第30話 先輩誘拐計画 ②


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「…。…ちゃん!…サキちゃん!」

「ん…あと五分…」

「そんな呑気言ってる場合じゃありませんわよ!」

「え…?」


寝ぼけ眼をこす―――


「ん…?」


―――ろうとしたのだが。


「あれ…?腕が…」


そう。腕が動かないのだ。というか、後ろ手に縛られているようで腰の辺りから一切動かせない。


「えっと…?」

「まだ何が起こってるかわかりませんの?」


辺りが暗いのでよく見えないが、感覚からして私の手首と足首が縄で縛られているようだ。


「あっ…」


ここで、ようやく混濁していた記憶が戻ってきた。私は何者かに後ろからクロロホルム的な何かを嗅がされたのだ。つまり…


「私達誘拐されてるなう?」

「なう?じゃないですよ!?サキちゃん、もうちょっと焦りませんの!?」

「いやまあ、焦っても仕方ないですし…」


うんまあ、ヤバいとは思うよ?誘拐ってなったら身代金の要求とか色々めんどくさいことになるって分かってるんだけど…


「まあ、誘拐されてる側の私達がどれだけ焦ってもなにもできないしね。あ、深山早紀っていいます。よろしくね」

「城ヶ崎恵です…ってそうじゃないでしょう!?…もしかしてこれも作戦のうちだったりするのかしら?」

「いやぁ…流石に想定外ですよ。まさか誘拐する側からされる側に回るとは…」

「…そう。そういえば、サキちゃんはどうして私を誘拐しようなんて考えたのかしら?」


未だに手首の縄は外れないしこの部屋?建物?には全く外からの光が通っていないようで全然目が慣れてこない。


「メグ先輩ってお金持ちじゃないですか」

「ま、まあそうだけど…もしかして身代金目当てで?」

「流石にないですよ。ただ…お金の価値ってものをよく分かってないんじゃないかと思って」

「…」


メグ先輩が黙る。自覚はあったらしい。


「例えば腕力がある人は、力がない人から見た『力』の価値やそれを手に入れる難しさについての認識が甘いんです」


自分が持っているもの、持っていて当たり前のものを他人がどれだけ欲しているかを正しく理解している人間は実は少ないのだ。だって、に目を向けるのが人間としてのさがなのだから。


「今回の計画を遂行するにあたって、メグ先輩のことをちょっと調べさせてもらったんですよ」

「私のことを?」

「はい。誘拐するために必要な情報や…過去についても調べようとしたんですが、何故か教えてくれなかったんですよね」

「…」

「でも、やっぱりできればメグ先輩の口から聞きたいです。どうして…あんな裕福そうな家なのにVtuberになったのか。あと…半年前のことについても」

「…わかりました。どうせこの状況ですることもありませんし、少しだけ昔話に付き合ってもらってもいいかもしれませんね…」


そう前置いて、メグ先輩は語りだした。彼女の過去を…



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



…メグ先輩は、お金持ちだ。もちろん、彼女が望んでそうなったわけではない。彼女のお父さんが城ヶ崎貿易という貿易会社の社長というだけだ。普通に考えればそんな家に生まれてこれてラッキーだ。

…しかし、お金持ちであるが故の苦労というのももちろんある。


恵のお父さんは、メグ先輩を会社の跡継ぎに…なんてことは考えていなかった。というのも、彼は非常に古い考えの持ち主で、「いくら恵が優秀だったとしても女であるお前に私の会社を継がせるわけにはいかん」と、普段から言っていたそうな。


もちろん、だからといってほったらかしにされてたり疎まれたりしていたわけではない。


むしろ逆で、仕事を継がせるつもりはないとはいえ恵の父は一人娘である恵を溺愛していた。幼い頃から色々な習い事をさせたし、恵が欲しがったものはなんでも買ってやった。かといって甘やかすわけではなく、恵がいけないことをしたときはしっかりと叱ったし、仕事を理由にほったらかすこともなく家族との時間を大切にした。


最初の欠点さえなければ、規範的で理想の父親だっただろう。そして恵もその父の期待に応えるべく勉学に励んで、将来は彼の会社を継いで美人社長として名を馳せていたに違いない。


…しかし。ある日、恵はたまたま聞いてしまったのだ。敬愛する父と、その部下の男性の密談を…。僅かに空いたドアの隙間から…。


「それで、娘さんの方は?」

「ああ、私が見る限りでは順調なようだよ。勉強にも励んでいるし、見た目にも注意を欠かさない。自慢の娘だ」


それを聞いたとき、恵は思わず頬がほころんだ。『自慢の娘だ』なんて言ってもらったことなかったから…。というより、父が恥ずかしがって言わなかっただけかもしれないけど。


「それは良かったです。彼女にはクトゥルフ運送を継いでもらわなければなりませんからね」

「おい馬鹿、ここでそういう話をするな!恵に聞かれたらどうするんだ!」


恵はハッと息を呑んだ。


――クトゥルフ運送。正式にはCthulhu transport。アメリカに本社を置く運送会社で、ここ数年で一気に国内シェアを伸ばしている注目の会社だ。早くて安いので多くの人がクトゥルフ運送を利用している。しかし、あまりの運送料の安さに黒い噂が時々流れる謎多き企業だったりする。

