉も救ったわけだ。

 そういうことなら有難く受け取っておこう。


 「それでその寄付金というのはいくらなんですか?」


 フロントからその金額を聞いて唖然とさせられた。

 産油国の富豪は桁が違うわ。

 小市民の俺にとっては足が震えるほどの大金だった。

 税金の話やらマスコミ対策などフロントからいろんな説明があったが、上の空でよく憶えてない。


 とにかく今はこの件を忘れよう。シーズンが終わるまでは。

 どうしてフロントもそれまで秘密にしておかないんだよ。まったく。

 うーん、とりあえず家族になる彼女にだけは話しておかないとだな。




 「あら、良かったですわね、ター君」


 マンションに帰ってクララの作った夕食を一緒に食べている時に、昼間の寄付金の話をしたら驚くほど薄いリアクションをされた。

 半分は税金で持っていかれるとしても相当の金額がまだ残る。

 もうちょっと喜ぶなりすると期待したんだけどな。


 「お金がたくさんあるのも善し悪しですわ」

 「そういうものかな?」

 「そうですわ。大金に胡坐あぐらをかいて腑抜ふぬけるような真似は許しませんわよ」

 「そ、そんなことはしないよ」


 ヤバイ、ちょっと考えてた。

 この先はもうクララと一緒にダラダラ暮らしていこうとか。


 「本当かしら。今後の事をちゃんと考えてらっしゃいますの?」


 ありゃりゃ、完全に藪蛇やぶへびになってしまった。


 「今後の事というと?」


 「もぉ貴方って人は・・・ター君はもう直ぐ36歳になるのですよ。現役でいられるのもあと1年か2年ですわ。その先のプランを何か持ってらっしゃいますの?」


 おおぅ、さすが大新聞社の敏腕記者だな。

 しっかりしているというか堅実で現実的だ。良い嫁さんになるわ。


 「引退後は解説者になるかクラブに残ってコーチになろうかと考えてるよ」

 「何か具体的な話はありますの?」

 「今のところはないけど、この人気ぶりなら解説やテレビ出演の依頼とかが結構あると思うんだ」


 「甘いですわ。それも激甘ですわ」


 「そ、そうかな」


 「もぉ本当に貴方って人は・・・今の人気が引退する頃まで続く訳がありませんわ。J1に昇格した時をピークにあとは落ちて行くだけです。そうなってから慌てても遅いんですのよ」


 ヒェーーー、婚約者にそこまで言うかー。ホント良い嫁さんになるわ。


 「クララの言う通りだな。今は大事な時だけど先のことも真剣に考えてみるよ」


 「その必要はありませんわ」


 はいぃぃぃ?

 これまでの話の流れはなんだったのさ?


 「私がもう考えてありますの」


 な、なんだってー!?


 俺の引退後の人生までもう考えてるって言うのか・・・

 一体何だ?

 この魔性の婚約者は俺に何をさせようっていうんだ?


 「そ、それは嬉しいな。聞かせてくれるかい?」


 「ウフフフ、ター君にはこれから手記を書いてもらいます」


 手記!


 俺に本を出せと言ってるのか。


 「手記、といっても何を書くのかな?」


 「もちろん、如何にして弱小J2クラブをJ1に昇格させたかをですわ」


 クララは目を輝かせながら持論を語り始めた。


 「この手のサクセスストーリーが嫌いな人はいません。それに成功から何かを学ぼうとする人もたくさんおりますわ。加えてター君の知名度があればベストセラー間違いなしですの」


 おおぅ、なんか俺もそんな気がして来た。


 「当然ですが、我が毎朝新聞の系列から出版させます。そして私が全力で宣伝します。これで万が一にも失敗はありえませんわ!」


 絶対イケるはこれ!


 有能記者のクララに自信満々で断言されると本当に大成功間違いなしと思わされてしまった。チョロいな俺も。


 「出版時期は引退する直前が良いですわ。話題になりますし、引退後直ぐに講演の仕事ができますもの。書店でのサイン会も私が手配致しますわ」


 しかし出てくる出てくる。

 俺の為にここまで考えてくれてたんだなぁ。感動したよ。惚れ直したよ。

 それに報いる為にも全力で応えてあげたい。


 「手記なんて書いたことないけど頑張ってみるよ」


 「その姿勢が尊いのですわ」


 「ああ、金があるからって人生を無為に過ごしちゃ駄目だよな」


 分かってくれましたかとクララは満足そうに微笑む。

 そして、俺の大金ゲットよりも遥かに喜ばしい贈り物を口にし始めた。


 「私からも報告がありますの」


 お腹をさすりながらうるわしの婚約者は頬を染めた。

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