第391話 相手が悪い(その4)
「そのくらいにしておくんだな、リブ。青瓢箪をあんまりいじめちゃかわいそうだ」
ジムニー・ファンタンゴを庇っているとも小馬鹿にしているとも取れる口調でつぶやいてから、セイジア・タリウスはかすかに笑って、
「それに、騎士を辞めたのは悪いことばかりでもなかった、ってわたしは今思っているから、こいつをあまり怒る気持ちにもなれないのさ」
意外なことを言い出したので、リブ・テンヴィーもこれは予想外だったのか驚いて息を飲んでしまう。
「陛下の命を受け、騎士団を離れて二年半余りが経ったが、わたしにとっては実に長いようなあっという間のような時間だった。国中のあちこちを訪れ、たくさんの人と出会い、数多くの経験をしてきた」
自らの胸の内を探るように目を伏せた金髪の騎士は、
「そんな日々の中で、わたしはひとつの学びを得た。それは、いかに自分が何も知らないのか、ということだ。多くの戦いを勝ち抜いてきて、それなりに成長できたつもりでいたが、なんのことはない。広い世間に出てみれば、わたしにはできることよりもできないことの方が多い、と思い知らされる日々だった。二十歳そこそこの青二才なんだから当然と言えば当然なのだろうが」
反省を口にしながらもさわやかな微笑を浮かべて、
「でも、騎士団にいたままではきっと自分が未熟だということに気づきもしなかっただろう、と思うのさ。剣をふるい馬を駆り軍を率いるのにわたしは最上の喜びを覚えるが、それだけが人生の全てになってしまうのも違う気がするしな。騎士以外の生き方を試そうとして、結局自分は騎士にしかなれない、と悟ったのは決して無駄足を踏んだわけではなく、寄り道や回り道も騎士道のうちで、最短距離を歩むだけでは知り得ない物事は確かにある、ってことなのかもしれない」
何だかキザなことを言ってしまってるな、と美しき戦士は自分の言ったことに吹き出してしまう。そして、
「だから、わたしはこの長い時間を必要なものだった、と受け止めてるんだ。前のわたしよりも、もっとでっかいわたしになれていたらいいし、そしてこの先もっともっとすごいわたしになっていければいい、と願っている」
遥か高い場所を見上げるように遠い目をしたセイジア・タリウスを「
(セイ、今ほどあなたの友人であるのを誇りに思ったことはないわ)
リブはこみあげてくる涙を必死で抑え込んでいた。騎士団長の地位から恩賞を与えられることもなく放逐されるという、世を拗ね人を恨み性根が捻じ曲がってもおかしくないつらい経験をしたにもかかわらず、セイはそれを前向きに受け止め、試練として乗り越えてみせたのだ。これまで彼女が挙げてきたどんな勝利よりも偉大な戦果だというべきだった。その一方で、ファンタンゴ宰相は背を折り曲げ肩を落とし、数時間前までの絶大な権勢は見る影もなく失われ、それは二度と戻らないことも想像するに難くなかった。憎い女騎士を屈辱にまみれさせようとした企みは潰え、それどころか彼女をより強くしてしまった。逆境にあっても決してくじけなかったセイは汚泥の中でも咲き続ける百合にも似ていて、その無垢なまでの純白さを陰険な策略家は正視することが出来ず、胸を抉られるかのような苦痛に悶えるしかない。歪んだ心が正しい心に打ち勝ったためしはなく、この物語においてもそれは同様だった。この瞬間、ジムニー・ファンタンゴはセイジア・タリウスに敗れ去り、決着の雰囲気を察した参加者たちは口々に叫びを発し、王宮の広間は割れんばかりの歓声に包まれ、玉座にある国王スコットはその光景を呆然と見守っていた。
「決まりだな」
シーザー・レオンハルトは満足げな表情を浮かべる。アステラ王国は危機を脱し、セイは陰謀を打ち砕いた。二つの輝かしい戦勝が同時にもたらされたのだ。いくら喜んでも喜びすぎることはない快挙と呼ぶべきだった。
「なんとか上手く行きましたけど、危ないところでしたね」
アリエル・フィッツシモンズは安堵の息を漏らす。敵の奸計にまんまと嵌って一時は命を落としかけたことを思うと、こうやって切り抜けられたのが奇跡としか思えなかった。
「どうして勝てたのか、わたしにも不思議だ」
ナーガ・リュウケイビッチは戸惑いを隠せないままにつぶやく。「平和条約」が破綻したのは、彼女の祖国モクジュにとっても喜ばしい事態だったが、強大な力でもって周到な準備を整えていたファンタンゴとその背後にいるマズカ帝国の魔の手を跳ねのけられたのがいまだに信じられずに上手く喜べなかったのだ。すると、
「なんだ、ナーガさん。宰相のおっさんが負けた理由はひとつしかないじゃないか」
シーザーがにやにや笑ってきたので、
「どういう意味だ?」
と問いかけると、
「あそこを見てください」
アルが前方を指さした。言われるままにその方向を見てみたところ、
「きみのおかげだ、リブ」
女占い師に感謝するセイと、
「それはこっちのセリフよ。あなたがいてくれたから上手くやれたのよ」
年下の友人に優しく微笑むリブ、2人の美女が仲良く見つめ合う姿があった。
「なるほど、そういうことか」
と事情を理解したナーガが頷くと、
「あの二人が力を合わせたら誰も勝てませんよ」
お手上げ、と言いたげにアルは肩をすくめ、
「つまり、おっさんの敗因は『相手が悪かった』、それに尽きるってことだ」
シーザーがまとめてみせた。最強の女騎士と最高の女占い師がタッグを組めば不可能はなく、帝国の侵略を頓挫させることなど至って簡単なのかもしれなかった。
かくして、万事は解決したかのように思われた。だが、この運命の一夜にさらなる波乱が待ち受けていることに、もう間もなく自らの身に危険が迫りつつあることに、セイジア・タリウスはまだ気づけずにいた。
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