しかし当然その名前から察する通り――なんでこんな名前にしたのか不思議でしかないが――その実情は真っ黒。チャカやライフル、果ては麻薬まで…。平たく言えば、世界中からかき集めたヤバい品物を国内にばら撒く犯罪グループ紛いの運送会社だったのだ。


まあ、当時の恵はそんなこと知らなかったから『犯罪に手を貸すお父さんなんて大嫌い!』ってなったわけではない。将来の職場を勝手に決められていたということに少しムカッとはしたが、本命は次。


「まあまあ、今日はについての話なのですが…」

大樹たいき君のことか。どうした?」

「はい、実はですね…」


…もう、これ以上は恵の耳には入ってこなかった。


婚姻を結ぶ予定…?


恵の知識にある通りの意味ならば…つまり、将来的に結婚するということ。


大樹とやらには以前会ったことがあるが、『コイツだけは無理』と思った記憶がある。


年齢は恵より5、6個上。恵が小学5年生の頃に、高校生になった大樹に会ったことがある。理由は…忘れた。確か、家族で行ったレストランでたまたま会った…ような気がする。だが、オシャレに気をつけたり勉強なんかで普段から努力している恵とは正反対で。



ブクブクと太った体型に、冬場だというのに額に浮かぶ脂汗。センスの欠片も感じないガキ大将のような服装に、まともな教育を受けているのかと疑いたくもなる非常識な行動の数々。そして極めつけは、恵に向ける目線。まるで狩人が獲物を品定めするような…いや、違う。理性を失った獣が獲物を前に舌なめずりするような…そんな下卑た目線。

まだ幼い恵でも分かった。


コイツは私を性的な対象としてしか見ていない。


と。


それを思い出した途端、急に目眩がしてきた。


この時既に恵は中学3年生。何も知らない純粋無垢な小学5年生とは違う。肉欲に溺れ、理性を失った男性が女性に何をするかなんてもう分かりきっている。それが、将来的には婚姻を結んでというのなら尚更。


「う、ぷっ…」


視界が回り、意識が遠ざかる。喉の奥から酸っぱい液体がこみ上げてくるが…


「んむっ…」


ここでそれをぶちまけるわけにはいかない。さっきの話を盗み聞きしていたということがお父さんにバレると、何をされるか分かったものではない。もしかしたら今すぐあのクズ大樹君を呼んで既成事実を…なんてことになるかも。


まあ、実際そのときにそこまで考えていたわけではない。というか、そこまで考えが至ってしまっていたら恐らく吐き気に耐えきれていなかっただろう。


とにもかくにも、彼らに悟られないように音を殺してその場を離れてすぐにトイレに駆け込み、胃の中身の悉くを便器の中に吐き出した。全部出してからも何度もえずき、夕食で食べたものを全て吐き出してしまった。



…その日から5日間、恵は高熱に浮かされた。

元々、彼女がこなしていた習い事の数々は、まだ中学生だった恵には過酷すぎるものだったのだ。

毎日数時間もの塾に加えて、英語にフランス語、中国語といった言語学。まだ学校では習わないような、高度な政治・経済学…。

挙げていったらキリがないが、今までそれらをこなせていたのはひとえに大好きな父の期待に応えたいという一心からだった。


…だがしかし。

その父が将来的には、娘の意思など顧みずに実態の分からない運送会社に就職させ、高校生ながらに小学生に対して発情するような豚と結婚させようとするようなクズだと気付いてしまったのだ。モチベーションなど保てるはずもなく、その後に殆どの習い事をやめてしまった。

しかも、それ以来恵は周りの人間を信じることができなくなってしまった。大好きだった父の裏の顔を見てしまったからだ。自分のことを気にかけてくれる使用人も、学校で話しかけてくれる友人も…その笑顔の全てが嘘で塗り固められた仮面なのではないかと疑うようになってしまったのだ。

実際はもちろん違う。元々美人で明るい性格の恵が人気を博さないはずもなく。純粋に恵を好いての行動だった。

…だが、その好意はもう恵には届かない。一度疑ってしまうと、あらゆる行動が不審に思えてしまうものだ。

今まで純粋な好意だったところに、『心配』や『不安』が混ざって多少なりとも変質する。


人――特に子供は、そういった感情の変化に非常に敏感だ。今までとは僅かに違う態度、話し方、表情…。それらを読み取って、どう思うか。


『この人は私に何かを隠している。もしかしたら、父の息のかかった人かもしれない』


と。

一度そう思ってしまったらもうまともな関係を築くことなどできない。その行動の全てが、過去の思い出の全てが偽りであると思ってしまう。


…結果、急激に元気がなくなって暗くなった恵に話しかける人間はすぐにいなくなった。

恵も、もう誰とも関わりたくないといった感じで一人で本を読んだりMeeTube動画の視聴に没頭するようになってしまった。


堕落した日常。どんどん思考がネガティブな方に働き、絶望に心が支配されるようになっていった。最終的には、『自殺するか家出するか』ということを考えるまでに…。

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