第20話 本当の絶望と最後の希望②
「私のせいでこんなことになって本当にごめんなさい」
静かな喫茶店の奥まった目立たない席で落ち合うなり四条さんに謝罪された。
「え、四条さんは何も悪くないでしょ。今回の騒動は毎朝の記事が発端なんだから」
「はい、でも武者野さんを取り上げてくれるように立花さんにお願いしたのは私なんです」
な、なんだってー!?
あの魔性の女クララと勝利の女神ノリエが裏で繋がっていたのか!
なんだかもう訳が分からない。
注文した紅茶を飲みながら俺は四条さんの話を聞いた。
クララは以前、毎朝の東京本社にいたらしい。その時期に四条さんの両親に何かとお世話になっていた関係で知り合ったそうだ。クララにしてみれば恩人の娘からの頼みなので渋々ながらも引き受けたと。ただし取材しても報道に値しないようなら記事にしないという条件で。なるほどね。話は分かった。
「だけど、やっぱり四条さんは何も悪くないよ」
「それは違います。立花さんの性格を考慮すれば、こうなることも予想できた筈なんです。武者野さんと結ばれて舞い上がって馬鹿になってたんです。私は自分の油断と怠慢が赦せません。恋人失格です。グスン」
え、泣いてる?
そこまで罪悪感を感じなくてもいいのに。
この件で、クララを責めるんじゃなくて自分を責めるのが四条さんだった。
「だから、私、しばらく武者野さんとも会えません」
え、どうしてそうなる?
「とても辛くなりますから」
そうだね。それが四条さんの性格だよね。
俺の顔を見るとこの騒動を思い出してどうしても居たたまれなくなるよな。
それに何より、恋人の俺と会えないという罰を自分に与えないと気が済まないんだよな。
これは、もう、ダメか・・・
喫茶店の前で別れた四条さんを見送りながら、俺は直感的にそう感じた。
始まりも突然だったが、終わりも突然だったな。
でも男女の仲なんてこんなもんだ。誰が悪いわけじゃない。
ただ縁がなかったんだ。
毎朝事件から10日が経った。
その間にアウェーでの試合があったが俺は欠場を余儀なくされ試合もボロ負けした。
バッシングのピークは過ぎたとはいえクレームの電話は続きネット上の批判も収束していなかった。
これからも簡単に忘れ去られることはないだろう。
何しろJリーグの試合は毎週行われるのだ。ホーリーランズの試合がある度に俺の放言と売名行為(とされているもの)はサッカーファンに思い出され怒りを新たにされてしまう。
昨日は元妻から電話があった。
俺のせいで肩身が狭いとか文句を言われ、あーはいはいと聞いていたが、娘が学校でからかわれてるという最も大事な情報をついでのように最後に言われた時には、娘に申し訳なくて悔しくて悲しくて涙が止まらなかった。
J2リーグも30節まで日程を終えた。
我がホーリーランズ尾道の成績は13勝10敗7分けと上り調子から一気に急降下していた。
チーム状態はこれ以上ないほどのどん底だ。
毎朝ショックから1ヵ月経ったが、その間だけを見れば1分け4敗と目も当てられない体たらく。
原因はもちろん俺が起こした騒動の悪影響だ。
オフサイドの件でJリーガー達から反感を買った俺は、どうにかして俺にオフサイドの反則をさせよう関わらせようとする相手チームから、きついマークを受けたり不必要に削られたりするようになった。
そういうプレーが出る度、俺が前線にパスを送る度に、スタジアムは今度こそオフサイドになるんじゃないかとどよめく。
アウェーではもう完全にヒールだ。
記録が途絶えてしまえばお前もプロ失格だと罵声を浴び続ける。
まぁそれはいい、その程度のことで俺がオフサイドを犯すことなどないのだから。
しかし、その重苦しい空気がチームメイトを完全にビビらせていた。
自分がオフサイドポジションにいたことで俺の記録を止めてしまう犯人になることを恐れたのだ。
特に馬場のプレーは精彩を欠くようになった。
性格的なものもあるだろうが、そもそもルーキーなのだからプロのメンタルが出来てなくても仕方ない。だがダイレクトシュートをものにしてからはチームを牽引していた一人だった馬場の不調は痛恨だった。
永田の代わりに先発していた佐々木も馬場同様にオフサイドを怖がってプレーが委縮してしまった。
こうして3トップの左右は自滅した。
中央にいるボブだけはひたすらいつも通りのボブだったが、他の二人がダメになってしまったのでマークが集中し得点できなくなってしまった。
3トップが機能しない時は、サイドバックが積極的に上がる戦術になっているが、彼らもオフサイドを怖がって攻撃参加を躊躇するありさまだった。
こうなるとパサーの俺はお手上げだ。
パスしか能のない俺には他に攻め手がない。
ただただ俯瞰視を使って敵の動きを把握し予測してその攻撃の芽を摘むことに徹した。
勝ちの無いここ5試合の得点は僅か4点。
山内のフリーキックと永田のドリブルシュート、山内のコーナーキックに長身センターバックが合わせたヘディングシュート、そして敵の自殺点。本当にこれだけだ。無様だ。醜態だ。
ゴールからずっと遠ざかっているボブの不満とストレスは爆発寸前になっている。既にカードを何枚も貰っていて直近の試合も累積で出場できなかった。いつ決定的な事件を起こしてクビかリーグ追放になっても不思議じゃない。
俺の長いサッカー人生でもここまでチーム状態が突き抜けて最悪なのは初めてだ。
こうなるともはやチームの空中分解は避けられない。
最初は俺に同情的だったチームメイトもこれだけ負けが込んで雰囲気が悪くなればどうしても犯人探しをやりたくなる。
その戦犯は当然この俺だ。
オフサイド知らずの件は事実だから問題発言はまだ情状酌量の余地はあったが、中東の件は売名行為でチームを窮地に陥れたと欠席裁判で断罪されたようだ。
一人、また一人と俺は仲間を人望を失っていった。
俺の人生いろいろ大変だったとこれまでも思っていたが、まだまだ温かったんだな。今はいっそどこかに消えてなくなりたくなるほど辛くて苦しくて怖い。
これが本当の絶望か・・・
いや、まだ完全に望みが絶たれたわけじゃないのは分かってる。
たった一つだけ希望はある。
でも、それさえ失ったらどうなってしまうのか・・・今はそれが死ぬほど怖い。
そして、その最後の審判の時が、今夜訪れる。
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