第393話 夜半の襲撃(その1)
兄との関係をセイジア・タリウスに訊かれたリブ・テンヴィーの白い顔から表情が消えて、
「疲れているからまた今度ね」
と言うなり身を翻して足早に立ち去ろうとする。暗い廊下に、かつんかつん、とハイヒールの音だけが響く。
「なあ、どうしたんだ、リブ?」
いつも聡明な彼女らしからぬ態度に戸惑うセドリックと、
「待ってくれ。ちゃんと話してくれないと何もわからないじゃないか」
セイが声をかけてもリブは止まらない。
(だめ。怖い)
自分の過去をセドリックとの結婚を、親友にわかってもらえるか不安で女占い師は逃げることしかできなかった。明朗快活な女騎士が秘密を打ち明けられて気分を害さないと信じたかった。だが、今までの関係が変わってしまう可能性が万に一つでもあるとすれば、と思うとどうしても前に進むことができなかったのだ。広い視野を持つがゆえに物がよく見えすぎて恐れに取りつかれてしまっているのが今のリブ・テンヴィーだった。さっきまで国家権力に堂々と立ち向かった勇気の持ち主がささやかな友情を損なわれることに耐えられない、というのは奇妙ではあったが、それもまた人情の在り様のひとつなのかもしれなかった。
「なんだ? 面白いことになってるみたいだな」
遅れて宮殿から出てきたシーサー・レオンハルトが先を行く3人の後姿を見てにやりと笑う。トラブルや揉め事の空気を感じ取るとどうにも血が騒いでしまう迷惑な血がこの体の大きな青年の中には流れていた。
「そんなことを言っている場合じゃないですよ。ああ、あの2人が喧嘩するなんて心配だなあ」
上官に比べると健全な常識人であるアリエル・フィッツシモンズは眉をひそめ、
「セイのやつ、またわたしを置いて行って」
ナーガ・リュウケイビッチは怒って頬を膨らませた。そんな外野を気を留める余裕のないリブに、
「お願いだから落ちついてくれ。いつものきみらしくもない」
セドリックのささやきも効き目はなく、しびれを切らせたセイが、
「さっきから気になっていたんだが、リブ、きみはもしかして」
と声を張り上げた次の瞬間、
「あっ?」
「えっ?」
リブとセドリックはほぼ同時に、どん、と背中を強く押されて体勢を大きく崩した。恋人が石造りの床に顔をぶつける前に伯爵は彼女を抱きしめてそのまま倒れ込み、背中に衝撃を受けて「ぐっ!」と苦悶の声を小さく漏らす。
「セディ!」
悲鳴を上げたリブに、
「わたしは大丈夫だ。きみこそ怪我はなかったかい?」
セドリックが眉をひそめながらも笑い返したのを見て、麗人の頭に血が上る。
(セイに突き飛ばされたんだわ)
確かに説明もせずに逃げたのも悪かったが、だからといって実力を行使するなんて最低だ。しかも、自分だけでなく実の兄であるセドリックにまで手をあげるなんてひどい(そのことに一番腹が立った)と起き上がって抗議しようとしたリブだったが、
「2人とも無事か?」
兄と友人を見下ろすセイのまなざしがあまりに優しかったために、怒りはたちまちやわらいでいく。女騎士が悪意をもって嫌がらせをしたわけではないのは明白だった。そればかりか、
「セイ、あなた一体」
セイジア・タリウスに異変が生じているのを認めたリブの声が震える。「金色の戦乙女」の右の頬に切創ができて、紅の布切れを貼り付けたかのように血が流れ出している。そして、右の肩からは細長いものが1本生えていた。装甲を貫いた矢は彼女の身体を傷つけ、
「ちっ。不覚を取った」
金髪の騎士がいまいましそうに舌打ちした直後に、袖口からぽたぽたと真っ赤な雫が滴り落ちる。
「あれは?」
リブの眼には壁にめり込んだ別の矢が映った。もしも突き飛ばされることなくそのまま歩き続けていたら、飛び道具は自分とセドリックに命中していただろう、と肌が粟立つのを感じるとともに、
(セイはわたしたちを身を呈して守ってくれたんだわ)
年下の友人が突発的な行為に及んだ事情も理解し、一瞬でもセイを悪く思ったのを恥じた。しかし、そんなリブの感慨とは裏腹に、狙撃によって一連の陰謀劇の掉尾を飾る闘争の幕は切って落とされ、夜更けの王宮の中庭は血生臭い戦場へとその姿を変えようとしていた。
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